第二十四話
灰色の枯木が三本だけ生えている、小石まじりの痩せた畑。表面に緑の色はなく、枯れた土色が広がるだけだった。
ひび割れた固い土は、つま先で蹴ると粉塵を舞わせた。もう何年も土が水を飲んでいないことがわかる。耕した細かい柔らかな土は、存在自体が消えてしまっていた。
「この土では……野菜があるとは思えませんね」
ハスキーは畑の真ん中にしゃがみ、爪を立てて穴を掘ってみたが、石のように固い土はいくら崩しても、同じ乾いた色をしていた。
「まぁ、そうだろうよ。食うものがあったら、動物か虫がいるだろうよ。一度も見かけてねぇからな」
「家々を回り、保存食を探したほうがよさそうですね」
ハスキーは汚れた手を叩いて、土埃を払いながら言った。
「なんだ、もう諦めるのか? 食べ物がない土地なんてのはないんだぞ。砂漠にも、海の底にも、空の上にだってある。もっと深く穴を掘ってみろ」
「糞する穴なら自分で掘れよ。いまさら肥やしをやったって、どうにもならねぇだろうけどな」
「あの枯れ木という目印があるだろう。そこからどう根が地中に張り巡らせてるか考えろ。考えて実行すれば、答えは出てくる。さぁ」
ハスキーは「木の根と……」枯木のそばまで歩くと、露出した太い根を触り、そこから地面に向かって手を這わせていった。曲がりくねりながら伸びる根を想像して場所を定めると、先程のように穴を彫り始める。
しばらくはなにも出てこなかったが、「続けろ。根というのは地中深く伸びる」という一言に穴掘りを続けた。
自分の肩が隠れるまで穴を彫り続けると、ハスキーは「なにか出てきました!」と驚きの声を上げた。
「ミミズじゃねぇのか? 食えねぇこともねぇだろうけどな……それを食うのは、保存食がなかったらで良くねぇか?」
リットが穴を覗き込むと、ハスキーは土で汚れた丸い白い塊を渡してきた。
「いえ、卵? のようなものです」
「卵にしてはゴツゴツしてるな……それにこの硬さ……石にしか思えないぞ」
リットの受け取った汚れた白い塊は、手のひらに収まる程度の大きさで、握った感触も石そのものといった感じだった。
「ミトリダケだ。老木の枯れ木の根に寄生するキノコでな、木の最後の栄養を吸い取って育つ。動物に掘り起こされるまでそのままの形だが、地表に出ると殻を破りキノコが生えてくる。まぁ、その頃には毒があって食えたもんじゃない。食べるならその殻付きの状態だ。寄生する木によって味が変わる。面白いだろ」
「歯が生え変わって、鋼鉄にでもなったら食ってみることにするよ」
「炙ってもいいし、茹でてもいい。時間はかかるが、水に浸しておいても柔らかくなる。あとは殻ごときざめばいい。味は食べてみないとわからんがな」
「だとよ。そこまで掘ったんだから、とりあえずあるのは全部とってくれ。食うかどうかは、エミリアにでも決めさせりゃいい」
リットが穴に向かって声を掛けると、ハスキーは「はっ!」と短く元気の良い返事をした。
根に生えていたミトリダケの数は七個だったので時間は掛からなかった。ポケットに入れておける程度の量だった。
穴から出てきたハスキーは「歩いたかいがありましたね」と石にしか見えないキノコを疑うことなく受け入れている。
「問題は誰が毒味をするかだ」
リットが歩きだすと「掘った穴は埋めるのが常識だぞ。罠でも仕掛けない限りはな。小さな穴でも、それに自分で躓くこともある」と止められた。
「すぐに埋めるのでご心配なく!」
ハスキーは掘って山になった土を、穴に戻していく。
「それとな、栄養を取られた木はカラカラに乾いてる。持っていかないのか? 薪にすればよく燃えるぞ」
「男の嫉妬ほどは燃えねぇよ。昔の恋人の名前をだしゃすぐに燃えるからな」
言いながらリットは枯木に向かうと枝を折った。水気はなく、菓子細工のように簡単にポキリと折れた。枝だけではなく、幹も斧なしで簡単に割れ剥がれてしまう。あっという間に薪の山ができあがった。
「嫉妬の炎とは燃え移るものだ。だが、悪いことではない。燃えているあいだは盛り上がるものだからな。くすぶり、煙を出すと終焉に向かう。コツは新しい風を入れることだ。そうすれば燃え上がり、マンネリも消える」
「オレは小便でもかけて消すよ。焚き火も、ほっときゃ火事になるからな。――そっちは終わったか?」
「はっ!」と穴を埋め終えたハスキーが駆け足で来ると、リットは家に向かって歩き出した。
その道中。ハスキーが「こんな闇に呑まれた場所にも自然の食べ物があるとは……。生命というのは凄いですね」と言い出した。
