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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(下)

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第二十四話

 アリの巣のように、掘った者にしか道筋がわからないような穴が広がるバーロホール。その中でも人通りが少ない一室がある。

 数日のあいだ。リットは食事と酒盛り以外はそこで過ごし、ロウソクの明かりの下で頭を悩ませていた。

 目の前にはバーロホールの中で入手して作った麻や綿の紐、太さや厚み、編み込み方を変えたものなど、何十種類ものランプの芯がある。どれも先端は焦げており、火をつけ終えたものだ。

 芯の先を見て、背中を丸めているリットの背中に、やってきたばかりのドリーが声をかけた。

「ランプは使わないんですか?」と言った声色には、ランプ屋なのにというニュアンスが含まれている。

「あのランプには瑠璃色のオイルが入ってんだ。使いたくても使えねぇんだよ」

 リットは振り返らずに、焦げた芯の先を見つめたまま言った。

 ドリーもそれをリットの背中から覗き込むと「ランプの芯ならありますよ。持ってきましょうか?」と提案したが、リットから返ってきた最初の答えはため息だった。

「あのなぁ……ランプの芯なんてのは、売るくらい持ってんだ。この試行錯誤のあとを見たら、普通の芯が必要じゃないのはわかるだろ」

 リットは芯を数本手に取ってドリーに芯の先が見えるように持ち上げた。

「上手く燃えないんですか? どれも先しか焦げてないですけど」

「ランプってのは焚き火じゃねぇんだぞ。芯ってのはオイルを吸い上げるためのもので、芯が燃えるもんじゃねぇんだよ。芯の先から気化した燃料に火がついて燃えてんだ。そうじゃねぇと、一日に何百回も芯を取り替えないといけねぇだろ」

「前から思っていたんですけど、なぜランプの芯はオイルを吸ってるのに燃え尽きないんですか?」

 ドリーの質問にリットはまたため息をついた。

「いいか。自分が持っている知識で、言い負かして悦に浸るのも嫌いじゃねぇけどよ。いちいちバケツとタオルを使って説明する気はねぇぞ。オレがなんでこんな人気のないところにいるかわかってるのか?」

「ヒノカミゴの力がなくても、ランプに火をつけられるようにするためですよね」

「それはここに限ったことじゃねぇよ。広場で酒を飲んでいようが、部屋で飯を食っていようが、どこにいようが最終的な目標だ。ここにいるのはな。その最終的な目標のために、芯を改良したり、マッチを改良するために、誰にも邪魔をされず、静かに考えるためにいるんだ。言っとくけど、誰かってのはオレ以外の全員のことだぞ」

 リットに指をさされたドリーは、慌てて首を横に振った。

「邪魔をしに来たわけじゃないんですよ。結果的に関係のない話をしてしまいましたが、聞きたいことがあって来たんです。僕のシャツを知りませんか? 麻でできたシャツなんですけど、あれがないと穴掘りの最中に汗でまいっちゃうんですよ……」

