第五話
子供がおもちゃ箱を漁るような手付きで、魔女があれでもないこれでもないとホールヒップを探す。
見かねたグリザベルが手伝いを申し出て一緒に探すことになったが、そのせいでかえって難航してしまった。
「これは見たことのない香草だな」
グリザベルは紐が何本も束ねられているような香草を手に取ると、頭の中で本をめくるように手の動きを止めた。
「それは、古くなって葉が落ちただけだよ。茎にも効能はあるから、買うなら安くしとくよ」
魔女は他の古くなった香草を束にしてまとめると、どうだといった具合にグリザベルに突き出した。
「時間が取れたら、魔女薬にも手を伸ばしたいと思っているのだが……」
「そういえば、魔女薬の調合は苦手だと言っていたね。なんなら、一緒に本も買っていかないかい? 何年も昔に書いたんだけどね。今さら魔女薬の初歩の本を買う魔女なんていないから余ってるんだ」
グリザベルと魔女の会話は別の道に逸れては盛り上がりで、箱の中の香草をすべて見終わる頃には、他のテントは畳まれる時間になるだろう。
しかし、魔女のことに詳しくないリットとドリーは、その背中を黙って見つめているしかなかった。
グリザベルが欲しがっているホールヒップという香草は、塊根という芋のように肥大した根が特徴であり、その塊根が地上部に出ると太陽に焦がされたように黒く染まる。そこから出たお尻のような新芽の肉厚な双葉が薄い蜜のような香りを放つ。
本来売りに出すときは、その小ささから瓶に入れるのだが、魔女はそれをしなかったため、今回のように箱をひっくり返すようにして探すはめになったのだった。
「さっきも言ったけど、今は皆オカジリ草を使ってるから、ホールヒップはないかもね」
魔女は鍋の焦げでもこそぎ落とすように、箱の底から枯れ葉をすくいながら言った。
「古きものが時代の隅に追いやられるのは、玄関から友人が出ていく時と似た寂しさがある」
「魔女にも時代の流れがあるからね。埃とクモの巣を崇める時代は終わったってことさ。今はどこも新しい風を入れて、空気の入れ替えをしてるよ」
グリザベルの場合は歴史や過去の事柄を研究し、新たな知識や見解を開いていくタイプなので、同意の言葉は出てこなかった。魔女との意見の相違と、古い知識ごと自分の時代に端っこに押しやられるようで、少し悲しげに眉を下げた。
その表情の変化に気付いた魔女は「窓を開けるからこそ、埃を被っていた物の価値に気付くってものさ。埃が風に飛ばされてこそさ」と笑う。
つられてグリザベルも高笑いを響かせたところで、黒い塊を掴んでいるのに気付いた。
「これはホールヒップの塊根だな。これがあるということは、芽もあるはずだ」
「どうだろうね……。むしろ塊根だけ見つかったってことは、芽は売れてしまったかもしれないよ」
グリザベルが「ならば」と続けようとした時、リットは今にも勢いよく走り出すかのように靴裏を地面に叩きつけて音を響かせた。
「なぁ……お師匠さんよ。いいかげん、ここに来た目的を思い出してくれねぇか」
リットの低い声が背後から耳に届いたグリザベルは、お尻をつねられたかのようにぴんと背筋を伸ばした。
「忘れてはおらぬぞ……少し頭の隅に置いておいただけだ。ちょうど今からその話をしようと思っていたところだ」
「そりゃよかった。頭を叩き壊して、隙間から記憶を引っ張り出さないとダメかと思ってたからな」
グリザベルはこわばった姿勢のまま魔女に向き直ると、「光に関する研究成果をあげた魔女はいるか?」と聞いた。
魔女は「光ね……」と呟くと、ため息ひとつ分の沈黙を流してから「いないね」ときっぱり言い切った。
