第十一話
二人が湧き水のある横穴に戻ると、チルカが満ち足りた表情で笹のような葉をベッドに寝転がっていた。
リット達の姿を見つけて顔を向けると、その硬くしなる茎から伸びる葉が、ハンモックのように気持ちよさそうに揺れた。
「最近見なかった。しょぼくれた顔が二つ。顔が悪いのは生まれつきなんだから、せめてもう少し景気の良い顔して近付いてきなさいよ」
「すいません……なかなか衝撃的な話を聞いてきたので……」
ドリーは死人を生かそうとすることに奇妙な恐怖を覚えていいのか、悲しみを浮かべていいのかわからず、ただ眉間にシワを寄せるしかなかった。
それがチルカには思わせぶりな表情に見えたので、寝転がっていた葉の茎を思い切りしならせて、ジャンプ台のように勢いをつけて、ドリーの目の前まで飛んでいった。
「なになに、なによ。面白そうな話なら聞かせなさいよ。なんなら、ちょっとくらい作って面白おかしくしてもいいわよ」
ドリーは「植物って――」の後に「怖いんですね」と続けようとしたが、それをかき消すようにリットが言葉を重ねた。
「アリアがオマエと話したいんだとよ」
チルカは錆びた剣を鞘から抜くように、ぎこちない動きでゆっくりとリットに振り返った。そして、火に焚べた松ぼっくりがはじけるように声を荒げた。
「ぜぇーったい! いや! あの女と話すくらいなら、毒草の花畑の中で儚げに死ぬわよ。せっかく外の植物たちと戯れてきたのに、カメムシの臭いみたいに不快な話をするんじゃないわよ」
チルカは歯をむき出しにして、リットに詰め寄った。
「なにが嫌なんだよ。花が好きな同士、話が合うかもしれねぇだろ」
「ひん剥いて、視姦、解剖して、記録をつけるような女よ。寄生虫に蝕まれてとち狂ったって、二人きりになんてなりたくなんてないわよ」
「大げさな。たかが花のことじゃねぇか」
「アンタ、そのたかが花に人生振り回されて、こんなとこまで来てんじゃない。自分を棚に上げて、本当バカね、大バカ以上超大バカ未満のバカよ」
チルカがさらに二つ三つと悪たれ口を続けようとしたところで、カサカサとした足音とともにキルオがやってきた。
「賑やかなのはなによりだが、準備はできたのか? ここみたいに湿度はないから、砂漠の夜は冷えるぞ。用意がないと思って、布を持ってきた。昼は日差しから肌を守り、夜は冷えから体を守る大事なものだ。それに水に……嗜好品もあったほうがいい。慣れない砂漠を歩く時は気分転換しながらがいいからな。多少の不調なら毒を打って誤魔化せるが……致死量というものがあるからな」
キルオはリットとドリーの分の布と大きな皮水筒、よくわからない木の実が入った小袋を地面に広げた。他にも次々と鞄に入れろと、背中に乗せていた荷物を下ろしていく。
「用意がいいんだな」
リットは呆れ顔で言う。
「砂漠で不用意は命取りだからな」
「でも、一つ忘れてるぞ」
「わかってる。ちゃんと説明する。この三日月型の木の実は体を温める効果があってだな、こっちのいかにも硬そうなのは日射病の気付け薬になる」
キルオは両手のハサミの先でそれぞれ木の実をつまむと、それがよく見えるようにリットに向かって差し出した。
「案内は明日って聞いてたはずだけどな。砂漠じゃ時間の進み方が違うのか? この調子じゃ、オレは明日にはじいさんになってるぞ。ついでに杖でも用意してもらおうか」
「……そういえばそういう約束だったな。まぁ、今から出たらちょうど夜になる。ラット・バック砂漠に生えるアカリグサは夜に光るんだ。どうせやることがないんだろ?」
「まぁな。忘れられねぇうちに、行くほうが安心だ」
「そういうことだ。倉庫に入ってる間に、いつの間にか支度をしてしまってな」
「支度を済ませてくれたのはありがてぇけどよ。なんのために倉庫に入ったんだ? 下で別れてから全然時間が経ってねぇだろ」
「まぁた……なにをするのかを忘れた……」
情緒もなくただ熱を落とすだけの砂漠の太陽。
その下では細く深く突き刺さる足跡と、浅い靴跡の二つが線を描いていた。
「ラット・バック砂漠のヨルアカリグサは、風に吹かれてできた砂紋の溝に列になって生えているんだ」
説明をするキルオの短い首の後ろには、小さな馬車幌のように布が膨らんでいる。布の中は枝で柱が立てられ、ハンモックのようにチルカが優雅に揺られていた。
オアシスへの送り迎えもこうしていたらしく、キルオは既に慣れた様子だった。
「そういえば、アカリグサって妖精を媒介にするんじゃなかったの? 砂漠に仲間がいるなんて思えないんだけど」
姿は見せず、布の中からチルカが言った。
「ヨルアカリグサの突然変異だと考えている。だから、研究はまったくしていない。いきなり変種から研究はできないからな。そもそもアカリグサの研究自体進んでいないんだ。森に入って観察と研究を繰り返すとなると、妖精が嫌がるからな」
