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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(下)

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第四話

 燃える木の爆ぜる音と、ノーラの安らかな寝息。それと時折ヨダレを吸い上げる音が響く中、リットはランプの火が消えないように見ながら、焚き火の遠火でナッツを炙っていた。

 炎の揺らめきに影も揺れ、心臓の鼓動より静かに脈打っている。しかし、その影は急に形を変え、リットに向かって手を振った。

「ほら、見ろ。地図だ」

 リットが顔を上げると、両手で地図を広げるヴィコットの姿があった。

「そりゃ凄い。これさえあれば、テスカガンドまでひたすら歩くだけでいいな。それで、今となにか変わるのか?」

「いいか、地図っていうのはな。戦争とともに完成されていくものだ。つまり細やかな道まで描いてあるってことだ。ほら、見てみろ。商業が発展した街を繋ぐ街道に沿っては遠回りになるが、小さな街を経由して山沿いを行くほうが近道になる」

 ヴィコットが広げた地図の上を影が長く伸びていき、テスカガンドまで続く二つの道を同時になぞった。二本とも終着点に辿り着くと、道なりにくねっていた影を真っ直ぐに伸ばし、距離の違いがわかるように並んだ。

 ものすごい差があるというわけではなかったが、小指と中指くらいの違いはたしかにあった。

「街道じゃねぇなら、道は悪いんだろ。結局辿り着く日数は同じにならねぇのか?」

「難しいところだな。だが、オレがいる限り、最短の道を通る自信はある。まぁ、テスカガンドには行ったことはないんだがな」

 ヴィコットはガハハと笑い声を響かせると、地図をエミリアに届けに行くわけでもなく、焚き火にかけている鍋の蓋を開けた。そしてお玉に口をつけてスープをすすると、「いまいちだな……」と両眉を寄せた。

「なら、これをフルコースだと思えよ。首を絞められる窮屈な服に、かたっ苦しい会話に、作って貼り付けた笑顔。味なんかしなくなる」

「その場を自分のものにするのが、できる男ってもんだ。酒場の下卑たジョークもいいものだが、格式張った形式も覚えておいて損がないぞ。なんせそれでオレは……オレは……なんだったか……」

 ヴィコットは思い出そうとするが、突然の通り雨で、太陽が曇天に隠されるように、記憶にモヤがかかってしまい、うんうんと唸る以外の言葉は出てこなかった。

「ゴーストなんだから、記憶なんて元からないようなもんだろ。それに、覚えてないってことは、大した情報じゃねぇってことだ」

「それは良い考え方だな」

「そうだろ。だから、酔って酒場の支払いを忘れるのも大したことじゃねぇ」

「酒場で気前よく払ってこそ、女の目の色も変わるってもんだぞ」

「出し渋っても目の色は変わるぞ。何度白い目で見られたことか」

「それもまた捨てがたい。女は感情のこもった表情一つで男を殺す。殺されるのも癖になるってもんだ」

「だから、ゴーストなんかになんだよ。そんなに女好きなのに、ここから出て女がいる土地に行こうとは思わなかったのか?」

 ヴィコットは自分でも不思議に思って「そんなこと――思いもしなかったな……」と、怪訝に眉をひそめた。

「浜辺まで行ったんだろ。船を見てなんにも思わなかったのか?」

 リットは東の国の灯台の明かりが届く場所に、何度かヴィコットが出現したという情報を思い出して言った。

「行ったには行ったんだが、記憶が定かではないんだ。話したことも、話した兵士の顔も覚えているが、内容が残っていない。美人の兵士を見て熱にうなされていたせいかもしれん」

「そうだろうな。口説かれたって言ってたからな」

「口説くようないい女との会話を忘れるとは思えんが……。忘れるということは、大したことではないということだな」

 ヴィコットはリットの言葉を借りたまま言うと、イタズラを成功させた子供のような笑みを口元に浮かべた。

「まぁ、深く考えないのがヴィコットには合ってる。神妙な面持ちで相談でもされても困るしな」

「リットにも似合わないぞ。あまり考えすぎるな。迷い悩むのが人生だが、長引かせてはいかん。人生とは悩むのと同時に、決断の連続だからな。後回しにすると、一気にツケが回ってくる。同時に決断をいくつもすると、答えを見誤ってしまうぞ」

