第十四話
ミキシド大陸にある『ドゥゴング』、東の国にある『カラクサ村』、ペングイン大陸にある『オドベヌス』。この三つの港町を繋ぐ航路を『三角航路』と呼び、その線の中には『フナノリ島』という小島が多数存在している。
新鮮な野菜や果物を補給するための無人島だが、湧き水があるいくつかの島だけは人が住んでおり、航海中の船を相手に商売をしている。
ムーン・ロード号もその中の一つのフナノリ島に停泊し、水の補給をしているところだった。
真っ白な砂浜に囲まれた島は、木々が生き生きとした緑の葉を太陽に向かって伸ばし、動物たちのために地面に木陰を落とす。
島にある家のすべて、島の外観を壊すことがないように控えめに作られている。
いつもは穏やかな時間が流れるフナノリ島だが、ムーン・ロード号から多くの兵士が降りてきたせいで騒がしさを見せていた。
リットはその島にはおらず、ムーン・ロード号の船室の中をうろうろとしていた。
床や壁を穴が空くほど見つめ。装飾、傷跡、染みの一つも見逃さないように顔を近づける。指で触れ、ノックするように手の甲で叩き、変わったこと箇所はないかと確かめる。
その泥棒のような動きをする影を見て、荷物を運んでいたハスキーが駆け寄った。
ハスキーは「リット様でしたか……。てっきり不審者かと」と、影の正体を見てほっと胸をなでおろした。
「ここは海の上で、あるのはほとんど人がいねえフナノリ島だぞ。不審者がどうやって乗ってくんだよ」
リットはハスキーに振り返ることなく、壁を見つめ、手で叩くという動作を繰り返していた。
「万が一の不安要素を取り除くのが自分の役目ですので。それで……リット様は一体なにを?」
ここでリットはようやくハスキーに振り返った。そして、つま先から順に見上げ、ハスキーの鼻を見たところで視線を止めた。
口と共に長く伸びた犬鼻は、リットにとって都合の良いものだった。
「オレとしたことが忘れた」
リットはまるで獲物にじりじりとにじり寄るヘビのように、ゆっくりとした足取りでハスキーへと近づいた。
「お忘れ物ですか? さすがに今からドゥゴングに取りに戻るのは不可能かと……」
「そうじゃねぇよ。前に力になるって言ったよな?」
「はい、自分はいつでもリット様の力になるつもりです」
「なら、今なってくれ。壁と床の匂いをひたすら嗅いで、怪しいと思ったらオレに知らせろ。犬の獣人なら簡単なことだろ?」
そう言うとリットは壁を二回叩き、床を一度足で踏んだ。
ハスキーはいつものきれの良い返事ではなく「はぁ……」と気の抜けた返事をしながら、リットの言葉に従った。
そうして、一部屋分の匂いを嗅ぎ終わった時、リットは「ここもねぇか……」と残念そうにこぼした。
なにも教えられないまま、次に行くぞとリットに指で誘導されたハスキーは、この探索は長くかかりそうだと思い、疑問を口にした。
「あの……支障がなければ聞きたいのですが、リット様はなにを探しているのでしょうか」
「隠し戸だ。自分探しでもしてると思ったか?」
ハスキーは「いえ、リット様はしっかり自分を持っていると思います」と真面目に答えてから、「隠し戸なんてあるんですか?」と真面目に聞いた。
「オマエも男ならわかるだろ。男ってのは秘密とか、隠しとかが好きなもんだ。秘密基地に、男の隠れ家。秘密の花園。浮気は隠れてする。隠し戸くらいあるだろ。この船を造らせたのも男だからな」
ハスキーはまたも「はぁ……」と気の抜けた返事をする。「その隠し戸になにか大事な物が?」
「宝探しみてぇなもんだ。もっとも、宝はこれから入れるんだけどな」
「リット様のお宝ですか……興味がありますね」
「男の宝なんてたかが知れてるだろ。女か酒かプライドだ。女を閉じ込めておくような趣味はねぇし、プライドを大事にしまっとくタイプに見えるか? 酒に決まってんだろ」
「お酒でしたら、この船にも積んでいますよ? ひと声かけていただければすぐにでも用意できますが」
「その一声がエミリアの耳に届くからだろうが。届いたら最後、耳に入ってきた言葉が何倍にもなって、口から出てくんだぞ。だから、今のうちに隠し戸を見つけて、フナノリ島で酒を買い、そこに隠しておく。まったく……気楽に酒を飲めた海賊船が懐かしいもんだ」
「海賊船とは、イサリビィ海賊団のことですか? それなら、ムーン・ロード号は無事遭遇せずに済みました」
「だろうな。遭遇してりゃ、酔って寝てても空砲の音で起きる」
リットとハスキーは、それから二つの部屋と廊下を調べたが、隠し戸は見つからなかった。
