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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(下)

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第十七話

 魔宝石を使って凍らせたヨルアカリグサは、砂でできた彫刻のように、指先で軽く触れただけで細かく砕けてしまった。

 それを見て「あーあ」と落胆と嘲笑を混ぜた声を上げたのはチルカだ。

 浜辺の砂で遊ぶように、ヨルアカリグサの残骸を蹴り上げている。

 軽やかに蹴り上げられたヨルアカリグサの残骸は、空気に温められると、重そうなベチャっという音を立てて机に落ちてきた。

 リットはそれを指で床に弾き落とした。

 アリアはその行方を目で追い、書きかけの資料に当たらないのを見届けると、視線をリットに戻した。

「どうしたかったんですか? 見ていたところ、とりあえず凍らせていたようにしか思えませんでしたけど」

 アリアは机で溶けたヨルアカリグサの汁を人差し指ですくうと、親指とこすり合わせて粘度を確かめたり、匂いを嗅いでみたりするが、蒸留器で抽出したときのような草の汁の匂いがするだけだった。

「そうだ。思いついたまま凍らせてみたんだ。それともなんだ? ものすごい考えが浮かんでるようにでも見えたか? なら簡単だ。答えは一つ。メガネを買いに行けよ」

 リットは失敗した証拠を消すために、残りの残骸を手で払って床に落とした。

 チルカは「アンタねぇ……」と呆れながら、キレイになったばかりの机に降り立った。「植物っていうのは丈夫だけど繊細なのよ。急に凍るまで周囲の気温を変えられたのに、枯れないわけがないでしょう」

「そうですよ」とアリアが同意する。「植物の体内には水分があるので、寒い地域の植物はどこかしら氷ができます。なので問題がない場合もありますが、場所によっては氷の結晶が出来ては生きていけないところもあるんですよ。氷の結晶というのはとても鋭利なものなので、急に凍らせたせいで光袋が傷付けられてしまったのでしょうね」

 リットの左耳からはアリアの声、右耳からは「そうよ。アンタ、なんで冬の野菜が甘くなるか知らないの?」というチルカの声が聞こえている。

「植物のくせに、冬を生き抜こうという甘い考えを持ってるからだろ」

 ヤケ気味に言うリットの目の前に、静かにコップが二つ置かれた。

 片方は砂糖を溶かした水が入ったコップで、もう片方はただの水が入ってるコップだ。

 アリアはその二つを、まだ効果が残っている魔宝石に近付けた。

「植物は冬の寒さに耐え抜くために、凍らないためにいろいろな物質を増やします。その一つが糖分なんですよ。葉や根に含まれる水分に糖が多く溶け込めば、それだけ凍りにくくなるんです」

 アリアは凍り始めた水の入ったコップと、まだ凍らない砂糖水のコップにそれぞれ指を入れて、自分の言ったことを証明した。

「あのよぉ……誰かになんか意見求めたか? オレが女を抱いてる時も、ジロジロ見てきてあーだこーだケチつけるつもりじゃねぇだろうな」

 リットはだんだん顔を近付けてきているチルカとアリアの二人を、それぞれ左右の手を払って遠ざけた。

 リットの指の隙間を軽やかに縫うように飛んだチルカは、元の場所まで戻ってくると鼻で笑った。

「アンタの子作りって実験なわけ?」

「みんなそうだ。子供ができるまでは実験だ。だから男ってのは何歳になっても実験が好きなんだよ。で、なんだ? オマエらは人の実験を見て、夜の妄想に使うのが好きなのか? 違うなら邪魔をすんな」

 リットは犬にお座りとでも命じるように、二人の顔に向かって手で制した。

「私はついでですよ。ヨルアカリグサの研究もしたかったものですから。丁度いい機会です。ただ、まだ続けてる研究がありますから……。なので、口だけ出させてもらいます」

「私はただ黙って命を預けるのが嫌なだけよ。逆の立場だったとしても、私に口を出さないで黙って見てられるの? だいたい貴重な魔宝石を思いつきなんかで使うんじゃないわよ」

