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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(下)

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第二十話

「力を貸せって言うのは、二日酔いの介抱をしろってことっスか?」

 ノーラは首を伸ばして辺りを見回した。

 三つ編みに編まれた顎髭を揺らしながら、乾杯の音頭を取るドワーフの声が響いているが、ほとんど者はそれに耳を傾けることなく、既に喉に酒を流していた。

 当然リットもその一人だ。

「好きで飲んでるわけじゃねぇよ。これも仕事の一つだ。飲んで空にしないと使えねぇからな」

 リットはグリム水晶で作られた瓶を掴むと、隣りにいる名前も知らないゴブリンのコップに注いだ。

 バーロホールはダーレガトル・ガーを焼いた煙が充満している。生身でも臭いが、焼くとさらに臭さが増した。

 雨の日の牧草地のような、墓場を掘り起こしたような。とても食べ物で例えることができないニオイにノーラは鼻をつまんでいる。

 かといって食べないわけではなく、左手で鼻をつまんだまま、右手で切り分けられた魚の身を口に入れている。

 そして、舌に溶ける脂の旨さと、つまんでいても鼻を抜ける臭さに、なんとも言えない表情を浮かべていた。

「でも、いいんスか? パパさんの形見でしょ?」

 リット手元にはグリム水晶の酒瓶が一つ。残りは手から流れ流れて、どこかへ行ってしまった。

 空瓶さえ手元に残れば問題ないので、バーロホールの住人に振る舞うことにした。当初は宴会になる予定はなかったのだが、ちょうどダーレガトル・ガーを仕留めたばかりで新鮮なツマミがあるというのと、これでは飲み足りないと瓶に入った酒をドワーフとゴブリン達が次々と出してきたので、いつの間にかリットは酒瓶に囲まれていた。

 当初はさっさと飲み干して、ノーラの父親のマグダホンにグリム水晶を加工してもらう予定だったが、そのマグダホンも意気揚々と酒瓶を担いで出てきたのを見ると、リットの決意が揺らぐのは早かった。

 次々と酒瓶が並べられるだけでも限界だったが、先延ばしにする言い訳が勝手にやってくると、率先して酒を飲む準備を始めた。

 傍らには既に飲み空けた瓶が一本転がっている。

「形見って言ってもたかが酒だ。酒ってのは楽しく飲めりゃいいんだ」

 リットが隣から返杯を受けていると、鼻をつまんだチルカが片手をパタパタと忙しくなく払い、煙を遠ざけながら眉間のシワを深くした。

「私は一つも楽しくないわよ……。魚が焼けるニオイに、あるのはお酒。萎びた野菜の一つもないのよ。これでどう楽しめるのか教えてほしいわね」

「鏡を見ろよ。充分楽しめるだろ」

「いまさら自分のかわいい顔を見たって、気分は紛れないわよ」

 ため息を落とすチルカの目の前に、リットは酒の入ったコップを差し出した。

「愉快な顔をしてるって言ってんだよ。転んだ先に犬の糞があった時くらいにしか見ない顔だからな」

 酒の水面には、指でつまんで潰れた鼻と、眉が繋がりそうなほどの眉間のシワ、不快にひん曲がった口元のチルカの顔が映っている。

 そんな酒に映る自分に睨みを利かせると、チルカは癇癪を起こしたように両手を振り上げた。

「……不愉快。ふーゆーかーいー!」

 ノーラが「まぁまぁ」と人差し指でチルカの背中を叩いてなだめるが、一度口から不満が溢れると止まることはなかった。

「なにもかもが不愉快よ! 余った魔宝石をクルクルパーな女に売りつけて一人だけ儲けたのも、私が寝てる隙きに馬車に押し込んで勝手に帰りを決めたことも、人の顔を見てこいつバカだなぁみたいにため息つくのも、話についてけないのはリットが説明しないだけなのに、不満! ふーまーんーよー! 不満に押しつぶされて死にそうよ! 美人薄命! 瑠璃は脆し! かわいい妖精は保護されるべきよ!」