「発光生物のことでもいいのだが」
グリザベルは食い下がる。振り返らなくとも、リットが不機嫌な顔をしているのがわかったからだ。
「私は魔女薬専門だし、魔女薬には発光生物は癖が強すぎて使わないからね……。魔女薬も魔法陣と一緒で、バランスが大事。一度冒険者が珍しい植物を売りに来たけど追い返してやったよ」
「確かにバランスは大事だ。一見、法則性がないような」と話を横道に逸らせようとするグリザベルの顔をリットが鷲掴みにして後ろに追いやると、魔女に詰め寄るように近づいた。
「それはどんな植物なんだ?」
「冒険者はホタルの落とし火と呼んでたね。だけど、あれは『ヨルアカリ草』の変種だろうね」
「聞いたことがねぇな……それも光る植物なんだろ?」
「そうだよ。夜にだけ花を咲かせる植物さ。死にかけのホタルみたいな淡い光を放つんだよ」
「それってヒカリゴケみたいに光を反射する植物なのか?」
「やたらあれこれ聞いてくるね……。魔女薬を専門にする気かい? それならいい本がある」
魔女はグリザベルにも購入を勧めた自分が書いた本を取り出す。
「カレナリエルの薬草学本なら読んだ。あれには書いてねぇよ」
「頭の悪そうな顔をしてるわりには、上等な本を読んでるんだね。でも、あれはエルフが書いた本だから、花と葉のことばかり書かれてるのさ。魔女薬はむしろ根のほうを使う。マンドラゴラだって、トリカブトだって塊根。同じ植物でも、葉より根のほうが強い効果を持つのが多いから、読んでおいて損はないよ」
魔女は本をリットに押し付けると、代金を払いなと手を差し出した。
グリザベルは「我の専門は主に魔法陣だ。よって我の弟子も――」と、リットに助け舟を出そうとしたが、リットはまたグリザベルの顔を鷲掴みにして後ろに追いやった。
「いや、買ってく。他にもあったら買いたいんだけどよ。あるなら今出してくれ」
魔女は「買うのかい?」と驚きに目を丸くした。
「売りつけたのはそっちだろ。ここに来て初めて役に立ちそうなものを見つけたんだ。だから、他にもなんか書いてるなら買っていくって言ってんだよ」
「そうかい……そうかい!」と魔女は声を高くする。「魔女は初歩の本なんて買わないし、男はここで買い物なんかしないからね。売れなくてどうしようかと思ってたんだよ」
魔女はグリザベルの注文していたホールヒップのことなど、すっかりどうでもよくなった様子で、香草の入った箱をどかすと、二冊本を並べた。
そして、「まだあるからちょっとまってな」と奥にある荷物をウキウキした様子で漁り始めた。
リットは先に渡された本を手持ち無沙汰に捲りながら「何冊あるんだ?」と聞いた。
「四冊だよ。薬草との出会いから始まって、アルテーヌ効果の発見と研究まで書いてるからね。知ってるかい? ビヴァイク効果より強い効き目がある、あのアルテーヌ効果だよ」
リットは本閉じて表紙を見ると、著者名にアルテーヌと書かれてるのに気付いた。
「……知ってる。最近じゃ犬の間でも有名らしいぞ。ゴミを漁りながらワンワン話してるのを聞いたからな」
というリットの皮肉は、初めて本が売れたという喜びの感情に耳をつまらせた魔女には届いていなかった。
「はい、これで全部だよ。いまのところはね」
魔女から四冊の本を受け取ったリットは代金を渡すと、さっさと引き上げようと顎をしゃくって、ドリーに早く入り口から出ろと指示を出すが、魔女が「あーっと肝心なものを忘れてた」とリットを呼び止めた。
魔女は「まったくもう」と嬉しそうに口元を緩ませると「これがなかったらどうするんだい」と手のひらにおさまる大きさの小袋をリットに渡す。
