第二話
突然店内に入ってきた男は、なにか言葉を発する度にテーブルを何度も叩いた。
男が張り上げた声とは対照的に、天井から吊るされたランプ同士がぶつかり合い、涼し気な音を立てていた。
リットは男がまくしたて終えると、一呼吸置いてからおもむろに口を開いた。
「だから、オレにどうしろっていうんだ」
「暴れている街灯を止めて欲しい」
テーブルに両手を付いたまま真剣な口調で男は言った。
この男がリットの店でランプを買ったのは数年前。ランプと言っても室内用のものではなく、街灯に使うタイプのものだ。その街灯が最近、夜な夜な街を徘徊しているという話だった。
朝になれば元の場所に戻り、特になにか悪さをするというわけではないが、鉄の棒が人間のように歩くのは気味が悪い。
一度は火が原因ではないかと一晩火を灯さずに過ごしてみたが、いつどこでつけられたのか街灯の火屋には火が灯っており、やはり村の中を徘徊する。
その村の街灯は全てリットが作ったものであり、仕事量と報酬金の多さからリット本人も覚えていたのだが、事実確認をするためにも聞いてみた。
「本当にオレが作ったランプか?」
「間違いない。注文書を確かめてくれ。名前はコニーだ」
「……わかったよ」
リットは重い腰を上げると、カウンター裏の扉を開けて、居間にある階段から地下の工房へと降りていった。
明りをつけようかと一度ランプに手を伸ばしたが、窓からは西日が差しており工房を照らしていたので手を引っ込めた。
本棚の下にある木箱を取り出し蓋を開けると、大量の注文書が出てきた。わざわざ注文書を残しておく客は少ないので書類はすぐに見つかった。
リットの記憶の通り、注文書にはコニーの名前が書かれている。その他には、ブラインド村。街灯ランプ七十二個と書かれていた。小さい村なのに、街灯が七十二本。ずいぶん明るく照らすのだと不思議に思っていたことも思い出した。
注文書を抜き取って売り場へと戻ると、リットの椅子はまたもやノーラの手によって客の元へと移動していた。リットは注文書をコニーに見えるようにカウンターに置いた。
「確かにうちで作ったランプらしいな」
「そうだろう。どうにかしてくれ」
コニーはもう逃げられないぞといった風に、リットの顔を真っ直ぐに見て言った。
「どうしろと言われてもな。オレにはそんな技術はないぞ。街灯が動きまわるなんて、普通はありえないことだろ」
「そのありえないことが起こっているから困ってるんだ……」
急に老けたように、コニーはがくりと肩を落とす。
西日がランプに反射してコニーの顔を照らすと、陰鬱な表情が強調された。
「悪いが力になれそうにないな」
リットがそう言ったきり重い時間が流れ出した。
静寂が騒ぐ中、耳によく届く呼吸の音が、むかつきのような、吐き気のような不快感を下腹部辺りに植え付ける。
無言の空間にたまらなくなったチルカは、少し声を張り上げて言った。
「村人に嫌がらせする街灯なんて。アンタの嫌味な性格がランプにも感染ったのね」
チルカはリットが言い返してくるので場の空気が戻ると思っていたのだが、リットはチルカを一度見ただけで、カウンターの木目を凝視するように視線を移した。
ノーラもローレンもそれは同じで、軽々しく口を開けないほど、コニーという男は気落ちしている。
いつの間にか、部屋から出るに出られない雰囲気になっていた。
コニーも帰る気配はなく、うつむいたまま「先月親父が死んだ」と、ぽつりぽつりと語り始めた。
コニーのフルネームは『コニー・ブラインド』、ブラインドという姓のとおり村長の息子だ。
その親父が死んだということは、コニーが後を継ぐことになる。初仕事は村人の不満の解消だった。つまり今回の『徘徊する街灯』のことだ。
今は徘徊するだけだが、いつ襲ってくるかもわからない。
生物なのか、悪魔の仕業なのか、正体不明のモノの徘徊ほど不安を煽るものはなかった。
解決する術はないが、それで納得する村人ではない。藁にもすがる思いで、リットのいる町にやってきたのだった。
コニーは話し終えるまで一度も顔を上げることはなかった。
「いっそのこと街灯を取り除いたらどうだ?」
リットがそう言うと、ようやくコニーは顔を上げた。
「……それは出来ない。光がないと生活が出来ない」
「早起きして仕事をして、夜は早く寝ればいいだろ。村長なんだから条例くらい出せるだろう」
「朝でも街灯の光は必要になっている。……闇に呑まれているんだ」
「闇に呑まれるねぇ……」
皆が思い思いに相槌を打つ中、チルカだけがなにかわからないという顔をしている。
「なによ、闇に呑まれるって」
