第七話
「燃え盛る赤と冷涼な青が混ざると沈静なる紫が生まれる。同じ青でも、活力たる黄色と混ざると豊かなる緑が生まれる。だが、闇とは漆黒。漆黒は何色にも染まらぬ。我ら魔女が好んで使うのも、黒という混ざらない墨で安定した魔法陣を描くためだとも言える。つまり黒と魔女は隣接しているものだ。植物が土に根付くように、雨が雲から降るように、密接なる関係がある。一つ古い言葉を紹介しようではないか。闇は万物を生み出し、光は進化を与えるという魔女に伝わる言葉がある。言わずもがな、闇とは黒。光とは白。黒とはすべての色が混ざった色だ。つまり……すべての色は黒という色の中に存在しているということ。そして、白とは黒を別の色に進化させる唯一の色ということだ。四大元素にもそれぞれ色がある。その全てを混ぜた色が黒となる。そして――ディアドレ・マー・サカスは、白というエーテルを求めたのだ!」
グリザベルは気持ちよさそうに言い切ると、しばらく黙って反応を待ったが、部屋にいる者からは誰からも反応がなかった。
咳払いを一つ挟み、「お主達二人にいっておるのだぞ、我は」と、リットとハスキーに向かって、さらに咳払いを響かせた。
「すみません……リット様に独り言だから反応するなと言われたもので……」
ハスキーが犬耳を伏せて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいんだよ。聞く意味なんてねぇんだから」
リットはハスキーの鼻を掴んで無理やり顔の向きを変えると、よそ見をやめて作業に集中するように言った。
「よいか、リット。聞かねば後悔するぞ。お主の行く道を指し示す言葉なのだぞ」
「知ってる。闇に呑まれるって言うのは、その黒と白を混ぜた灰色なんじゃないかってことだろ。だから普通の白という光を当てても、灰色に混ざって消えちまう」
「邪険にしながらも、しっかり我の話に耳を傾けているではないか。まるで、恋心を知ったばかりの子供が、こっそり聞き耳を立てているようだな」
グリザベルは楽しげに笑みを浮かべた後、からかうように口角を上げた。
「あのなぁ……オレがこのエミリアの屋敷に来てからもう十日以上経ってんだ。そのあいだ毎日同じ話をされてみろ。嫌でも覚える。人をノイローゼにしたいなら良い方法だ」
「別にお主をノイローゼにさせたいわけではない。ただ自慢がしたいだけだ。我が闇に呑まれる現象を起こす魔法陣を完成さたのだぞ。ディアドレの事故という偶然の産物から、我は技術という手段に進化させた。つまり魔女のなかの光とも言える存在であろう。ディアドレがこの魔方陣を制御できなかったのも、黒という魔女の色にとらわれていたせいだろうな」
「我が国の研究者も、知識の奥深さに驚いていました。グリザベル様のおかげだと。停滞していた船の帆に、命を吹き込む神の風のようだと」
ハスキーの賛辞の言葉を聞くと、グリザベルは肩を大きくすくめて、やれやれと大げさに首を横に振った。
「ハスキーよ。それは愚かな発言だぞ。知識とは欲すれば誰もが得られるものだ。だがやむを得ない。知識とは始まり、知恵とは結論だ。今回の旅が終わる頃には、我は知恵者と呼ばれるだろう」
グリザベルが響かせる調子のいい高笑いを聞いたりっとは、うんざりと肩を落とした。
「おい、知恵者。黙っててくれよ。シモネタを覚えたてのガキでも、そこまで何度も同じこと言わねぇよ。このやり取りも何回聞いたことか」
「何度でも。褒められるのに限度はない。だいたい文句があるのならば、なぜ我の部屋に集まっておるのだ。我の話が聞きたいからではないのか?」
「自分の部屋を汚すと、エミリアに怒られるからに決まってんだろ」
リットは何日か前から、グリザベルの部屋に置きっぱなしにしていたクルミを取るとハスキーに投げ渡した。
ハスキーは何も言わずにクルミの殻を素手で割ると、中身をリットに手渡した。殻をどうしようかと、少し視線をさまよわせているあいだに、殻はリットの手に払われてしまい床に落ちた。
「我だってエミリアに怒られるのは嫌なのだ! リットのほうが怒られ慣れているだろう。それにさっきからチャッチャチャッチャっとうるさいのだ!」
グリザベルは盗人でも見つけたかのように、勢いよくハスキーを指さした。
