第三話
四つの柱を立てて、黒い大きな布をかけただけの仮設テント。中央には柱が立てられていないので、天井はたるみ、スカートを摘んでめくり上げたような狭い入口があるだけだ。
そんな店が所狭しと連なっているが、乱雑というわけではなく、すべての店を行き来できるような道は作られている。
道を歩く魔女達の歩が遅く、狭い道はより狭く感じる。屋台街にあるようなテントとは違い、外界と遮断するように布で覆われたテントなので、店を確かめるには狭い入り口から中の様子を伺うしかない。
そのせいで取り扱う品物によって、テントの中は雰囲気だけではなく、それぞれ独特の匂いを漂わせていた。
そんな店々の一つ、魔法陣の上に置かれている水を張った銀皿から、白い泡が空中に浮かんでは消える店に、グリザベルとドリーは入っていた。
「冷と湿と熱。三つの性質を合わせて応用したものだ。冷と湿で水を作り、さらにその中の湿と熱を合わせて風を作り泡を発生させておる。本来、冷と熱は対比にあり合わさりにくいが、二つの中間にある湿を通すと、実にスムーズに合わさることができる」
そう言ってグリザベルが人差し指で泡を一つ割ると、中に閉じ込められていた香の煙が、春風に舞う花の匂いのように柔らかく漂いだした。
ドリーもグリザベルのマネをして、一つ泡を割る。泡の中に充満していた煙は一瞬形を保つが、指先に吸い込まれるように、薄く伸びて消えていった。
「これはどういった道具なんですか?」
ドリーが聞くと、店主の魔女が口を開いたが、先にグリザベルの口から言葉が発せられた。
「冷と湿で水。熱と湿で風。泡を作るには湿という性質が強く使われることになる。この魔方陣は、それを上手く制御しているということだ」
「それだけじゃ――」と魔女は付け足そうとしたが、またも先にグリザベルの口から言葉が出た。
「ただそれだけではなく、お香という一般的に使われるものを魔道具とすることで、魔法というものが身近に感じられる。ウィッチーズ・カーズという言葉が先走りする今の世の中で、魔法の安全性を伝えようとしているものでもある。そうであろう?」
説明しようと口を開いていたままの魔女は、グリザベルに話しかけられると、静かに口を閉じ不機嫌に唇を結んだ。そして、一度睨みつけてから「で、買うの? 買わないの? ここはお香を売る店だよ。買わないなら出ていって」
魔女は魔法陣が書かれた羊皮紙を出して机に置くと、さらにリンゴのように丸くて大きなお香を魔法陣の中心に置いた。それに火をつけると、お香はあっという間に燃え上がり、テントの中が煙で満たされる。
魔女が口をすぼませて煙に向かって勢い良く息を吐くと、グリザベルとドリーは煙に押され外へと追い出されてしまった。
尻もちをついたグリザベルに「なにを怒っておるのだ……」と聞かれたが、ドリーは「さぁ……」と首をひねることしかできなかった。
「まぁ、よい。他にも面白そうな店はある。離れずついてこい。よいか、絶対に離れるでないぞ」
「別に意地悪はしませんよ」
「そういう意味だけではない」
意味を聞こうとするドリーだが、初めてのウィッチーズ・マーケットでテンションの上がっているグリザベルの「次はこの店だ!」という勇み足に聞く暇がなかった。
それから五軒のテントへと入ったが、最初のお香屋と同様に、グリザベルとドリーは追い出されてしまっていた。
「なぜ……我が追い出されないといけないのだぁ……同じ魔女なら皆友達ではないのかぁ……。もう帰りたい。我は帰りたいぞー!」
テントとテントの間に挟まって膝を抱えるグリザベルは、人目を気にせず大声を上げた。
ドリーは「まぁまぁ」と、妹のホリーをあやすように声をかけた。
「慰めなどいらぬ。どうせ我はひとりぼっちなのだぁ……。石の裏のダンゴムシのように丸まっているのがお似合いなのだ……」
「もしかしたらですけど、グリザベルさんに問題があったんじゃないかと」
グリザベルの目の端に溜まった涙が落ちないように、ドリーは出せる限りの優しい声で言う。
「我はお主に魔道具の説明をしただけなのだ……。わからないと楽しくないだろうと気を使っただけなのだぁ……」
