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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(上)

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第二十五話

 瑠璃色のオイルの入ったランプの光は色彩を与え、揺らめく暖炉の炎が作る影は現実味という安らぎを与える。

 暖炉に吊るされた鍋はグツグツと蒸気で蓋を持ち上げながら煮え、漏れる蒸気はスープの匂いを漂わせた。

 そんななんてことのない食卓の風景の外では、闇が静かだが確かに蠢いている。誰も窓の外に目を向けないのは、一時でもその風景のない風景を忘れたかったからだ。

 皆暖炉に視線を向けて、炎の照り返しで肌を赤く染めていた。

 だが、例外というのはいるもので、ゴーストのヴィコットだけは家を出入りしていた。

 鼻歌交じりででドアを開けて入ってくると「追加で持ってきたぞ。一人一個というのは口寂しいからな」と、腕に山程抱えたミトリダケをテーブルに置く。

 まだ土まみれのミトリダケは転がってテーブルを広範囲に汚した。

 その中の小さな一つを手に取ったノーラは、訝しく眉をひそめた。

「これが食べられるとは思えないんスけどねェ……。今までに食べた一番硬い黒パンでも、もっと柔らかかったっスよ」

「食べてみればわかる。最初に焼いたのが、ちょうど食べ頃になってるはずだ」

 ヴィコットは軽い足取りで暖炉に向かうと、灰に転がすように置いていたミトリダケを手に取って戻ってきた。

 じっくり時間を掛けて焼かれたミトリダケは黒く焦げ、石炭のように見えるせいで、より硬そうに思えたが、焦げた部分は玉ねぎの皮を剥くように簡単にパラパラと剥がれていった。

 指の腹で擦って軽く焦げを落とし、中心から手で二つに裂くと、驚くほど簡単に裂け、白い繊維質な断面図が見えた。

 中は焼き立てのパンのように白く柔らかいので、ノーラは思わずかぶりついたが、ひと口咀嚼して難しい顔を浮かべた。

「これは――そんなに美味しくはないっスねェ……。なんか野生の味って感じっス」

「これが美味しいんだ。食材そのものの旨味というやつだ。味付けというのは娯楽だ」

 ヴィコットは燃えている暖炉に直接手を入れてミトリダケを取ると、それぞれに渡していった。

 エミリアはとひと口食べ、じっくり味わうと唇についたミトリダケの焦げを親指の腹で拭いた。

「繊細だが、キノコ特有の甘みがあるな。オリーブオイルでソテーにすると美味しそうだ」

 それを横目にリットは、手に移りついたミトリダケの焦げを落とすだけで、ならって口に入れなかった。

「その律儀な性格。早いとこ直さねぇと、いつか身を滅ぼすぞ」

「闇に呑まれた中で自由に動き回れる者が、食べ物でどうこうしようとは思えんが?」

「ケツから火を吹いて椅子に座れなくなったことがねぇから、そんなことを言えんだ。試しに食べてみろってのは、オマエにも同じ後悔をさせてやるって意味が含まれてるのを知らねぇのか?」

「保存食ばかりで飽きたと言ったのはリットだぞ。それに、闇に呑まれた中でも食べられるものが採れるというのなら、いいことではないか。食べないと体力が奪われるばかりで、足取りが遅くなるからな」

「全員が食べて、朝になったら全滅ってことはねぇだろうな……」

 リットは手に持ったミトリダケからノーラに視線を移すと、ノーラは「私は娯楽バンザイっス」と鍋の蓋を開け、ミトリダケをスープにちょんちょんとつけて口に放り込んでいた。

「どうした? 食べないのか?」

 ヴィコットは新しく暖炉にミトリダケを放り込みながら聞いた。

「今考えなしのアホになるか、考え過ぎのマヌケになるか考えてるところだ」

「今のところはマヌケよ。それも底なしのおおマヌケ。毒があるなら、エミリアが食べるのを止めてるわよ」

 チルカはミトリダケを糸のように細く裂くと、麺類を食べるようにすすった。

「明日の朝、そっちがアホになってるかもしれねぇぞ」

「全世界の植物を一から十まで詳細を知ってるわけじゃないけど、毒があるかないかくらいはわかるわよ。妖精が毒性の植物を食べて死んだっていう、笑い話を聞いたことある? あったらそれこそ笑い話よ」