開いて中を見ると、乾いた植物を挽いた粉の中に、赤い小さな実が二つ入っていた。
「魔女薬ならいらねぇぞ」
「違うよ。それは香草だよ。それがなければそっちから感想の手紙も送れないし、私から続巻も送れないだろう」
「つまりこれを焚けばアンタの使い魔が家に来て、アンタと自由に連絡がとれるわけだ」
リットは焚かなけりゃ来なくて済むと言っているのだが、魔女は気付かずに「そうだよ。よくわかったね」と子供を褒めるように言った。
「なら……大切に鍵をかけたうえに、地面にでも埋めておくよ」
リットはテントを出るなり、魂を吐き出すように疲れた重い息を吐いた。そして、ため息と一緒に落とした視線でドリーの頭を見る。
「魔女ってのは、どいつも面倒くせえ女ばっかりだな」
「知識を誰かに喋りたくなるのはわかりますけどね」
今まで絡まれないように黙っていたドリーも疲れを落とすように息を吐く。
「ならこんな排他的な交流会なんてやめりゃいいんだよ」
吐いた分だけ息を吸ったドリーは「切り上げたってことは収穫があったんですよね」と顔を上げた。
「ものは見付からなかったけど、使い道は見付かった。一応残りのテントも見てから帰るぞ」
リットが歩き出したのでドリーも続いたが、急に立ち止まったのでリットのお尻に顔をぶつけてしまった。
リットは頭を小突いてドリーをどかしてから、グリザベルに振り返った。
「なにぶーたれてんだよ」
「なぜ……なぜ魔女の我よりも、男のリットのほうが親しげに会話をしているのだ……。連絡用の香草までもらいおって……。納得いかんぞ! 我は納得がいかないと言っているのだぁ。せっかく人並みにコミュニケーションを取っていたのに、邪魔されたぁ……リットに邪魔をされたのだぁ!」
グリザベルはその場で地団駄を踏んで、スカートの裾を土埃で汚し始めた。
「本当に……魔女ってのは面倒くせえな……」
リゼーネに帰ったリットは息をつくことなく、スコップ一本と魔女から買った本の中から一冊を持って迷いの森に出かけていた。
森の中で運良く偶然であったチルカに妖精の白ユリがある場所へ道案内を頼んだのだが、チルカはいつにもまして不機嫌だった。
「それで……私を置いていったわけを聞きたいもんね。魔女の墓場なんておもしろいとこに勝手に行って」
「庭だ庭。誘うつもりもなかったけどよ。近くにいなかったじゃねぇか」
「迎えに来なさいよ。リゼーネからそう離れてないじゃない」
「この森がなんて呼ばれてるか知ってるか? 迷いの森だぞ。探しに来て迷ったら意味がねぇよ」
「アンタが犬みたいに木にマーキングしたのがまだ残ってるわよ」
チルカが指した木にランプの明かりを当てると、迷い蛾の鱗粉を混ぜたオイルが黄緑色にぼんやり光りだした。
「まだ光るのか。長えこと残ってるもんなんだな」
「長えこと残ってるもんなんだな。じゃないわよ。迷い蛾もこの森にいるし、オイルも植物性だからいいとして、もし違ってたらアンタを破壊者に認定して追い出してるわよ」
「いいならいいじゃねぇか。いっそのこと、妖精の白ユリが生えてる場所まで、一直線に伐採したいくらいだ」
「だからすぐ着くように案内してあげてるんでしょ。もうすぐ着くわよ。……ところで、アンタの背負ってるのはなによ」
チルカはリットの後ろに回り込むと、鞄から飛び出しているスコップの柄を蹴り上げた。
「知らねぇのか。これはスコップって言うんだ」
「知ってるわよ。大地にヒビを入れて、植物の命を断ち切る道具でしょ」
「そんな物騒なもんじゃねぇよ。土を掘り起こして、植物の根を切るくらいのもんだ」