「ほら、グリザベルさんが言ってたじゃないですか。ここは研究の発表の場でもあると。それを研究者より先に説明するのはまずいのでは? ひと目見ただけで、どういうものかわかるグリザベルさんはさすがですよ。でも、研究者は自分の言葉でわかってもらうのが嬉しいんじゃないかと。グリザベルさんもそうじゃないですか?」
ドリーが言葉を選んで優しく諭すと、グリザベルは鼻をすすってから「たしかに……」と呟いた。
「なら、次は黙って説明を聞きましょう。でも……グリザベルさんの説明はわかりやすいので、店を出た後にもう一度説明してもらえると助かります」
最後の言葉を聞いてグリザベルはすっくと立ち上がった。
「我とて、相手の庭を踏み荒らすのは本分ではない。お主には辛かろうが、魔女同士の高尚な会話は我慢してもらおう。だが、そのあと我がわかりやすく教えてやろう」
グリザベルは鼻歌でも歌いそうな軽快な足取りであるき始めると「はよ、来い」と、心労をため息にして吐き出すドリーを急かした。
六軒目のテントでは、ガラスでできた水槽の中に入った水草が売られていた。水槽の下には魔法陣が書かれた羊皮紙が敷かれており、上から吊るしたランプの光で照らされている。
「わかる? これが魔力の結晶だよ」
グリザベルと同じような年齢の魔女が、グリザベルとは正反対の明るい声で言った。
魔女がガラス越しに指した水草の先には、メダカの卵のような小さくて透明な球体がついている。
「ミンヘン地方に、魔力を吸って育つ水草があるというのは聞いたことがある」
「そう。ウンディーネがお茶会を開く、泣き虫ジョンの滝にしか生えない水草。魔法陣で魔力を与えて、この実を大きく育てられれば、魔宝石は過去のものになるくらいの大発見になるね。なんせ宝石は必要なくなるからね」
「確かに魔力を感じる」グリザベルはガラス越しに指でなぞった。「が……微量すぎる」
「そこが問題……。鍾乳石より育つのが遅いからね……。今は魔力の供給で現状維持するのが精一杯。だから、これはまだ研究段階といったところだね。今の段階では、どの性質が結晶になるのかもわからない。だから、売り物はこっちの副産物。この水槽の換えた水だよ。魔力は水草に吸われて水は純だから魔力を通しやすい、これで墨を作ると魔法陣がグッと書きやすくなるよ」
「それはよいな。一つ買っていこう」
「まいどありー」と魔女が水の入った瓶をグリザベルに渡したことろで、机の影に隠れていた背の小さいドリーを見つけた。「ところで、それはなに?」
「我の弟子だ」
グリザベルは言うと、反論しようとするドリーの口を手で塞いだ。
「いいね。私も一人欲しいよ。一人で水を運ぶと大変で。それじゃあ、次のウィッチーズ。マーケットの時はあなたの研究も楽しみにしてるよ」
初めて他の魔女と、魔女らしい会話をしたグリザベルは上機嫌でテントを出た。
「聞いたか? ドリー。我の研究を楽しみにしておると言っていた。これで同胞が増えたぞ」
「それより、僕は弟子になった覚えはないんですけど……」
「あの場合はしかたがない。ただの男と紹介するわけにはいかぬからな。魔女の世界は女尊男卑。お主も意味もなく見下されるのは嫌であろう?」
「それで、グリザベルさんから離れるなと言っていたんですね」
「そうだ。決して、一人になると我が寂しいから言っていたわけでない。リットも苦労するであろうが、素直に我に助けを乞うてきたら、優しく手を差し伸べてやろう。さぁ、次はこの水に合う、墨でも買うとするか。ついて来い、ドリーよ」
まるで子猫でも抱くように、瓶を抱きしめて歩きだすグリザベルのスカート部分をドリーが掴んだ。
「なんだ? リットにはいつもされておるのだ。少しくらいの意地悪もよかろう」
「いえ……そこは二人の関係なので僕が口を挟むことはないんですけど。友達になるのなら、名前を聞いておかなくてよかったんですか?」
ドリーは水を買ったテントを指した。
「な……名は知らなくてよい。名を知らぬからこそ、再開に言葉が弾むものだ。それに……今さら名を聞くだけに店に戻るにはかっこ悪すぎる……」
「グリザベルさんが、友達が少ない理由がなんとなくわかりました」
