第二十五話
「苦労したんだぞ。なにせ注文が注文だったからな」
マグダホンは自惚れ顔を浮かべて、満足そうに長い顎髭を撫でていった。視線の先には三つのランプ。火屋はグリザベルの指定通りに作った為に様々な形をしているが、一つだけ共通点があった。
どれも、ランプの両端に取っ手が付いたゴブレットのような形をしている。
「だから手伝っただろ。意見も出したしよ。こっちだって苦労してんだ。ドワーフの知識と技術でもっと早くできると思ってたんだよ」
リットは三つの中の一つに手を伸ばそうとすると、マグダホンが慌てて止めた。
「おいおい、取っ手じゃなくてパイプなんだからそこを掴むな」
「これ邪魔なんだよ。どうにかなんなかったのか?」
取っ手のように見えるパイプは、火屋の上部につける空気の取入口がついたキャップから、オイルを入れる油壺まで続いている。
「上部のキャップが大きいだろ。これがみそだ。煙突と窓がついてるようなものだ。燃焼に使った空気は上部の煙突部分から出ていき、次に燃やすための空気は側面の穴。つまり窓部分から入ってくる」
「得意げに説明してるけどよ。それはオレが教えたんだろ。穴に住んでるドワーフは窓も煙突も使ってねぇだろ」
「だからこそ、このパイプという妙案だ。たしかにバーロホールという穴の中には煙突はない。それでは、鍛冶の煙をどう逃しているか。そう、空気の通り道だ。当然鍛冶に使う炎も、空気がなければ燃えない。だから空気を取り入れる穴を開けて、常に新鮮な空気が循環するようになっている」
ランプの芯が燃えることにより、熱せられた空気が上に昇って煙突部分から出ていく気流を利用し、窓部分から入ってくる新鮮な空気が両側のパイプを通って下部の芯部分に送り込ませる。そうして常時空気を循環させて安定した炎を作り出すことにより、燃焼効果が高まるということだ。
さらに火屋の周りを通る間にパイプの中の空気が温められて油壺まで届くので、オイルの凍結を防ぐこともできる。
テスカガンドがある場所は、ペングイン大陸という寒冷地なので、燃料の凍結というのは避けたいことだった。
「たしかにな。でもこれじゃ燃焼効果が高すぎねぇか? 注文を付けるときにも言ったけどよ。オイルは無限じゃねぇんだ」
「簡単なことだ。空気の流れを止めればいい」言いながらマグダホンは蓋を取り出して、煙突部分にはめた。「燃焼後の酸素の少ない空気だと、炎は燻り煙を出す。そして、火屋の中が煙で満たされれば、蓋を押し込んで窓の部分も塞げばいい」
マグダホンは簡単だろ。と言うように肩をすくめた。
「まぁ説明を聞いてる限りじゃな」
「なら試してみるか?」
というマグダホンの言葉に、今度はリットが肩をすくめた。
「ノーラがいなけりゃ無理だ。まず火がつかねぇよ」
「そうだ。娘の名前で思い出したぞ。フライパンに絹のタオルだ」
マグダホンは両腕を広げると、蚊でも潰すように勢い良く手を打って、パンッという音を鳴らした。
そのオーバーなリアクションと音に面食らって見開いたリットの目を、マグダホンは真剣な表情で見つめる。
「わかるだろう。どれもキミが私に黙って持っていったものだ。フライパンにタオル。今度は娘まで持っていくつもりか?」
「他はともかく、ノーラは黙って借りてくつもりはなかった。ただ話し出すタイミングってもんがあるだろ。仕事終わっておつかれさん。じゃあ、ノーラは借りてくぞ。って切り出すことでもねぇだろ。別に嫁にもらってくわけじゃねぇんだ。帰りたくなったら帰ってくる。どっかの親不孝者と違ってな」
「自分が思う親不孝なんてものは、親は存外気にしていないものだ。遅かれ早かれ、子供というのは巣立っていく。歩き出した瞬間から、親が思った通りの道には進まない。だから思い出という明かりを灯して、振り返ればいつでも帰れるようにする。だが、今回はリットが照らす未来という道への明かりのほうが明るく、見通しがいいらしい。私が言えるのは、光を絶やすなということだけだ」
