第二十話
「まぁ、とにかくこの話は終わりだ。非難をしたところで、なにも変らないからな。大事なのは、それからどうするかだ」
マグダホンは妙に演技がかった声色で言うと、手を叩くのを区切りにし、話題を変えた。
風に押し出され、手の隙間からは燃え尽きた篝火の燻った煙のように、もわもわと土埃が舞った。
その汚れた空気が消えないうちに、マグダホンはポケットに手を入れ、リットが出かける前に渡したキュモロニンバスの天空城の壁石を取り出した。
それを金床二つの上に板を敷いただけの即席の机に置くと、もったいぶってゆっくり手を離した。
マグダホンは「どっちが、預かった石かわかるかな?」と言いながら、そっくりな二つの石に使いかけの背の低いロウソクを近付けた。
一つは光り、もう一つはただの石のように光を浴びているだけだ。
リットは迷うことなく光っていないほうの石を指す。
「オレの話を聞いてたのか? オレが言ってるのは、闇に光る石のことだぞ。反射する石を作られても困んだよ」
「そう結論を急ぐな」
マグダホンは髭の下の口をひん曲げて不敵に笑うと、ロウソクを片手に持ち、石と石の間の机の表面に火を近付けた。
焦げたにおいが漂い、机の一部が黒く染まったのを確認すると、マグダホンは口をすぼめて、大げさな音を立てるように勢い良くロウソクの火に息を吹きかけた。
壁のロウソクの明かりだけの薄暗い部屋。机の上では、二つの光がリットとマグダホンの手を照らした。
一つはキュモロニンバスの天空城の壁石。
もう一つは、さきほどマグダホンが焦げ跡を付けていた机の一箇所だった。
最初は壁石から発している光が机に当たっているだけだと思っていたリットだが、マグダホンが不敵な笑みを浮かべたまま執拗に顎をしゃくって壁石を指すので、壁石を自分のポケットに入れて、もう一度机の上を見た。
壁石より淡い光だが、反射ではなく、たしかに光っている。
リットがこっちに仕掛けがあるのではないかと短いロウソクを手に取ると、マグダホンが新たなロウソクに火をつけて部屋を照らした。
「それはこれと同じ普通のロウソクだ。それも、商人から安物買いした質の悪い品だ」
マグダホンの言うとおり、燃焼中のロウソクはススをたくさん出し、ロウの溶ける速度も速い。
一般に流通している安物のロウソクよりもさらに質が悪いものだ。
少なくともリットが自分の店で取り扱うには、無知な子供を騙すくらいじゃないと売れないだろう。
「なら、こっちが本命か?」
リットがススで汚れた机を人差し指の腹で擦ると、焦げた暖かさは既に消えており、まるで氷にでも触れているかのような冷たさが刺すように伝わってきた。
指を離すと、焦げは指の腹に移り、木板の机に小粒の石程度のガラスのようなものが置かれているのが見えた。
「なんだこれは?」
リットは指を押し付けて腹にくっつけると、眉間にしわを寄せてまじまじと眺めた。
「それが闇の中で光る正体だ。貸してみろ」
マグダホンに言われ、リットは落とさないように慎重にガラスのかけらのようなものを手渡す。
受け取ったマグダホンも、落とさないように親指と人差指でつまむ。すると、小さなガラスのカケラのようなものは、指の肉にすっかり隠れてしまった。
そのまま水が張ってるある桶の中に指を入れると、すぐに出し、指を振って水気を切ってから、再び机の上に置いた。
マグダホンがまた大げさな音を立てて息を吹きかけ、ロウソクの火を消すが、今度は机の上で光ることはなかった。
「どうだ? わかるだろう?」
マグダホンが自己完結したように頷いて言う。
「……せっかく同じ言語を話せるんだ。言葉にしてもらいてぇな」
「リットが焦げと言っていたものは。焦げじゃないということだ。フェニックスの転生の炎の焦げ跡と言っていただろう?」
「浮遊大陸ではそう聞いた。フェニックスの炎じゃないってのか?」
「それはわからん。マッチの火か、薪の炎か。それとも、本当にフェニックスか。それは私にはあずかり知らぬことだ。わかることは焦げ跡ではなく、今もなお燃えているということだ」
マグダホンの言葉を聞いて、リットはポケットの中の石が急に熱を持ったような気がして取り出したが、それはただの気のせいで冷たい石が手の中にあるだけだった。