正しくはハスキーが持っている瓶だ。妖精の白ユリのオイルと、黒い結晶が混ざり始め、瑠璃色になりつつあった。
「しかたねぇだろ。エミリアにやらそうと思ってたのに、忙しいってほとんど出掛けてんだ。手紙で急かされなければ、マックスに振らせてから来たんだけどな。まぁ、どのみち店のことを教えるので手一杯だったか」
「それがどうつながれば、我の部屋により集まることになるのだ……」
「友達だろ。友だちの部屋に来るのがそんなに変か?」
「出会った頃ならいざ知らず、今更そんな言葉一つに騙されるか! ハスキーにやらせるばかりで、お主はなにもやっていないではないか。暇なら話くらい聞くのだ!」
「いくら瓶を振る動作が男の得意な動作と似てるって言ってもな。どっちもずっと続けられるもんじゃねぇんだよ。オレは休憩中だ」
「我の部屋に来てから、リットが瓶を振っているのを一度たりとも見た覚えはないが。いつになったらやるつもりだ」
「若い頃なら数時間後にまたできたけど、今なら二、三日後か?」
「それは瓶を振る動作のことを言っているのだろうな……」
「さぁな。どっちにしろ……こんな無駄話よりは有意義な行為だ」
リットが暇そうにあくびをしたのをグリザベルは見逃さなかった。
グリザベルは「やはり暇か」と瞳を輝かせた。「ならば面白い話をしてやろう。まだお主には話していないことだ。闇に呑まれた中で焚き火をするとどうなると思う?」
「火が消えるのか?」
「浅い。ケチな貴族が作って送るような金の皿のより底が浅い考えだな。だが、惜しいとも言えよう。しかしだ……曲がりなりにも闇に呑まれる現象と向き合ってきたのだ。及第点以下の答えだな」
「……その口うるせぇ喉に指でも突っ込めば、ゲロと一緒に答えが聞けそうか?」
「そう短気を起こすな。正しくは存在が消えるのだ。だが、実際はその場で燃え続けている。だが感じられぬ。そう、存在とは我らのことだ」
グリザベルの言葉は、浮遊大陸で闇に呑まれたことを鮮明に思い出させた。
その時は周りが消えたかのように感じたが、自分が消えたと考えたほうがしっくりきた。
だからリットは「窓もドアもない部屋に閉じ込められ、海に流されるようなものだ」というグリザベルの言葉に素直にうなずいた。
「だが――光にさらされれば、火の熱を感じ、木が燃える匂いを感じられるようになる。お主が作ったランプのオイルはそういうものだぞ。ランプの明かりで、自らが踏みしめる大地を確かめ、大陸に流れる風を確かめ、隣人の顔を確かめる。人々の生活を豊かにするために発明されたランプは、お主の手によって最低限の生活をするのに必要なランプとなった。なんとも皮肉なことだ。だが、お主にはそのほうが合っているか」
「遠回しに嫌味を言いたいなら、結果じゃなくて過程で例えるのがコツだぞ。だいたいその話は本当なんだろうな」
「お主がいない間に、こちらはこちらで色々と試している。そうして噂話ではない事実が浮き彫りなったからこそ、リゼーネは未踏の地になったテスカガンドに踏み込む姿勢を見せておるのだ。だからこその問題も発生しているがな」
「テスカガンドに行くルートの話だろ。エミリアが言ってたぞ」
「そうだな。だが、肝心なのは誰と誰が行くルートなのかを論じることだ。だから揉めているわけだ」
グリザベルの自分だけが答えを知っている要領を得ない説明にリットは首を傾げた。
「部隊でもわけるのか?」
リットの最初に浮かんだ考えに、グリザベルは心底呆れたとため息をついた。
「お主はアホか……」
「奇遇だな。今オレもそう思ってきたところだ。ランプ三つじゃ足りねえからな」
「そもそも大人数で動ける場所ではない。最少人数で責めるか、人数を増やすか。それによってルートが変わるというわけだ。我は少数の意見に賛同しておる。動けぬものを頭数に入れるだけ無駄だからな」
「オレは初耳だぞ。なんでグリザベルのほうが詳しいんだよ」
「我のほうが先に調査隊に加わったからに決まっているだろう。我は先輩ということだ。遠慮せず、わからぬことは聞くがよい」
グリザベルは脚を組み直し、背筋を伸ばす。そうして気持ちを整えて質問を受け入れる姿勢を整えたが、リットはグリザベルには目もくれずハスキーの方を向いた。