「生命の神秘を解くなら、オレは男女の仲の方がいいがな。食べるものは他にもある。土の中にいる魚を知ってるか?」
「いえ、魚は水にいるものだと」
「一年の殆どが雪のような地方にはな。土に卵を生む魚がいるんだ。親は春に土に産み付け死に、卵は雪の下で土の中で孵り、乾かないように体に膜を張る。その中で成長していき、再び春になり雪解けると、雪解けの水を泳ぎ川に向かい、海へと出ていく。濁流の川でも荒波の海でも、どの水温でも生きられる長寿の魚だ。世界中を泳ぎ、再びここに卵を生みに戻ってくる。ダーレガトル・ガーという大きく長い魚だ。土に埋まったままの稚魚でも、腕くらいの長さはあるぞ。まぁ、わざわざ人里の土に卵は産まんがな」
「詳しいもんだ」とリットは家の前のドアの取っ手を握ると、開けずに立ち止まった。「そんなに詳しいなら、一つ聞きたいことがある……」
「おう、なんだ? なんでも聞け」
そしてリットは黒い男を一瞥すると、ドアを開けた。そして「こいつはいったいなんだ?」と家にいるエミリア達に聞いた。
家にいる全員が黒い男に視線を送る。黒い男も家の中にいる一人ひとりと目を合わせた。
しばしの無言の後。いち早く沈黙を破ったのは黒い男。
「なんだって? 女だろ。それも美女じゃないか!」とリットの体をすり抜けて家の中に入っていく。「いやー。お嬢さん方。『ヴィコット』だ」
ヴィコットは握手をしようと手を伸ばしたが、すぐに手を引っ込めて火のついた暖炉の側まで走っていくと、その場で子供のように無邪気に飛び跳ねた。
「ここにいたのか! 探したぞ!」と足元を見て言う。
ヴィコットの足元には、暖炉の炎で姿を現した黒い影。それも、ヴィコットは飛び跳ねているが、影は遊びをねだるように身を捩っている。二つはまったく別の動きをしていた。
急に放っておかれたエミリアはリットの元に駆け寄ると、耳元で「本当に彼がヴィコットなのか?」と小声で聞いた。
「オレが知るか。自分ではそう名乗ってただろう」
「連れてきたのはリットではないか」
「勝手に後を着いてきたんだっつーの。逃げられたら困るから、気付かないふりをしながら戻ってきたわけだ。一応ゴーストだったからな。名前も今知ったばっかりだ」
「珍しいっスねェ。旦那は気味が悪いのとか、高いところとか苦手なのに」
ノーラは珍しく貶すような言い方でリットに言った。
「苦手じゃねぇよ」
「ヨルムウトルで影に怯えてたじゃないっスかァ」
「ありゃ、防衛本能だ。ヨルムウトルは闇に呑まれたって噂が立ってたところだぞ。普通は用心する」
「ここは正真正銘闇に呑まれた場所ですぜェ?」
「……正直に言やいいんだろ。あまりに自然に会話に入ってきたから、最初は一人増えたのに気付かなかったんだ」
リットがおかしいと思ったのは畑に着いてからだった。足を止めて改めて周りを見渡すと、一つ姿が増えていた。ハスキーは最初に気付いていたが、リットがなにも反応をしないのを見て、なにか考えがあると勝手に思い込み、深く触れずに会話をしていた。
「普通は気付きませんかァ? 一緒に行ったハスキーとは全然話し方が違いますよ」
「酒場の会話に飢えてたんだ。ノーラ。お前だって飢えてたら、周りに気付かずに食い続けるだろ」
「まぁ、納得しておきましょ」
ノーラは「まぁ」という言葉を強調して言った。
「なに突っかかってきてんだよ」
「そりゃもう。食べ物を探しに行った旦那の手に、食べ物がないからですよ」
ノーラは頬を膨らますと、ぶーという言葉と一緒に空気を吐き出した。
リットはポケットに入ってるものを取り出すと「ほらよ」と渡した。
ミトリダケを受け取ったノーラはまじまじと眺めてから、ため息をついたあと、演技ぶって首を横にやれやれと振った。
「いいですか旦那ァ……。この石が食べられるなら、道中拾い食いで私のお腹はいっぱいってなもんですよ」
「ヴィコットとやらに聞け。オレは言われるがまま取ってきただけだ」
ノーラが「やい」とヴィコットに向けて前に出ると、エミリアの手によって止められてしまった。
そして、ノーラの代わりに「ヴィコット殿」とエミリアが話しかけた。
「ん? コイツの名前か?」とヴィコットは足元の影を見た。「まだ決めてなかったな……。オレの子供だったら、一字やりたいところだが……子供ではないからな」
「それは後々聞かせてもらいたい。まずは自己紹介を。私の名前は――」
エミリアが自分の長い名前と、ここに来た目的などをヴィコットと話している間。リットは妙に落ち着き払っているグリザベルの前の椅子に座った。
「どうした?」