二人が次の店に向かっている頃、リットはようやくウィッチーズ・マーケットの入り口に立っていた。
「だから、先にツレが入ってるって言っただろ。名前はグリザベルだ」
入り口にいる魔法使いの男が、羽根ペンで無地の羊皮紙をなぞるとグリザベルの名前が出てきた。
「たしかに先に入っていますが……」
男はリットの後ろにいるヒソヒソと話をする魔女達を見て口ごもった。
「一緒じゃないと入れないのか?」
「入れることは入れるんですが……本当にいいんですか?」
男は心配の瞳でリットを見る。
「いいんだよ。無駄な時間をとらせやがって……」
リットが男を押しのけるように中に入っていくと、一人で入っていくリットに魔女達が怪訝な視線を向けた。
朝に酒場から出てくる時に感じる視線と同じようなものなので、リットは特に気にせず歩いていく。
そして、最初に目をつけたのは、グリザベルとドリーが最初に入ったお香の店だった。
ランプの光ではない、お香が燃える光を見て決めて入ったのだが、魔女はリットを一瞥するだけで、いらっしゃいの一言もなかった。
リットが「なんか不思議に燃えるものってあるか?」と聞くが、魔女はなにもこたえない。
「香は消しとけよ。臭くて頭が痛くなる」「これなら湿気ったマッチのがましだな」「品揃えが悪い……。ここにあるのが全部か?」「口が臭くて口を開けねぇのか?」と矢継ぎ早に声をかけると、ようやく魔女が不機嫌に口を開いた。
「なんなの? さっきから」
「こっちのセリフだ。質問にくらい答えろよ。売ってるのは喧嘩だけじゃねぇんだろ」
「勝手に判断くらいできないの?」
「その性格の悪さは、男にひどい捨てられ方をしたな。妹にでも手を出されたか? もしくは婆さんか……それなら立ち直れねぇな」
「判断するのは、商品についてよ!」
「うるせぇな……とりあえず買うから、試しに火をつけさせてもらうぞ」
リットがお金をおくと、魔女はふんっと鼻を鳴らした。
並べられたお香を一つ手にとってもなにも言われなかったが、火をつける道具を渡されるわけでもない。
しかたなく、リットは自分のマッチを取り出して擦った。
そのままお香の先に火を移そうとしたところで、魔女が慌ててリットの手を掴んで止めた。
「ちょっと! なにをする気!」
「見たことねぇのか? これはマッチっていって、火をつける道具だ」
「そうじゃなくて、燃えカスが落ちたらどうすんのよ」
「カスなら落ちても火はつかねぇよ」
「黒い煤が落ちたら、下にある魔法陣が書き換わっちゃうでしょ」
魔女は慌てて泡を発生させるための魔法陣を端によけた。
「じゃあ、どうしろってんだよ」
「なんのために、そこにロウソクがあると思ってるのよ」
「まぁ、ケツに垂らすものじゃねぇわな」
リットはロウソクの火をお香の先に移すと、立ち上る煙を眺めた。
特に意味もなく流れるだけの煙を見て「これになんの意味があるんだ?」と呟くと、魔女が驚きの声を上げた。
「なにって虫よけでしょ。薬草とか羊皮紙が虫に食われないように」
「これ全部か?」
リットは商品のお香を端から順に眺めた。色や形は違うが、用途は同じように見える。
「だって、耐性がついた虫には別のお香を使わないと……なんにも知らないの?」
「今、バカにされたのは知ってる。香なんてどれも一緒だろ」
「魔女と虫は昔から戦ってきたのよ。杖に使う木だって、虫に食われてぼろぼろになったら使えないし、魔法陣だって虫食いで穴があったら制御できなくて、暴走しちゃうんだから。わからないの?」
「なんとなくわかった。けどよ、魔女が作る必要あんのか?」
「だって、魔女じゃないと魔力に引き寄せられてくる、虫の種類がわからないでしょ。使い終わった魔法陣にだって、微量だけど魔力が残ってるのよ」
「そういえば、古い魔法陣はやたらと虫食いが多いな」
リットはヨルムウトルとディアナのことを思い出していた。どちらもディアドレがいた場所だ。既にいなくなって、かなりの年月が流れているため、ボロボロになった魔法陣をいくつも見てきた。
「この香ってのは、薬草とか香草で作られてんだろ? 火自体に不思議な力とかあるのか?」
