第三話
小石が屋根に当たるような雨が降る日。その音に紛れないように大きくノックの音が響いた。
リットがドアを開けると、燃える手がどこか別の場所で待つように馬車に指示しているのが見えた。
「おう、来たか。ゴウゴ」
「少し話もしたいから、城の馬車は酒場に停めるように言った。入っていいよな?」
ゴウゴが燃える手で濡れた服を払うと、まるで生乾きの服にアイロンでもかけたように、水が蒸発する音と白い蒸気が昇った。
リットは「好きにしろ」とゴウゴを店の中に入れると、その後ろで機嫌が悪そうに眉間にしわを作っているマックスに「オマエもふて腐れてないで入れよ」と声をかけた。
「なぜいつも理由を言わないんですか……」
「説明するからさっさと入れよ。少なくとも、雨に打たれて風邪をひいたオマエを看病するために呼んだわけじゃねぇぞ」
リットの乱暴な物言いに懐かしさと呆れの両方を感じ、マックスは諦めのため息をつきながら店に入ると、中でどこに行ったらいいかと立ち止まっているゴウゴの背中を押して、慣れた様子で生活スペースへと向かった。
「タオルがいるなら、そこに入ってるぞ」
リットが部屋の隅にあるカゴを顎でしゃくるが、そのすべてが洗う前の服やタオルのため、マックスは「タオルは自分のがあります」とカバンを床におろした。
「オレも大丈夫だ」
自分の炎で既に服を乾かしていたゴウゴは、手近な椅子に腰を下ろした。
椅子から埃が舞い上がると、ゴウゴの肌火に触れて燃え、煙となって消えていく。
「わざわざ悪かったな」
ゴウゴはリゼーネとの外交を担当しているため、来る時についでにマックスを連れてくるように頼んでいた。
「いろいろとついでだ。これも届いていたからな」
ゴウゴが言うのと同時に、マックスが白い結晶の入った瓶をテーブルに置いた。
「そっちに届いたのか? 届くのに時間がかかるわけだ」
「城の庭造りの時にディアナに来ていたから、こっちの方が確実に届くルートがあるらしい。マックスと城を出る時にちょうど届いたんだ」
「まぁ、適当な奴に頼んで、中身がすり替えられたりするよりマシか……。それでこの後はリゼーネに行くのか?」
「そうだ。特にここ最近はリゼーネに行くことが多い。そのたびにリットの家に寄ってるんだが……いつも留守だ。酒場にいるのかと思って、何度も顔を出してるから、カーターとはすっかり顔馴染みになってしまったぞ」
「空に行ったり、砂漠に行ったりしてたからな。たまに自分に家があることを忘れそうになるくらいだ」
「家を忘れたなら、ディアナに帰ってくればいい。皆も会いたがってたぞ。バニュウなんてかなり変わった。会ったらびっくりする。やはり子供の成長は早いな」
「ガキの成長なんて体がでかくなるくらいのもんだ。特に男はな――で、さっきからなんだ?」
リットはゴウゴと会話をしている間。執拗に咳払いを挟んでくるマックスのほうを向いた。
「いつになったら、僕を呼んだ理由を話してくれるのかと思いまして」
「そうだったな。おい、ノーラ」
リットが二階に向けて声を掛けると、歩幅の狭い足音が廊下を通り階段を降りてきた。
「なに用ですかァ? おや、懐かしい顔が一、二と。いらっしゃいっス」
ノーラがマックスとゴウゴにそれぞれに指をさして言うと、二人は挨拶を返した。
「ノーラ、マックスと一緒に店を開く準備をしろ」
ノーラは「あいさぁ」と返事をして、マックスのお腹を人差し指で軽くついた。「やい、新入り。ランプ屋の仕事の内容を忘れちゃあいないでしょうね」
「それは覚えているけど……」
リットに理由を訪ねようとするマックスだが、ノーラに強く腕を引っ張られてそれどころではなかった。
「理由を考えるのは後っスよ。それが旦那の狙いなんスから。さぁさぁ! 今日はイミルの婆ちゃんが来るって行ってましたから、店を綺麗にしておかないと。いやー、マックスが来てくれて助かりましたよォ」
ノーラに急かされ、結局理由を聞けずにマックスは店へと追い出されてしまった。
「思ってたより上手くやってるみたいだな。マックスとは」
城にいるときの雰囲気とは違うマックスの背中を眺めながらゴウゴが言った。
「上手くやるもなにも、オレは前からマックスのことを気に入ってたからな。そっちこそ、もう仲直りはしたのか?」
