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ランプ売りの青年  作者: ふん
二つの太陽編(上)

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第二話

 数日経ったある昼。店内ではノーラの寝息が遠慮することなく盛大に響いていた。

 眠りを妨げる客はおらず、差し込む陽光は汚れた窓で遮光され、一つだけ灯されているランプの火屋も、被った埃の奥で鈍く反射させるだけで、寝るのにうってつけのちょうどいい薄暗さが保たれている。

 リットはディアナにいるマックスに手紙を出すため、朝から出掛けているので、途中で起こされることもない。

 しかし、この最適な空間は一つ変化が訪れるだけで、かえって目を覚ましてしまう。

 ノーラがたった今目を開けたのも、今までなかった光が突然増えたからだった。

 後で食べようと置いていたりんごの上では、くぼみにはまるように小さなお尻を乗せて、茎のように出ている果梗に肘をついて、チルカがため息をついていた。

 チルカがため息を落とすたびに、背中の羽は淡い光を少しだけ強くしている。ノーラはこの光に起こされたのだった。

 ノーラが目をこすり、その音で彼女が起きたのに気付いたチルカは「うーん……うーん……」と人に聞かせるような声で悩ましげにうなりだした。

「どうしたんスかァ?」

 ノーラが寝起きのあくびで開けたままの口で聞くと、チルカは待ってましたとばかりに勢いよく振り返った。

「そう! それよ! 普通これ見よがしに悩んでたら、どうした? くらい聞くでしょう!」

「まぁ……そういうもんスかねェ。なんならもう一度聞きましょうか?」

 ノーラはもう一度大きく口を開けてあくびをすると、両手を目一杯伸ばした。

「ノーラはいいのよ。ちゃんと聞いたんだから」

「それは良かったっス。安心して夢の続きが見られるってなもんでさァ」

 自分の腕に顔を埋め、再び寝ようとするノーラだが、転がってきたりんごが腕にぶつかったので、なにかと顔を上げた。

「まぁまぁ、タイミングよく起きたんだから、ちょっと聞きなさいよ」と、チルカが止まったばかりのりんごの上に座り直すと、腹の底に溜まった不満の上澄みを吐き出すようなため息をついた。

「こう開き直られると、なにも言えないもんスねェ。それで、また旦那になにか言われたんスか?」

「反対よ。何も言ってこないの。こんなに強くて、可憐で、慎ましい。そのうえ凛々しくて、頭も良くて……」

「お? なぞなぞですかい?」

「答えが目の前にいるのに、謎もなにもないでしょう。謎なのは、なんで素直に頼ってこないかってことよ!」

 チルカの強く光る羽明かりを顔に受けて、ノーラは合点がいったとばかりに何度も頷いた。

「そりゃもうあれっスよ」

「どれよ」

「旦那についてきてくれって頼まれたらどうします?」

「こう言うに決まってるでしょ。それが人にものを頼む態度? 両膝と両手と額が地面についてないわよ」

「それっスよ」

「どれよ」

 チルカはまったく見当がつかないと、眉間にしわを寄せて首を傾げた。

「頼んだら偉そうな態度を取られるのがわかってるから、言わないってことっスよ」

「それは取るでしょ。立場が上っていうのは大事なんだから」

「まぁ、チルカならそう言いますよねェ。でも、今回は旦那から話を振ってくるってことはないと思いますよ。だって太陽がないところに行くんスよ。いくら旦那でも、太陽がないと困るチルカをおいそれとは誘わないでしょ。ランプがあっても、万が一ってことがあるんスから」

 チルカはノーラの言葉と、闇に呑まれた土地に行くということを考えて、改めて腕を組んでじっくりと考えた。

 妖精のチルカと同じような体質のエミリアも同行するので、思いつく限りの不測の事態の対処は考えているはずだが、危険はゼロではない。むしろ一つでも対処できないことが起これば、太陽の光がないと体調が悪くなり弱っていく自分にとっては、すぐ死に繋がることになる。

 チルカが同行したい理由は『妖精の噂話』のためというのもあるが、ここまで長い間一緒に発見と体験を繰り返してきたのが、急にのけものにされると思うと、おもちゃ箱のすみで忘れられた人形のような寂しさがふつふつと湧いてきたからだ。

 だが、先の不安も心中に重く存在している。だからこそ、立ち上がるための勢いが欲しかった。

 いつものような軽口でも下劣なジョークでも、来るかのただの一言でも、言葉はなんでもよかったが、それがいつまでもリットの口から出てこないので、チルカはイライラと思いを募らせていた。