 チルカは羽を光らせて、空中で気が済むまでじたばた暴れると、急に我に返り、大きく息を吐いた。

 チルカが落ち着いたのを見てから、ノーラはおもむろに口を開いた。

「酔ってるんスか?」

「あんなアホ面を見て、酔いたいなんて思わないわよ」

 チルカは飲んでは返杯を繰り返す、緩みきった口元で談笑をするリットとゴブリンを冷めた目で見る。

「いえいえ、自分にっスよ」

「ノーラはよく平気ね。……なんでも口に入れたら、そのうちひどい目に合うわよ」

 不機嫌にさせる要因の一つであるニオイの元を口に運ぶノーラに、チルカは心配と呆れの両方を滲ませた視線を送る。

「これはまだマシなほうですよ。保存するために醗酵させたニオイたるや! たるや……なんスかねェ……」

 ノーラは自慢げに伸ばした首を傾げてからチルカを見た。

「私にわかるわけないでしょ」

「ほら、旦那が酒場で飲んで飲まれて泥酔して、豚一頭まるごと食べられるかっていう勝敗が目に見えてる賭けをしたことがあったじゃないっスか。あの日のトイレより酷いニオイがしますぜェ」

「よくまぁ……今自分が口に入れてるものを、あんなおぞましい思い出で例えられるわね……」

 チルカはここには存在しないニオイが漂ってきた気がして、また鼻を強くつまんだ。

「これは全然まったく別物っすよ。醗酵してるのとしてないのじゃ、夏場に干したての靴下と、夏場に一日履いた靴下くらいの違いがありますってなもんで」

 ノーラは試しにどうですかと小さく切って差し出すが、肉が食べられないのとは関係なくチルカは受け取る気にはなれなかった。

「……私はいいからノーラが食べなさい」

「いつもどおりと言うか、ご機嫌斜めっスねェ」

「いいこと言うわね。そう、平行じゃなくて斜めなの。溜まってた不満は、一度傾けたら口から滑り落ちるばかりよ」

「旦那についていったのに、面白くないとは珍しいっすね」

「あんなのといてなにが面白いのよ」

「べつに旦那と一緒にって限った話じゃないっスよ。行く先々の肉欲とロマンにまみれた冒険のことですよォ。鳥に豚に牛。ここだとほとんどが川魚っスから」

「ノーラの肉欲はずいぶん健康的なのね」

「這えば立て、立てば歩め、歩めば腹減り歩き回るの精神っスよ。美味しい野菜はエミリアのところで、美味しいフルーツは浮遊大陸で食べて、美味しい魚はドゥゴングで。となると、あとは美味しいお肉しかないじゃないっスかァ」

「今食べてる魚で我慢しなさいよ。私には理解できないけど、美味しいんでしょ」

「これは美味しいと言うより、乙な味ってやつですよ。それで、結局旦那とチルカはなにをしてたんスか?」

「飲んで、二日酔い。飲んで、二日酔い。くだを巻いて飲んで、二日酔い。草を煮て、飲んで、二日酔い。またくだを巻いて、飲んで二日酔い……どうせなら、眠くなるまで続ける?」

「いびきをかく前に、真ん中に挟んだ、草を煮てのあたりを聞きたいっスね」

 チルカはめんどくさそうに髪をかきあげると、少し悩んでから口を開いた。

「妖精の白ユリの時と同じよ。植物を煮て冷やして――はい、完成」

「その完成のくだりが一番気になるんスけどねェ……」

 リットに力を貸せと言われたものの、なにか説明を受ける前に酒盛りが始まってしまったので、ノーラは見当がつかないままでいた。

 しかし、それはチルカも同じことで、リットからなにも説明されていなかった。

「そうねぇ……ボワ! っとして、バチバチってして、キラーン?」

 チルカが首を傾げながら言うと、ノーラはそれ以上に首を傾げた。

 しばらく、お互い視界が横たわったままで見つめ合っていたが、先にチルカが少しだけ恥ずかしそうに視線を逸してから首を戻した。

「なにか言いなさいよ……」

「まぁ……よくはわからないっスけど、そのボワバチキラーンってなるのが、旦那の持ってた白い結晶ってわけっスね」

「白? 黒よ」

「ありゃ? 瓶に入ってたのは白かったんスけどねェ」

 チルカは「だって闇に呑まれた中でも――」と言ったところで、なにかを思い出してゆっくり目を開き、開ききった瞬間。リットに向かって「あー!」と大声を上げて飛んでいった。