「リットがディアナに来たときの喧嘩ならとっくに。今は理由も教えず連れてきたことで、馬車の中でずっと喧嘩してたところだ。誰かが理由を言うなって手紙に書いたせいで」
「ゴネられると説得が面倒だからな。教えずに巻き込んだほうがいい」
「あれを見てると、素直に理由を教えても大丈夫そうだけどな」
ゴウゴは開けれたままのドアからマックスの様子を覗いた。
マックスはどこか楽しげな手付きで、ランプについた埃をハタキで落としている。いちいちノーラに聞かずとも手を動かす様子は、ゴウゴから見ても慣れているとわかった。
「店番は前にもやらせてたからな。でもな、店を任せるとなったら、あーだこーだ言ってくるに決まってる。急に店を任せるって言われて、のこのこついてくるか?」
ゴウゴは「オレはしない。他にやることもあるからな」ときっぱり言ってから「でも、マックスはするだろう。リットとの旅がずいぶん楽しかったみたいだぞ。浮遊大陸から戻ってから、やりたいことが見つかったらしく、いろいろと勉強している」と続けた。
「知ってる。だから尚更だ。マックスのやりたいことってのは、スリー・ピー・アロウとの外交だろ? ランプ屋なんかまわり道もいいとこだ」
「様々な人と関わるというのは大事だぞ。オレも外交を始めてから知ったことだ。特にこの町は国境近くにあるから、各国の商人や冒険者が寄る。国境や文化の垣根を越えた人と人との触れ合いができる場所だ。それにスリー・ピー・アロウの娯楽は光と聞いている。ランプ屋をやって遠回りということはない。必ず糧になる」
「そりゃまた……大層な正論なこって。そういえば、オマエもマックスと同じ真面目なんだったな」
「シルヴァに言われると、オレはマイペースな真面目だそうだ。まぁ当たってる。足並みを揃えるよりも、一人でコツコツが性に合ってるからな」
「どっちもあんまり変わんねぇよ。結局どっちも頑固だってことだろ」
リットは「ところでだ」と区切り、瓶を開けると白い結晶をフライパンに少量振った。「ちょっとその手の炎で燃やしてみてくれ。出来る限りの高温で」
「お安い御用だ」
ゴウゴは白い結晶に手のひらを当てると、眉を寄せて力を込めた。肌火の大きさは変わらないが、手は見たことのない紫の炎に変わった。
白い結晶はあっと今に黒い結晶へと変わる。
リットはそれを妖精の白ユリのオイルが入った小瓶の中に入れると、マックスを呼んで瓶を振るように言った。
今度はあっという間というほどではないが、短時間でオイルは瑠璃色に変わり、リットはそれを普通のランプの中に入れた。
そして、ゴウゴに焦がした時と同じ力でランプに火をつけてもらうと、雨雲で濁ったような暗さの部屋にぼんやりとした明かりが灯った。
それは普通のランプのオイルと同じような強さの明かりだった。
リットが黙ってそれを見ていると、マックスが心配そうに「兄さん?」と声をかけた。
「あぁ……悪かったな。戻っていいぞ。イミル婆さんは芯を買いに来るって言ってたから先に出しとけ。場所はわかるな?」
マックスは「はい……」と返事をしたものの。わけがわからず不思議そうにしていたが、ノーラに呼ばれると店へと戻っていった。
わけがわからなかったのはゴウゴも同じだった。
「それは闇に呑まれた中でも光るというオイルだろう? なにか問題でもあるのか?」
「ウィル・オ・ウィスプよりも、うちのドワーフのほうが火力があるんだと思ってな……」
「ドワーフの力がどういうものか詳しくは知らないが、ウィル・オ・ウィスプというのは精霊体だ。だから活用する力ではなく、生命を維持するためのものだ。だから、ドワーフのようにこれを利用して鍛冶とかをするものではない」
ゴウゴは人差し指を立てると、指先の炎だけ大きくした。それに自ら息を吹きかけるが、水底の水草のように静かに揺れるだけで消えることはなく、雨で湿気った空気を乾燥させる。
「そういえば、そういったものは出回ってねぇな……」とリットは言葉を止めた。「――なんでランプのこと知ってんだ? このオイルのことを言ったか?」