 すっかり考え込んで言葉がなくなったチルカに、ノーラは咳払いをして、視線が自分に向いたのを確認してからおもむろに口を開いた。

「まぁ、旦那も口喧嘩する相手がいたほうが、気晴らしができていいと思うんスけどねェ。闇に呑まれた中は息が詰まっちゃいますから」

「そう思うなら、遠回しでも直接でもいいから、ノーラから推薦してよ。旅に花を添える美人を忘れてるわよって」

「もっと簡単な方法がありますよ。チルカがちょっと大人になって、自分から旦那に頼めばいいんスよ」

 ノーラはいい考えだと自分の言葉に満足そうに頷いているが、チルカの表情はノーラが頷くたびに曇っていく。

「それってアイツの奴隷になれって意味?」

「いつも考えが両極端なんスから……。下手に出なくていいんスよ。普通に話しかければ一発解決。二発でゴーっスよ。さらに三発いけば……また話がこじれますね」

 チルカは「普通に話しかけるね……」とこぼして、少し考えてから口を開いた。「ちょっとそこのバカ。こっちに来なさい。とか?」

 ノーラは「あー……」と残念そうに声を漏らした。「そういえば、旦那とチルカの普通の会話ってそんなもんスよねェ。もうちょっと、ほら。旦那以外に話しかけるみたいに、旦那に話しかければいいんスよ」

「無理ね。泉みたいなものよ。水が湧き出るみたいに、とめどなく言葉が出てくるんだもん。わかる? 湧き水がなくなれば、干上がっちゃうのよ」

 ノーラは「そうですねェ……」と首を傾げると、ちょうどよく目に入った火の灯ったランプを指した。「まずはそこのランプに話しかけて練習してみたらどうっスか?」

「そんなバカげたことやりたくないわよ……。なにが悲しくて、こんな無機物に話しかけないといけないのよ」

 チルカがランプを睨みつけると、火屋に映った自分の顔に睨み返された。

「慣れない言葉を口から出すには、まず慣らさないと。なーんも言い返してこないランプは、まさにうってつけの相手っスよ」

 チルカはため息をついてから「何を言えばいいのよ」と諦めたように言った。

「まずは……ご機嫌伺いからっスかねェ。ほら、旦那のお友達は皆言うでしょ? 調子はどうだって」

 チルカはりんごから飛び降りると、ランプの前に立ち、火屋に映る不機嫌な自分の顔を見た。

「……調子は……どう?」

「それじゃあ、ダメっスよ。もっと普通の顔で、こうっスよ。調子どうっスかァ?」

 ノーラは片手を軽く上げて、ランプに向かって挨拶をする。

「……調子はどう?」

「まだ不自然っスねェ。調子はどうっスかァ?」

 ノーラが言うと、チルカも「調子はどう?」と続く。

「調子はどうっスかァ?」

「調子はどう?」

「調子はどうっスかァ?」

「調子はどう?」

 と、さらに何度か繰り返していると、店のドアが開き「あーめんどくせーな……。封蝋がないと届けてくれないとよ」と言いながらリットが入ってきた。

 リットはランプの前で挨拶をしたままの姿勢で固まるチルカの横を通り過ぎると、「遠慮すんな。続けろ続けろ。そのランプいつも機嫌がわりいんだ」と言って、店のカウンターの奥にある生活スペースへと入っていた。

 そして、手紙に封蝋を押して戻ってくると、わざわざチルカの横で立ち止まり、ランプに向かって「調子はどうだ?」と、話しかけてから店を出ていった。

 店の外からリットのバカにした笑い声が聞こえてくると、ようやく固まっていたチルカが動き出した。

「あー! もう! むかつく!」

 チルカは両手を何度も振り下ろして、羽明かりを強くさせる。

「調子はどうっスかァ?」

 ノーラが空中で暴れるチルカに聞くと、チルカは鼻息荒く振り返った。

「最悪よ! さ・い・あ・く! こうなったら意地でもついていって、なんか失敗したらずっとネチネチ言ってやるわよ!」

「最初からそれでいいと思うんスけどねェ……。お互い素直じゃないんスから」

「そう、私は捻くれてるの。だからタダではついていかないわよ……。最後の手段にと取っておいたけど、こうなったら憂さ晴らしにつかってやるわ」

 チルカは怒りに顔をしかめたまま、ドアの隙間を通って生活スペースへと飛んでいった。

 チルカが消えたドア向こうから、すぐに不吉な音が聞こえてきたが、ノーラは聞こえないふりをした。



 手紙を出し終えたリットは、そのままの足を運ばせ酒場にいた。

 リットが「調子はどうだ?」と酒の入ったコップに話しかけると、カーターは心配した表情で、カウンターから身を乗り出した。

「飲んでないのに酔ってるのか? 日が落ちる前から飲んでるからおかしくなるんだぞ」

「いい酒の肴が手に入っただけだ」

 リットは一人コップをもって乾杯すると、ごくりと一口飲んだ。

「そりゃまた結構なことで。で、本当の調子はどうなんだ? テスカガンドに行くって言ってるわりには、ここでのんびりとしてるけど」

「忙しいぞ。だけど、それはもう少し後になっての話だ。怪しい白い粉が届くまではのんびりするよ。向こうに行ったら酒場なんてものはねぇからな」

 あっけらかんと笑うリットを見て、カーターは顔に浮かべる心配の色を濃くした。

「生きて帰ってこいよ。……言っとくけどな、相当ツケが溜まってるんだぞ。なんなら明細を読み上げようか? 時間がかかるぞ。夜中までここにいる、いい理由になるくらいな」

