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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(下)

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第十九話

 影に影が重なり、より濃い影を作る薄暗い地下深くの横穴。

 高く狭い天井の葉の隙間。そこから吹き下ろす風が乾きを連れて通り抜けていく。上着を必要とするような肌寒い空間。それより更に寒さを保っている保護ケースの中で、ヨルアカリグサは驚異の成長続けていた。


 成長をする夜のうちに、砂漠に生えているヨルアカリグサを土ごと掘り起こして保護ケースに入れ、夜よりも昼のほうが暗く、夜にだけ月明かりだけが当たる場所に置いた初日。

 周囲の環境の変換にとても敏感なアカリグサが弱るのではないかという心配はあったが、枯れることも腐ることもせず、変わらずの外見を保っていた。

 そして、二日目。変化はすぐに訪れた。それも良い方の変化だ。

 まるで石の隙間に埋まった種から芽吹くように、新たな茎を伸ばして双葉を出したのだ。

 それは、石のような見た目をするヨルアカリグサとは、まったく別の姿だった。

 見た目にも植物だとわかる緑の色の双葉は、夜を越えても石の色に変わることはなく、月を求めるように上を目指して伸びていく。

 一度月の光を浴びたヨルアカリグサは、溜まっていた鬱憤を晴らすかのように止まるこなく成長を続け、あっという間に銀灰色の細く、三日月のような形の本葉を出した。

 三日目になると蕾をつけた。妖精の白ユリのような筒状の蕾でなく丸い蕾だ。

 驚きの成長力はその日のうちに、月明かりの元で花を咲かせた。

 咲きかけのバラの蕾のように花弁が重なり、ロゼット状の青みを帯びた白く丸い花は、水面に映るもう一つの月のように、儚げに一輪だけ頭を垂れていた。

 リットはその姿を愛でることも楽しもこともなく手早く摘み取ると、蒸留器に入れてしまった。

「もう少し観察できれば、なにを媒体にして繁殖するか調べられたんですが……」

 蒸留器越しに、不服そうな視線を送りながらアリアが言った。

「生憎、オレが知りたいのはそこじゃないんでな。さっさと試さねぇと、次に進むことも、諦めることもできねぇ」

 リットは蒸気が立ち昇り始めた、蒸留器をじっと見ている。

「妖精の白ユリのオイルは太陽の光と同じく光りますが……。このヨルアカリグサから月と同じ光りを放つオイルが抽出できたとして、それを合わせて闇に呑まれた中で光るんでしょうか?」

「太陽が昇れば月は沈む。月が昇れば太陽が沈む。二つが同じ力で昇ることはない。ってことは、その二つの光が同じ光量で混ざれば、まったく新しい光ってことだろ?」

「私に聞かれてもわからないですよ。私はランプ屋でも魔女でもないですから」

「オレは夢の中のアンタから、そんなことを聞いたんだけどな」

「夢の中の私ですか?」

「そうだ。まぁ……もうすぐ会えなくなるらしいけどな」

 リットはフラスコを指で軽くつついた。フラスコには、蒸気が冷やされ、ヨルアカリグサの汁が落ち始めていた。

 ここ最近はマニアが顔を出すことがなくなっていた。これはたまたま偶然というわけではなく、キルオが作ったある薬が作用してのことだ。

 最初にヨルアカリグサを抽出した時の失敗作である、枯れ葉からとれる汁は忘却薬の効果があった。

 酔っていたリットは消毒用アルコールをその汁で割って飲んだせいで、その時の記憶がなくなってしまった。

 キルオはその忘却薬の効果を利用し、マニアの部分の記憶だけ消そうと考えた。

 しかし、都合よく今まで蓄積してきたマニアの時の記憶だけ削ることはできない。

 マニアの時にその薬を飲ませて、アリアに記憶の引き継ぎをさせないということだ。そうして、マニアとなって現れる、旦那のヒムを生き返らせるという強い執着心を消し去ろうということだ。

 また完全にマニアが現れないわけではないが、毒草を使った危険な研究も今はずっと影を潜めている。

 リットがアリアの部屋にずっと入り浸れるのも、そのおかげだった。

「そういえば……リットさんとそんな話をしたような……」

 アリアは忘却薬を飲む前の、まだマニアと共有していた時の記憶を引きずり出そうと、頭を悩ませる。

 しばらくして「あぁ、そうです。品種改良をする時も、そうしてありえないものを組み合わせることもある。と、言おうとしたらリットさんが部屋を出ていったんでした」と一人で納得した。