マグダホンはランプを一つ一つ手に取ると、綺麗に方向を揃えて三つ横に並べた。
そうして自分の仕事は終わりと言い聞かせるように、改めて完成品をリットに渡した。
しかし、リットはそれをまだ受け取ることなく話を続けた。
「てっきり、連れてくなって言われるかと思ってた。娘を持つ親父ってそういうもんなんだろ? まぁ、そう深刻にならないのが性分なのかもしれねぇけどよ」
リットはノーラとマグダホンが再会したときのことを思い出していた。生き別れていたというのに、再会感動は薄いものだった。
「自分で言っただろ。嫁にもらっていくわけではないと。嫁にするためにさらっていくなら、言っとくべきことは山程あるが、自分で見つけた道を進むのなら、肯定の言葉以外はない」
マグダホンが顎髭をまとめるように掴んで撫でてていると、アリエッタがため息をつきながら部屋に入ってきた。
「なにを偉そうに……。昨日全部私があなたに言った言葉じゃない」
「いいや、今バラされるまでは私の言葉だったぞ。せめて、夫婦の共同作業ということにしようじゃないか」
アリアエッタはお好きにとでも言うように肩をすくめると、リットの右手を両手で包み込むように握った。
家事で荒れたゴツゴツした手のひらからは、戸惑うような温かさが伝わってくる。血管が繋がり、アリエッタの温かい血が直接流れ込んでくるようだった。
「闇に呑まれた中で、自分の居場所を確かめる唯一の方法だよ。宙に浮いているのか、空に足を貼り付けてるのか、右を向いているのか、下を向いているのか……・。あの恐怖は足が思うように上げられなくて、なかなか前に進めない悪夢に似ている。それがずっと続くんだ。永遠の時の中に閉じ込められたようにね。そしてその焦燥感はすぐに孤独を連れてくる。もし、光が消えるような状況になったら、誰かの体温を感じることだよ。そうすると呼吸ができるようになる」
アリエッタは最後にギュッと力を入れるとリットから手を離した。
ヒノカミゴの力で人並み以上に手のひらが温かくなっていたせいかもしれないが、肌が離れた瞬間に、急に寂しさの冷たい風に手の甲を撫でられるのをリットは感じていた。
「おちゃらけるなって釘を刺された感じだな」
「逆だよ。いつもと同じ、ジョークを言って、皮肉を言って、子供のように駄々をこねる。不確かな場所で、変わらない人っていうのは、何よりの宝だからね」
「この歳で子供の駄々なんて言わねぇよ」
「お酒が飲みたい。お酒はどこだ。もう一杯だけ。これが駄々じゃないと言い張るのは無理があると思うけどね」
「言っとくけどな、それは子供じゃなくて大人の駄々だ。子供があれ買ってこれ買ってと地面に背中を貼り付けて両手両足を振るのとは、本気度が違う」
「どんなに屁理屈を並び立てても、そんなのは十もいかない子供の話だよ」
「そうか? 少なくとも男は十を過ぎても駄々をこねるぞ。初めて女をベッドに誘う時とかな」
リットがお望み通りジョークを言ったぞ。といかにもな風に肩をすくませると、マグダホンは「ハッハ」と笑いを響かせた。
アリエッタはマグダホンに呆れた視線を送ってから「まぁ、その調子で頼んだよ」と、またリットを見た。
「今さら頼まれてもな。ひねくれた性格ってのは、ドワーフが槌を打っても変えらんねぇよ」
リットはマグダホンとアリアエッタが向き合ってるすきに小さく頭を下げると、「それじゃあ、ランプ諸々もらってくぞ」と数日の時間を掛けて帰り支度を始めた。
バーロホールを出てから日数が経ち、リット達はリゼーネ近郊にあるドムドという街の料理店で休憩をとっていた。