「なにがだ」
「もっと驚くと思ってたからだ」
リットはヴィコットではなく、その足元の影に目を向けながら言った。
「なにをいまさら驚くことがある。ヨルムウトルで影執事と暮らしていた我だぞ。ヨルムウトルもテスカガンドも、ディアドレの研究が行われていた場所だ。影が動いたとて、なんら不思議ではない。影が話し出すと言うなら別だが、話しているのはゴーストの男だ」
グリザベルはつまらなさを全面に押し出した渋い表情で、エミリアと話すヴィコットを見た。
「そうよ。ゴーストなんて、いるところにはいるんだから。別にどーってことないわよ」
いきなり口を挟んできたチルカも、グリザベルと同じ表情でヴィコットを見た。
「なんだオマエら。掃除中に喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩してたら。今頃グリザベルは泣いてるわよ」
そう言うとチルカは綺麗になったテーブルに横になり、右へ左へと落ち着きなくごろごろし始めた。
「喧嘩をしたとて、エミリアが止めておるわ」と、グリザベルもぐったりとテーブルに顔を押し付けてしまった。
「だからなんだってんだよ。そんなに激しい掃除でもしたのか?」
リットの言葉に、二人の反応はない。代わりに、ノーラがしゃがむようにとリットの服の裾を引っ張った。
「なんだよ」とリットがノーラの背に合わせてしゃがむと、耳元で「旦那に妬いてるんスよ」とノーラは声を潜ませた。
「やくってのはヤキを入れるってことか? いつもチルカにやられてることじゃねぇか」
ノーラは「ほら」とグリザベルを見てからヴィコットを見ると、「ほら」と今度はチルカを見てからヴィコットを見た。そして最後に「ね?」とエミリアを見てからヴィコットを見た。
リットも同じように視線を移していくと、ノーラの言っていることがわかった。
ゴーストと友達になると言っていたグリザベル。口説かれる心配をしていたチルカ。ヴィコットが声を掛けたのは、そのどちらでもなくエミリアだった。
「あぁ……オマエらよりモテちゃったもんな。なんなら慰めてやろうか?」
「うっさい、バーカ。声を掛けられないのにムカついてんじゃないわよ。無視されてるのにムカついてんのよ」
「エミリアの髪はランプの光で、チカチカ鬱陶しく輝くから目に入んだよ」
「私だって同じ金髪よ。むしろ私がオリジナルじゃない。混ぜものなしよ」
「小さすぎて見えねぇんだろ。光沢あるカナブンが気にならねぇのと一緒だ。カナブンが鬱陶しいのはぶつかってくるからだ」カナブン呼ばわりされて怒ってるチルカを尻目に「で、そっちは声を掛けるタイミングを逃して拗ねてんのか?」と、リットはグリザベルに声を掛けた。
「そうだ。拗ねて悪いか。なぜいつも我の最初の接触は失敗に終わるのだぁ……」
グリザベルは子供が抗議するように、テーブルの下で足をバタバタさせる。
リットは「まだ取り返せるぞ」と言ったが、自分の手の影に向かって握手している別の影を見て「……やっぱり無理だ。諦めろ。どうせ化けの皮はすぐ剥がれんだ。無駄な努力をしなくて済んだと思え」
リットが言い終えるのと同時に、今度は影ではない手に握手をされた。ひんやりとしているような生暖かいような、えも言われぬ感触だった。
「改めてヴィコットだ。昔は覚えてないが、今はゴーストをやってる。この調子なら、来世は神様になってるかもな」
ガハハと笑うヴィコットを見て、リットはあることに気付いた。姿が変わっていたのだ。黒だった色は青みを帯びており、影ができたことにより顔立ちがはっきりと見えている。今では表情さえ豊かに動いていた。
「リットだ。光ってんのがチルカで、目尻の涙が乾くまで振り向かないのがグリザベルだ」
ヴィコットは「それはそれは……」と顎に手をやった。「口説く前から、女を泣かせるとは……。オレも凄くなったもんだ」
「それで、話はまとまったのか?」
「もちろんだ。ミトリダケは丸焼きにすることに決まった。知ってるか? 離れ火でじわじわ焼くのがコツだ」
ヴィコットはリットのポケットに手を入れ、残りのミトリダケを取り出すと、鼻歌交じりで暖炉に向かっていった。
「話すってのは、テスカガンドまでの案内のことじゃなかったのか?」
リットは難しい顔をしているエミリアに声を掛けた。
「話したが、よしきた。の一言で終わってしまった。後はずっと夕食の話だ」
「まぁ、野良犬と一緒だ。飯を食わせときゃいいだろ」
「そう簡単な話だとは思えないが……」
「餌をやりゃ勝手についてくるもんだ」




