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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(上)

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第十話

 太陽がドゥゴングの街を陽気に照らし、髪の毛を乱すほどの潮風が吹き、まさに出港日和といった日が何日も続いたが、船は相変わらず停泊したままだった。

 リットは高いところから海と空を見つめ、流れる雲が水平線に吸い込まれるように消えていくのを見ていた。

「真っ白な雲だ。嵐は当分来そうにもねぇな」

 リットの独り言のような声にこたえたのはディアナの兵士だ。ムーン・ロード号の甲板上でリットに肩を捕まれ、半ば強引に海を眺めさせられている。

「……どうですかね。海の天気は変わりやすいと言いますし」

「嵐の船ってのは、タガが外れた酒場より酷い。ゲロが飛び交い、人も飛んでくる。唯一酒場よりましなのは、理性が飛んでないくらいなもんだ」

 兵士は「あの……リット様」と遠慮がちに切り出すと「自分は仕事中なのですが……」とさらに遠慮がちに言った。

「だから言っただろ。金を貸してくれたら、煙のように消えてやるって。オレが好き好んで、男の肩を抱いて海を眺めてると思ってるのか?」

 リットは兵士の肩を掴む手に力を入れた。

「あの……ですから……貸せるほどのお金は持ち合わせていなくてですね……」

 しばらくそのまま絡まれたままで、終始困惑していた兵士の顔だったが、急に迷子の子供が母親を見つけたかのように輝いたので、リットは兵士の視線の先を目で追った。

 すると、オレンジ色の肌火をした指がリットに向けられた。

「リット……普通は逮捕だよ。お城の兵士に絡んで、仕事の邪魔をしちゃ。ゴメンね、仕事に戻っていいよ」

 チリチーが手を降って送り出すと、兵士は深く頭を下げて急ぎ足で持ち場へと戻っていった。

「おい……リッチー。仕事の邪魔をするなよ」

「リットはランプ屋なんでしょ。いつからたかり屋に……いや、前からそんなんだったね」

 チリチーが「よっ」と汚れたズボンを手で払うと、焦げた匂いと一緒に汚れが取れた。

「ゴウゴもそうだったけど、オマエら便利な体してんな。……で、なんでディアナの姫さんがここにいんだ?」

「そのゴウゴから聞いたんだよ。リットが家を出る支度を始めたって。それなのに、まさか兵士にたかってるとは思わなかったよ……。あと、どうせならマックスじゃなくて、私を頼ってくれればよかったのに」

 チリチーの少しだけ不機嫌に眉を寄せた顔は、自分なら完璧に留守の間の店を切り盛りする自信があるといった顔だった。

「その二つは実に密接に関係している。リッチーに頼むとなんでも屋とかで金が取られるが、マックスなら人生勉強って言っときゃタダだ。なぜタダにこだわるのかは、兵士にたかってる姿を見りゃわかんだろ。で、リッチーはなんでここにいんだ?」

 チリチーは寄せていた肩眉を上げて、得意気にニヤッと笑った。

「その二つは実に密接に関係してるね。なんでも屋の仕事で私はここにいる。なぜなら私の炎は、乾いて張り付いた藻とかを取るのに役立つから」チリチーは蜃気楼のように揺らめく指先に火を灯した。そして、それにマッチの火を消すように息を吹きかけて消した。「で、あの兵士はミラー君という私の部下。まぁ、なんでも屋で掃除を受け持ってる間だけだけど。で、リットが私の部下に絡んでたから、責任者として注意しに来たわけ」

「いいかげんになんでも屋なんてのをやめて、姫さんに落ち着いたらどうだ?」

「その言葉はリットにそのまま返したいね」

「なんだ? オレに姫になれってか? ……言っとくけど、ドレスは死ぬほど似合わねぇぞ」

「そうじゃなくて、テスカガンドに行くことだよ。こっちも言っとくけど、心配しかしてないんだからね」

「なら、泣いてすがって止めてみるか? 弱さで研いだ女のナイフってのは、男の心臓を刺すにはもってこいだぞ。かえしがついててなかなか抜けないうえに、無理に抜いたら血がドバァだ。まさに男殺しの女の武器ってやつだな」