「まぁ、今大事なのはそこじゃねぇ。ちゃんと育ったヨルアカリグサから、オイルが取れるかどうかだ。……あれはちゃんと育ったんだよな?」

 リットが心配そうに聞くと、アリアはそれをなごませるように優しく、ゆっくりとうなずいた。

「はい、育ってると思いますよ。おそらく今までは休眠状態だったんです。私個人として気になることは、茎が伸びることですね。あの石のような見た目の葉とは、まったく外見が違う葉が出ていますから。つくしとスギナで胞子茎と栄養茎と分かれているように、ヨルアカリグサも二種の地上茎が生えるのかもしれませんね。やはり、初めての姿を見ると心が踊りますね」

 アリアは高揚した口調とは反対に、リットは不安気な表情を浮かべていた。

「オレの個人的興味は、その新しい茎から葉が出る時に、光らなかったってことだけどな……」

 リットは視線をアリアからフラスコに移した。管の先から、ぽとり、ぽとりと焦らすように雫が落ち始めているが、今のところオイルが浮いてる気配はない。

 根から花まですべて蒸留器に入れているので、根、茎、葉、花のどれかにオイルが含まれているのなら抽出されるはずだった。

 今のところは、抽出された芳香蒸留水に花の匂いが混ざっているだけだ。

「暗い場所で育てましたからね。日光が必要なのか、寒暖差が必要なのか。でも……それですと、砂漠に生えている状態と変わらないですね。ですが、姿かたちが変化したということは、植物の体内でも何かしらの変化があるということですから、気長に様子を見ることが大事ですよ」

「気長ね……」

 これ以上待つのはうんざりだとため息をつくリットに、アリアは優しく微笑む。

「植物の成長を待つというのは、愛を確かめ合うようなものですよ。焦らされ、気付き、見つめ、長い時間を掛けて少しだけ理解する。それを繰り返して、ようやく名前以外のものを知るんです」

「そうか? 金を払えばすぐだぞ」

 リットの言葉を聞いたアリアは、ひとしきりクスクスと喉を鳴らして笑ったあと「本当にそう思ってる人は、わざわざ場をかき回すような発言はしませんよ」と言って、またクスクスと続きを笑い始めた。

「理解してもらってありがたいもんだ……。いつの間にオレはアンタと愛を確かめあったんだ? ベッドを共にした覚えはねぇぞ」

「言葉による伝達行為の中でも、皮肉というのは理解の隣にあるものですから」

「持って回った言い回しで煙に巻くのはオレの特技だ。真似するなら金をせびるぞ」

 リットは話を打ち切るように、視線を逸した。その時、フラスコの中である変化が起こっていた。

 抽出された液体に層ができている。オイルが抽出されたのなら、水より軽いオイルの層が上にできるが、フラスコの底に新たな層ができていた。

 それが結晶ということにはすぐに気付いたが、なにが結晶化されたのかはわからない。

 リットがランプの光を近付けて確認しようとすると、産声をあげるように一瞬だけ結晶が強く光った。

 リット達がその光に目をくらまされている数秒の間に、結晶は星屑のようなまばらな輝きに弱まり、すぐにその光を消してしまった。



 数カ月後。リット達はバーロホールがあるボロス大渓谷に向かって、荒野を馬車で走っていた。

 バーロホールには馬車を停める場所がないので、エミリアから借りた馬車は荒野の町ホニーサイドに預け、そこから御者を雇い別の馬車に乗り換えたのだが、ちょうど雨季の重々しい雨雲が通り過ぎたばかりらしく、まだ残るぬかるみと、乾いた固まり始めた土が混ざった厄介な道になっていた。

 馬が泥に足を取られるせいもあるが、なにより馬車の車輪がはまりこむせいで、そのたびにいちいちロープを使って引き出したり、泥の坂に板を敷いたりしなければ進めないため、とてもじゃないが前を向いている暇がなかった。

 バーロホールが目の前だと気付いたのは、雨季の大雨で増水した川が怒るような唸り声を上げて流れているのが聞こえたからだ。

 吊橋にさしかかった時だ。バーロホールの入り口から、空気を貫く音がロープを引き連れて川に落ちていった。

 ついで、ドワーフとゴブリンの野太い掛け声が呼吸を合わせて、交互にこだまする。

 リット達がバーロホールの入り口へと続く下の吊橋についた頃には、引き上げられたばかりの大蛇のように太くて長い魚がしめられているところだった。

 何人かはリットたちの姿に気付いたが、声を掛ける前に絡まないようにロープをまとめ、次の魚を狙うためにバリスタのセットを始めた。

 バリスタからロープ付きの太い矢が発射されると「おぉ! やんややんやっス」という、久しく聞いてない声がリットの耳に届いた。

 リットが声を掛けるより早く、崖下を覗き込んでいたノーラが顔を上げて、近付いてきたリットに向けて手を振った。

「おんやぁ、旦那じゃないっスかァ。おかえりなさい。まさか一年以上も顔を見ないとは思いませんでしたよォ。それにしても……私じゃなければ気付きませんね。イメチェンして髭を伸ばした旦那には」