「もうちょっとわかりやすく説明できねぇのか?」
「そのまんまだ。チルカの羽を見ているだろう? 明るいところでは光っているようには見えないが、暗いところでは光る」
「それは別もんだろ。たしかにチルカの羽はそうだが、炎には色ってもんがあんだぞ」
「キミがその言葉を言うとは思わなかったぞ」
マグダホンはリットの私物であるランプを見ていた。その油壺の中には、太陽の色と同じ輝きで燃える妖精の白ユリのオイルが入っている。
「あのなぁ……酒飲んで、ギャンブルに負けて、素っ裸になっても、オレはランプ屋だぞ。炎が熱いってのは、そんじゃそこらの奴より重々承知してる。中で燃えてるなら、ランプの火屋越しにだって触れねぇよ」
「その疑問は、一つの鉱物の名ですべて解決される。鉱物の名は『グリム水晶』。水のように透明で、水のように冷たい鉱物だ。その中に閉じ込められ、燃え続けているというわけだ」
「グリム水晶ってのは、高級なメガネとか望遠鏡のレンズに使われてるってやつだろ。なんで、燃え続けてられんだ?」
「不思議な鉱物だからですよ」
ドリーが神妙な声と顔付きで言った。
「……まだいたのか。どっかに行っていいぞ」
答えにならない答えに呆れたリットは、部屋の入り口を指して追い払おうとしたが、ドリーは姿勢良く座り直し、長話を迎え入れる態勢に入った。
「グリム水晶は唯一地上では掘ることのできない鉱物ですから、興味があるんですよ。地上にあるのは、既に加工済みの輸入品か、落ちてきて砕けた残骸が見つかるくらいです」
「魔女が大地を浮かせる過程でできた副産物みたいなものだからな」
「よく知ってますね」
「受け売りだ。空の上の知り合いのな。それで、燃え続けられる理由はわかってるのか? なにかに活用しようとしても、それがわからないと安心できねぇ。急に光が消えましたじゃすまねぇからな」
「確証はない。が、今リットが言っていたことはヒントにならないのか?」
マグダホンが言っているのは、『魔女が大地を浮かせる過程でできた副産物』というところだ。
リットはその言葉を頭の中で反芻すると、言葉が形を持ち始めた。
文字はバラけて線になると、輪郭を繋ぎ、チルカの姿を作り出した。
チルカは飛ぶ時に風の魔法を使うと言っていた。
魔女が使っていた大地を浮かび上がらせ浮遊大陸へと行く魔法。浮かび上がるのには、四大元素の『風』という力を使うということになる。
そして、火が燃え続けるのには『空気』がいる。
ならば風という魔力の副産物が、グリム水晶の正体かもしれないということだ。
しかし、グリザベルからくすねた本で手に入れた知識程度では、リットは憶測の域を出れずにいた。
「なんとか、グリム水晶の塊でも手に入れられれば。詳しい奴に調べてもらうんだがな……。いや……ディアナの時の額縁についてたグリム水晶があったな。でもありゃ、魔法陣として使われてたから、別の魔力が流れ込んでる可能性もある……」
リットがぶつぶつと口に出して今後の予定を考えていると、マグダホンがわざとらしい咳払いをして割って入ってきた。
「色々考えるのに役立つことがあるのだが……。最初に聞いておきたい……。良い知らせと、悪い知らせのどちらから聞きたいかな?」
「その言い回しは……悪い知らせを聞かされた途端に、先に聞いた良い知らせが意味をなさなくなる時が多いと思うんだが……」
「なら悪い知らせから言おうか?」
「……聞く前にだ。その悪い知らせを、なんとか良い知らせに変えてくんねぇか?」
「しょうがない……。少しだけ良い知らせに変えてやろう。良く言えば、グリム水晶はここにあった」
「あったってことは、もうないってことじゃねぇか」
「それは悪く言った場合だ。少しだけ良い知らせに変えてやろうと言っただろ。だから、あった。ないと断言されるより期待度は上がっただろう? 大人の見栄と一緒だ。昔から足が遅かったより、昔は足が速かったのほうがなんとなく良く聞こえる」
「良い知らせも同じような言い方で濁したら、寿命も早めるぞ」
リットが強い口調で言うと、マグダホンはつまらなさそうに肩をすくめた。
「良い知らせのほうだ。私はグリム水晶を加工する技術を持っている。持ってきたら、お望み通りに加工してやれる」
