第十八話
ドリーは苦しげに眉間にしわを寄せて、コンコンという乾いた咳を響かせた。しかし、その咳のせいで舞い上がった埃が再び喉を襲った。
シャツの首元を引っ張り鼻まで覆っているがまったく意味がなく、わずかにできた隙間だけを狙うように埃が口へ流れ込んでくる。
長年放置されていた埃は、風に生命を吹き込まれたかのように、部屋中を縦横無尽に飛び回る。
連鎖するように、今度はリットが咳き込んだ。
隣でキルオが大きな箱を動かしたせいだ。大きな誇りの塊が喉に張り付き、異物を取り除こうと喉がうなりあげた。
そんな二人の咳のことはおかまいなしに、キルオが「おお!」と、見てみろと言わんばかりに声を高くした。
「何年も昔に保管していた種が発芽してる。植物の生命力にはまいるな」と言ったところで、表情を曇らせた。「地下水の流れが変わったのか……湿気が増えたせいだろうな。そのうち保管場所を変えなければいかんな。落ちて根付いたら大変だ」
「種一つでもですか?」
ドリーは咳のせいで、大きな目に溜まった涙を拭きこすりながら言った。
「そうだ。植物の根が土に亀裂を作り、床が崩れてしまうこともある。種が一つ落ちただけでも、制御不能にまで繁殖する植物の種も保管してあるからな……。おお! こんなのも出てきたぞ」
キルオは錆びたジョウロをドリーに投げ渡した。
ジョウロは鉄製で、落とさないように慌てて受け取ったドリーは、その重みでバランスを崩しそうになってしまった。なんとか体勢を立て直したが、錆びてザラザラになった表面の爬虫類の肌のような気持ち悪さに、結局手を離して床に落としてしまった。
「すいません!」
ドリーは慌てて謝ったが、キルオは気にした様子どころか、気付いた様子もなく、懐かしさに目を細めていた。
「戦場にしか咲かない。と言われていたチグソという植物の花を咲かせる時に使っていたジョウロだ。成長に鉄錆が必要という珍しい植物でな。戦争中は死体と一緒に落ちていた鎧や兜の周りによく咲いていたんだ。普通は一日だけ咲いて枯れるが、錆びたジョウロを使うことで長く花を楽しめるわけだ」
ドリーはもう一度キルオに謝ってから、「世の中には珍しい植物がいっぱいあるんですね」と感心した。
「珍しいといえば、やはり浮遊大陸の植物だろう。あの大陸の土と気候はなかなか再現ができない。特に――」
まだ話を続ける予定だったキルオだが、それは自分の咳によって中断されてしまった。
リットが箱に積もった埃をキルオに向かって払ったせいだ。
「そこまで思い出したなら、今なにを探してるかも思い出してくれ。埃を食いに来てんじゃねぇんだぞ……」
キルオはハサミを顎に当てて悩んでから「そうだ。保護ケースを探しているんだったな」とジョウロを再び棚にしまった。
「だいたい、なんだこのガラクタの量は。こんなものなにに使うんだよ」
リットはただ黒く塗られているだけの細い板を乱暴に床におろした。
「今のリットと同じだ。未知の植物を育てたり調べる時は手探り状態だからな。一度きりしか使ってないものも多い。その板は……なにに使ったんだったか……。補強か?」
「使い道なんて聞いてねぇよ」
「いや、聞いていたぞ。なにに使うんだと聞かれたはずだ」
「ついでに倉庫整理を手伝わせるなって意味だ。こっちはその保護ケースがどんな形をして、どんな大きさをしてるのかもしらねぇんだぞ」
「奇遇だな。オレもだ。どんなものかすっかり忘れてしまった。なんせ一度しか使っていないし、保護ケースよりも、中に入っていた浮遊大陸の植物ばかりに目を奪われていたからな」
キルオは二本のハサミと尾を使い、次々と棚の上にある重い箱を器用におろしていく。
リットとドリーは箱の蓋を空けて中身を確認するが、それらしきものは見当たらない。せめて大きさがわかれば見当がつくのだが、それができないため、こうして一つ一つ確認するしかなかった。
手際が悪いのか、運が悪いのか、キルオが「これだ」と確信を持って言ったのは最後に棚から下ろした箱だ。
「そりゃそうだろ……。最後の箱の中に入ってなかったら、もうここには保護ケースがねぇってことだからな……」
リットは適当な箱の上に腰掛けて、疲れたと背中を丸めていた。探しものをするためにずっとかがんでいたせいだけではなく、咳疲れも立ち上がる気力を奪っていた。
「探していたわりには感動のご対面という雰囲気ではないな。……まぁいい、とりあえず箱を開けるぞ」
キルオは息を吹きかけて表面のホコリを飛ばすと、箱の蓋を空けた。