「そんなの当然よ」
「だから、アリア様と話してもらえると助かるんだが……」
「いやよ。このやり取りはもうバカと一通りやって終わってるの」
チルカににべもなく断られたキルオは、やりきれない顔を浮かべてから、気分を変えるように「そうだ」とハサミを鳴らしてリットを見た。
「なにか聞いておくことはあるか? まだまだ時間が掛かる。慣れない砂漠でただ黙って歩いてると、参ってしまうぞ」
リットは「そうだな……」と考えてから「浮遊大陸の植物を植えてるだろ? どうやって持ち帰ったんだ?」と聞いた。
「あれか? あれは十年以上前になるな。まだヒムが生きていた頃で、ラット・バック砂漠に来る前のことだからな。オレ達は浮遊大陸に行っていたんだ。独自に変異を遂げる植物たち……植物学者にとっては夢の島とも言えるからな。そこで、苗と種の両方を持ち帰ってきた。そして、地上の土に馴染んだのは苗のほうだった。持って帰った種は芽を出さなかったんだ。苗で育てた果実の種からは芽は出るが……なかなか思うように育たなくてな。浮遊大陸のようにみずみずしく育てるのが、当面の目標だ」
「よく、持ち帰れたな。上の植物は、運んでる最中にダメになるって聞いたぞ」
「それだ。もっとも頭を悩ませたのは。浮遊大陸の植物は気候の変化にとても弱い。そこで考えたのが、魔宝石を利用したケースを作って、浮遊大陸の気候のまま持ち帰る作戦だ。高かったぞ……地上にいる魔女に依頼したからな。それも、浮遊大陸の気候がよくわかっていないせいで一か八かだ。その上、失敗しても返金不可だったからな」
キルオは金額を思い出すと、げんなりと肩を落とした。
「なるほどな。魔宝石にはそういう使い方もあるのか。色々応用が利きそうだ」
「おすすめはしないぞ。人ごと街を買えるような値段を吹っかけられたからな」
「よくそんな金があったな」
「払ったとは言ってない。今頃その魔女は、居所を知れないオレ達に呪いでもかけてるだろう」
キルオには悪びれた様子はなかった。むしろ騙された魔女を嘲笑するような言い方だ。
「研究者ってのは、詐欺師って意味なのか?」
「研究資金を募るために、いかに騙すかが重要だからな。わかるか? 研究ってのは、未知のものに触れるということだ。金を出させるのには苦労するものなんだ」
「言っとくけどよ。こっちはジャンプしても、ポケットから金の音は鳴らねぇぞ」
「その格好を見ればわかる。前も言っただろう、リットは友人の息子だ。道案内くらいは無償でする」
キルオに心配するなと背中を叩かれたリットは、居心地が悪そうに頬をかいた。
「いったい親父のなにを気に入ったんだ? そんなに長い付き合いでもないんだろ?」
「一緒にいたら楽しいというのは理由にならないか?」
「女のていのいいフリ文句ならな。だから良いお友達でいましょうってか?」
「楽しいというのは大事なことだぞ。人生は長い坂道を歩くようなもんだが、その坂道の角度が上がったような気分だ。ヴィクター王の死は、それくらいオレの人生に影響がある」
「そういうもんか」
リットにはいまいちピンとこなかった。ヴィクターを否定しているわけではなく、家族以外の死の影響というものにだ。
「ロウソクの火が一つ消えるだけで、家はそうとう暗くなるもんだ。悲しみは複雑だが、楽しさは単純だ。なのに、多くの人は楽しさを作り出す術を知らない。だから楽しさを探し出し、すり寄るんだ。それが物でも人でもな」
「卑しいねぇ……」
「生きるってことは卑しいものだ。特にオレ達みたいに後ろ暗い思いがあると、なおさら眩しく感じる。ヒムも似たところがったあったもんだ」
キルオが寂しげに目を細ませたところで、チルカが煩わしそうに長いため息をついた。
「雲ひとつない砂漠で、なにジメジメとした暗い話をしてんのよ。砂漠にカビでも生やすつもり?」
「カビ臭えほど陰気な話はしてねぇよ。だいたいなんでついてきてんだ。誘った覚えはねぇぞ」
リットが布をデコピンで弾いて揺らすと、チルカは布の隙間から眉をしかめた顔を出した。
「アンタ達がこぞって出て行ったら、結局あの穴の中であの女と二人きりになるじゃない。ちゃんと代わりを置いて来たんだから、今さらあーだこーだケチつけんじゃないわよ」
「ドリーを置いてきたせいで、荷物は全部こっちに回ってきてんだよ」
リットが煩わしげに背負った鞄を揺らす。
「歩いていける距離だから、かなり荷物は少ないはずだぞ。泊まりになると、テントを運ぶだけで一苦労だ。なんせ薄い布だと日差しを通して日射病になってしまうからな」
「それじゃあ、オレの鞄の上で丸まってるこの布はなんなんだよ」