 チルカはフッと鼻で皮肉に笑うと、これ見よがしにミトリダケを口に入れていった。

「毒を含んだ物言いする妖精なら、今目の前にいるぞ」

「毒気を抜かれたのはアンタでしょ。意地になってないで、食べたらどうなのよ」

 チルカの言うように意地になってる意味もなく、リットはまだ焦げ跡の残るミトリダケを食べた。

 エミリアの言う繊細な甘さは感じられず、焼いたキノコの味だった。

「……言っとくけどな。感想は出てこねぇよ。そういう味だからな」

 リットは期待を込めた視線を向けてくるヴィコットに言った。

「つまらない男だな……。上手いという褒め言葉こそ、男は伸びるもんだ」

「美味いだろ」

「そう言っただろ」

「意味が違ってた。それより、やたらと詳しいけどよ。前世はコックだったのか?」

 リットはミトリダケを口に押し込みながら言った。

「その可能性はある。なんせ覚えてないからな。なんにでもなれるというわけだ。前世もゴーストだったら笑い話だな」

 ヴィコットはガハハと笑うと、自分の分のミトリダケに齧りついた。

「ただの食いしん坊かも知れねぇぞ。ゴーストになってまで食ってんだからな」

「オレは幽霊という不確かなものじゃなく、ゴーストという確かな種族だぞ。霊体ってのは生きてる証拠だ。生きるというのはなにかしら食べる。似たような種族のウィル・オ・ウィスプだって食べるだろう」

「まぁ……確かにな……。オレの妹にもいるよ。ウィル・オ・ウィスプが」

 リットはチリチーの顔を思い浮かべた。こんな場所にいるせいか、あの顔がやたらと懐かしく感じてしまった。

「ウィル・オ・ウィスプか……。あの燃える肌はたまらんな。あのゆらゆらと揺れる炎……艶があると思わないか?」

「火に興奮すんのか? ならそこにちょうどいいお相手がいるぞ。胃袋も性欲も満たしてくれて、ただ静かに消えてくれる。そう考えると良い女だな」

 リットは暖炉に灯る火を顎でしゃくって指した。

「あの肌火の魅力がわからんとはな……男としてどこか欠陥があるんじゃないのか?」

「妹って言っただろ。妹に興奮してたほうが欠陥がある。……欠陥と言や、このメンツもだけどな……」

 リットは辺りを見渡した。

 リットとヴィコットが話している間に、ノーラとハスキーは床に転がりイビキをかき、エミリアとグリザベルはテーブルに突っ伏して寝息を立て、チルカは食べかけのミトリダケに寄りかかって眠っていた。

「無理もない。生活の匂いというのは温もりで、文化の匂いというのは安らぎだ。闇に呑まれた中で、家という温もりと文化に触れれば安堵が襲ってくるものだ」

「エミリアとハスキーはわかる。ずっと気を張ってたからな。ノーラも一度は逃げた闇の中に戻ってきたからわかる。チルカもランプがあるとは言え、太陽が届かない闇の中だ。それで、体力のないグリザベルも力尽きる……。まぁ……」

「それのなにが問題あるんだ?」

「ねぇから、まぁって言葉に詰まってんだよ。全員安らぎの家で疲れをとって、オレだけ会ったばかりのゴーストと夜通しお喋りか?」

「二人だけじゃない。影もいるぞ」

 ヴィコットは手を伸ばしてリットに影を近づけると、影はリットに向かってアピールするように手を振った。

「だいたいな……なんなんだよコイツは」

「いつまでもオレについてくる愛らしい奴だ。自分がゴーストだと自覚した時から一緒だ。変な言い方だが、誕生した瞬間からだ。そう考えると……オレは闇に呑まれてから、ゴーストなったらしいな」

「そんなのがわかるのか?」

「そこの美人の魔女が言ってただろう。この影の正体らしきことを。よく考えなくてもわかる。別れのこともな」

「そりゃな、別れも来るだろ。野良ゴーストは拾ってくるなって言われて育ったからな。家じゃ飼えないんだとよ」

「そうじゃない。闇を晴らしに来たんだろう? ヨルムウトルって城と同じだ。光と共に闇が消えるのなら、この影も消える」

 ヴィコットは寂しさを含んだ瞳で影を見つめると、影は慰めるように、自分でもありヴィコットでもある影の肩を叩いた。

 そして、ヴィコットはすぐに悲しみからおどけた表情に変えて肩をすくめた。

「まぁ、そうしたらそうしたで、闇が晴れ、人が戻ってくるってことだ。今度はゴーストらしく人の後ろにでもくっついて歩く。女の尻をずっと眺める人生も悪くないからな」

「その様子じゃ、エミリアが案内を頼んだのも聞いてたんだな。心配してたぞ、適当に返事をされたんじゃないかって」

「オレの悪い癖だ。良い女の頼み事は、つい二つ返事で了承してしまう。間を取るってことができなくて、ついついがっついてしまう。世の中良い女が多すぎると思わないか?」

「そうでもねぇよ。人生勝つってのは少人数だ。じゃなきゃ、顔がいい奴を勝ち組とは呼ばねぇよ」

「顔が良いというのは、たった一つの魅力に過ぎない。胸が大きい、胸が小さい。足が細い、足が太い。勝ち気な性格、内気な性格。身長に体重、生まれ育ち、髪の長さに声に種族。魅力なんてものは人によって無限にある。顔なんていうのは、その中のたった一つだ。こんなちっぽけなものが気になるか?」

