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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(下)

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第八話

 星空が静かに消え、萌えいづるように太陽が顔を出し始めると、チルカは悪夢から無理やり目を覚ました。しかし、地面につけていた頭から糸をひくように悪夢の内容はこびりついている。

 それを振り払うために、木漏れ日を目でしっかり確認すると、冷えた体に血が巡っていくのを感じた。そうして現実の感覚を取り戻すと、ブラシで馬の毛並みをそろえているドリーを睨みつけた。

 睨まれたことに気付いたドリーは馬から手を離すと、遠慮がちな手付きでブラシに付いた砂埃を落とす。チルカが自分のなにに対して怒っているかわからなかったからだ。

 ドリーに不満があるわけではないが、寝起きと夢見の悪さからチルカの目は鋭く細くなっていた。

 チルカはそのままの目つきで辺りを見回し、草むらと砂の壁とまだ寝ているリットの姿を順に確認すると、最後にまたドリーを見た。そして、おもむろに口を開く。

「半裸で右手に斧を持って、左手に松明を持って、ユニコーンにお尻を突かれてながら、森に火をつけて走り回る女を見た?」

 ドリーは一度考えてから「……今日はまだ」とだけこたえた。

「最悪な夢だわ……。頭は痛いし、喉はカラカラ。あの女呪いでもかけたんじゃないでしょうね」

「ただの二日酔いだと思いますけど。早々に酔いつぶれて寝てましたし」

「まったく……なんてものを飲ませるのよ」

 チルカはリットの額に飛び乗り腹いせに足踏みをするが、リットは唸るだけで起きることはなかった。

 あまり動くと空気以外のものが喉から出てきそうになるので、チルカはリットから離れ、池の中に頭を突っ込んだ。そのままゆっくりと息を吐き出すと、蓮の葉から湧き上がる気泡のように、小さな泡がチルカの周りに浮かぶ。それも止まり、数秒すると、チルカは勢いよく水から顔を上げた。