「強すぎる魔力を中和するために、魔力が込められたお香もあるけど、どっちかというと火じゃなくて煙に作用するわね。……魔女学の初歩も初歩なんだけど、本当に知らないの?」
「知ってた……。だから、もう用はねぇから出てく」
光を探していたリットは、燃えるなら役に立つと思っていたが、ここで扱うのは火ではなく煙ということがわかり、興味は失せていた。
しかし、今度は魔女がリットに興味を示していた。
「じゃあ、これもどうなってるか知らないわよね」魔女はグリザベルにも見せていた、香の煙を泡に包んで飛ばす魔道具を見せた。「説明が必要でしょ? これは三つの円からなる魔法陣で作られてて。正しくは二つの円なんだけど、円と円をずらして重なると中にもう一つ楕円が生まれるでしょ? あっ、そうだ。ミランダ・ヘッコニーってわかる? ほら、不等辺六芒星を作った」
魔女はテントからリットが出ていけないように、袖を巻き込むようにして握っている。
「はじめは無視を決め込んでたくせに、なに饒舌になってんだよ……」
「男ってだけで役立たずだと思ってたのよ。だって、魔力の制御が下手でどうしようもないんだもん。しかたないじゃない。でも、違った。こんなに無知だったなんて……。そして、無知であほな男に説明するのが、こんなに楽しいことだったなんて」
グリザベルが言っていたとおり、魔女の世界は女尊男卑。
その背景には、名を馳せた魔法使いはすべて女だったことがある。男の魔法使いも昔から存在しているのだが、なにかを成したことはない。そのせいで、いつからか魔法使いではなく、『魔女』という言葉に統一されてしまった。
現代も男はいるが、やることは雑用が主だ。それは弟子として雇われ、雇い主の本や魔法陣の整理やおつかいであったり、入り口の男のような雑用だったりするせいで、魔女学の知識がつかないせいでもある。
魔女研究の発表と言ってもある程度の知識がある者同士の会話であり、よほど新しいものを発見した場合じゃない限り、補足説明をするだけのようなものだ。
今回のように一から説明するのは、女の弟子を取る時以外にないものだった。
その場合は一から教え込むのだが、リットの場合はグリザベルから聞いた知識の中途半端な上積みがあるため、勝手に解釈している間違っていたり、聞きかじった浅い知識ばかりがある。
それを正すのが、この魔女には新鮮で楽しかった。
「せっかくだから、一から説明してあげる。四性質を頂点とすると、辺は四大元素になるの。熱と乾という性質の頂点を結ぶ辺は、火という元素になるのよ。だから、大事なのは四つの頂点と、四つの辺を持った四角。それがなぜ、三角が二つ重なった六芒星がメジャーになっていったかというと……」
テントの入り口はいつの間にか逃げられないように、お香の煙の壁で塞がれていた。
「死んだら別れの言葉で聞いてやるから、この煙をどうにかしろよ。なんだよこれは……」
リットは煙を手で払おうとするが、綿を敷き詰めた布のように重く、煙が動くことはなかった。
「それは普通のプラスの力を使うんじゃなくて、マイナスの力を利用した煙よ。さぁ、ここで問題です。このマイナスの力のことをなんていうでしょうか。魔女になりたての一桁の年齢の女の子だって答えられる簡単な問題よ」
「答えは簡単だ。小便で煙を消される前に、さっさと消せ」
「ぶっぶー! 答えはウィッチーズ・カーズでした! こんなのもわからないなんて、本当に無知なのね。もしかして魔女三大発明のことも知らない?」魔女は使い古した本を取り出すと、「まずは使い魔のことからね……」と軽快にページを開き出した。
リットはだんだんと厚みを持ってきた煙の壁に向かって、「おい、ノーラ!」と助けを求めて大声をぶつけた。
その声は墨を買い終えて、テントを出たばかりのグリザベルとドリーの耳にも届いていた。
「聞こえたか、ドリーよ。虐げられ、相手にされず、店を追い出された男の悲痛な声が。我に助けを求めておるわ」
「聞こえましたけど……名前が違いましたよ」
「切羽詰まった状況では、ようあることだ。どれ、泣き顔を拝みに行くとするか」