 ヴィコットは親指と人差指をほとんどくっつけた状態でリットに見せた。

「それって節操なしの言い訳じゃねぇのか?」

「鋭い意見だ。たぶん取り繕ってボロを出すより、話を変えたほうが賢明だな」

「たぶんな」

「それじゃあ聞くが、これはなんなんだ?」

 ヴィコットはテーブルに置かれたランプを指した。

 ヴィコットの手の影は、太陽が起きたばかりの朝日の色をした光に近付くと、先端が欠けたように消えてしまった。

「話すと長えよ」

「夜を明かすのにはちょうどいいだろう。夜明けなんてわからないし、あの光を見てると今が夜明けの気さえしてくるがな」

「そこの大きい方の金髪との出会いからだな――」と、リットはエミリアの頭を見ながら話し始めた。


 リットは今までの経緯を話し終えると、ため息を落とした。

「今思えば、オレにとっては最初が人生最悪の瞬間だな。こんな酒も満足に飲めねぇ辺ぴなところに来るハメになったんだからな」

「一番悲しい瞬間、一番楽しい瞬間というのは、常に塗り替えられていく。誰にも、自分でさえもわからなくなった絵こそが人生だ。だから理解者を求める」

「だから我慢しろってか?」

「遠い思い出になるということだ。色褪せるんじゃない。新しい色が濃すぎて忘れていくだけだ。死んでも忘れない。なんてより、死ぬまでの間一つも忘れたくないというのは贅沢だと思うか?」

「忘れたいこともあるだろ。女の前でイキって酒を飲んで、ぶっ倒れた日のこととかな」

「オレは覚えていたい。それで、皆に話して笑ってもらうんだ。最悪の瞬間を楽しめ。最高の瞬間はもっと楽しめ。なにもなかった時間と同じで、どうせ過ぎさる日々だ。なにもなかったことは思い出さないが、なにかあったことは思い出す。それが思い出だ。話さなくても見るだけで済んでしまう、誰にでもわかる絵はつまらんぞ」

 ヴィコットは慈愛に満ちたような笑みを浮かべているが、声には真面目さがあった。

「今この出来事もさっさと思い出にしちまいたいよ」

 リットは窓の外の闇に向かって話しかけた。



 変わらない闇の時間が長く過ぎると、飛び起きるなり「すまない!!」とエミリアは頭を下げた。「まさか朝まで寝てしまうとは……気が緩みすぎた。本当に申し訳ない」とリットに何度も深々と頭を下げる。

「気にすんな。窓の外を見ろまだ夜だ。よかったな」

「その皮肉も受け入れる。百パーセント自分が悪い」

「いつも皮肉を真に受けてるじゃねぇか。問答が面倒くせえから言っとくけど、今ここにいねぇヴィコットは、散歩ついでになんか食べるものをとりに行ってる。で、そのヴィコットはちゃんとテスカガンドまで案内をしてくれるそうだ」

「これからの予定のことまで任せきりにしてしまい。本当に申し訳ない。隊長失格だ。なんでも、リットの気が済むまで言ってくれてかまわない」

 エミリアはまた深く頭を下げると、頭を上げてリットの顔を真っ直ぐな瞳で見た。

「ケツでも叩いてなじればいいのか? 喜ばす結果になりゃしねぇだろうな」

「朝から気持ち悪いこと言わないでよ。それじゃなくても、爽やかな朝なんて言葉から、程遠い場所なんだから」

 チルカは食べ残したまま放置されていた、冷めて固くなったミトリダケの欠片をリットに向かって投げつけた。

「オマエはもうちょっと詫びの言葉がねぇのか? オレが起きてランプの番をしてたから、オマエは生きてるんだぞ」

「妖精も人間も関係ないわよ。ランプの光が消えたら、アンタだって死んでるわよ。まぁ、起こさなかったことだけは褒めてあげるわ」

 ふんぞり返るチルカとは反対に、エミリアはまた頭を下げた。

「今回のようなことはないよう気を引き締めるが、もしあったら遠慮なく私を起こしてくれ」

「起こさなかったのは、オレの優しさだ。朝食のスープまで作ってある」

「重ね重ね世話を掛けてしまった。今度は謝罪ではなく、お礼を言わせてもらう。冷めないうちに頂こう」エミリアが暖炉に鍋の蓋を開けると、煮立ちすぎて量の減ったスープが目に入った。「これは昨夜の残りではないのか?」

「そうだ。ちょっと手柄を増やして、優しさの押し売りをしておいたほうが頼み事をしやすいからな」

「わかった……。今日は責任をとって私が見張る。リットは飲んでくれ」

「その言葉を待ってた。まったく……友達と酒を一杯やるのに、ここまで苦労する必要があるとはな……」

 リットはランプを一つ手に取ると、顔を洗ってくると言い、寝起きで寝ぼけあくびをするノーラを引きずって川へと向かった。






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