「数年くらい前から、太陽の光が届かなくなる地域があるんだとよ」
「ふーん。私みたいな妖精にとっては嫌な話ね」
チルカのいたリゼーネ近辺の迷いの森も暗かったが、暗いと闇では全く違う。もし、妖精やエルフがいる森が闇に呑まれたら、人間よりも早く絶滅するだろう。
「ブラインド村は山向こうにある村だろ。闇に呑まれてたとしたら、この町でもうわさ話が広がってるはずだがな」
「でも、この数週間。一度もあの村で太陽の光を見ていないんだ。闇に呑まれる兆候としか思えない」
「そりゃ、街灯がどうのこうのより、さっさと別の地域に移り住んだほうがいいだろ」
リットは簡単にそう言ったものの、村一つが移り住むというのは難しいことだった。
周りは山に囲まれているので、村の老人達を連れて、村ごと引っ越すことは容易ではない。
だから移民というのは最終手段だ。なりたての若い村長には、簡単に決断できるものではなかった。
「旦那ァ。助けてあげましょうよォ」
コニーを不憫に思ったのか、ノーラがリットの腕を掴み、振り子のように振りながら言った。
「だから言っただろ。オレにはどうにも出来ねぇって」
「行って見てみないことにはわかりませんって。商売人たるものアフターサービスもしっかりしなくちゃ」
「オマエに商売人のなにがわかるんだよ。それらしいことを一つもしてないだろ」
「それを私に教える為にも行きましょうって。なにがそんなに嫌なんスかァ?」
「遠いから」
「そんなしょーもない理由で……。行きましょうよォ。ここで立ち上がってこその旦那ですぜ」
「リゼーネと違って山を越えないといけないんだぞ。……オマエはなんでそんなに行きたがってるんだ?」
ノーラは、リットの問に答えなかった。その代わりコニーの肩に手をつくと笑顔を浮かべる。
「安心してください。その依頼はしっかり受け取りました! ノボーンと解決するんで、大船に乗った気でいてくだせェ」
「おい! なにを勝手なこと――」
「そうだね。僕もいるから安心していいよ」
ローレンはノーラが手をついている肩の反対の肩に手を置いた。
コニーはノーラとローレンの顔をそれぞれ見渡す。神様にでも出会ったかのように瞳の奥が大きく開いて、希望の光を目に映しているようだった。
「「僕もいるから」ってのはなんだ?」
「キミからは女の匂いがするからね。リットについて行けば新しい出会いがあると確信したんだよ」
「気持ち悪いこと言うんじゃねぇよ。オマエがついてくる理由なんて一つもないだろうが」
「いいかいリット。僕がこのままこの町にいたら……サンドラに殺される」
ローレンは恐ろしく真剣な顔つきだった。唇にも瞳にも頬にも笑みの欠片さえ見せていない。
サンドラと話し合いで仲違いを解決するつもりはなく、ほとぼりが冷めるまで姿をくらますつもりだというのがありありと見えている。
「そんなに姿を隠したいなら、裏庭に埋めてやるよ」
「キミのところの汚い庭は僕には似合わないね。山道も同じくらい汚いけど、しょうがなく我慢するよ」
「あれはノーラが勝手に言ったことだ。オレは行くつもりはねぇよ。――というわけで、悪いが他をあたってくれ」
リットが視線を向けると、既にコニーの姿はなかった。
扉に付けられた鈴が音もなく小さく揺れている。
「もう帰りましたよ。別の仕事もあるから、急ぐらしいっス」
「それじゃ、僕も帰るかな。行くときはちゃんと知らせてくれたまえ」
ローレンは扉を開けると、注意深く辺りを見回して、サンドラがいないことを確認してから出て行った。
「……どいつもこいつも好き勝手なことばっかり言いやがって」
「本当っスね。旦那の心中お察ししますよ」
「オマエが筆頭だろうが」
「まぁまぁ。はいこれ。なるべく早く来てくれって言ってましたよ」
ノーラはコニーから受け取った、村への地図をリットに渡す。地図は注文書の裏に手書きで書かれていた。
その内容を見てリットは目を見開いた。
「おいおい……。ヨルムウトルの近くじゃねぇか……」
ヨルムウトルとは魔宝石で発展し、ウィッチーズカーズで滅びた国。
テスカガンドと違って、ウィッチーズカーズの効果は切れたと聞いているが、あまり進んで近寄りたい場所ではなかった。
「大丈夫大丈夫。さっ旅行の準備をしましょう。今日はもう店じまいっスね」
ノーラは鼻歌交じりで歩くと、店のドアの鍵を閉めた。
「おいノーラ。この間のことで味を占めたらしいが、前回はエミリアの屋敷に泊まれた事自体が特別なことなんだ。今回みたいな小さな村に行く場合は、オレが作る飯より不味いもんを食うことになる可能性が大きいぞ」
「……行くのやめましょうか。先月リゼーネに行ったばかりですし」