 リットはナイフを突き立てるように自分の胸を拳で叩くと、そこから血が吹き出ているように手を開いた。

「リットにそんなのが通用しないことくらいわかってるよ。だいたいお父さんの子供だもん。言っても聞かないのはみんな共通してるよ」

 チリチーは甲板の手すりをノックするように手の甲で叩くと、懐かしい思い出に浸った表情を浮かべて、憂いと楽しさの両方をにじませた。

 その顔がすぐ真面目なものになったのは兵士に呼ばれたからだ。

 チリチーは「ごめん! もう仕事に戻らないと」と名残惜しそうにゆっくり歩き、ふいに振り返って笑顔をリットに見せた。「あとで、そっちに顔出すから」

 そうして手を振ると、すぐに階段を降りて船室へと向かっていった。

「オレがどこに泊まってるかも知らねぇだろ……。肝心なところが抜けてるのも、ヴィクターに似たのか?」

 リットは通りがかった別の兵士を呼び止めて言った。

「そうかもしれませんね。みんなから愛されているところも似ていると思いますよ」

「そうかもな……。ところでだ――金貸してくんねぇか?」

「残念ながら……。モント王からリット様を甘やかすなと言われてますので、甘やかすのは自分の仕事だと。あと、リット様がお泊りになっている場所は、酒場で適当に聞けばわかると思いますよ」

「なんだよ……オレのことを知ってるってことは、古顔の兵士かよ」

「そこまでではないですが、リット様がディアナに連れ戻された時は、まだ新顔で門番をしていました。グンヴァ様を連れての深夜外出。シルヴァ様を連れての朝帰り。ずいぶん怒られたものです……」

 兵士は思い出に目を閉じると、気持ちのいい笑顔を向けたが、それが楽しさだけの感情ではないのがリットにはわかった。

「金せびるのは別を当たったほうがよさそうだ」

「えぇ、自分はリット様が特別扱いされるのを嫌がってるのも知っています」

 兵士はニッコリ笑うと、「失礼します」と頭を下げて歩いていった。



 その日の夜。リットは「どうやら、印象が悪いと人は金を貸してくれないらしいぞ」としみじみ呟いた。

「それが普通だよ。だから人はお互いに気を使って生きていくわけ。部屋に呼ぶなら、せめて埃くらい掃除する気の使い方は見せて欲しかったよ……」

 チリチーは部屋に舞う埃を肌火で燃やしながら言った。

「……一言でも来いって言ったか? だいたいなんで泊まってる場所がわかんだよ」

「そんなの少し汚い外見の酒場に入って、最近来たツケで飲もうとする男の行き先を聞けばわかるよ。で、アバラ通り五本目の宿って聞いたんだけど……ここ宿なの?」

「宿だ。で、なんの用だ?」

「なんの用って、兄妹って用事がなければ会わないものだっけ?」

「照れてるだけっスから、お気になさらず。何日でも何年でもどうぞってなもんですよ」

 ノーラはチリチーが持ってきたお土産のお菓子を食べながら言った。上機嫌に鼻歌交じりで、唇の端についたお菓子カスを取ろうともしない。

「ここに何年もはご勘弁願いたいなぁ……。それで、どう? お金に困ってるんでしょ? なんでも屋で雇ってあげようか? 兄妹だからって気を使わなくていいんだよ」

「そっちも兄妹だからって気を使うなよ。金だけ貸してくれればいい。返す当てはあんだから心配すんな」

「返す当てがある人は、そもそもお金を貸してなんて言わないよ……。それなら、私の宿に来る? こんなところにいたら闇に呑まれた大地に行く前に、埃を吸って病気になっちゃうよ」