「アンタって! 本っっっ当にバカよね!」
吐き捨てるように言うチルカに、ノーラが同意した。
「今回ばかりは全面的にチルカに同意っスよ……。バーロホールでバキョっと信頼感のある会話したんスから、不安にさせないでくださいよォ」
「なんだよ。リゼーネはすぐそこだぞ。ってことは家に帰るのもあっという間ってことだ」
リットは疲れたとため息をつくと、酒を一気にあおり、またため息をついた。
「崖を滑り落ち、川の急流に流されて、雷に驚いた馬が縦横無尽に森を駆け抜ける……。確かにあっという間でしたねェ……」
ノーラは遠い目を窓に向けた。外ではゆったりとした平和な街の風景が見えた。
「御者を雇うお金がないなら、ドリーくらい連れてきなさいよ! バカ! 超バカ! 信じられないくらいの大バカよ!」
チルカが声を張り上げて怒鳴ると、店員が「お静かにお願いします」と注意をしにやってきて、最後にリットを睨んでから席を離れた。
「今言っても遅えよ。もっとはやく言え」
「言ったわよ。アンタが必死な顔して手綱を握ってる時にね。私もどうかしてたわ……こんな奴が走らせる馬車に平気で乗り込んだなんて……」
「だいたいな。川に流されたのは、オレじゃなくてノーラだ。それにな、雷に驚いた馬を御しきれなかったのはオマエだろ」
リットが指を差すと、チルカはそれを蹴り上げた。
「この体でどうやって御すって言うのよ。私の体の何十倍あると思ってるのよ。あの馬」
「自分から手綱を握ったんだろ。アンタなんかに任せておけない。貸しなさいって。よくまぁ、あそこまで文句だけを並び立てられるもんだ。店でも開けよ」
「まぁ、崖を走り落ちるなんて経験したら、誰だって自分のほうがマシだって思いますよねェ」
ノーラはスプーンですくった野菜の煮込みの汁を音を立てて吸うと、また美味しいものが食べられてよかったと息をついた。
「その結果、ノーラに任せて川に落ちたんだろ」
「あれはラッキーでしたねェ。泥水に濡れて、あの不味い保存食がダメになったかと思えば、新鮮なお魚が手に入ったんスから」
「助かった命を幸運に思えよ……。なんかあったらマグダホンに恨まれるだろ」
「そう言えば、パパと大事な話をしたって言ってましたね」
「オマエを嫁にもらうかどうかだ」
「ありゃー……それは勘弁願いたいもんですねェ」ノーラは眉をひそめると、やれやれと首を横に振った。「でもそうなると、私と旦那の関係性ってなんなんスかねェ。ほら、旦那とチルカは口喧嘩友達でしょ」
ノーラはリットとチルカを交互に見て首を傾げた。
チルカは「私は主よ」とトマトを頬張ると、飲み込んでから「で、こいつは下僕。それ以上でも以下でもないわ」とトマトのヘタをリットに投げつけた。
「私もそうですね」
ノーラは言いながら、納得の頷きを何度も繰り返した。
「なんだ? オマエも下僕が欲しかったのか。威張りたかったら、近所のガキンチョで我慢しろ」
リットは飛んできたトマトのヘタを拾うと、指で弾いてノーラの顔に当てた。
「それ以上でも以下でもないってことっスよ。旦那は旦那で旦那なんスから。まぁ、あえて言葉にするなら……居候が一番しっくりきますかねェ」
「普通居候ってのは遠慮するもんだけどな」
リットはノーラの目の前に並んだ料理の皿を見る。空になった皿が、椅子に座ったノーラと同じくらいの高さまで積まれているが、まだ新しい料理が運ばれてきている。
「言葉って言うのは、人によって意味が違うんスよ。そこが、私にとって旦那は旦那で旦那ってことっスよ。だから居候は居候で居候ですけど、料理は料理で料理ってことなんスよ」
ノーラが「ね?」と首をかしげて同意を求めると、リットは静かに頷いた。