「ちょっと! あの魔法陣はどこよ! 砂糖に群がるアリみたいに、酔っぱらいがうじゃうじゃしてるところに置きっぱなしにしてるんじゃないでしょうね!」

「耳元で怒鳴んなよ……。酔っ払ってヘマしないように、ドリーに持たせたまんまだ」

 リットが顎をしゃくって指した方向では、まだ荷物を片付け終えていないドリーの隣で、妹のホリーがお土産だと勘違いして「今から開けるわ」と、筒に手をかけているところだった。

「ちょっと待ちなさい! そこのおたんこなす!」

 チルカはリットの肩に両足で蹴りを入れてると、その反動で助走をつけてホリーのもとまで一直線に飛んでいった。

「なにを暴れてんだよ。チルカは……」

 リットは蹴られて痛む肩を、埃でも取るように手で払うと、コップに口をつけようとしたが、唇が触れる前にノーラに肩をつつかれた。

「ところで旦那。向こうでも、酔いつぶれるまで飲んでたと聞きましたが」

「なんだ? 酒を飲むなってんなら、古代言語で理由を言え」

「旦那、古代言語なんてわかるんスか?」

「わかるわけねぇだろ。酒を飲むのを邪魔すんなって意味だ」

「まぁまぁ飲むのはご自由に。問題は旦那が酔ったまま帰ってきて、持って帰ってくるものを間違えたんじゃないかという心配っスよ」

「オマエも根に持つな……。そんなに土産が欲しかったのか」

「違いますよ。いや、違わないんですけどねェ。それはそれ、これはこれってなもんでさァ。あの白い結晶のことですよ。旦那にも聞こえてたでしょ?」

 ノーラは身をすべて食べて余った魚の骨で、リットのポケットの膨らみを指した。

「そりゃ、隣であれだけ騒がれりゃな。あれが聞こえなくなるには、相当酒を飲まねぇと無理だな」

 リットはポケットから小瓶を取り出すと、持ってろとノーラに投げ渡した。

「ほら、やっぱり白っスよ。この結晶は」

 ノーラはまじまじと小瓶の中身を見て、自分は間違ってなかったとわずかに笑みを浮かべた。

「そうだ、白だぞ。でも、チルカが見たのは確かに黒だ。腹が黒い奴には黒く見えんだ。で、酒を飲む手を止めるような白けさす奴には白く見えんだ」

「で、旦那は何色に見えるんですか?」

「濁った琥珀色だな。これは……なかなか強烈な味だ」

 リットがコップと睨めっこすると、隣りにいるゴブリンが「ダーレガトル・ガーのヒレを漬け込んだ酒だ。身は汁に漬け込んで発酵させて、ヒレは切って酒に漬けるんだ。魚の匂いがするだろ?」