 その時に飛び散った冷たい水滴が顔にかかり、リットは目を覚ました。

「まだ朝じゃねぇか……昼になってから起こせよ」

「いいかげん起きて、アンタも苦しみなさいよ」

 チルカは濡れた髪を絞ると、手で皿を作り水をすくい、空気を吸い込むようにかぶがぶと飲んだ。

「言われなくても、勝手に苦しむ」

 リットはのろのろと立ち上がると、チルカの隣で池から水をすくって喉を鳴らして飲んだ。口元を腕で拭くと、ドリーを見る。

「で、朝から何してんだ?」

「馬の世話ですよ。好きに使っていいと言われたので。馬が疲れたままだと、帰るに帰れないですからね」

「そういえば好きに使えって言ってたな……」

 リットは座ったまま少し考えると、息を吐きながらゆっくりと立ち上がった。

 そのまま背中を向けるリットに向かって、ドリーは「どこかに行くんですか?」と声をかけた。

「好きに使えって言われたから、好きに使うんだよ。畑があるって言ってたからな。木の実くらいなってるだろ」

「ここを好きに使っていいって言ってたんですよ」

 ドリーが狭い範囲を示すように人差し指を下に向けると、リットは広い範囲を示すように両手を大きく広げた。

「だからここを好きに使っていいんだろ。他に砂漠で食うものなんかあるか?」

 リットがドリーの返事を聞かずに歩き出すと、チルカが「賛成」と言って後に続いた。

 ドリーは自分のお腹から空腹の合図が鳴るのを聞くと、大きい影と小さい影が消えていくのを黙って見送った。



 広場から出たリットは、砂漠の入り口から下層へと一直線に続く通路で、無数に開けられた横穴を見ていた。

「それで……アリってのは、巣のどこに餌の貯蔵部屋を作るんだ?」

「それ、私に聞いてるんじゃないでしょうね」

「他に誰に聞くってんだ」

「知らないわよ。横穴全部が畑なら、適当に入ればいいでしょ」

「よく考えろ。人の畑で勝手にものを取って食う。それは犯罪ってんだぞ」

「別にかまいやしないわよ」

「たしかに」

「なに? アンタいまさら良心が欲しいわけ?」

「欲しいのは良心じゃなくて共犯者だ」

 リットは手始めにと目の前の横穴に向かった。

 中は色とりどりの花が一列になって咲き乱れ、その両端を奥まで細い道が続いていた。

 チルカは花を見ると「気持ち悪い……」と顔をしかめた。

「吐くなら通り道じゃないとこに吐けよ」

「違うわよ。この花たちが気持ち悪いって言ってるの」

「お嫌いな品種改良の花なのか?」

「ここに植えられてるのは草原の植物の原種よ。でも、これとこれ。見たらわかるでしょ」

 チルカは黄色い花と白い花をそれぞれ指すと、幽霊でも見たように身震いした。

「花の良さも悪さもわかんねぇよ」

「この白い花は早春に咲くの。で、この黄色い花は夏の盛りに咲くのよ。これがどれだけ気持ち悪いことかわかるでしょ」

「森じゃなくて、畑なんだからいちいち気にすんなよ。畑ってことは庭みたいなもんだろ。太陽神なんか関係ねぇんだから、気にすることなんかねぇだろ」

「お気楽ねぇ……。私からしたら闇に呑まれるくらい異常な光景よ」

 チルカは居心地が悪そうに身を捩りながら奥まで飛んでいくと、腕をクロスさせて、食べられるものはないとバツ印を作りながら戻ってきた。

 それからいくつかの横穴の畑に入り気付いたことは、乾燥に強く、強い日差しが必要な植物は地上に近い部分に植えられ、湿った土壌を好む植物は下層に植えられているということだ。

 上層はサボテンなど乾燥地帯の植物。下層は湿地帯に咲く植物が植えられている。

 そう確信したのは、上層部にある畑で、過去に見たことのある植物を見つけたからだ。

 ガラスのように透明な薄皮の丸い実。強い風に吹かれ、中につまった黄色の果汁がたぷたぷと揺れている。

 掴んでみても割れることはないが、浮遊大陸で見たニコの実と同じだった。

「入り口に黒い花が植えてないってことは、毒はないらしいけどな。大丈夫そうか?」

 リットはニコの実をもぐと、中の果汁を飲まずにチルカを見た。

 植物に詳しい妖精のチルカなら、安全かどうかわかると思ったのだが、チルカも別の果実を見て疑問の表情を滲ませている。

 支柱に巻き付く、紐のように細い螺旋状の茶色い果実も浮遊大陸で見たものだが、生えてあるのを見たわけではないので、判断がつかなかった。

 しばらくじっと眺めていたチルカだが、思い立ったように適当な長さでちぎると、バナナの皮のように剥いて果肉の匂いを嗅ぐ。そして、手についた果汁の匂いも嗅いでからかぶりついた。

 もったいつけて味わうと「味も落ちるしパサパサしてるけど、同じ果実ね」と言って、残りをいっきに頬張った。

 それを見て安心したリットは、二日酔いに効くというニコの実の果汁を飲む。

 浮遊大陸で飲んだものは慎重に持たないと薄皮が破れてしまうものだったが、ここに生えているニコの実は水を入れた革袋を掴んでいるかのような弾力があった。

 リットがそれを飲み終わる頃、唐突にチルカが声を上げた。

「だから、このエリアは風が強くなるように掘られてるのね」

 言いながらチルカが植物の根元に降り立つと、砂埃が風に流されてリットの元まで飛んできた。

 それだけ土が乾燥しているということだ。

 乾燥した土、貧弱な養分の土壌、強風、陰ることない強い太陽。全く同じというわけではないが、浮遊大陸の環境と似たものだった。

「いくら再現しても、この味じゃ三十点といったところね。しょせん人の手で植えた植物ってところかしら」

 適度に葉に遮られた日当たりの良い穴の中で、チルカはニコの実を飲むことなく、二日酔いが良くなっていた。

 すっかりいつもの調子に戻り、朝に食べる用、昼に食べる用、おやつ用、夜に食べる用と、次々と果実をもぎっていく。

「まるでバッタだな。食い荒らすと退治されるぞ」

「アンタねぇ……バッタなんか食い荒らすどころじゃないわよ。あんなの略奪よ。突然やってきて、緑を丸裸にして、またどっか行くんだから」

「怒るとこはそこかよ。まぁ、丸裸はひでぇな。下着だけ脱がすって美学を理解してねぇ」

「アンタも反論するところおかしいわよ。そんなことより、取るならさっさと取らないと置いてくわよ」



 それからいくつか横穴の畑に寄り道し、リットとチルカの二人はドリーが待つ横穴へと戻った。

 太く長く伸びる樹木は植えられないらしく、あるのは低木。そこからも木の実をとり、リットは服の裾を持ち上げてカゴの代わりにして持ち帰った。

「好きなのを勝手に食え。思ってたより色々植えてあって助かった」

 服の裾を払ってドリーの目の前に木の実や果実を落とすと、リットは再びドリーに背を向けた。

「あれ、リットさんは食べないんですか?」

「オレは食いながら戻ってきたからな。横穴はまだまだ下にも続いてる。マニアに話を聞けねぇなら、勝手に物色するまでだ。キルオになんか言われたら、適当に誤魔化せ。なんかあってもどうせ次の日には忘れてるからな」