「……麻ってのは、水分の吸湿や発散性に優れている素材だよな」

 リットは手に持っている麻で作ったランプの芯を隠すように握った。

「そうです。バーロホールには風通しの穴がありますけど、作業をするには通気性のいい麻のシャツじゃないと。麻のシャツはゴブリンの作業着みたいなもんです」

「シャツは知らねぇ。布切れなら持ってる」

 リットが切り刻んで元のシャツの原型はなくなった麻の布を取り出すと、ドリーはそれに目をやった。

「うーん……」と目を細ませてから「僕が探しているのは、布切れじゃなくてシャツですから、これではないですね」と困ったように頭をかいた。

「まぁ、そりゃそうだろうな。これは誰がどう見ても布切れだ。誰がってのはオレを含めて全員のことだぞ」

「わかってますよ。これをシャツと呼ぶ人は、僕が知ってる限りではいないですから。昔に着てたのが残ってるはずですから、そっちを探してみます」

「なんだ、まだあんのか。そりゃいいことを聞いた」

「昔のですから、まだ着られるといいんですが……」

「無理かもしれねぇな。急に成長して、今日は着れたものが、明日には着れなくなるってことはよくあるらしいからな。例えば……裾とか袖とかが短くなったり」

「いくらなんでもそれはないですよ。それじゃあ、お邪魔しました」

 ドリーは満更でもなく笑うと、一度頭を下げてから部屋を出ていった。

 リットは集中が途切れたのはちょうどいいと、昨夜のつまみの残りのナッツを食べて軽く昼食を済ませると、またランプの芯をどうするか考えた。


 それからリットはまた頭を悩ませて集中していたが、鉄バケツを引きずる音で途切れてしまった。

 その音はブツブツと文句をいう声とともに近づいてきて、リットがいる部屋の前で止まった。

「普段見かけないと思ったらこんなところにいたの」

 というアリエッタの声は、遠慮することなく部屋の中まで入ってきた。

「こんなところだから、人は来ねぇと思ってたんだけどな」

 リットは非難するようにそっけなく言ったが、アリエッタは気にすることなくリットの後ろで足を止めた。

「ここはボロス大渓谷の川水を汲みに行く通り道だよ。誰だって通る部屋だよ」

「それは雨季前の話だろ。今は入水自殺をしに行くやつしか通らねぇぞ」

 ボロス大渓谷に流れる川の水位は下がってきているが、まだ生活用水に使えるほどではなく濁っている。川の水が澄むまでの間に使う水は、雨季の前に汲んで別の場所に保存している。下に広がる穴の一部は増えた川水に埋まってしまうので、本来今の時期ここは誰も通らないはずだった。

「うちの旦那が、冷えた水を使いたいから川で汲んでこいって言うんだよ。他にもタオルが汚れたから取り替えてくれとか、おかげで朝からあっちに行ったり来たり大忙し」

 アリエッタはため息をつくと、バケツを逆さにして床に置いて、それを椅子にして座った。

 しばらく居座る気なのがわかったので、リットは諦めてランプの芯を置いて振り返った。

「昨日晩飯を食い終わった後に準備しとけよ。後片付けはオレがやらされたから、そっちは暇なはずだろ」

 アリエッタは「明日の仕事の準備を? 夜にやる?」と鼻で笑った。

「そうだ。明日するべきことを考えたら、用意するもの、なにから進めるのか、どこまで進めるか。全部わかるだろ。……これ本当にオレのセリフか?」

「間違ってないよ。仕事の準備は大事ってことはね。だけどね。準備っていうのも片付けも、全部仕事の一つなんだよ。夜に明日の準備をするってことは、私生活に仕事が紛れるってこと。誰かと話してる、誰かと遊んでる。そんな時にふと仕事のことが頭に浮かんできたらもう手遅れ。仕事と私生活の境界線が曖昧になって切り替えができなくなるのは、どっちの質も落として、一番効率が悪くなるものだよ」

「ごもっとも、間違いも異論もない。だから、こんなところで油を売る暇はないはずだ。だいたい油を売るのはオレの仕事だ。買うなら安くしとくぞ」

「一休み中のちょっとしたお喋りだよ。水を汲んで、あとは夕飯の支度をしたら終わり」

「晩飯? もうそんな時間なのか?」

 穴の中では外の様子がわからないので、リットはつい先程昼が過ぎたばかりのような気がしていた。

「まぁ、まだ大きなロウソクが一本燃え尽きる時間くらいはあるけど、それからは家族の時間、友人との時間、一人の時間。過ごし方は様々だけど、このバーロホールでは仕事の時間に使う人はいないね

「そっちは旦那の愚痴を言う時間なんだろ」

 アリエッタは「そうだね」と笑う。「夫婦の愚痴はいいものだよ。行き過ぎはだめだけどね。愚痴っていうのは理想とのすれ違いで出てくるものだからね」

「それのなにがいいのかわかんねぇよ」

「夫婦というのは家族であることを前提に、恋人であったり友人であったり、人によって様々な形があるけど、どれもある時を迎えると夫婦は仕事になっちゃうんだよ。子供のことだったり、生活のことだったり、お互いに効率を求めるようになる。あれやって? それとって? 夫婦の会話が指示のし合いばかりになる頃には、結婚した理由も忘れてる。愚痴を言い合って、理想を追いかけ続けてるほうが長く続くものってことよ」

「ますますわかんねぇよ」

「そうでしょうね。それがわかったら離婚してるってことだから」

「なんだ、あの旦那は栄えある第二号か」

「私の旦那はずっと一人よ。ノーラとはぐれた時にそういう時期があったってだけ」そう言うとアリエッタは重い腰を上げてバケツを掴んで立ち去ろうとしたが、急に足を止めて「そうだ」と振り返った。