「安心しろ。軽はずみに仕事を受けるとどうなるかちゃんと教えてやるよ」
準備といってもなにを準備していいものやら。リットは悩んでいた。
徘徊する街灯を止めるには、何をすればいいのか、なにを持っていけばいいのか、なにも考えつかないからだ。
食卓についても唸っているので「旦那ァ。悩むのは後にして、先にご飯食べちゃいましょうよ」と、ノーラは皿にパンを配って食べるように促した。
「そうよ。ご飯の時に辛気臭い顔を見せないでよね」
「ただ飯食らいの癖に、相変わらず態度だけはでかいな」
「妖精が食べる量なんてたかが知れてるんだから、けち臭いこと言ってんじゃないわよ」
「少しはネズミを見習え。あいつらは謙虚に食べ落ちたものだけを巣に持って帰ってるぞ」
「アンタもネズミを見習って、少しは掃除をしたら? せめて部屋の隅の埃くらいどうにかしなさいよ」
住んでいた森から、掃除が行き届いたエミリアの屋敷。チルカは今まで埃のないところにしか居なかったせいか、リットの家の埃が気になるらしい。
「そう言えばチルカはこの家で権力を欲しがってたな。……よしっ、オマエは今日から掃除大臣だ」
「そんな言葉に騙されるわけないでしょ」
「ガキに同じようなことして、洗脳してるくせによく言うよ」
「第一、この体でどうやって掃除しろっていうのよ」
「命令してあのガキにやらせればいいだろ」
「旦那ァ。そんなことしたら、イミルの婆ちゃんにまた説教されますぜェ」
ノーラは口端にパンくずをつけたまま、次のパンを手に取る。
食卓の上にもパンくずがこぼれているが、注意する者はいなかった。
「報酬は金じゃなくて、メイドを一人貰ってくればよかったな」
「いやよ、あの屋敷のメイドは。暴れる奴がいない分、汚くてもこの家のほうがマシね」
「妖精らしく自然がある庭に住めよ」
チルカは、リットに用意された鳥の巣箱を気に入るわけもなく、居間にある食器棚の中に自分の部屋を作っていた。
マッチ箱に藁を敷き詰めてベッドにし、酒瓶のコルクを椅子に、背の低い三脚燭台をテーブルにして使っている。
勝手にリットの服を切って、外から見えないようにカーテンも作っていた。特に水浴びに使うコップ周りは厳重にカーテンが引かれていた。
妖精の白ユリの精油を作るときに使った魔宝石も持ち込んでおり、使い終えた宝石はインテリア。宝石箱はリットが酒のツマミに用意しているナッツや木の実などを溜め込んでいる。
一度ノーラが部屋を一緒に使おうと提案したが、居間の方が妖精の白ユリの光が届くので、こっちのほうが良いと断った。
自分で作った部屋も気に入っているらしく、特に不便はないらしい。
チルカが食器棚に住み着いたせいで、夜になると食器棚の隙間から生活の光が漏れる。
「ほとんどお酒の空き瓶しか置いてなかったんだからいいじゃない。本当は花とかも植えたいんだけどね」
「やめろ。虫がわくだろ」
「まぁ裏庭が近いから、それは勘弁してあげるわ。その代わりコレ」
チルカはリットに紙を渡す。紙には小さい字で色々書かれていた。リットは目を細めながら読み上げる。
「コップに皿。あと、ナイフとフォークと櫛とタオル?」
「買ってきて欲しいものよ。流石にアンタの服で身体を拭きたくないからね。服は要らないわよ。町の女の子から貰ったから」
「そりゃ人形の服だろ。ガキから取り上げるなよ」
「むこうが勝手にくれたのよ」
動かない人形よりも動く人形。そんなわけでチルカは町の女の子から人気があった。
「オマエは、ガキ大将にでもなるつもりか」
リットはテーブルランプの火屋の中に受け取った紙を入れた。
炎は紙を掴み一瞬強く燃え上がり、黒い煙を上げた。
「ちょっと! なにすんのよ!」
「オレが用意する必要がないだろ。自分でやれ自分で」
リットは乱暴にパンを掴むと口に運んだ。小麦の香りが口に広がる。リゼーネで美味いものを食ったが、パンはイミル婆さんのが一番だと改めて思わせた。
「しょうがないわねぇ。あっちの村で使えそうなの探すわよ」
「おいおい、オマエまでついてくるつもりか?」
「当たり前でしょう。私は別にリットの家に住みたいからついてきたわけじゃないのよ。面白そうなことがあるなら、そっちに行くに決まってるじゃない」
「でも、もし本当にブラインド村が闇に呑まれてたら、チルカには危険なんじゃないっスか?」
ノーラの心配をチルカは不敵な笑みで返す。
そして、リットを指差した。
「万が一があっても大丈夫よ。妖精の白ユリのオイルがあるでしょ」
リットは「はぁ……」と重いため息をついた。「持ってくものも決まってないのに、荷物ばかり増えやがる」




