第二十一話
何日も馬車に揺られ、乾いた荒野の空気が消え、草木の匂いを纏った湿った風が吹いてる。
太陽は真上に昇ったばかりだが、リットは心地良さに身を任せて眠り、昔の夢を見ていた。
夢の中では、空に夜の色が見え始めた夕方。いつものカーターの酒場のカウンターで、リットは酒の注文と一緒に代金を置いた。
代金を受け取ったカーターはすぐにしまうことはなく、浅黒い手の中で硬貨を遊ばせ、チャリチャリと音を立たせながら、リットの顔をまじまじと眺めた。
「どうしたんだ? 最近やけに金払いがいいな。なんていうか……気持ち悪い……」
「金払って、なじられる趣味はねぇぞ。最初の一杯くらい、気持ちよく飲まそうって気はねぇのか」
「それだ。最近は昼に来ることも少なくなってきたしな。ますます気持ち悪い」
「喧嘩を売っても買わねぇぞ」
「そんな物騒なものを売る店じゃないぞ。なんにせよ、真面目に働くってのはいいもんだろ」
長々と話してから、カーターはようやくコップに酒を注いだ。
リットは一杯目を一気に飲み干すと、空のコップを乱暴にカウンターに置いた。何も言わなくても、二杯目をカーターが注ぐ。
「それが不思議なことにだ。昼間に店を開けても、客なんてほとんど来ねぇ」
「今までが今までだ。昼間に開いてない店にわざわざ足を運ぶ客なんていないだろ。儲けたかったら、しばらく続けることだな」
カーターはバカにした様子が半分、激励が半分といった笑いを響かせるが、周りの酔っぱらいの同調するような笑い声が重なると、嘲笑ばかりがリットの耳に届いた。
いつも浴びせる側の嘲笑を浴びたリットは、振り返って酔っ払いたちに悪態をつくと、ムスッとした顔のままカウンターに片肘をついた。
しかし、酔っぱらいはリットの反応に喜ぶばかりで、それを肴に酒をあおった。
「ひでぇもんだな、酔っ払いってのは。あっち側に戻ったほうが楽だな」
リットはコップに口をつけ、酒を一口含む。
本当は二杯目も一気に飲み干すはずだったのだが、カーターにかけられた言葉によって含むだけにとどまってしまった。
「二人分食い扶持を稼ぐのは大変だろ」
ニヤリと笑うカーターを見ながら、リットはゆっくり喉を鳴らして一口分の酒を飲み込んだ。
「別に、そういうわけじゃねぇよ。金持ちの依頼品ついでに店を開けてるだけだ」
「そうか。でも、もう三ヶ月は経つぞ」
カーターの言う三ヶ月は、依頼を受けてからという意味ではない。
宝石をふんだんに使ったランプを作って欲しいという悪趣味な依頼を受けたのは半年前。宝石を装飾するだけで、他は普通のランプと違いはないので、ずっと前に完成させ、既に品を渡し、代金も貰っている。
三ヶ月前というのはローレンから装飾に使う宝石を仕入れた日、もっといえばリットがノーラと出会った日だった。
そのことを言っているのに気付いていたが、リットもカーター同様ノーラという名前を出すことはなかった。
「長い人生だ。二度や三度くらい、真面目に店を開ける日もあるだろ」
「真面目って言ったって、週に一日だけ開いてるような店が、三日開けるくらいに変わったもんだろ」
「充分だ。単純に計算して、労働時間が三倍だぞ。三倍働いてみろってんだ。死んじまうよ」
「そういうのは、人並みに働いてから言うもんだ。三倍になったところで、オレの半分以下なもんだろ」
「酒に囲まれる夢のような仕事だろ。なら、オレも三倍どころか毎日店を開けてるよ」
「なに言ってんだ。そんな夢のような生活を捨てて、この町まで出てきたのは自分だろ。まぁ、オレなら酒場もランプ屋も捨てて王子様にでもなるけどな。……悪かったよ」
リットに睨まれているのに気付いたカーターは、お詫びにとでも言うように半分程中身が残った酒瓶をカウンターに置いた。
「これで儲けたと思うのは、自分がみみっちく感じるな」
「なら、そう思わないためにも、早く帰って、早く寝て、早く起きて仕事をするんだな」
「ローレンと仕事の話で待ち合わせてんだよ。じゃなけりゃ、こんなところに好きこのんで来るか」
今度はリットがカーターに睨まれた。正しくは睨まれるというよりも、眉をしかめた目でただじっと見られている。
「なんだよ……。たしかに好きこのんで来てるよ。でも、仕事の話があんのは本当だ」
「そのわりには、いつまで経っても姿を見せないけどな」
カーターは入り口の扉を見て、鼻で笑ってみせた。