 ヴィコットは優しく微笑みかけると、リットが炙っていたナッツを拾い、豪快に手で砕いて鍋にふりまいた。

「おいおい、なにしてんだよ。それは酒のつまみのために炙ってたんだぞ」

「いいか……リット。あまり考えすぎるな。迷い悩むのも人生だが――」

「それは今聞いたばっかりだ。だから教え通りに、すぐ決断して文句を言ってんだよ」

「いいぞ。アドバイスってのは、利用してこそだ。そうしていくうちに、ひとつまみの自分なりってものが生まれる。まるでスープに入れたナッツの隠し味のようにだな」

「それで誤魔化されると思ってんのか?」

「いいや、思っていない。だからオレは消えることにする。闇の中では追ってはこれまい」

 ヴィコットは笑い声を響かせながら、闇に体を溶かすようにして消えていった。

 陽気な男がひとり消えると、辺りには急に寂しさが伴う静けさが漂った。

 その静けさを破って、「いいようにやられちゃいましたねェ」とノーラがあくび混じりに体を起こした。

「寝たふりして、盗み聞きするような会話でもねぇだろ」

「たった今起きたんスよ。食べようと思ってた炙りナッツの匂いが消えたから。旦那ってば、しっかり守ってくださいなァ。おかげで夢の中でしか食べられなかったじゃないっスか」

「オレは夢の中でも食ってねぇんだよ。だいたい酒のつまみなんだから、オマエに食わせるわけないだろ」

「エミリアからお酒を飲む許可は取ってないんでしょ? どうせ無理なんスから、あのナッツは私の胃袋に収まってたはずですよ」

「都合の良い未来願望だな。その前に、腹を空かせた妖精にかすめ取られるぞ」

「都合の良い未来願望と言えば、諸君らの目的もそうではないのかね?」

 闇の中から急に現れたゴースト。そのゴーストが持っている絵画の中の老騎士ダルダーノは、コホンと咳払いを一つして、リットの顔を見てから、ノーラの顔を見た。

 視線が合ったノーラが目を丸くすると、ダルダーノも同じように目を丸くする。下唇を突き出して両眉を寄せると、またもダルダーノは同じ顔をした。さらにノーラは絵画を見つめたまま、まばたきを繰り返すと、ダルダーノもまばたきを返した。

「絵画なら、鏡の真似事をしなくてもいいじゃないっスかァ?」

「それもそうだ。まぁ、ついというやつだ」

 ダルダーノはぽっこりと膨らんだお腹を揺らして笑った。

「旦那ってばァ……また勝手に愉快なお友達作っちゃってもう」

「羨ましいなら持ってけよ。ただし、家には絶対飾るな。野良犬よけに店先に立てかけておけ」

 ダルダーノは二人の会話を気にすることなく、「先程は突然消えてしまいすまない」と切り出した。「無用な面倒事は避けるようにしているのでな。騒がしくなる前に退散させてもらったんだ」

「オレもそうだ。だから理由は言わなくていい。口も聞かず、目も合わさない。それでこそ良い関係ってもんだ」

 リットは同意を求めるように自分と相手を指さして言ったが、ダルダーノは言葉を続けた。

「見たまえ。私の影は動くことはないんだ」

 ダルダーノは適当にポーズを取ってみせた。

 絵画の中のダルダーノの影も、絵画自体の影も動くことはない。絵画を持っているゴーストには影さえもなかった。

 リットは少し考えてから「そうか良かったな」と、そこから広げられないように話を打ち切ったが、ダルダーノはブーツを脱ぎ、足をテーブルに乗せて、背もたれに体重をかけて椅子を傾けると、腕を組み。すっかり長話の体勢に入っていた。

「闇の中では我らの方が有利だ。鍋が煮える間。しばし耳を傾けるくらいよいだろう。諸君らのこれからにも関係のある話だ」

 ダルダーノはゆりかごのように椅子を揺らすと、「さて」と切り出した。

「まずは諸君らに礼を述べなければならない。大儀である」

 ノーラは「なんのなんのっスよ」と適当に言葉を返した。

「ヴィコットから話は聞いている。実のところ、我らと諸君らの目的は一致している。諸君らは、この闇の世界に太陽を取り戻したい。我らは異形の影の存在を消したい。想像は付いているだろうが、この二つの事柄は実に密接に関係している」

「ゴーストの争いの原因ってやつっスねェ」

「簡単に言えばそういうことになる」

「難しく言うとどうなるんスかァ?」

「絵に取り憑いて数百年。長い時間を過ごしてわかったことがある。私という絵画を見て、皆が思うことは様々だ。ある者は嘲り、ある者は瞳に涙を潤ませた。私の答えは、諸君らの答えではない。そういうことだ」

「つまり……どういうことっスか?」

 まったく理解できないノーラが首を傾げて言うと、リットに頭を掴まれて元の位置に戻された。

「やめろ。一生堂々巡りするつもりか。オレたちのすることに文句はねぇってことだ。結果の喜びどころが違ってもな」

 リットがそうだろうと視線を送ると、ダルダーノはゆっくりとうなずいた。

「そうだ。我らゴーストは異質の生命を好まん。我らには我らなりの道理がある。だからこそ、道を外れた存在とは一線を引いている。異質な生命とは異質の地に生まれるもの。諸君らが世界を取り戻すのを心から願っているぞ。時間を取らせた」