「リゼーネの方から直接聞いたんだ。リットが調査隊に加わるってこともな。だからこうして外交を重ねてるわけだ。ディアナのムーン・ロード号でペングイン大陸に行くんだろう? なにも知らないのか?」
ゴウゴは驚いて目を開いた。リゼーネからはリットが協力しているという連絡があったからだ。
「今初めて聞いた。というより、まだ正式には調査隊には加わってねぇよ。この結晶が届いて、リゼーネに持っていて、そこから正式に調査隊に加わるってわけだ」
「そうだったのか。今ディアナとリゼーネは協力関係にある。後は東の国も協力国だ」
「たった三カ国か? ずいぶん少ねぇんだな」
「闇に呑まれるって噂が、事実として広まり始めたばかりだからな。今度は闇に呑まれた中で光るランプができたって噂が広まっても、それが事実として広がるまでには時間がかかる。東の国は灯台の件で協力し、ディアナはリットを信頼しての協力だ。闇に呑まれた中でも光るランプができても、他の知らない誰かが作ったと言われたら、たぶん協力は見送っただろう」
「よくオレを信頼できるな。信頼って言葉を酒のツマミにして、翌朝クソにして出すような男だぞ。臭くてたまんねぇよ。信頼って言葉はな」
「信頼をするかしないかは周りが決めるものだ。親父だって自分が信頼される人物だって思ってなかったはずだ。でも、周りは信頼していた」
ゴウゴは「だろ?」と同調を求めるようにリットの目を真っ直ぐ見た。
リットは「さぁな」と曖昧な返事をして肩をすくめた。「わかったのは、ゴウゴの押しの強さは親父に似たってことくらいか」
「うちの兄弟は皆それぞれどこか親父に似てるよ。種族関係なくな」
「種族ねぇ……そう言えばウィル・オ・ウィスプはペングイン大陸に住んでるんだったか?」
「他にもあるらしいが、母親の故郷はペングイン大陸のキャラセット沼だな。テスカガンドとは離れてる。比べるなら、スリー・ピー・アロウに近い。まぁ、近いと言ってもそれなりの距離はあるが」
「やっぱり魔族よりなのか? ウィル・オ・ウィスプってのは」
「うーん……難しいところだな。人間と牛が同じと言うなら同じと言える」
ゴウゴは自分でも答えが出ないようで、難しく悩んだままの表情で言った。
「スケルトンとかゴーストとかとは違うのか?」
「難しい質問だな……。ウィル・オ・ウィスプはスライムと近い。ウィル・オ・ウィスプの誕生というのは分裂に近いんだ。僅かな記憶と生命の種から生まれる」
「なんだよ、記憶ってのは」
「ここがスケルトンとは違うところだ。ウィル・オ・ウィスプは親の記憶を僅かに一部だけ引き継ぐんだ。スケルトンには記憶がないだろ? まぁ、ゴーストは運が良いか悪いか第二の人生みたいなものだ。あれは精霊体ではなく霊体だしな。あの種族の面白いところは、死んだ場所ではゴーストに生まれ変わらないってことだ。生前の僅かな記憶を引き継いで、どこか別の場所で生まれる。このあたりはゴーストとウィル・オ・ウィスプは似ているとも言えるな」
「オレ達みてぇなもんか。似てるとこもあれば違うところもある。それが個人ってもんだ」
「種族の話をしていたんだがな……。でもまぁ、そのほうがしっくりくる。特にオレ達みたいな兄弟には」言いながらゴウゴは立ち上がった。「さて、そろそろリゼーネに向かうか」
「この雨の中、また何日も馬車で大変だな」
「もう慣れたもんだ。それじゃあ、マックスは置いていくぞ」
ゴウゴは店にいるマックスに声をかけてから、雨を肌火で蒸発させながら馬車が停まっている酒場へと走っていった。
リットはドアからその背中を見送りながら「普通一人で町の中を走るか? 仮にも王子が」とこぼした。
「その仮には僕も含まれているんですけど……」
服も翼も埃まみれになったマックスが、手は動かしたまま声だけリットに掛けた。
「なに言ってんだ。今日からオマエはランプ屋だぞ」
「あの……話がよく見えないんですが」
「ランプ屋ってのは、ランプを売って生計を立てるってことだ」
「そこではなくてですね……。なぜ僕がランプ屋になるのかという話を……」
「不満なら言い換えてもいい。一国一城の主だ。仮にも王子が立派な王様になったぞ。良かったな」
リットは鼓舞するようにマックスの肩に手を置くが、マックスの表情が晴れることはなかった。