リットも扉を見ると、眉間にしわを寄せた。
「……本当に来ねぇな。夕方のうちには来るって言ってたのによ」
「なんだ。酒を飲みに来る口実じゃなくて、本当に待ち合わせか」
リットは口実という言葉をわざと聴き逃したように装うと「この間のランプの依頼。売り上げ分のいくらかを渡すんだ」と金の入った小袋をカウンターに置いた。
「そりゃ、またご丁寧に」
カーターの含んだ言葉に、リットはいい加減にしびれを切らした。
「さっきから……二人分とか、口実とかよ。オレの後ろに誰を見て言ってんだよ」
「誰って、ノーラ以外誰かいるのか? あのリットが誰か住まわせてんだぜ。ほじくり回して聞きたくなるってもんだろ」
「どのリットのことを言ってんだよ」
めんどくさそうに顔を背けるリットだが、わざわざ視線に入るようにカーターが指をさした。
「このリットのことだ」
「勝手に住み着いてんだ。ネズミと一緒だ」
「そう邪険にしなくても、料理とかさせればいいだろ」
「やらせた。白い皿に見事なコントラストの黒い料理ばっかりだ」
「洗濯は?」
「服を新調するはめになった」
「掃除」
「これ以上家を壊されてたまるか。まともにやれるのは店番くらいなもんだ。それも、妙に人当たりがいいせいで、ガキのたまり場だ」
疲れたようにカウンターに突っ伏すリットの耳に「結局色々やらせてんだな」という言葉が聞こえてきたが、そのまま顔を上げずにいた。
カーターもそれ以上はなにも言わず、他の客の接客を始めた。
しばらくすると、「いい頃合いだね」というローレンの声が聞こえたので、リットは顔を上げた。
「どこがだ。遅すぎだろ」
「仕方ないだろう。急用が入ったんだから」
ローレンはリットの隣の席に座ると、カーターにワインを頼んだ。
「言い訳すんなら、バレないようにバッヂくらい外してこいよ」
リットはローレンの首元に目をやった。朱を散らしたような痣がくっきりとできていた。
「勲章と言ってくれたまえ。それにちょうどいいと思ったんだよ。キミが酔いつぶれるまでの時間つぶしに」
「金勘定をごまかされてたまるか。ほら」
リットはカウンターに置いたままになっていた小袋をローレンの方へと寄せた。
ローレンは中身を出した。確認をするためではなく、ここの支払いをするためだ。先程のワイン代だけではなく、リットの分も置いている。
「ごまかすと言えば――」
と、切り出すローレンに、リットは首を横に振ってから、おもむろに口を開いた。
「もうムリだぞ。オマエの体はどこもかしこもボロボロだ。肺も胃も肝臓もな」
「心臓は?」
「先月一回止まって、奇跡の生還を果たしたばっかりだろ」
「じゃあ、腎臓は?」
「腎臓は……片方残ってるな」
「なら、それでいこう。今から僕は腎臓の病気だ。だから、ニコルには会えない。いいね?」
ローレンは念を押すように、リットの胸を指さした。
「なんなら死んだことにしてやろうか?」
「死ぬにはもったいない胸の持ち主なんだ。しばらくは、病に冒された腎臓をサンドラに看病してもらうさ」
「まだ、あのヒステリー持ちの女と付き合ってたのか?」
「サンドラはヒステリーじゃないよ。誰にでも癖はあるだろう? 笑う時に肩が動くとか、泣く時に口元に手を当てるとか。彼女は怒る時に物を壊す癖があるだけだ」
「オマエが人生を壊されようがなんでもいいけどよ。あんな尻の小せえ女、入れ込むほどの女か?」
ローレンは一気にワインを飲み干すと「それは聞き捨てならないね」と、声を低くして言った。「女性の短所ばかり見るのは悪い癖だよ」
「短所を見ねぇから、いまだに乳離れができねぇんだよ。だいたい乳なんてのはな。ガキがいる砂場と一緒だ。寄せて集めりゃ、誰でも山ができんだよ。良い尻ってのは、陶器と一緒だ。出来上がりゃ、崩れることなく形を保つ」
しばらくは他の酔っぱらいも混ざり普通に雑談を続けていたのだが、いつの間にか一人、また一人と、二人の席から離れていった。
険悪な気配が広がったからだ。ローレンは今にも牙を剥きそうな剣幕で、リットは黙って睨みつけている。
場の空気を察して、気を使い割って入る人は誰もいない。周りは二人を放っておいて、各々小さいグループを作ってそこで盛り上がっていた。
「まさか、こんなに侮辱されるとはね……。人を見下して、胸より下のお尻にしか目がいかないような男とは一緒にいられないよ」
