第五話
闇に呑まれた中の足音は、ランプの光の中で反響し、闇に吸い込まれるように消えていく。響き始めは洞窟のようだが残響はない。
それは声も同じで、ヴィコットの陽気な声は、本人が出してると思っている以上に大きい。
「頼もしくて、なんでも知っていて素敵ねって。だから、オレはそのゴーストの女の子に言ってやったんだ。オレみたいないい男を見つけるのは苦労するぞって」
リットは「そうだな」とそっけなく返した。
「そしたら、なんて言ったと思う? 見つけたあとも、あちこちフラフラするから、結局探すのに苦労しそうねって」
「そうらしいな」
「どうした……リット。まだ拗ねてるのか? もう五日も前のことだぞ」
ヴィコットはいいかげん元気を出せとリットの背中を叩いた。
「オレが拗ねてるって? ただ不機嫌でイラついてるだけだ。これを拗ねてるって言うか?」
「まぁ……だいたいの場合はな。女に対してならば別の答えもあるが、その言葉を言ったら怒られる」
「いいか、別に誘われなかったことに怒ってるわけじゃねぇ。飯を食いに行こうが、ナンパをしに行こうがどうでもいいことだ。問題は、なんでオレが酒の席にいないかだ。たとえ口うるさい女に止められてもだ。裏でこそっと誘う。それが男の友情ってもんだ」
「そうは言うが、女に首輪をつけられた男は誘いにくいもんだ。抑圧という名の首輪に締め付けられていては、酒も喉を通っていかないだろう」
ヴィコットは悪かったなと言うように、リットの背中を優しく叩く。
「こんな人生経験の足りねえ小娘のつけた首輪なんてのは、どうとでもなんだよ。首輪をつけさせたことにだけに満足してんだからな。途中で紐を切って、あいだに紐を付け足して、結んで長くしてもバレやしねぇよ」
「リット……言っておくが。全部私に聞こえているぞ」
先頭を歩くエミリアは、歩く速度も落とさず、振り返りもせずに言った。
「これは嫌味だ。聞こえるように言ってんだよ」
「そう女に当たるな。男がもっとも恥ずべきことだぞ」
ヴィコットはなだめるような声で言うが、リットはその言葉を鼻で笑い飛ばした。
「いいんだ、ヴィコット殿。私は気にしていない」
エミリアはいつものことだと、言葉通りまったく気にしていなかった。
「気にしてくんねぇと、嫌味を言った意味がねぇだろ」
「そうイラつくこともないだろう。なにかあったのか?」
「なにかあったか? あったに決まってんだろ。どうせ死ぬなら、酒を飲んで死んでたほうがマシだ」
リットは革水筒に入った残り少ない水をチャポチャポ音を立てて揺らした。
「昨日寄った村の井戸が枯れていたんだ。しょうがないだろう。気候が変われば、一時的に枯れることもある」
エミリアは自分の水筒をリットに渡そうとするが、リットはいらないと手で払う仕草をして断った。
「オレが心配してるのは、闇に呑まれたここの気候は変わることがないってことだ。つまり、こっから先。水を補給できる井戸は存在しねぇんじゃねぇかってことだ」
ヴィコットは「心配するな」と今度は強くリットの背中を叩いた。「地下水の位置が変われば、補給できる井戸もある。地図があるおかげで、進路変更もスムーズだ」
ヴィコットは自分が見付けた地図を広げ、自慢げにリットに見せた。
その言葉を信じて、さらに三日ほど歩くと、名もなき村に着いた。ヴィコット達ゴーストの活動範囲もとうに超えており、何が起こるかわからない未知の世界に踏み入れていた。
リット達は家に座り込み、言葉もなく探索に出ていったヴィコットを待っていた。
「うーむ……ここも井戸は枯れていたな。まいったまいった」
言葉とは裏腹に、困惑した表情一つせずヴィコットが戻ってきた。
「……だとよ。自分でも驚きだけどよ。あんまり飲みたくねぇ酒でも飲んで凌ぐしかねぇな」