「掃除はさせようと思ってたところだ」

「それって、外にいるワンちゃんに? そもそもなんで外にいるの? 私なにか怒らせた?」

 チリチーはドアに目を向けた。

 ドア向こうでは姿勢を正したハスキーが、門番でもするかのように直立している。

「一兵士の自分が、ディアナの王女と同じ部屋にはいられないんだとよ」

「あらら、そんなの気にしないのにねぇ」

「たった今、人は気を使い合うものだって言わなかったか?」

「なにグチグチ言ってんのよ。アンタが行かなくても私は行くわよ。飛ぶ度に羽に埃が纏わり付いてくる環境なんて、もう我慢できない!」

 チルカは自分の少ない荷物をすばやくまとめると、早く出ていこうとドアノブに降り立った。

 ノーラもお土産のお菓子を包み直すと「埃はスパイスにはなりませんからねぇ」と荷物をまとめ始めた。

「さぁ、リットくん。チミはどうするかね?」

 チリチーはからかいと勝ち誇りが混ざった笑みを浮かべて、おいでおいでと手招きをした。

「別にゴネてるわけじゃねぇよ。そろそろ咳き込んで起きるのにも飽きてきたところだからな。ちょうどいい」

 リットが言った瞬間、チリチーはすばやくリットの荷物を纏めると、ノーラとチルカと一緒に小屋を出ていった。

「そういうことだ。オマエはどうする?」

 リットは小屋の前で経っているハスキーに声をかけた。

「自分は別に宿を取ります。天と地がひっくり返っても、ディアナの王女であるチリチー様と、同室で寝食をともにすることはできません」

「そう言うと思った。一応聞いてみただけだ。新しい宿の場所は後で教える。じゃあな」

 リットはハスキーの返事を背中に聞きながら、道の先で手招きをするチリチーの元へと歩いていった。



「これが生活するってこと。これが宿ってものよ」

 チルカは壁にぶつかる心配もなく、埃にまみれることもない、広くて綺麗にされている部屋を飛び回った。

 チリチーが取っている宿は、リットの家の生活スペースより広かった。

 天蓋付きのダブルベッドが二つ。シンプルだが高価そうなテーブルの周りを囲むように、これまた高価そうなソファーと椅子が並び、吊り下がった小さなシャンデリアのロウソクの火が壁にある大鏡に反射している。

 海に面した窓からは、海面が月を映して波に揺られているのが見えた。

「これがなんでも屋の取る宿か? 最低でも貴族が泊まるような部屋だぞ」

 リットは汚れたままのズボンでソファーに腰を下ろした。

「しょうがないでしょ。文句ならモントに言って。ドゥゴングはディアナとは違うんだ。それなりの宿に泊まる必要がある。って勝手に部屋を取ったんだから」

「そりゃそうだろ。一般宿に泊まる王族なんて聞いたことねぇ。どうせドゥゴングに来たのも、モントに無理言ったんだろ。モントは今はもう王様だからな。妹ってだけじゃなくて、国の権威とか色々考えねぇといけねぇんだ。甘んじて受け入れろよ」

 リットは一度立ち上がると、ディスプレイのように綺麗に棚に並んでいた酒瓶を一つ取ってソファーに戻った。

「わかってるよ。でも、ディアナだよ? あんな賑やかなとこにいて、こんな広い部屋に一人とか寂しいってもんじゃないよ。静寂の騒がしさって初めて知ったよ。静寂がシーンっていつまでも耳元で喋りかけてくるの」

「静寂、結構なことじゃねぇか。オレなんか毎日この音と一緒だ」

 リットは座ることなく部屋をの中をうろつく二人に目をやった。

 ノーラとチルカは泥棒が家捜しするかのように、豪華な部屋の中の歩き回っていた。

 ノーラは食べ物を片手に食べかすを落としながら、戸棚を次々と開けてはお菓子かナッツが入っていないかと探し、チルカはバラの文様をあしらったアクセサリー入れの箱を開けると、そこをベッドにすると決めたらしく、枕から羽毛を抜いては箱の中に入れていた。