「そこまで溜まっちゃねぇだろ。ちょくちょく返してるはずだぞ」

「そうだな。ちょこちょこ返して、ばんばん飲んでるから。見ろ、帳簿はパンパンだ。これは全部リットのだぞ。この調子じゃ、これからもどんどん増えていく」

 カータは一冊の本を出すと、適当に捲って中を見せた。

「ちょこちょこやら、ばんばんやらうるせぇな。オレはお得意様ってことだろ。どうせなら、なあなあにしねぇか?」

「それってこっちに一つの得もないだろ」

「そうか? オレはツケを気にしなくて済むし、そっちももうツケを気にしなくて済む」

 リットは万事解決、万々歳だとでもいうように茶化して両手を上げた。

「……もしかしなくてもバカだろ」

「オレはバカじゃねぇよ。でも、そっちがバカかもしれないと思って持ちかけたんだ。オレは越して来てから、金がない時から入り浸ってる常連だぞ。もう少し融通を利かせてもらいたいもんだ」

「これ以上融通したら、リットを養ってるみたいなもんじゃねぇか。それより……一つ気になってたんだがよ。金がない時はどうやって飲んでたんだ? オレは常連でもないのに、ツケ払いなんかさせねぇぞ」

 カーターの訝しげな視線に、リットは肩をすくめてこたえた。

「簡単だ。ここは酒場だぞ? 酔っ払った客達と両替を繰り返してれば、そのうち増えてく。相手が数え間違ってな」

「最悪だな……」

「本当最悪だ。根気がいる作業だったからな。あれを一生の職にすると大変だ。ランプが売れるようになってよかったもんだ」

「他の客もそう思ってるだろうよ」

「ここの酒場じゃ奢られるより、奢ってるほうが多いんだ。はした金で文句を言う奴はいねぇよ」

「いつか罰が当たるぞ」

「今日明日当たるもんでもねぇだろ。当たる頃には、いつの罰かも忘れてるってなもんだ」



 酒場を出ると、町の上には冷たい澄んだ青い空に浮かぶ雲が、静かに燃えるような赤に燃やされていた。

 雲は徐々に影という黒に焦がされ、空は夜に向かう最中だ。

 町の景色もそれに合わせるように夜に向かっていた。ランプやロウソクを照らす家々の明かりは、夜空より先に地上に星空を作る。

 夕焼けの化粧に顔を照らされた子供たちが、リットの横を走り抜けて家路につく。

 リットは酒で良くなった気分を足取りに乗せて、いつもより明かりが漏れる家へと帰ってきた。

 リットがドアを開けると、ノーラはまだ店のカウンターに座っていた。

「なんだ、まだ店を開けてたのか」

「もうそろそろ閉めようと思ってたところっスよ。あんまり早く店を閉めると、駆け込みのお客さんが来るかもしれないですし」

「日が落ちてから店に来るのは、どうせ酔っぱらいだけだ。買いに来るのは喧嘩くらいのもんだぞ」

 リットがふと店の窓に差し込む夕日の線を目で追うと、それをスポットライトのように浴びているチルカが目に入った。

 火の消えたランプの上にちょこんと座って、しかめっ面とも微笑ともつかない、なんとも形容し難い表情でリットを見ていた。

「調子はどうだ?」

 リットが嫌味に聞くと、チルカは表情を変えずに「まぁまぁね」とこたえた。

 チルカのつまらない反応に、リットは首を傾げながらカウンターの奥のドアを開けた。

 一歩踏み出して生活スペースへと入ろうとすると、足元で何かが割れるパキッという頼りない音が響いた。

 それが何かを確かめる必要はなく、目の前には割れた酒瓶の欠片が床に広がっていた。

 チルカはリットの顔横まで飛んでいくと、リットの肩に降り立ち、壁にでも手を付けるようにリットの首に手を付いて「調子はどう?」とニヤニヤと口元を緩める。

「オマエ……このあいだ酒場までついてきて、カーターと店をどうするかを話してたのを聞いてただろ」

 リットが足元の割れた酒瓶を蹴り払うと、チルカはリットの眼前まで飛んで、満面の笑みを見せつけた。

「私は調子はどう? って聞いただけよ。日頃の行いの罰でも当たったんじゃないの?」

「他に誰がこんなことをやんだよ。ランプに話しかけてるのを茶化した腹いせだろ」

「さぁ。アンタも酒瓶に聞いてみたら? 調子はどう? って」

 チルカはそれだけ言うと、庭まで飛んでいった。

 すぐに庭からはチルカのしてやったという笑い声が響き渡った。






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