「魔宝石なら心配いらねぇよ。なにを思ったのか、グリザベルが箱にぎゅうぎゅうに詰めて送ってきたからな」

 リットは箱を取り出すと振ってみせた。

 振っても中でぶつかる音がしないほど、魔宝石が入っている。

「危なくないですか? 魔宝石の保存用の箱は魔法陣で制御されているはずですけど……。一つの箱にいくつも入っているなんて聞いたことありませんよ」

「心配ないだろ。暇さえあれば、魔法陣とにらめっこしてる変人が作ったもんだからな」

「なんだかんだグリザベルのこと信頼してるのね」

 チルカの言葉に、今度はリットが鼻で笑い返した。

「そりゃそうだろ。オレが知ってる中で一番の魔女だからな」

「アンタ、グリザベル以外に魔女の知り合いなんているの?」

「いないから一番なんだよ。それに魔女は嫌いだ」

 リットはウィッチーズ・マーケットのことを思い出して、不快に眉をしかめた。

 その表情にチルカはなにか言いたそうにニヤリと口の端を吊り上げたが、リットは聞く耳は持たないと、チルカに後頭部を向けるようにして顔を逸らした。

 リットの視線の先には、既に自分の仕事に戻り集中しているアリアが映る。先程まで言葉を発していたのが嘘のように口をつぐみ、相変わらず自分にしか通じないような文章を綴っていた。

 リットが黙ってそれを眺めていると、チルカの長いため息が後ろから聞こえてきた。

「アンタも少しは見習って手を動かしたら?」

「何のためにオマエに後頭部を見せてると思ってんだ。ハゲてるか確認させるためじゃねぇぞ。黙ってろって意味だ」

「そんなこと気にしてるからハゲるのよ。こことか」

 チルカはリットの頭頂部の一部分に小さな手を当てると、手のひらに力を込めてグリグリと押し付けた。

「そこはつむじだ……。オマエこそ少しは為になるような意見を出したらどうだ?」

「さっき邪魔するなって言ったじゃない」

「邪魔じゃなくて、意見を出せって言ってんだよ。なんかないのか? 妖精しか知らないような役立つ情報は。金持ちの家の鍵の開け方を知ってたりとか」

「そんなの知ってれば、見てくれだけが立派で、中は汚いアンタの家になんていないわよ。そうねぇ……」チルカはゆっくり机に降り立つと、散歩でもするようにうろうろ歩いてから、積まれてある手近な本に座った。「ないわね。妖精の白ユリは、もうアンタの家の森に生えちゃってるし……。不味い妖精の白ユリのオイルを、冬にどう食べてたかは?」

 チルカは足をぶらぶらさせながら、寝ている旅人や行商人の耳元でささやき夢に見せるという、妖精の噂を広げる方法。馬のたてがみを結んだり、目を離したスキに焚き火で作っている途中のスープに木の実を入れて勝手に味を変えて、遠まわしに妖精の存在を知らせる方法を言うが、リットにとってはどれも必要のない情報だった。

「それを教えられてどうすりゃいいんだよ。だいたいよ。出会った時に結んだのは、馬のたてがみじゃなくてオレの髪じゃねぇか」

「アンタ、馬なんて乗ってないじゃない。乗ってたとしても、馬のたてがみのことなんて気にもとめないし、元からスープも不味いし、寝てる間に耳元でささやいても、どうせ酔いの幻聴だと思って無視でしょ。……アンタ、妖精から見たら最高につまらない人間ね」

 チルカは膝に肘をついて前かがみになると、うんざりといったため息をついた。

「んな妖精のことなんてどうでもいいんだよ」

「だから不思議なのよ。そんなアンタが、よく妖精の噂を信じて迷いの森になんて来たわね」

 リットは答えようかどうしようかと狭い範囲で視線をさまよわせた後、これから水中に飛び込むかのように大きく深呼吸をした。

「親父の影響だ」

「アンタの父親でヴィクターでしょ。認めたくないけど王様の息子」

「元は冒険者だ。その冒険者時代の仲間の通り道なんだよ。実家の酒場は。親父に会いに行くやつは皆あそこを通る。だから正しくは冒険者の影響だな。飲んだら誰でも自慢話か愚痴だ。新天地への道を開いた、古代文字を見つけた、万病に効く薬草を見つけたとかな」

「子供の頃におとぎ話ばかり聞いて育ったから、大きくなって現実を突きつけられて、そんなにひねくれたのね」

 チルカの言い方はバカにしたものだったが、リットは珍しくそれに気持ちよく笑った。

「確かにおとぎ話だな。八割方は酔って気が大きくなった嘘だからな。でも、噂には元となる真実があるってことは知った。冒険者が酔って必ず口にする愚痴ってなにか知ってるか?」

「酒が足りないから早くもってこーい! とか」

「そりゃ、愚痴じゃなくて文句だ。確かに親の小言より聞いたセリフだがよ。愚痴はな、あの時こんな明かりがあればだ。水に消えない光、ただ一方向に真っ直ぐ伸びる光、火を使えない場所でも照らせる光。冒険者ってのは真っ暗な道を進む者だから、明かりが大切なんだとよ」