「賑やかでいいじゃん。お城が懐かしく感じるよ。シルヴァは絶対最初に洋服ダンスを開けるんだよ。で、大量の服を持って、全部入らないじゃん! どうしよう。って私に言ってくるの」

「まぁ、言いそうなことだ」

 リットが酒瓶の栓を抜こうとすると、チリチーが奪い取るように酒瓶を掴み、リットが用意していなかったグラスを持って戻ると、コップをリットに渡して酒を注いだ。

「たまには女の子に注がれるのもいいもんでしょ? リットが行く酒場なんておじさんばっかりだし」

「まぁな。でも、そういうところだからこそ学ぶことってのものある。女の酌ってのは深い井戸みたいなもんだ。あったら嬉しいが、底が見えない。……なにが目的だ」

 リットはグラスに口を付ける前に聞いた。

「疑り深いなぁ……可愛い妹が豪華な部屋に招待して、お酒をついであげてる。それに文句を言うなんてバチが当たるよ。見返りなんてそんなそんな。……最後にちょろっと口添えしてくれるだけで」

「ほら見ろ。酒場で美人に酌をされた時と一緒だ。煽てられて良い気分で飲んでたら、最後女はパッと消え、代わりにあったのは頼んだ覚えのない空瓶が一本。当然払いはオレ。アレは高くついた……」

「リットの過去の失敗談より、私の広がる未来の話をしてるの。潮風薫る港町ドゥゴング。ここから出る船は放射状に世界を旅する。折角のチャンスなんだよ……。これを逃したら、一生お城に閉じ込められ、外の世界を知らずに死んでいくの……」

 チリチーは顔を手で覆うと、リットにしなだれかかり、よよと言葉にして泣き始めた。

「ご機嫌取りの次は泣き落としか。少しは考えたみたいだな。でも……答えはノーだ。オレがモントに文句を言われる」

「リット……頭の硬いところがお父さんに似てきたよ」

「なんとでも言え。探究心と好奇心を満たしたいだけなんだろ? なら、本でも読め。で、目的ができたらモントに口添えするのを考えてやる」

「まさかリットの口から、そんな正論が出るとは思わなかったよ。心境の変化でもあったの?」

「探究心と好奇心だけで歩き回った結果が今のオレだぞ。まだ尻の硬い小娘から、口うるさく酒場に行くなと言われたり、飲みすぎるなと言われたり、ヒゲを剃れと言われたり、服はちゃんと着ろと言われたりだ。こんな散々な目にあいたいのか?」

「それって、普通の人は言われなくてもやってることだよね」

「そうかもな」リットはようやくグラスに口をつけると二度喉を鳴らした。「でもな、家から出るってのは、その普通が通用しない世界に踏み出すってことだ」

「リットに良いこと言われると素直に共感できないんだけどなぁ……」

 リットの普段言動からはとても想像できないような言葉が出てきたので、チリチーは訝しげに目を細めると、納得がいかないと口をとがらせてリットの顔を見た。

 すると、リットは普段のようにおちょくって肩をすくめた。

「マックスに嫉妬してたみたいだからな。同じように、リッチーにも兄貴風を吹かせてみただけだ。気にすんな。世間体を気にしなけりゃ、どうとでも生きていけるもんだからな。いっそ人前でクソでも漏らせば踏ん切りがつくぞ」

「そのほうがリットらしい言葉で共感できるよ。……絶対漏らさないけど」

「そうしてくれ。誰かのケツを拭くのは苦手だからな」

 リットはグラスの酒を飲み干すとソファーに横になった。チリチーがなにか言っていたが、座り心地の良いソファーは周囲の音を遠ざけて、すぐに眠りの世界へとリットを誘った。






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