「まぁ、たしかにノーラはノーラだな。だから、それなら今のまんま傷をつけず返せって、マグダホンに言われてんだ。しばらくは今までと同じ居候で頼むぞ」
「それじゃあ、今までと同じで居候させてもらいますよ。ところで、馬車を直すお金もない。宿に泊まるお金もない。ないないって言ってましたけど、ここのお金は大丈夫なんスかァ?」
ノーラは皿に残った煮汁を飲み干してから言った。
「大丈夫だと思うか?」
「大丈夫だから、食べてると信じたいですねェ」
気にした様子もなく次の料理に手を付けるノーラと違って、チルカは手を止めてリットを睨んだ。
「……言っておくけど、私は一人で逃げるわよ。で、その後牢屋から助け出すのはノーラだけよ。アンタは、両手を合わせて、格子から見える太陽のかけらに向かって、偉大なる可憐な妖精のチルカ様お願いします。どうか惨めな自分に御慈悲を。って大きな声で何度も祈るまで助けないわよ」
「心配すんな。牢屋に入ったとしても一瞬だ。ここでなにかあったら、リゼーネの兵士が来るだろ。安全に護衛付きで、リゼーネに運んでもらって、あとはエミリアにどうにかしてもらう。一旦帰る前に、今までのことを報告しなけりゃいけねぇしな。楽ができて手間が省ける。合理的だろ?」
「ここのゴウリテキって料理は、旦那が前に作ったゴウリテキって料理より美味しいっスね」
ノーラは食べやすい大きさに切られた肉を何切れもフォークで刺して、食べづらそうに全部口の中に入れた。
「どうせここの代金はエミリアに払ってもらうんだ。遠慮なく、ゴウリテキって料理を食え」
そういうリットの後ろで、店員が聞こえるように咳払いをした。
リットは振り返ると、店に入り口に向かって顎をしゃくった。
「聞いてただろ? 今のうちにこの街に駐屯してる兵士にでも連絡しといてくれ」
リットは酒を持ってきた店員の顔を見て、嫌味に口の端を曲げた。
「……わざわざ嫌がらせ為に戻ってきたんですか?」
「オレの顔を覚えてたか。嬉しいもんだな。なんせ覚えてろよ。と思ってこの街を後にしたからな。借りは返したから、前のツリは返さなくていいぞ」
「情けない……。本当に情けない……」
涙を流すように言葉をこぼすエミリアの肩をリットが叩く。
「そうでもねぇよ。泊が付いただろ。歴戦をくぐり抜けてきた馬車みたいじゃねぇか。乗るのが恥ずかしいなら、ついてこなくていいんだぞ。もう帰るだけなんだから」
リットは獣の爪に引き裂かれたようにほつれている幌を見上げる。
泥だらけの床。ひび割れた車輪。汚れて色の変わった椅子。泥が詰まった馬の蹄鉄。どこを見ても借りてきた時の馬車と同じところはなかった。
「無銭飲食をし、皆に迷惑をかけているのが情けないと言っているんだ。この馬車は馬車で言いたいことは山ほどあるが、先に一つだけ言っておくぞ。こんな有様を見て、ちゃんと家に帰ることができると安心する方がどうかしている」
「なら新しい馬車を貸してくれればいいだろ。見ろ、ノーラもチルカも寝てるだろ。オレもそれくらい疲れてんだ。小言を言うなら、せめて子守唄になるやつにしてくれよ」
「それなら寝てしまうではないか。そうなるといくら注意をしても無駄になってしまうだろう。ノーラとチルカはいい。夜に眠れなくなってしまうから、夕方には起こすがな」
リットは天井を見上げて眩しさに目を細めると、小さく笑った。
「なにがおかしいんだ」
「寝させてくれって言ってんだ。報告をまとめた書類は渡しただろ」
「泥水に滲んでなにも読めなかったから、こうしてついてきてるんだ。地下の工房に籠もらせてでも、書かせるぞ」
「せっかく帰ったのに、また穴の中か……」
今は太陽が眠りにつく夜。
ノーラが火をつけたランプを天井からぶら下げた馬車の中で、エミリアがそれに気付くことはなかった。
六章の「穴ぐらの火ノ神子編」はこれで終わりです。




