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ランプ売りの青年  作者: ふん
妖精の白ユリ編
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第三話

 暖められた空気が眠気を誘う昼。

 テーブルの上に広げられているのは、買ってきたばかりのバゲットとジャムとバターだ。

 ジョリジョリと聞こえるのは、輪切りにしたバゲットの固い縁にバターナイフの先を擦り付ける音。バターが溶けて少しずつパンに色を移していく。無数にできた気泡に黄金色の溜まりを作っていた。

 その上に苺の原型が残ったままのジャムを二つ乗せてスプーンの裏で軽くつぶすと、崩れるように果肉が広がり、紅い染みをパンに広げる。砂糖とラム酒で煮詰められた苺は、バターの濃厚な匂いと混ざると、メープルシロップを思わせるほのかな甘い匂いを漂わせていた。

 ノーラはおもむろに口を開いて半分ほど口の中に入れると、口の端からボロボロとパンの粉を落としながら噛み切った。

 バターとジャムで湿り気をおびたパンには、くっきりとノーラの歯型ができている。

 ノーラは上唇に付いた苺の果肉を舐め取りながら言った。

「あぁ~、塗るだけで美味いなんて。生物最大の発明っすよねェ」

 ノーラは目を細めて、幸せそうに咀嚼していた。

「おかしい……。オレはジャムを買ってこいと言ったハズだが」

「これも立派なジャムですぜェ。それに、こんなの小さな贅沢じゃないっスすか。旦那にはもっと広い懐を持ってもらいたいっすよ。懐が深くて嫌われるのはスリくらいのもんでさァ」

「オレからしてみれば、スリにあったも同然だけどな。同じ値段でもっと量があるジャムが買えるだろ」

「そう言わず、旦那も食べてみてくださいよ。ビコーンっと世界が変わりますぜ」

 そう言ってノーラは、食べかけのバゲットをリットの目の前で円を作るようにチラつかせる。塗りたての時よりも溶けたバターは、テーブルの上に落ちて脂の膜を広げた。

 リットは、バゲットを持つノーラの指ごと口の中に入れた。

 ふわふわのパンを台無しにするほど塗られたバターと苺のジャムは、一噛みするだけで舌に張り付くような甘さを広げる。バゲットの硬い皮の部分の香ばしさに良く合う甘さだ。苺の程よい酸味が鼻から抜けるのも心地良かった。

「確かに美味いな」

「でしょでしょ」

「でも、潰したら結局ただのジャムじゃねぇか」

 リットは新しく切ったパンにバターだけを塗って口に運んだ。

「旦那は食を楽しむってことを知らないんだから……。生活とは、衣食住を存分に楽しんでこそのものですぜ」

「衣食住を存分に楽しむってのは、王族の生活だ。オレ達みたいな一般庶民ってのは、小さく楽しむことで厳しい生活から逃げるんだよ。だからいつの時代も人間は酒を造るってわけだ」

「ご尤も。だからこそ小さな贅沢っスよ」

 中身が半分ほど減った苺のジャムを持ち上げながらリットは言った。

「料理も掃除も相変わらずなくせに、口だけは上手くなりやがる」

「旦那に鍛えられてますからねェ。それよりイミル婆ちゃんのランプの修理は終わったんですかい? 期限を引き延ばすために、また怒られるのは嫌ですよォ」

「安心しろ、昨日のうちに割れた火屋を新しいのに替え終えた」

「ほやぁ~……。さすが旦那っすね」

「その反応は、火屋がなにか分かってねぇな」

「そんなことないっすよ。でも、講釈を垂れ流したいなら聞いてあげます」

「……ランプの火を覆うガラス製の筒のことだ。アレがなきゃ一般的にはランプとは呼べねぇな」

 リットはテーブルに置かれたランプの火屋を、曲げた中指の第二関節でコツコツと突きながら言った。

「そんなのなくても、皆ロウソク使えばいいのに。燃えればなんでも明るいってのは常識ですぜ」

「オマエ、ランプ屋に居候してるのにそういうこと言うなよ。火屋があるおかげで、炎が常に一定の位置にあることできるし、大きさが安定していて揺れないんだぞ。今のところ世界で二番目に優秀な明かりだ」