ローレンは叩くようにカウンターに両手をついて立ち上がる。目にかかる長い前髪をかき上げると、リットを一睨みして酒場を出て行った。
カーターは険悪な空気を残していったローレンが座っていた椅子を見てから、リットの方を向いた。
「嘘だろ……こんなくだらないことで、喧嘩するのは初めて見たぞ」
「なに言ってんだ。この酒場でベスト・スリーには入る話題だろ。栄えある第一位は、いつからカーターがハゲたかだ」
「そう酒の席での話題だ。普通は怒って出て行くまでは発展しないもんだ。それにこれは剃ってんだ。毎朝手間をかけてな」
カーターはカウンターに身を乗り出して、リットに後頭部を見せつけた。
「それで傷だらけなわけだ」
「本当か?」カーターは自分の頭を撫でる。「気を付けてるんだけどな……。おい、リット。どのへんだ?」と、再びリットに目を向けると、既にリットはカウンターに突っ伏して眠っていた。
夕方の色が一つもない、暗い夜空になった頃。「おじゃまっス」と、酒場の両開きの扉をくぐるようにしてノーラが中に入ってきた。
「今日も酔いつぶれて寝てるよ」
カーターが顎をしゃくってリットを指すと、ノーラはジャンプするようにして隣の椅子に座った。
「晩御飯を食べに来たんスよ」
「それにしては、毎度毎度ご苦労な様子で」
「迎えに来たのは最初の一回だけっスよ。あとはついでっス。そう言わないと怒りますからねェ、旦那は」
「お互いそうやって流すってことができないから喧嘩になるんだよな……」
カーターは呆れた顔で、突っ伏しているリットの後頭部を見た。
「なんの話っスか?」
「素直になれない男の話だ。それより食べに来たんだろ。なにを食べる? まぁ、酒場だからツマミになるようなものばっかりだけどな」
「なんでもいいっス」
「そう、遠慮するなよ」
「なんでもいいから、いっぱい持ってきてくださいなっと」
カーターは言わなければよかったと肩をすくめると、余り物で調理を始めた。
調理の音を響かせながら「どうだ? いじめられたりしてねぇか?」と聞くが、カーターの声に心配している様子はなかった。
「楽しくやってますよ。仕事も覚えてきましたしね」
「あのランプ屋で覚えるような仕事があるのか? 閑古鳥の鳴き声を初めて聞いた店だぜ」
「私がいる時はお客さんが来てますから、聞いたことないっスねェ。どんな鳴き声なんスか?」
「今もそこで鳴いてるだろ」
カーターはフライパンから目を離さず、いびきともうめき声とも取れないものを発して眠っているリットを顎で指した。
「朝方もよく鳴いてますよ」
「まぁ、リットは口も性格も私生活も悪いけど……」
そこまで言って、カーターは言葉を止めた。
ノーラに「けど、なんスか?」と続きを促され、頭を悩ませてからおもむろに口を開いた。
「癖はある」
「普通、けどのあとは褒め言葉だと思うんスけどねェ」
「一応褒めてんだぜ。癖がある奴と付き合うと、普通の奴じゃ物足りなくなるからな。そういう奴とは、なんだかんだ長い付き合いになるってもんだ」
「旦那のお友達も変な人が多いっスからねェ。たまにふらっときて、変な依頼を押し付けて行くって愚痴ってますよ」
「変に知識はあるからな。妙な行動力も。だから、変な依頼はみんなコイツに押し付けられる」
「でも、旦那は結構選り好みして依頼を受けてますよ。しょっちゅう口論になって、お客さんを追い返してますし」
「そりゃ、頼み方が悪い。まず興味を引かせんだ。で、次に環境を整えてやる。するとな、あとは勝手に動いてくれる」
「聞いたことありますねェ。イミルの婆ちゃんが子育てのコツって言ってました」
「根が子供だからな」
カーターはリットを見てからかうように口元に笑みを浮かべると、できたばかりの料理をノーラの前に置いた。
ふいに息苦しさを感じて、リットは飛び起きた。今まで見ていた夢が、背もたれと背中の間にすっぽりと落ちてしまったかのように、夢の尾を引くことなく、はっきりと覚めた目に映ったのは、ナッツの殻を持ったチルカの姿だ。
「やっと起きたのね。もう少しで、口にまで殻を詰めるところだったわよ」
リットがなにか喋ろうとすると、言葉よりも先に鼻からナッツの殻クズがぼとぼと落ちてきた。
「……オレの鼻の穴に巣でも作る気でいたのか?」
「声をかけても、叩いても起きないからでしょ。ついたわよ」
そう言うとチルカはさっさと馬車から降りて、家へと向かって飛んでいった。