「それで変な注文ばかり受けるランプ屋なんてやってるのね」

「それは結果的にだ。実家の酒場で馴染みだった冒険者が、面白がって変な注文を押し付けてきたんだよ。だからこっちは、冒険者が酔って吐露した情報を使って、それを作ってやったのが始まりだ。冒険者ってのは同業者には口は堅いが、真実の自慢話はしたい。じゃあ、その情報はどこに話したくなるか。それはな――酒場で働く奴の耳にだ」

 チルカは力なく肩を落とすと、一冊、二冊、三冊と順に滑るようにお尻を落とし、そのまま机まで落ちると、へたれるように座った。

「アンタと同じようなことやってるなんて、なんだか泣けてくるわ。一気に妖精の格が下がった気分よ……」

「妖精のうわさ話に、景気よく脱ぐ踊り子部屋とか、ワインを酢だと言って安く売るような酒場の情報はねぇだろ。全然別もんだ」

 リットはウィッチーズ・カーズで冷の性質から熱の性質に変わった魔宝石を取ると、アリアが用意した砂糖水が入ったコップの中に入れた。

 ぐつぐつとコップの底から湧き上がる泡が弾けると、砂糖の匂いも弾ける。

 温まった甘い匂いが漂うと、チルカのお腹が可愛くグーと鳴った。

「余計なことするから、お腹が空いてきたじゃない。甘い花の蜜でも取りにいこうかしら」

 チルカが立ち上がってお尻を払ったところで、リットはふと思いついた。

「妖精の白ユリの蜜ってのはなんで不味いんだ? 蜜ってのは甘くないと意味がねぇだろ」

 チルカが「さぁ」と頭をひねる前に、アリアが突然顔を上げて答えた。

「それはアカリグサの光る箇所による問題だと思いますよ。花が咲いて光るということは、リットさん達が言う妖精の白ユリの場合、蜜腺から分泌される蜜に光袋の成分が混ざってるのかも知れません。蜜は花が開くと分泌されますから。考えるに、媒介は妖精の食事ではなく、光を浴びるという行為によるものなので、甘くなる必要がなかったのでしょう」

「じゃあ、妖精を媒介にしないラット・バック砂漠のアカリグサはどうなってんだ?」

「それは調べてみないとわかりませんよ。リンゴだって、アーモンドだってバラ科の植物ですし、同じ種類でも成長の仕方はいろいろあるんですよ」

 リットの「環境に合わないとどうなるんだ?」という当たり前の質問にも、アリアは面倒臭がることなく「枯れるか、生育不良になるでしょう」と答える。

「生育不良だと花は咲かないのか?」

「そうですね。新芽を出すのに栄養を取られて、花芽を出すまで栄養がまわらないことはありますね。植物にも生育期というものがありますから、ですからここも天井の葉の重なりを変えて日差しを調節したり、より深いところに穴をあけて気温を調節したりしてるんですよ。そうして適正温度を確保してるわけです」

「新芽が出るのに、花が咲かないってことは、適した環境にずっとおいてやればいいってことか」

「植物を育てるのに、適した環境を用意するのは大事なことですね。その方が丈夫に育ちますから。でも、どこまでが適さないのかを調べることも大事なことですよ」

 半歩ずつしか進まない二人の問答に、チルカは「だからなんなのよ!」とイライラした様子で言った。

「新芽が出る砂漠の夜の気温でずっと育てたら、ヨルアカリグサも花が咲くんじゃねぇかってことだ。花が咲くほど丈夫に育てば、妖精の白ユリと同じようにオイルが取れるかもしれねぇだろ」

「そうですね……いくつかの自然条件が重ならないと咲かない珍しい花は存在しますが……」

 アリアの歯切れが悪い理由は、日中の砂漠の強い日差しと、夜の砂漠の寒い気温を同時に満たす手段がないからだ。外で育てるなら今と変わりがないし、中で育てるにはどちらかを犠牲にしないといけない。

 しかし、リットには算段があった。

「キルオから聞いたけどよ。持ってんだろ? 浮遊大陸から植物を持ち帰る方法を」

 アリアは少し悩んでから、昔の記憶を引っ張り出して大きくうなずいた。

「保護ケースですね。魔宝石を利用した。それなら夜の気温を作ることは可能です。浮遊大陸とは違って、ラット・バック砂漠の気候は把握済みですし、試すには充分過ぎるほどありますから」アリアは魔宝石に目をやってから、リットに視線を戻した。「面白い考えだと思いますよ」






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