「そいじゃ、一番は?」

「太陽。今のところランプの勝ち目は便利性しかねぇな」

 春の暖かさに負けたリットは、あくびを一つ混ぜて人差し指を上に向けながら言う。

 一つで世界中を照らすなんてことはランプにはできないし。太陽には燃料もいらない。ランプの役目は、太陽が届かない場所を照らすだけのものだ。そう考えると、そもそも比べるものじゃないのかもしれない。

「男ってのは勝ち負けが好きだねぇ」

 そう言ったしわがれた声の持ち主は、扉を開ける音と一緒に居間へと入ってきた。

「そういうイミル婆さんは、鈴を鳴らすのが嫌いなのか?」

 リットは面倒な客が来たとため息をついた。

「わたしゃ、何回も鳴らそうとしたよ。それが鐘が揺れるだけでうんともすんとも言わないんで、勝手に入ってきたんだよ」

 リットは食事中の来訪者が煩わしくて、中の振り子の部分を取ったことを思い出した。

「出来上がったランプなら下の工房に並べてあるぞ。持って帰るのに袋が欲しかったら、それも下の工房から適当に探して持っていってくれ」

 リットは指で下の工房へと続く階段を指した。

「それにしても、冬に修理に出したはずなのにねぇ。いい加減な修理したんじゃないだろうね」

「オレのせいじゃねぇよ。もう春になったっていうのに、イミル婆さんのところの家は冬の寒さ対策のまんまだろ? 火屋ってのは湿度の変化で割れやすくなるぞ」

「年寄りには、まだ寒い季節なんだよ」

「元気って言ったって婆さんも歳だしな。腰でも曲がったら言ってくれ、杖でも作ってやるから」

「そりゃいいね。アンタに説教をするのに使えそうだよ」

 幾つもの時代を見てきた樹木の年輪のように刻まれた顔の皺を動かして、イミル婆さんは豪快に笑った。

「説教なら、この間ノーラにしたばかりだろ」

「アンタにも言いたいことはいっぱいあるんだよ。なんだい、この汚いテーブルは」

 イミル婆さんは、木桶に掛かった布巾を手にとってテーブルの上を拭きだした。

 相変わらず元気な婆さんだ。パン屋の仕事をしているにもかかわらず腰は真っ直ぐに伸びているし、悪戯をした悪ガキを走って追いかけているのを何度も見かけている。

「いっそパン屋を辞めて、ウチで家政婦でもしねぇか? 給金は少ないが、やることはいっぱいあるぞ」

「馬鹿言ってんじゃないよまったく。給金を払わないで働いてくれる人間が欲しいんだったら、嫁さんでも貰うんだね」

「それ私も賛成っス。料理が上手なら森の狸でもいいっすねェ」

 イミル婆さんがテーブルの掃除を始めたことによって、皿の上に残っていたパンを強引に口の中に放り込んだノーラが、頬袋を膨らませながら話に入ってきた。

「狸はねぇだろ。狸は」

「亜人と人間。獣人と人間。別種族同士のカップルなんて、今どきそこら中にいますぜ」

「狸はただの獣だろうが」

「アンタが狸や狐と夫婦になったってわたしゃかまわないよ。それより、ノーラちゃんは口に物入れながら喋るんじゃないよ。女の子なんだから。アンタはさっさと仕事してきな」