三つ目の部屋に入ると、ずっと匂いを嗅いでいたハスキーは鼻が疲れてしまい役に立たなくなってしまった。
「本当にあるんですかね……」
ハスキーは鼻づまりしたかのように、鼻をふんふんと鳴らす。
「さぁな、別にあると聞いたわけじゃねぇ。だけどな、なにもしねぇような男とは思えねぇからな」
リットはこの船を造らせた、父親のヴィクターを思い浮かべながら言った。
生きていたら、ムーン・ロード号に同乗し、ガハハという笑い声とともに、秘密に作らせたあれやこれを自慢気に話すだろうと思いながら、リットは天井を見上げる。
すると、開いていたドアの隙間を光の玉がふわふわ飛んですり抜けてきた。
「ちょっと邪魔よ」と、チルカがリットに声をかけた。
「今この部屋は使用中だ。別の部屋を使え」
「この部屋は私がずっと使ってるの。ほら、どきなさいよ」
チルカがリットに弱々しい蹴りを入れると、床になにか落ちる音がした。
リットは床に視線を落とし、今落ちたばかりのヘーゼルナッツを拾った。
「あーもう! アンタがぐずぐずしてるから落ちちゃったじゃない」
チルカは両腕いっぱいにアーモンドやクルミなどのナッツ類を抱えており、リットが拾うために腰をかがめているうちに、天井へと消えていった。
リットが顔をあげるとチルカは既に元の場所に戻ってきていて、「それ、アンタにあげるわ。汚い靴で歩いた床に落ちたのなんか食べられないし」と言って部屋を出ていった。
その手には、つい先程まで持っていたナッツ類は一つもなかった。
「アイツはどこにナッツを置いたんだ?」
リットはハスキーに聞くが、ハスキーはより目で自分の鼻を見つめ、鼻の先を指先で揉んでいた。
「自分は鼻の利きを取り戻そうとマッサージをしていたので、なにも見ていませんでした」
リットは自分の後ろの壁を確認するが、動くような箇所はない。しかし、ナッツが転がっているわけではなかった。
しばらくすると、またチルカがナッツ類を両腕に抱えて部屋に入ってきた。
「なに、まだいたの? 暇なのね」
チルカは一瞥すると、興味をなさそうにリットの横を通り過ぎる。
リットが「おい」と声をかけて、チルカを目で追うと、チルカは腕にナッツ類を抱えたまま天井に肩を当てて力を込めた。
すると、天井の木板の一部が、てこで動かしたように傾いた。
チルカはそのまま上に飛び、肩を使って木板を押し上げて隙間を広げると、その隙間へするりと入っていった。
そして再び出てくるときには、持っていたナッツ類はなくなっていた。
チルカはリットと目が合うと、目つきを鋭くした。
「……なに見てんのよ。言っとくけど、アレは私のだから、アンタのお酒のツマミになんてさせないわよ」
「まるでリスの冬支度だな……。そこは巣穴か?」
「なんなのよ。せっかくフナノリ島で緑と触れ合って来て機嫌がいいのに……喧嘩売ってるなら買うわよ」
「いいや、褒めてんだ。でかしたぞ」
リットはハスキーに、もう仕事に戻っていいと手を払って追い出すと、手近な箱を台にして乗っかった。そして、チルカが出入りした天井の板を手で押すと、少しの抵抗はあるものの板が動いた。
縦に木板二枚分。幅は手のひら三つ分くらいの板の向こうは、筒状の空洞が伸びていた。
空洞の途中にある飛び出た釘先に布が袋状に結ばれており、チルカが運んだナッツ類でパンパンに膨らんでいた。
動く板のちょうど真上はマストであり、ムーン・ロード号は巨大な船の重量を軽減するために、自然の木をそのまま使うわけではなく、木片を接着して中を空洞にして作ってあった。
強度のことを考えるとあまり大きな空洞を作るわけにもいかず、リットの拳が入る程度の空洞だ。
リットがジロジロと空洞を見ていると、チルカがリットの髪を引っ張った。
「ちょっと! なにを探してるのか知らないけど、そこにはなにもなかったわよ!」
「これを探してたんだ。まさしく酒瓶を入れるための穴だ」
「違うわよ! これはお腹をすかせた小熊に、私の木の実を食べられないための穴よ!」
チルカは勢いよく天井を指すと、リットの耳元で声を荒らげた。
「森の妖精なら、他にも動物に食われないようにする方法は知ってるだろ」
「だからここを選んだのよ。ノーラじゃ手が届かない天井。アンタの酒は船の貯蔵室にいくらでもおけるでしょ」