「そもそも他が臭すぎてわかんねぇよ」

 リットはゴブリンと目を合わせて笑い合うと、急にノーラに振り返った。

「そうだ。酔いつぶれる前に行っとくぞ。その白い結晶を真っ黒に焦がすのが、ノーラ。オマエの仕事だ」

「力を貸せってのはそういうことっスか」

「いや、まだあるな。散らばったグリム水晶の酒瓶の回収だ。一番透明な瓶を探せばいいから、カエルと馬を間違えるようなよっぽどのバカじゃない限り区別はつくだろ」

「はいさァ、お腹いっぱいになったら腹ごなしに探しておきますよ」

 ノーラが小瓶を返そうと手を差し出し、リットはそれを受け取ろうと手を伸ばしたが、突然の頭への衝撃に、素通りして床に手をついた。

「バカはアンタよ! アンタよりもっとバカが、筒を空けて中の魔法陣を広げようとしてたわよ!」

「安全なのはわかったんだから、そこまで過敏にならなくてもいいだろ」

 チルカは先程やったように、両手で抱えるて持った筒をからだ全体を使って振り上げると、ベッドにでも飛び込むように体重をかけてリットの頭に振り下ろした。

「そんなことを言ってんじゃないわよ! ちゃんと安全な場所に置いてきなさいって言ってるの!」

「太鼓じゃねぇんだ。人の頭を気安くポンポン叩くなよ。人に押し付けないで、今持ってる奴が置いてこいよ」

 リットは右手に酒瓶、左手にコップ。両手はふさがっていると高く掲げた。

 チルカは「ちょっと持ってなさい」とノーラに筒を投げ渡す。

「もう……どこに置いてくればいいんスかァ?」

「私が置いてくるからいいわよ。その前に景気付けよ」

 チルカは肘の内側で引っ掛けるように筒を持って身動きが取れなくなったノーラから小瓶を奪うと、ふんっという気合の入った声とともに蓋をあけた。

 そして、中の結晶を小さな手でひとつかみして、調味料でもかけるように魚を焼いている火の中に投げ入れると、ノーラから筒を受けとりバーロホールの奥へと消えていった。

「もったいねぇことしやがって……。充分に取ってきたと言っても、なくなったらめんどくせぇってのに……」

「チルカはなにをしたんスか?」

「すぐにわかる」



 リットが言うすぐは、ちょうどチルカが戻ってきた時に起きた。

 焚き火の中で焦げた結晶は、一瞬火を大きくし、爆ぜると煙に混ざって宙に舞った。

 いくつもの小さな光は消えてはまた光り、瞬きを持ち、星空のように漂う。

 酔ったドワーフとゴブリン達は、突然出来事に歓声をあげ、その歓声が自分に向かって発せられているかのように、チルカは意気揚々と星空の道を飛んで戻ってきた。

「あー! 少しは鬱々苛々の気分が良くなったわ」

 チルカは晴れ晴れとした顔で両腕を気持ちよさそうに伸ばすと、そのままの体勢でノーラの頭におりた。

「オレがやりてぇのは、これじゃねぇんだよ。だいたい焚き火くらいの炎じゃすぐに消える」

 リットは漂い落ちてきた“光るスス”を人差し指の腹でこすり取るように拾うと、ノーラに見せた。

 もう燃え終わった後だと言うのに、ススは点滅を繰り返して光っている。

「おぉ、これがボワバチキラーンってやつっスね」

 ノーラはチルカの言っていたことがわかり納得の表情で頷いたが、反対にリットは怪訝な表情を浮かべた。

「なんだそりゃ……詳しい説明は明日マグダホンがいる時にするけどな。簡単に言えば、これは光だけを保存できる結晶だ。な、簡単だろ?」

「まぁ……いろいろ聞きたいことはあるんスけどねェ……。光だけってどういうことっスか?」

「熱はねぇってことだ。ヨルアカリグサが光るのと似たようなもんらしいぞ。焦げが取れる時に光を出すらしい」

「まぁた新しい単語を出してきて……言っときますけど、食べてお腹いっぱいになって一晩寝たらすっかり忘れちゃいますぜェ」

「だから明日説明するって言っただろ。それに理解できなくていい。難しいことはマグダホンにさせるからな。いつもどおり、目玉焼きを作るようにやりゃいい。二千と五十の卵を消し炭にする練習をしてたのが役に立ったな」

 ノーラは「旦那ァ……どんだけ昔の話をしてるんスかァ……」と大げさなため息をついてうなだれたが、ついで上げられた顔はやたらに自慢げだった。「今はもう、その倍以上の数を消し炭にしてますぜェ」






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