リットはあんなに飲みたがっていた酒よりも水を欲していた。まだ乾きに体の不調が出ているわけではないが、この先そうなると断言できるようなこの状況では、どんなに高級なお酒よりも、汚れた水のほうが魅力的だった。
「いよいよ死ぬとなったら我に考えがある。末期の水の心配はいらぬぞ」
グリザベルはいつもと変わらない様子で、この家で過ごすための準備を始めた。暇つぶしに読むための本を出し、固いものはすべて鞄から取り出して、柔らかくなった鞄の形を整えると、それに背中を預けて足を伸ばした。
「生き血でもすするつもりか? 言っとくけど、オレの血は不味いぞ」
「我は魔女ぞ。魔宝石を作るのは造作なきことだ。卵を割るより容易きこと。そうだ、やることがないのならば、魔力の性質についておさらいしてやってもよいぞ」
「……その前に、オレにケツを蹴られるってのはどうだ? なんでもっと早くそのことを言わねぇんだよ……」
「使うつもりがないからに決まっておるだろう。魔力の暴走で起きた現象が、闇に呑まれるだ。そんなところで、魔宝石を作るために魔法陣に魔力を流してみよ。何が起こるかわからぬ」
あと五日も経ってからグリザベルのこの言葉を聞いていたら、リットはいいからさっさとやれと言っていたかもしれないが、まだグリザベルの言葉に納得できるくらいは頭が働いていた。
「しかたねぇな……。一応村の中を見て回ってくるか、地図には沢もあるらしいからな」
リットがランプを手に取る前に、「自分の目で確かめてみるのもいいが、沢も枯れていたぞ」とヴィコットが手で制した。
「なら、念の為掘ってみるだけだ」
リットは土を掘る要員として、ハスキー指で招いて指名した。
「なかなか冒険者に染まってきたな。いいことだ。とりあえず試してみることは大事だ。よし、オレが案内しよう」
ヴィコットは我先にと、家の外に出て行った。その後を素早く身支度を終えたハスキーが続いていく。
リットが家を出ようとすると、「助かる。良い知らせを期待している」とエミリアに声を掛けられた。
「虫の知らせが入る前には戻ってくることにする」
リットはそう言って家を出ると、「さて、グリザベル……。私の言いたいことはわかっているな……」と説教に入る時のエミリアの声色が静かに響いて、闇の向こうに消えた。
この村は闇に呑まれる前から廃れていたらしく、建物以外の生活の跡はなかった。
畑だったものらしい土地、家畜を飼っていたらしい小屋、道があったらしい地面。どれも、らしいという断定できない言葉がつくほどだ。
「廃れというのは、心に穴を作るな……。だがその穴の形がわからず、何で埋めればいいかわからない」
ヴィコットは『らしい』ものたちを見て、物悲しげに言った。
「そりゃまた……詩的なこって。今から穴を掘りに行くって言ってるのに、心に穴を開けてどうすんだよ」
「オレは賑やかなのが好きなんだ。うるさすぎるくらいの日常がな。……ゴーストっていうのはなかなかうまい具合にできているとは思わんか?」
「闇に紛れて女の風呂を覗いたり、ただ酒を飲めるからか?」
ヴィコットは「違う」と真面目な顔で首を横に振った。「もし、死んですぐに生まれ変わっていたら、自分の葬式をこの目で見ることになる。もし、記憶を全部引き継いで生まれてきたら、死に際の悲しみに押しつぶされてしまう。そうなれば、とてもじゃないが、オレはオレをやっていられない」
「たしかに……自分には到底耐えられそうにはないですね……」
ハスキーは空気が重量を持ったかのように、重々しく言葉を吐き出した。
「そうだろう。たまに自分がどういう人生を過ごしていたか気になることもあるが、わからないからこそ、今の人生がうまく回っている。ゴーストも賑やかで楽しいからな」
ヴィコットはいつもの調子を取り戻し、ガハハと笑いを響かせた。
「知ってる。絵画のおっさんにはあったからな」