「髭ね……。オレには、誰かが手を振った瞬間に飛んできた泥が顔についただけにしか思えねぇな」

 リットは顔の泥を拭うと、ポケットに手を入れた。

 それを見たノーラは、満面の笑みを浮かべながら泥で汚れた手のひらを差し出した。

「なにやってんだ?」

「こういう時は、やっぱりお土産があるぞ。とか言うものかなァと思いまして」

 リットは「土産ね……」とつぶやくと、魚が引き上げられるのを興味深そうに見ているチルカを掴んで、ノーラの手のひらに置いた。

「ほら、土産だ。こういう時は、やっぱりつまらないものだけどな。って言うもんか?」

 リットが言った瞬間、チルカは体についた泥をリットの顔に向かって飛ばした。

「なーにが! つまらないものよ! 私の体が泥まみれになったじゃないの!」

「もう手はさんざっぱら汚してきてるだろ」

「面汚しのアンタには言われたくないわよ! まったく……」と何の気なしに体についた泥を嗅いだチルカは、不快に顔をしかめた。「くさっ! なによこの酷いにおい……」

「たぶんダーレガトル・ガーという魚の血の匂いかと。雨季で増水した川を泳ぐ魚です。濁った水の中を泳ぐからなのか、血も身もあまりいい匂いはしないんですよね……。でも、味は保証しますよ」

 ドリーはただ魚の説明しただけなのだが、それが大声を出して騒ぐようなことではないとでも窘められたような気がして、チルカの癇に障った。

「まず……先に……自分の命の保証がどうなるか心配したほうがいいわよ」

 チルカが羽を光らせてキツイ顔で睨むと、ドリーはたじろいでリットの背中に隠れた。

 しかし、標的が変わったのなら楽だと、ドリーの首根っこを掴んでチルカに差し出した。

「殊勝な心がけね。アンタに返す恨みは、後回しにしてあげるわよ」

 チルカはそう言い残すと、バーロホールの穴に逃げ込んだドリーを追いかけていった。

 リットは特にそれを目で追うことなく、ノーラに話しかけた。

「なに笑ってんだ?」

「いやー、旦那とチルカのやり取りも、いつもどおりだと思いましてねェ。懐かしいなァ……という感慨深い笑みっスよ。そういう笑みに見えませんでしたァ?」

「オレはドリーから魚が美味いって聞いて、こぼれた笑みだと思ってたぞ」

「わかってるなら聞かないでくださいよ。まぁ、と言っても、旦那が出ていってすぐに雨季に入りましたから、前にも食べたんスけどね」

 ノーラのお気楽な笑みにつられるように、リットも口の端を緩ませた。

「相変わらず心配事はなさそうだな」

「心配でもしてほしかったんスか? 旦那のことは心配してませんよ。旦那は旦那のまま、帰ってくるってわかってますから。まさか、お酒を取りに戻るだけなのに、こんなに時間がかかるとは思いませんでしたけど」

「いろいろあって砂漠まで行ってたからな」

 そう言うとリットは、白い結晶が詰まった小瓶をノーラの手に置いた。

「おぉ、お土産っスか?」ノーラはむむっと眉を寄せて、考えた風の顔を浮かべると「なるほど……かの有名なお菓子にも使われる砂漠の砂っスね」

「あん? 食うつもりでいるのか?」

「そりゃもう。アマズナ砂漠といえば食通の間じゃ有の名ですから」

「オレが行ってたのは、ラット・バック砂漠だぞ」

「まさか……ネズミのフンってオチじゃないっスよね?」

「これは妖精の白ユリのオイルと似たようなもんだ。……だから力を貸せ」

 リットはノーラの手から小瓶を取ると、再びポケットの中にしまった。

「おんやぁ、珍しいっスね」

「いつも手伝わせてるだろ」

「手を貸せと言われることはあっても、力を貸せなんて言われたことないっスよ。本当に私でいいんスか?」

 ノーラはどうなっても知りませんよといった表情を浮かべてから、おどけるように小さく肩をすくめてみせた。

「火の扱いにはなれたか?」

「ぜんぜんっス」

「ってことは、鍋は焦がしたか?」

「焦がすどころか、うちの鍋は溶けて穴が空いて全部作り直しっスよ」

「ということは、ポンコツのままだろ」

「そりゃもう。ビダっとポンコツのままでさァ」

 ノーラがまるで誇るように自信満々に言うと、リットはそれを肯定するようにノーラの肩に手を置いた。

「よし、オマエが最適だ」

「もう、バキョっとまかせてくださいな」ノーラは任せろと調子よく胸を叩くと、今度は訝しげに眉をひそめた。「さてさて……もう一回聞きますけど、本当に私でいいんスかァ?」

「そうだ。ノーラ、オマエじゃなきゃできないことだ」






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