「おい、ハスキー。オマエは知ってたか?」
「はっ! 闇に呑まれたという不可思議な現象の中では、なによりコミュニケーションが取れるかが重要になります。つまり今回の精鋭とはリット様とグリザベル様。お二人と思考の伝達ができる者となります。以前東の国へ同行した経験が買われ、自分も候補に入っています」
「ついてきても荷物持ちくらいしかできねぇだろ」
ハスキーは「まったくその通りです」と嬉しそうな声色で言った。「馬車を引き連れて行くわけにもいかないので、荷を持つのは人の手になります。一人でどれだけ荷を持てるかによって、引き返すまでのタイムリミットが増えるのです。その候補にまさか自分が上がるなんて……鍛えていたがいがあるというものです。あとは交渉術を買われ、パッチワークも候補に上がってますが病み上がりですから、どうなるか……」
「そういえば顔を見てねぇな。病気をしてたのか」
「ひどい嘔吐と下痢の症状が……最初は悪いものでも食べたのではないかと笑っていたのですが、それが長引きまして……体力も奪われてしまったようで。最近ようやく完治したとは聞いたのですが」
リットはパッチワークの下痢の原因に心当たりがあった。
雨季になると、水かさが増したボロス大渓谷を泳ぐダーレガ・トル・ガーという蛇のように体が長い魚。ボロス大渓谷に住むドワーフはこの魚を干物にして、それをツマミに酒を飲む。リットはパッチワークにその干物を持ってきてくれと頼まれていた。
腐ってからが美味しいという嘘か真かわからない情報を試した結果がこれだろうと、リットはハスキーに深くを聞かなかった。
「あとは……ポーチエッド様も候補に上がってます。が、エミリア様とポーチエッド様。お二人に万が一のことがあると、エミリア様の姉君であるライラ様が一人になってしまうと、エミリア様は難色を示しています」
「なんならディアナに人を寄越せって頼んでやろうか?」
「ディアナには国船の出港を要請しているので、人員の要請までは無理でしょう。ただでさえ、リット様がご兄弟ということで物資の提供もされていますので。負担のバランスが崩れると、後で揉めることになるかもしれませんから」
「なんだ……オレがディアナの前王の血を引いてるって全員知ってるのか?」
「はっ! すべてグリザベル様からお聞きになりました。……心から哀悼の意を表します」
リットに睨まれたグリザベルは、無視されてむくれていた顔を一瞬で素知らぬ顔に変え、興味のない窓の外を眺めだした。
「まぁ別に今更隠すことでもねぇし、その葛藤は区切りがついたからいいんだけどよ。ディアナの船に乗る必要があるのか? 少数精鋭なんだろ?」
「いくつかの調査隊も同じくして向かいます。自分もテスカガンドへの同行が叶わなくとも、ペングイン大陸までの同行は決定しています。東の国の灯台の明かりが届く範囲と、届かない範囲の調査は同時進行ですので、ペングイン大陸に向かう人数自体は多いものになります。野営地に滞在する兵の交代もありますし」
「ってことをハスキーから聞いたんだけどよ。オレはなんの説明もされてねぇぞ」
その日の夜。リットは深夜近くになってから帰ってきたエミリアの部屋にいた。
「私は何度もしたぞ……。今日もこれからする予定だった。毎日のように酔っているから覚えていないんだ。だが、ハスキーから聞いたのなら都合がいい。我々は『オルカァイ』という離島に向かう。東の国の灯台明かりが届き、闇にも呑まれていない場所だ。その島からペングイン大陸の闇に呑まれた場所までロープを伸ばしている。人数の話は、ランプ一つに対して、多くても三人が望ましいだろう。光を奪い合う事態は避けたいからな。だが一人だとなにかが合った時に困る。最少人数は六人、最大人数でも九人の予定でいる。だが、基本は団体行動だ。ノーラがいなければランプに火がつかないからな」
酔っていないリットに自分の口から説明できて安心したのか、エミリアはほっとした様子でベッドに倒れるように横になった。
そして、すぐに横になったエミリアから寝息が聞こえてきたので、リットはサイドテーブルにある妖精の白ユリのオイルが入ったランプに火を灯して部屋から出ていった。