「はい、ストーップ! 回れ右よ。破壊者森に入れず。バカな男は街に帰すよ。アンタ……自然破壊をするために、私に道案内をさせてたの?」
チルカはスコップの柄がリットの後頭部に当たるように向きを変えて蹴りを入れるが、チルカの力程度ではスコップは揺れる程度しか動かなかった。
「別に根こそぎ掘り起こして持ってくわけじゃねぇよ。根に用事があるのは事実だけどな」
「アンタ女のお尻だけじゃなくて、植物の下半身にも興味あるのね。この森は変態もお断りよ」
「森なんて変態する虫ばっかりじゃねぇか。妖精の白ユリの根の様子を知りてぇんだよ」
「自分の家のを引っこ抜いてたじゃない」
「何十年も生えたままのが知りてぇんだ。塊根だったら肥大するまで時間が掛かるみてぇだからな」
魔女から買った本には、肥大して養分や水分を蓄えている塊根の中にはオイルも貯め込む植物もあると書いてあった。妖精の白ユリの根がそれならば、根からも新たなオイルがとれることになる。葉と花で違いがあるように、根からとれるオイルも別の効果で光るだろうとリットは考えていた。
花と葉のオイルを混ぜて作ったオイルは、太陽を浴びなければいけないエミリアや、妖精のチルカのような体質に効果があるが、根のオイルも混ぜるとより太陽に近い光を生み出せるかもしれない。
そう思っていたリットだが、掘り起こした妖精の白ユリの細いヒゲ根を見て溜息をこぼした。
「アンタが思いつきで行動したときって、たいてい失敗よね」
「少しは成功してるからいいんだよ」
リットは試しに根にナイフを入れ、切口にマッチの火を近づけたが、燃え移ることはなかった。
「言っとくけど、これ以上なにかするのは本当に許さないわよ」
チルカはリットがつけた足跡の上に降りた。足跡といっても今つけたものではなく、昔に来た時についた足跡だ。靴の裏で踏み固められた土の上では、まだ妖精の白ユリが繁殖していなかった。
「今の気分としては、妖精の白ユリに火をつけて、盛大な火を眺めて憂さ晴らしをしたいところだ」
「そんなことしたら、アンタどうなるかわかってるんでしょうね」
チルカは砂埃を立たせて勢いよく飛び上がってリットに詰め寄ったが、眼の前には開いた本のページが迫ってきた。
「ありがたいことに、まだ手はある」
勢い余って鼻を本に打ち付け、涙目になったチルカの目には、片手で本を開き、不自然に立たせた人差し指が見えた。
リットの人差し指の上には『マニア・ストゥッピドゥ発見』と文字が書かれている。
「コイツがなんなのよ」
「植物研究者だ。コイツに聞けば、妖精の白ユリのことがもっとわかるかもしれねぇし、他の光る植物のことがわかるかもだ。居場所は砂漠だ。着いてきてもいいぞ」
そう言うとリットは、スコップで掘った穴に足で土を詰めて歩き出した。
「なにか言うことはないの。ごめんなさいだとか、ここまで連れてきてくれて、ありがとうございますとか」
「連れてきてくれてありがとよ。ほら、礼だ」
リットはポケットからナッツを取り出すとチルカに向かって放り投げた。
受け取ったチルカは、微妙な顔で自分の手を見た。
「御礼の品はいいんだけど……アンタの手で生温かくなってるわよ……気持ち悪いわね」
「ポケットに入れてたんだ。手じゃなくて、股間周りの熱で温まってんだよ」
チルカはナッツの殻を割ると、中身を上に放り投げて鳴き声だけで自己主張しているリスにやると、殻をリットの後頭部に向かって投げつけた。
「たまには素直にお礼をしなさいよ!」
「だから、今しただろ」
「アンタの股間にぶら下がってる袋に入ってたナッツなんかいらないわよ!」
「んなところから、出し入れできるほど便利にできちゃいねぇよ」