「オレもここを選ぶ理由があんだ。エミリアの目の届かない天井。アリの子一匹の数も数えるような管理で、酒瓶を黙って持ってきたらすぐバレんだろ。知ってるか? エミリアはな、この揺れる船の上でも毎回ピッタリの量をついだら、今日の分は終わりとさっさと酒瓶をしまうんだ。酒をつぐ時はこぼしてなんぼだろ。だから、オレはこぼす分をつぐための酒を閉まっておく場所が必要なんだ」
「アンタの理屈は一つも理解できないわよ……」
チルカは呆れて顔を歪めた。理解する気もないと言った顔だ。
「そりゃそうだろ。オレのは屁理屈だ。勢いで押し切ろうとしてんだから、理解されたら反論されるだろ」
「話にならないわ。私がエミリアにお酒を隠してることを言いつけて、この話は終わり。ジ・エンド。わかる?」
チルカはリットに向かって首を切るジェスチャーをするが、リットは意に介した様子もなく肩をすくめた。
「なら、オレはノーラに密告する。これでラストは相打ちだけどいいのか? マヌケなジ・エンドだぞ」
「あーもう! なんでいつもこうなるのよ」
チルカは空中で地団駄を踏むと、思い通りに行かない憤りをリットに向けて睨んだ。
「いつもデメリットを言い合うから喧嘩になるんだ。メリットを言い合おう」
「メリットは私が可愛いことで、デメリットはアンタがブサイクなこと」
「メリット・デメリットの意味わかってんのか?」
「わかってるわよ。アンタは可愛い妖精といられて得。私はブサイクなアンタといて損。他になにかあるなら言って」
「簡単だろ。まず、お互いに告げ口はなしだ」
「まぁ……アンタがしないなら考えてもいいわ」
「そりゃよかった。問題その一解決だ。オレはあの天井の穴に酒瓶を三本隠すつもりでいる」
リットが言うと、チルカは「はい!」と言いながら勢いよく手を打った。「この話は終わり。空洞はずっと先まで続いてるんじゃないのよ。瓶を三本も入れたら、私がナッツを隠す場所が減るわ」
「そこで、メリットその二だ」リットはピースサインをすると、チルカの目の前でカニの爪のように左右に動かした。「ナッツは確かに美味い。オレもアーモンドは酒のツマミに最適だと思ってる。だけど――妖精のオマエはそれだけじゃ満足できない。このフナノリ島にはフルーツもあるが、船の上だとすぐに腐ってダメになる」
「いちいち言わなくてもわかってるわよ。だから、少しでも日保ちするナッツ類にしてるんじゃない」
リットは立てていた人差し指と中指のうち、中指だけ曲げると、慌てるなとチルカの目の前で人差し指を振った。
「一本と二本目は絶対に譲らねぇ。甘い酒は嫌いだからな。だけど、三本目は我慢する。ライムなり、オレンジなり、ナッツなり好きに入れろ。酒ってのは、野菜やフルーツの寿命を延ばす魔法の水でもあるんだ。わかるな?」
そう言うとリットは、最後の人差し指も曲げて拳を握ると、チルカの小さな手と同意の握手をするために小指を立てた。
チルカは眉を寄せてしばらく考えた後、リットの小指の先を小さな手でしっかり握った。
「アンタの手のひらの上って言うのは気に入らないけど……言っとくけど、瓶口に口つけてラッパ飲みしたらぶん殴るわよ」
最後にリットの小指と、チルカの手のひらが勢いよくタッチをして、お互いの了承の合図の音を立てた時、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「秘密の会議ならば、我も参加するぞ。頭の良い参謀が必要だろう」
暇を持て余したグリザベルは、遊び相手を見つけた子供のように目を輝かせていた。
「いつもの口喧嘩だ。気にすんな。乱入者でキリがいい。もう終わりだ」
「我は、今来たばかりだぞ。かまわぬ、続けよ。お主らの口喧嘩を眺めるのも一興だ」
グリザベルはずかずかと部屋の真ん中まで歩いてくると、チルカとリットの両方を、なにが起こるのかとワクワクとした目で見た。
「残念だったな、オレは今から買い物に船を降りんだ。そんな暇ねぇよ。そうだな……どうせ暇なんだろ。ついてこいよ」
「しょうがない奴だ。そんなに我と買い物をしたいのか。よかろうよかろう! 我がいないと困るのであろう?」
グリザベルはニンマリと笑うと、上機嫌にリットの背中を叩いた。
「そうだ、そのとおりだ。いねぇと困んだよ。なんつったって、オレには金がねぇからな。適当におだてるから、頭と一緒に財布の紐も緩めてくれ」
「我がいないと生きていけないとは……お主も難儀な奴よ。だが、心配いらぬ。我にすべて任せておけ」
リットはフハハと高笑いを響かせるグリザベルを先に部屋から出すと、後ろ手に夜に落ち合おうとチルカにジェスチャーを送って、部屋から出ていった。