 そう言って横穴を出ていくリットの後をチルカが続いた。

「なんでついてくんだ」

「ついてくわけじゃないわよ。行き先が同じなだけよ」

「季節がおかしい植物と、品種改良された植物は嫌いなんじゃねぇのか?」

「胸がざわざわすることってない?。そして、それを解消するために好奇心に従うの」

「あるぞ。ストリップ小屋に入る前と、出た後に同じことを思う」

「ムラムラじゃなくて、ざわざわって言ってるでしょ」

「知らねぇのか? ムラムラすんのは見てる時だ。ムラムラってのはそんなに長続きしねぇんだよ」

「知らないわよ。一人でムラムラでもざわざわでもしてなさいよ」

 チルカはリットの足元につばを吐きかけると、一人下層に向かって飛んでいった。

 リットは黒い花が植えられていないのを確認して、一つ一つ横穴を確認していく。

 横穴によって分けられた畑には、湿性植物や高山植物もあった。植えられている土の種類は様々だが、人が歩く道や横穴を分ける通路の一本道は、つま先で蹴っても崩れないほど固められている。見た目は砂漠の砂にしか見えないのだが、それがとにかく硬い。大理石の上を歩いていると思うほどだ。

 歩くのが楽な分には構わないと、リットは目当ての植物を探して横穴に入っていく。

 目当てというのは、妖精の白ユリだ。正しくはアリアが呼んでいた『アカリグサ』という植物。

 リットが妖精の白ユリと呼んでいるものがなくても、アカリグサと呼ばれる植物。同じように光るものが植えられているかもしれないと思ったからだ。

 葉柄や葉身や蕾。分枝しているかしていないのか、直立しているのか。本来は知識がなければ見分けるのは困難なのだが、アカリグサは妖精を媒介して受粉を行う珍しい植物。土とさえ合えば、どんな環境でも、どんな季節でも花が咲く植物。というアリアから聞けた数少ない情報は、土で見分ければいいと教えていた。

 妖精の白ユリが育つのは、何年も人の手が入っていない土。これは人を感知するわけではなく、掘り起こされたり、踏み固めたりしていないということだ。

 だから妖精のように飛べる種族を媒介にして繁殖する。

 これだけ綺麗に区画され、手入れされている畑の中から、手入れされていない土を見つけるのは、植物自体を探すよりも容易なことだ。

 リットは簡単に植物の姿を見ては、土をよく確認して、アカリグサが植えられている横穴を探していた。

 横穴は下層に行くにつれて、必然的に葉を覆って作られた天井が高くなり、日が差す時間も短くなるので、薄暗くなっていく。

 リットが土の壁を影が高く登っているのを見て、ランプを持って下りればよかったと思っていると、滝を登る鮭のような勢いで、光の玉が飛んできた。

 チルカはリットの姿を見つけると、耳を引っ張り、耳の穴に向かって「くび! はな!」と叫んだ。

「うるせぇな……人生に悲観して首をくくらなくても、いつもどおり鼻が潰れてて美人だぞ」

「違うわよ! 男の首が! 花で埋められてるのよ!」

「人面花でも咲いてたのか?」

「あんな立体的でリアルな人面花があるわけないでしょ! 今にも目を開きそうな顔をしてんのよ!」

「本当に首だったら死臭がしてるだろうが」

「疑うんなら、行って確認してみなさいよ」

「……その話を聞いて確認しに行くと思うか? 見間違いだろ。昼になりゃ、真上からの日差しではっきり見えるだろうけど、下はもっと暗かっただろ?」

「たしかにそうかもしれないけど……。あーやだやだ。あの頭がいっちゃってる女のせいで、なにもかもが不気味に思えるわ……。ノーラの脳天気な鼻歌でも聞いて、気を紛らわせたい気分よ。なんなら口喧嘩でもいいわよ。ほら、いつものようにかかってきなさいよ」

 チルカは目の前でファイティングポーズをして煽るが、リットはそれに乗っかることはなかった。

「アホなことしてないでさっさと戻るぞ」

 リットが踵を返して早足で来た道を戻ると、チルカはため息と一緒に肩をすくめた。

「ノリが悪いっていうか……。アンタって怖いの苦手よねぇ」

「ローレンみたいに人気のない墓場で盛る変態じゃねぇからな」

「まぁ、別にそれでもいいけど。こういう大ネタは、アンタがもっと弱ってる時に叩きつけてやるから」

「そうしてくれ。オレもその時に備えて、ハエ叩きでも用意しておくからよ」

「まず自分のウジ虫みたいに汚い性格から叩き直しなさいよ」

 リットとチルカの言い合いは続き、お互いがひととおりの悪口を言い終えた頃には、ドリーがいる横穴に戻っていた。






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