 イミル婆さんはノーラの頭を優しく撫でながらそう諭すと、リットには背中を強く叩いて言った。

「今飯食ったばかりだぞ。こんな時間に店に座ってても客は来ねぇよ」

「何言ってんだい。とっくに世間様は仕事を始めてる時間だよ」

 時計を見ると午後の二時を回ったところだった。

「おかしいなぁ。実はイミル婆さんは魔女で、時間が早く進む魔法でもかけたんじゃないか?」

「そうさね。次はアンタに、ウチの店で金払いが良くなるような魔法をかけておくよ」

「そりゃまた……呪術の類だな」



 仕事場にいても、居間にいる時と変わらず椅子に座っているだけ。腹も満たされ、心地良い陽射しに、風に運ばれてくる春の香り。

 あくびを一つ決めて、リットは目を閉じる。

 閉じたばかりの目は、今度は鈴の音がなる扉の音と、覚えのある光によって目を開けた。

「また、アンタかい……。希望するランプはここにはないよ」

「わかっている。今日は話を聞きに来ただけだ。その前に、まずは謝らせてほしい。先日は失礼した」

 白銀の鎧を纏った女が深々と頭を下げると、金色の髪が肩から流れた。

「ありゃ、なんか前と随分雰囲気が違うな」

「あの時は、ここに来る前に酒場に寄ったのだが、私は酒を飲むとその……どうも気が大きくなり横柄な態度をとってしまうようだ」

 情報を教える代わりに、カーターが無理に酒を勧めたといっていたことを思い出した。その後にこの女兵士はウチの店に来たのだろう。

「オレは、酒を飲んだアンタの方が取っ付き易そうで好きだね」

「なるほど。また縁があれば酒を飲んでから来ることにしよう」

「……アンタ真面目って言われないか?」

「うむ、よく言われる。そして、それを誇りにも思っている」

 女兵士の瞳は、真っ直ぐにリットを見つめて逸らさない。思わずリットのほうが目を逸らしてしまう。

「なんだかなぁ……。まぁいい、話ってのはなんだ?」

「魔法使いや呪術師は、太陽をガラスに閉じ込めることができるのかを知りたい」

「ありゃ、売り言葉に買い言葉ってやつだ。今のところそんなの成功したって話は聞かねぇよ。そういうのは王国の研究のほうが詳しく調べてるんじゃないのか?」

「王国でも成功者がいるという話は聞いたことがない。そうか……。やはり、無理か……」

 消え入りそうな声にリットが顔をあげると、女兵士の目には、大げさとも思えるほど絶望の色が瞳を揺るがしていた。

 その様子を見て、リットは思わず理由を尋ねた。

「消えないランプが欲しいっていう理由はなんなんだ?」

「笑わないで聞いてくれるなら、理由を話したいと思う」

「努力はする」

「夜が……、夜が怖いんだ」

 そう言った女は恥ずかしそう顔を俯けて、右腕をギュッと掴んでいる。

 陽の光を反射する白銀の鎧は手入れされているだけではない。よく見ると小さな傷がいくつもできている。鎧よりも鈍く光を反射する鉄の鞘は、その中に納まっている人殺しの道具の存在感を放つには充分過ぎるほどシンプルに作られていた。

 グリップに手をかければ大の大人は逃げ出すだろう。一度剣を抜けば、武装した兵士も怯むだろう。

 そんな女が少し目を伏せて、子供みたいなことを言うのだ。リットが腹を抱えるには充分だった。

「だっはっは、そんなガキみたいなこという客は初めてだ」

 リットはひとしきり笑った後に、浮べた笑い涙を指で拭いながら女を見た。

 剣に手をかけるわけでもなく、ただリットをじっと睨んでいる。

「悪い悪い、アンタには真面目な話だったんだよな。あまりにギャップがあったもんでついな。そんなもん、夜中ずっとランプに火を灯せば済む話じゃないのか? 長時間保つランプもあるぞ」

「暗闇が怖いんじゃない、夜が怖いんだ。太陽の光が当たらないと、茨で胸を締め付けられるような痛みが走る」

 言い終えると、女は深刻そうな顔を更に歪めた。

「太陽が出ている間に寝てみたりも試したが、いつも胸の痛みで目を覚ますんだ」

「太陽の光ねぇ……。話は昨日に戻るけど、光が消えないってのはどういうことだ?」

「太陽の光は消えないだろ。同じく消えないような光だったら効果はあるのではないかと」

 直接的に陽の光を浴びなければダメなのだろうか。窓のない部屋にいる時は同じような症状が起こるのかと、リットは疑問に思った。

 女兵士が寄ったカーターの酒場も薄暗く、明かりはランプに頼っている。世間話が好きなカーターのことだ。そこで具合が悪そうな様子を見たら、間違いなく話のネタにするだろう。

 しかし、来たという話はあったが、具合が悪そうという話は出なかった。

 オイルランプは油壺に入った燃料を芯が吸収して、燃料を組み上げることにより火を継続させる。

 色々な情報、思いついたことを頭の中で色々と組み合わせていると、何かが引っ掛かった。

 黙ったまま深く考えこむリットに、女兵士は心配そうに声をかける。

「やはり難しいだろうか?」

「ランプっていうのは光源だ。なにもオイルランプだけがランプってわけでもねぇよ」

 リットは注文用紙をカウンターに広げて言った。

「ご注文を承りましょう。アンタの名前は?」






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