リットはまた背負った鞄を揺らし、鞄と後頭部の間に挟まるように置かれている筒状に丸まった布を揺らした。
「それはただの砂よけのテント布だ。ヨルアカリグサが生えている場所には夕方にはつく。夜まで砂を浴びて待っているのは辛いぞ」
「それはありがてぇ。荷物を分担してくれたら、もっとありがてぇんだけどな」
「その予定だったんだがな」
キルオは申し訳なさそうに肩をすくめた。すると、首に巻いた布が揺れる。その中から「やーよ。アンタの汗臭い鞄にいるのは」とチルカが言った。
「妖精を媒介にしねぇんだったらいる意味すらねぇってのによ……。本当に荷物になりやがって。役に立たねぇなら、道具袋に入れて売り払うぞ」
「口より足を動かしなさいよ。こっちはアンタの何倍も足が生えてるんだから、置いていかれるわよ」
キルオに案内された場所につくと、リットはヨルアカリグサがどんなものかも確認することなく、張り終えたばかりのテントの中で横になった。
そして、次に目を開けたときには、すっかり周りの景色が変わっていた。
砂漠が砂金の山のように輝く夕焼け。雨を降らせるつもりのない小さな雲が流れ消えていくと、鋭くも澄んだ星々が顔を出し始めていた。
「起きたのなら、水を飲んだほうがいいぞ」
焚き火の明かりで顔に濃い影を作ったキルオが、皮水筒をリットに向かって寄せた。
リットは口をゆすぐようにしてから飲むと、酒でも飲んだかのように長く息を吐いた。寝ている間にだいぶ体の水分がなくなっていたらしく、水が喉から胃へと走り抜けていく感じがした。
息を吐ききると今度は身震いをする。周囲の気温はかなり下がっており、キルオが焚き火を作っていなければ、寒さで目を覚ましていただろう。
「確認する前に、疲れて寝ちまったけどよ。本当にこの場所であってるのか?」
リットは布を体に巻き直すと、テントから出て焚き火の前に座った。
「既に見つけてある。チルカがいるところだ」
キルオがハサミで指した方向では、光の玉が空中でぼんやりと浮かんでいた。
リットはすぐに立ち上がると、チルカの羽明かりに近付いていく。
リットが真後ろに来ても、チルカは微動だにせず、ある一点をただ睨むように見つめていた。
「なにやってんだ」
「なにって見てんのよ。この植物と呼ばれてる胡散臭いものを」
「オマエが自然に生えてる植物に悪態をつくのは珍しいな」
リットもチルカの視線の先にあるものを覗き込んだ。
丸くゴツくざらざらした表面には細かな砂模様がついており、それが二つぴったりとくっついていた。
「これはただの石なんじゃねぇのか……」
「そう見えるわよね……。でもこれが植物だから胡散臭いのよ」
チルカはヨルアカリグサの前まで移動すると、その石のような表面に軽く触れた。
すると、指先が軽く沈んだ。まるでスライムのような弾力を持っている。指先を離すと、再び硬そうな石に見える。
「浮遊大陸の植物みてぇなもんなのか」
リットも指先でヨルアカリグサに触れると、水の入った革袋のをつついたようなぶよぶよとした感触が広がった。
チルカに「指を嗅いでみなさいよ」と言われ、人差し指を鼻に近づけると、植物を触った時にする独特な青臭い匂いがしていた。
「あんまり触ると弱って光を出さなくなるぞ」言いながら近付いて来たキルオは、そのままリットの隣を通り過ぎ、少し歩いたところで足を止めると手招きをした。「これはもう少しで光りそうだ」
リットはキルオが指した場所を覗き込むが、暗くてよくわからなかった。
「暗くてわかんねぇな……。おい、チルカ」
チルカは「私はアンタのランプじゃないのよ」と言いながらも、興味はあるらしく羽明かりでヨルアカリグサを照らした。
二つの石がくっついているような見た目をしたヨルアカリグサ。そのくっついている部分にわずかだが隙間ができていた。
「これは本当に植物なのか?」
リットが聞くと、キルオは尻尾を折り曲げて、先についている針をヨルアカリグサに向けた。
「この石みたいな表面は葉だ。そしてこの隙間こそ、光を放つ合図なんだ。この葉の下には新葉があって、その新葉は古い葉を破って顔を出す。爬虫類の脱皮のように成長するんだ。そして、脱皮の時に光を放つ」
「ますますわかんねぇな……」
「見ていればわかる」
三人は黙ってヨルアカリグサを眺めるが、一向に脱皮する気配はなかった。
キルオは「おかしいな……」と尻尾の針で頭をかいた。「隙間ができていれば、すぐに隙間が広がって光を放つんだが……」
「ヨルアカリグサに似た石なんてオチじゃねぇだろうな」
ずっとしゃがんでいたせいで腰が痛くなったリットは、立ち上がって上体をそらす。
その時。少し遠くで、光が柱のように空に昇るのが見えた。