「彼はゴーストの中でも珍しいタイプだ。他にも人形のゴーストや、姿も声もなく音だけでコミュニケーションを取るゴーストもいる」
「まるでサーカス集団だな。こんなとこで暇つぶしにウロウロしてるよりも、ここを出て国から国へと練り歩いたほうが有意義だぞ」
「オレから見たらリット達のほうこそサーカス集団だ。性格は皆バラバラ。どこでどう知り合ったんだ? そこの獣人のハスキーはいいとしてだ。ドワーフに妖精に女兵士に魔女。……後学のためにも聞いておきたいもんだ」
ヴィコットは足を止めて、淀みのない真剣な眼差しでリットを見た。
「簡単なことだ。脳天気なドワーフを拾って、生真面目な女兵士の頼み事を聞く。森に行けば口やかましい妖精に出会うし、廃城に行けば引きこもり魔女がおまけについてくる。旅に出れば、ついでに家族にも出会えるぞ」
「そうか……やはり冒険はいいな。出会いに満ち満ちている。今回のことを終えたら、リットについて行くのも悪くない」
「部屋も余ってるし、ついてくるのは勝手だけどよ。まず先立って案内してくんねぇか? 沢までよ」
三人の会話は歩きながらではなく、すっかり立ち話になってしまっていた。リットの足元には、手持ち無沙汰につま先で土を掘った穴が空いている。
そして、先に進もうとその穴を埋めた時。ヴィコットは「もうついてる。ここだ」と言ってのけた。
「……なんか言うことねぇか?」
リットは到着していたのなら先に言えと視線を送るが、ヴィコットは見当はずれの納得をして、手をぽんっと打った。
「そうだったな。さぁ、ついたぞ。ここが沢だ。なにもないだろう?」
「そうじゃねぇよ……」
「なんなら、向こうから歩いてくるところからやり直してもいいが?」
「もういい……時間の無駄だ。ここが沢なんだろ」
「そう言っただろう。見ての通りなにもない」
ヴィコットは客間に招待するように、腕を広げて沢を指し示した。
「そっちは闇の中で目が効くだろうけどな。こっちはなにも見えねぇんだよ」
リットはヴィコットが指している方向へランプを向けるが、いつも以上に闇が重く、靄がかかったようにランプの光は届かなかった。
顔の向きを変えたり、ランプの位置を変えたりとぐずぐずするリットに、ヴィコットは「どうだ、見えたか?」と急かして聞いた。
「まだ暗くて見えねぇな……。ハスキー、見えるか?」
「いえ、自分にも暗くてよく見えません」
「しかたねぇな。ランプの火を大きくするか」
リットはランプの調節ネジを回して芯を出した。
炎はジジジッという咀嚼音を立てて伸びた芯を食い、その身を大きくすると、過ぎたエネルギーを蒸発させるようにランプの煙突部分から煙を漏らした。
ランプの明かりと、漏れ出る光る煙に照らされ、岩と砂利しかない窪みがリットの目に映った。
緩やかな坂となって上から続いているが、そこに水の匂いはなかった。
リットが「掘ってみて、泥水が出てくるのを祈るか……」とこぼすと、一瞬視界が揺らめいた。
それを感じたのはリットだけではなく、ヴィコットもハスキーも奇妙な錯覚に目を細めていた。
そして、今度は三人とも目を大きく見開くことになった。見えない氷が一瞬にして溶けたかのように、沢が水に満たされたからだ。
沢に水がひそやかに流れる音は、三人の静寂をあざ笑うかのように高く響いた。
「おい、リット……。オマエはなんでも願いを叶える精霊か?」
ヴィコットは人に操られたマリオネットのように、首だけ動かしてリットを見て言った。
「ちげえよ……」
「頼む! ランプの精霊よ! 愛に飢えたこのオレに、口説きがいのある女をこの場に呼び出してくれ!!」
ヴィコットはリットに抱きつくと、頬を胸元に擦り付けて懇願する。
「オレがそんな便利な精霊だったらな。これは水じゃなくて酒だ。酒の匂いがしてるか?」
「この匂いは水ですね」
二人よりも鼻が利くハスキーが断言した。