 ダルダーノが「行こう」と言うと、ゴーストは面倒くさそうに「はいはい」と返事をして絵画を持ち上げた。

 そして、闇に消えていく途中。ダルダーノは「絵画には火気厳禁だ。次に会う時には、火はガラスに閉じ込めるか、動かないよう床に置いてくれたまえ」という言葉を残していった。

「結局、わけのわからないことを言いたいだけ言って、どっかに行っちゃいましたねェ」

「わざわざ酒場に来て、水だけ頼んでまわりに説教して帰っていく奴とは仲良くなれねぇってことだ。泥酔してる奴も、ほろ酔いの奴も、そいつを追い出すことに異論はねぇ」

「……前から言おうと思ってたんスけど、旦那の酒場に例えるやつ。何回言われてもわかんないっスよ」

「棚にしまって置いたオレのナッツを食うのが、ノーラでもチルカでも、食われたことには変わりねぇ。問題はどっちを怒るかだ」

「それって、なんか言ってること変わってませんかァ?」

「いいや、同じことだ。んなことより、ランプを持てよ。オレは鍋を持つから両手が塞がる」



 リットとノーラが戻ると、部屋はすっかり綺麗になっていた。傷みはどうしようもないものの、埃やスス汚れはなく。代わりに、そのすべてがエミリアとハスキーが吸収したように二人の服は汚れていた。

「部屋中を寝転がりながら掃除でもしてたのか?」

「似たようなものだ。だが、見違えただろう」

 エミリアは振り返って自分の掃除した部屋を見渡した。

「そりゃもうな。化粧する前と化粧した後の女くらい違う。一晩しか過ごさない部屋をよくやるもんだ」

 エミリアは「そうだろう」と誇らしげに微笑むと、ノーラからランプを受け取り、埃が舞う中でずっと本を読んでいたグリザベルの頭の汚れを払うと「私達は食事の前に水を浴びてくる」と、同じく狭いところに入って埃だらけのチルカも引っ張って部屋を出ていった。

「ハスキーはいいんスか?」

 ノーラは綺麗になった床に座ると、大変な仕事を終えた後のように両腕を高く伸ばした。

「自分はエミリア様が帰ってきた後に、水浴びをさせてもらいます。それまではお見苦しいようですが、このままで」

「おかげで、汚れることを気にすることなく床をごろごろできるんスから、文句なんてありませんてなもんですよォ。ね、旦那」

「そうだな。近くに水浴びができる井戸もあるし、火も起こせる厨房を使ったほうが良かったなんて、オレにはとても言えない」

「もう……旦那ってば……。石畳のあんな硬い床で寝たら、背中が痛くなりますよ」

「どうせ寝返り打って、あちこちに体をぶつけるんだから変わらねぇだろ。そんなことより、ヴィコットは地図を持ってきたか?」

 リットはエミリア達が戻ってくる間までの暇つぶしに、地図を眺めていようと思ったが、視線に入る中に地図はなかった。

 それを見て、グリザベルが読んで積んでいた本の間から、ハスキーが地図を取り上げてリットに渡した。

「はい、地図は置いていかれました。今日は友人達と別れの酒を飲んでくるので、戻らないと伝言も預かっています」

「今生の別れってわけでもねぇだろうに、わざわざお別れ会とはな……。帰ってきたら、パレードをして、仕上げに胴上げでもする気か? なぁ?」

 絡んでくるリットにハスキーは「はぁ……」と困った返事をする。

「気にしちゃっダメっスよ。旦那ってば、誘われてないからって拗ねてるだけっスから」

「わざわざこっちまで顔を出しに来たんだぞ。一言あるのが普通だろ。酒でもどうだ? わかった行く。お互い一言で済む」

「そりゃ、もうエミリアの一言ですよ。旦那には飲ませるな。ほら、一言でしょ」ノーラが「ね?」とハスキーを見ると、ハスキーはそのとおりだと頷いた。「それに、ほら……あれっスよ。旦那も言ってたじゃないっスか。ナッツを炙ってもお酒が飲めないんだから、私に食べられようが、鍋に砕いて入れらようが同じってことっスよ」

「それ、どうにか結果のほうを酒を飲むに変えられねぇか?」

「できてたら、私は今頃世界中の美味しい食べ物に囲まれて生きてますよ」

 ノーラは鳴き声を上げるお腹を擦るの同時に大きくあくびをした。

 その後は、エミリア達が戻ってきて、夕食を済ませ、就寝し、朝になった。

 ヴィコットが戻ったのは、出発の用意が終わってからだった。






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