「タオル知らない? 絹で作られたタオルなんだけど、探してるけど見つからないの」

「……絹ってのは、吸水性がよくて、熱に強くて丈夫な素材のことか?」

 リットは手に持っている絹で作ったランプの芯を隠すように握った。

「そうよ。燃えにくいから、ドワーフは皆汗を拭くのに使ってるの。仕事中はずっとなにかが燃えてる状態だし、あれがないと困るのよね」

「ランプも同じだ。吸水性がよくて、熱に強くて丈夫。ランプの芯ってのはほとんど木綿だ。なんならいるか?」

「ランプの芯じゃ、汗どころか鼻水も拭けないよ。まったくどこにいったんだか……」

 アリエッタは来たときと同じように、ブツブツ文句を言いながら部屋を出ていった。



「旦那ァ、聞いてるんスか?」というノーラの声に、リットは今まで寝ていたかのように体をビクッとさせた。

「なんだ、ノーラか」

 リットはランプの芯を置くと、驚かすなと息を吐いた。

「なんだ、ノーラか。じゃないっスよ。聞こえないんスか? この飢えに怯える悲痛な民達の声が」

 ノーラが押さえたお腹からは、喉を鳴らす小動物のような空腹を知らせる音が鳴り響いていた。

「腹が減ったなら、なにか食べろよ。作業の邪魔をしたって腹は膨らまねぇぞ。今日はさんざん邪魔されてんだ」

「旦那が来ないと、ご飯が食べられないんスよ。片付かないから」

「こっちもな、これを片付けないとならねぇんだ」

 リットは鼻くそでも飛ばすように、指を弾いてノーラの顔にランプの芯を当てた。

「予備の芯を持ってこなかったんスか? ネズミの歯を研ぐオモチャになるくらい家に置いてあるのに」

「そうじゃねぇよ。せっかく闇に呑まれた中で光るランプを作っても、オレが火をつけられねぇなら意味ねぇだろ。だから、誰でも使えるように芯とかマッチで火力がでねぇか、いろいろやってんだ」

「そんなもの作らなくても、私がいれば済む話じゃないっスか。ほら、いいかげん御飯食べないと餓死しますよ。他の人は知りませんけど、私は一食抜いただけで餓死する自信がありますよ。そりゃもう簡単に」

 リットはシャツの裾を引っ張るノーラの手を払った。

「……ここにいろよ。闇に呑まれるのは、二度と体験したくねぇって言ってただろ。ランプがあってもテスカガンドに辿り着ける保証はねぇんだ。それに、親とも会えたんだ。ゆっくり腰を据えろよ。話し足りねぇと思ったときにはもう遅えぞ」

 ノーラは自分を通して後ろに見ているのが、リット自身のことだと気付くと、少し言いにくそうに間を開けてから口をひらいた。

「旦那は後悔してるんスか? パパさんとのこと」

「少しな。……いや、結構だな。世間から見りゃ、親子と呼ばれるような長い時間は過ごしてないけどよ。不思議とな、繋がりが切れたって喪失感はそいつらと同じくらい襲ってくるもんだ。それを埋めるための思い出も少ねぇしな」

 リットは重くなりそうな空気を誤魔化すように、両手を上げて体を伸ばしながら言った。

 それに気付いたノーラも「なるほど、なるほどォ」と少しおどけ口調で頷いた。ついで「つまり、珍しく率直に気を使ってるわけっスね。いつもはジョークや皮肉の中に隠してる心遣いをはっきりと吐露してると」とまたおどけた口調で続けた。

「そういうこった。誤魔化したら、気付かずについてきそうだからな」

「なら、旦那の気持ちも無碍にはできないっスねェ……」ノーラはうんうんと頷いてから「それじゃあ、火をつける担当は私ってことで決まったんスから、早くご飯を食べに戻りますよ」と急かすように手を叩いた。

「……話を聞いてたのか? それとも、絵と音楽を使って盛大に説明しなけりゃわかんねぇのか? 言っとくけどな、豚が空を飛ぶようにできるほどの説明力はオレにはねぇぞ……」

「旦那の言ってることを理解して考えた結果っスよ。私は旦那で、旦那はパパさんみたいなもんですよ。旦那だって同じような状況がやってきて、同じ後悔をするようなマヌケにはならないでしょう? 旦那が自分がした後悔をするなって言ってるんだから、私はしないことに決めただけですよ。それに、まだ旅先で美味しいお肉だけ食べてないですしね」

 ノーラはまた鳴り始めたお腹を押さえながら言った。

「オマエの能天気具合には救われるな」

「まぁまぁ、私のほうが先に旦那の気まぐれに救ってもらってますから」そう言いながらリットを立ち上がらせたところで、ノーラの動きが止まった。「ところで旦那ァ、最近布製品がなくなるという事件が起きてるんスけど、なんか知らないっスか?」

 リットは「そうらしいな」と重ねた布切れを一瞥してから、ノーラを見た。「オレも探してるもんがある」

「あらら、旦那もっスか。いったいなにを探してるんスか?」

「濡れ衣を着せる相手だ」

「先に言っておきますけど、それ探しは手伝いませんよ……」






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