「ハスキー! そんな夢のないことを言うな! 押し通せば、リットはランプの精霊になるかもしれない。手を合わせて、目を閉じて、祈るんだ。ハスキーにも叶えたい願いはあるだろう?」
ヴィコットは跪くとリットに向かって手を合わせる。
ハスキーも同じように跪いて手を合わせると「平和を取り戻せますようにと」願った。
「ハスキー……もう一回夢のないことを言ってくれ。マヌケ二人がオレの股間を拝んでる悪夢を早くどうにかしたい……」
ハスキーは立ち上がると、沢に人差し指を入れた。チャポンという水音ともに、一瞬で姿を消すわずかな飛沫があがる。そして、その人差し指を口に入れた。
「これは……やはり水ですね」
リットは「だとよ」と、ヴィコットを見下ろす。「まぁ、願いは叶ったってのは間違いじゃねぇな。当初の目的は飲み水の確保だからな。突然降って湧いた水を飲む勇気があるかは別だけどな」
リットが沢を見ると、ヴィコットとハスキーも沢に視線をやった。
またしばらく無言の時間が流れ、せせら笑うような水の流れる音だけが響く。
「とりあえず……戻って皆に相談してみましょうか?」というハスキーの言葉に、二人は無言で頷いた。
三人が家に戻ると、中に入る前からエミリアが説教をする声と、グリザベルの言い訳をする声が聞こえてきた。
「我は悪くないもん……」
「今は悪い、悪くないの話をしているんじゃない。前にも言ったように、思ったこと気付いたことは話してくれと言っているんだ」
「しかしだ。エミリアは魔力に明るくない。使う使わないのタイミングは、我にしかわからぬのだ」
「頑固な婆さんみたいに説教をしても、子供みたいに泣きじゃくっても、どっちも喉が渇くだけだぞ」
リットが声を掛けると、「やっと戻ってきたのね……」とチルカが疲労のため息をついた。「アンタ達が出て行ってから、「私は悪くない」「そういう話ではない」の繰り返し。アンタが酔っ払ってるときより、会話が堂々巡りしてるわよ」
「まぁ、もうちょっと我慢しろよ。喉が乾きゃ、毒の水でも試しに飲んでみるだろうよ」
「水があったのか!?」とエミリアが驚きの声を上げた。
「あった……って言うより……な?」
リットがヴィコットの顔を見ると、ヴィコットがその続きを言葉にした。
「突然出てきたんだ。なにもないところから、本当に突然にな」
「それはおもしろき現象だ!!」と、今度はグリザベルが驚きの声を上げたが、明らかに取って付けたような反応だった。「さぁ、そこまで案内せよ」とリットの背中を押して家を出ていこうとするが、リットが少し足に力を入れるだけでグリザベルは押し戻されてしまった。
「こっちはそのことを相談しに戻ってきてんだよ。なにも決まってねぇのに、家から出てどうすんだ」
「この眼で見るまで信じられん。現物を見ないことには、議論は進まぬ」グリザベルは振り返ると、それぞれの顔を見回して「異論はないな?」と聞いた。
「そうだな。沢に水があるのならば、またルートを変える必要がある。沢沿いに行けば水の心配はなくなるからな。皆で見に行ってみるほうがいい」
エミリアはヴィコットに案内を頼むと、ノーラとチルカを連れて先に家を出ていった。
その後ろ姿を見て、グリザベルは安心したように軽い息を吐いた。
「うまいこといったと思ってるかもしれねぇけどな。エミリアの説教はなあなあで終わらねぇぞ。水があるとわかって安心すれば、腰を据えて説教の続きが始まる」
リットの言葉を聞いて、グリザベルは今度は重い息を吐いた。
「この場合……水があったほうがいいのか……ないほうがいいのか。我はどっちを願えばいいのだ?」
「まず、闇に取り残されないように、後ろをついてきたほうがいいんじゃねぇか?」
リットはハスキーにグリザベルを引っ張って来いと言うと、さっさと歩き出した。
後ろからはどうする、こうすると、悩みながらぶつぶつ口に出すグリザベルの声が聞こえてきた。