箱の中には布に包まれたガラスが何枚も入っていた。三角形と四角形。それも大きさは様々で、同じものは一つもなかった。
「これが保護ケースなんですか?」
ドリーが大きな瞳を懐疑的に細めると、キルオも困ったように目を細めて、尻尾の先で頭をかいた。
箱を一度床に置き、ガラスをすべて取り出すと、底から板留めの金属が入った袋が出てきた。
「そうだ、これだ。ほら、留め具に魔宝石をはめる台座がついているだろう。保護ケースがどんなものか、完璧に思い出したぞ」
「ということは……今度は板を探さないといけないのでは?」
というドリーの心配に、キルオは「問題ない。さっきリットが黒い板を見つけていただろ? あれだ」とリットを見るが、リットとキルオの視線が交わることはなかった。
リットは無視をするために視線をそらしたわけではなく、出しっぱなしになって積まれた箱の山を見ていた。
「……今度はここから板を探せってのか?」
「そういうことになるな。だが、考え方によってはラッキーだぞ。オレは一人で片付けをしなくて済むからな」
キルオは尻尾の先の針をリットの襟元に引っ掛けて無理やり立たせると、手近にある箱を押し付けた。
引っ張り出したものを棚に戻し終えると、三人は埃に侵食された部屋を後にした。
ガラスと金具が入った箱と黒い板を、明るいところまで持っていって広げるが、そこで三人共動きが止まった。
同時に浮かび上がった疑問をいち早く言葉にしたのはドリーだ。
「これは……どう使うんですか?」
「板に溝があるだろ? ここにガラスをはめて、頂点を金具で繋いでいくんだ」
そう説明したものの、キルオは板を持ったまま固まっている。
「もしかして、組み立て方を忘れたんじゃねぇだろうな……。完璧に思い出したって言わなかったか?」
リットも試しに木の板を持つが、どれとどれが繋がるかまったくわからなかった。ガラスと同じように長さがバラバラだからだ。
「バカを言うな。組み立て方はわかる。どの形に組み立てればいいかがわからないだけだ。一つ一つ試してみるしかないな」
「そういうのは思い出してねぇって言うんだよ……。体を使った後は、頭も使わせる気か? 何通り試せばいいと思ってんだ……」
「三人もいるだろ。なら単純に割る三だ。お喋りをしながらだとすぐに終わる。なんなら、男三人。腹を割って話そうじゃないか」
「できることなら、腹じゃなくて頭をかち割りたいところだ……」
それから、結局日が暮れることになっても、保護ケースの形になることはなかった。
三人ともすっかり諦めて、焚き火にあたっているところに、鼻歌交じりのチルカが戻ってくるが、三人の姿を見ると鼻歌を止めた。
「アンタ達一体なにやってたのよ……。正常な皮膚がちょっとだけ見えちゃってるわよ」
汗に埃がくっついた三人の姿は、チルカが顔をしかめるに充分すぎるものだった。
「オマエこそなにやってたんだよ。さんざん口を出すとか言っておいて、探しものをするってなったらどこか行きやがって……」
「そうなるのがわかってたから逃げたのよ。そっちこそ、火にあたってまったりしてるけど、ちゃんと見つけてきたんでしょうね」
リット達が埃と戦いながら苦労して探し出してきたものは、チルカから見ると薪にしか思えなかった。焚き火の近くに無造作に置いてあるので、なおさらのことだった。
「いいか……これはな。砂漠に一本だけ生えるペンペン草から真っ直ぐ東に歩き、そこにある男をいたぶる女の銅像が指差す方角に向かい砂漠を抜けて、そこいる猫の顔をしたカメにまたがり海へ出て、中年のおっさんのような出腹の形をした島に上陸し、そこに住んでるじいさんのくしゃみで飛んだ鼻水で育った木から削り出した。それはそれはありがたい木の板なんだぞ」
「なら、このガラスはその家からかっぱらってきたってわけね」
「今言ったのは、嘘に決まってんだろ」
「そんなのわかってるわよ。わけのわからない作り話に、いちいちまともに相手なんかしてらんないわよ」
「それが保護ケースになるらしいんですけど、肝心の組み立て方がわからないんですよ……」
ドリーの言葉を聞いて一通り保護ケースの部品を眺めた見た後、チルカは興味があるのかないのかわからないトーンでふーんと言った。
そして、木の板の上に乗るとすこしゆっくりめに数歩歩き、次の板に飛び移った。そこでも同じように数歩歩く。それを何枚か繰り返しすと「なるほどね……」と呟いた。
「アンタ達じゃわからないでしょうね。バカな男が三人集まったって、賢くなるわけじゃないんだもん」
「言っとくけどな。バカがもう一人増えても変わんねぇぞ」
チルカはリットに向けて嫌味に鼻で笑うと、三つの木の板を順に飛んで踏みつけた。
「これと、これと……これよ」
ドリーはチルカが足で指し示した三つの木の板を組み合わせて三角形を作ると、それに合う大きさのガラスをはめた。
ピタリと合わったので、ドリーは思わずリットの方を見た。
「それくらいならできんだよ。問題はそのあとにどれとどれが繋がるかだ」
リット達も似たような木の板を枠組みにして図形を作ることはできたが、その後が続かなかった。ガラスが余ったり、木の板が余ったり、留め具が余ったりと、正解の形にたどり着くことはできなかった。
「疑り深いわねぇ……。その下は、これと……これと……これね」
チルカの言うとおりに繋げると、四角形が出来た。二つの図形が合わさる枠の頂点に、ピタリとはまる留め具もある。
チルカは口からでまかせで、木の板を選んでいるわけではなかった。
「すごいですね……なんでわかるんですか?」
感心に大きな目を更に大きく見開くドリーに、チルカは得意気に両手を腰に当てた。
「魔宝石を利用した保護ケースなんだから、木の板に残った魔力の流れた痕を辿れば簡単よ。他のバカ二人はともかく、大バカのアンタが気付かないなんて意外ね」
チルカはわざわざリットの元まで飛んでいって、無礼を詫びれとでも言いたげに、目の前でふんぞり返った。
「木に魔力が流れるなんてわかるわけねぇだろ」
「アンタ、オークのところまで行ってたじゃない。下品な魔力が籠もった木を取りに」
「ヒッティング・ウッドか……。ってことは、この木の板が魔法陣の代わりになるってことか? いくら紙の材料なるっていったって木だぞ?」
「それは知らないわよ。私は魔女じゃないんだから。でも、グリザベルが似たようなこと説明してたじゃない」
最初チルカがなにを言ってるかわからなかったリットだが、チルカの言うとおりに繋げて、角が出来た枠組みを見てあることを思い出した。
平面ではなく、立体的に魔法陣を書くという『重層魔法陣』のことだ。
ディアナにあった大鏡は宝石の反射を利用して作られたものだが、この保護ケースは魔力を通しやすい黒という色で塗られた木の板で繋げられているということだ。
「わかったなら、ささっと私の言うとおりに繋げなさいよ。頭が良いほうは指示を出す。頭の悪い方は手を動かす。気分が良いったらないわね」
チルカは珍しくリットの頭の上に座ると、両手にそれぞれ髪を掴み、馬の手綱のように引っ張って指示を出す。
「オマエ……覚えてろよ……」
「アンタこそ、今覚えなさいよ。この中で魔力のことがわかる種族は私しかいないってことを」チルカはニヤニヤ笑うと、右手を引っ張って「そっちじゃないわよ。短いほうの板よ。少し考えればわかるでしょ」と命令する。
チルカの言うとおり、魔力を感じられるのは妖精のチルカしかいないため、リットはそれに従うしかなかった。
チルカの言う通り組み立て終えると、底がないケースが二つできた。
「そうだ! この形だ! 今度こそ完璧に思い出したぞ――」
キルオは底がない面同士を合わせる。
すると、どの角度から見ても、奥行きと合わせると木の板が五芒星となって繋がっている。なんとも形容しがたい形の保護ケースが完成した。
「――あとは、この留め具の台座に魔宝石をはめればいいだけだ。温度を合わせるだけなら、どの台座にハメてもいいはずだ。砂漠から森へ持っていく場合などは、もっと多くの種類の魔宝石が必要で、台座にハメる組み合わせも複雑になるがな。いやー、完成品を見ると懐かしさもひとしおだな。実は、一度天望の木から落としそうになってな」
キルオがドリーに向かって昔話を始めると、チルカはリットの頭をおりて、目の前まで飛んできた。
「それで、私になにか言うことあるんじゃないの?」
「ありがとな」
「なによ。素直じゃない」
「前にも言っただろ。助かった時は礼くらい言うって」
「ふーん……」と首を傾げて、どこか面白くなさそうな表情を浮かべるチルカは、前触れもなくリットの手によって叩き落とされた。
地面に張り付くように落とされたチルカは立ち上がると、土にまみれた顔を拭くことなく、一目散にリットに詰め寄った。
「なにすんのよ! これが今お礼を言ったばかりの相手にすること?」
「礼はさっきの言葉で済んだだろ。こっちはお礼参りだ。これも前に言っただろ。借りは返すって」