「そりゃありがたいね。おかげで希望が見えた」
「そう皮肉ばかり言うな。それにしても……一昨年くらいに確認した時は、たしかにグリム水晶があったんだがな……」
「間違って売ったか、加工したんだろうよ」
リットは部屋を見渡しながら言った。
お世辞にも整理されているとは言い難い部屋は、鉄や銅などの鉱物や装飾に使われる宝石が乱雑に箱に積まれて置かれていた。中のものが一つ二つ減ったところで、気付くことはないだろう。
「そうしないために、土の中に埋めておいたんだ。高い酒が入ってるから、特別な日にでも掘り出して、ちびちびやろうと思ってな。まぁ、たいして中身は残っていなかったがな」
言いつつも、マグダホンは名残惜しそうに目を細めた。
「土の中に埋めた?」
リットはマグダホンの目を見ずに、床あたりを眺めながら言った。
「そうだ」
「中に酒が入ってたって?」
「そうだと言っているだろう。土の中に埋めておくと、酒が冷えて格別なんだ」
「つまり酒瓶ってことか」
「まるで心当たりがあるような質問の仕方だな。それも、やましさが垣間見えるような、悪い質問の仕方だ……」
マグダホンは丸い大きな瞳を向けるが、反対にリットは目を小さく細めて遠くを眺めるように、マグダホンの後ろの壁を見た。
「そりゃ悪い言い方だ。良い言い方をすると、心当たりがあっただ。ないと言われるより、期待度は上がっただろ」
「なにを言っとるんだキミは……」
マグダホンはまったく意味がわからないといった表情を見せている。
言った当のリットも次の言葉が口から出ず、ごまかす代わりに強引に話を続けた。
「金はかかるけどしょうがねぇ……。その酒瓶はどこで買えるんだ?」
「金だけで帰るものではない。時間と……あと、運も必要だ」
マグダホンは何か考えるように上目を向いて言った。つられるように、リットも部屋の天井を仰ぐ。
何の意味もない。無意識の行為だったはずが、上を向くと、なぜか鮮明に掘り出した酒瓶が頭に思い浮かんだ。
「グリム水晶を使った酒瓶ってことは、地上のもんじゃねぇな」
「そうだ。帰り方を忘れたはぐれ天使を助けた時に貰ったんだが、地上では飲んだら終わりだ。浮遊大陸なら、新たな酒を継ぎ足してくれるらしいがな」
マグダホンの言葉と重なるように、リットの頭の中では『きっと必要になるものだ』というメディウムの声が響いた。
それともう一つ、自信家で人懐っこいヴィクターの笑い声も重なった。
浮遊大陸から帰る時にメディウムから瓶ごと貰った酒。そして、ヴィクターがどこからか手に入れていた同じ形見の酒が二本。合計三本がリットの家に置いてあった。
「三本もありゃ、なんでも作れるよな」
「家を作れと言われなければな。どうしたんだ、いきなり。まるで持っているような言い方じゃないか」
「そりゃ悪い言い方だ。良い言い方をしてやる。持ってんだ」
リットは立ち上がると、話についていくことを諦め、ぼーっとしていたドリーの襟を掴んで歩き出した。
部屋を出る前に一度だけ振り返り、「いいか、オレが戻ってくるまで仕事を入れるなよ。戻ってきたら、すぐに仕事を頼むからな」とマグダホンに言ってから部屋を出た。
引きずられるまま、自分の踵が引く二本線を眺めながら「あの……」と、ドリーが切り出した。
「なんだよ」
「まったく話についていけていないので、説明してほしいんですが……」
「オレはこれから家に帰る。で、酒瓶を取り、リゼーネで根暗魔女にグリム水晶のことを相談してから、ここに戻ってくる」
「リットさんの予定ではなくてですね。僕が引きずられている理由のほうを聞きたいんですが」
「移動するには馬車がいるだろ。行って帰って寄り道に付き合う便利な御者が必要なんだ」
「普通、まず僕の予定とかを聞きませんか?」
「聞いてもいいけどよ。どうせ、オレに煙に巻かれるんだ。なら、その時間を旅支度に使ったほうが有意義だぞ」
出掛ける用意をさせるためにドリーの部屋へと向かう途中、ホリーと一緒にいるノーラに会った。
「ちょうどよかった、ノーラ一旦帰るぞ」
リットはいつもどおりノーラに声をかけ、いつもどおり帰り支度をするはずだったが、ノーラからの返事はいつもどおりのものではなかった。
「あら、そうなんスか? いつもいきなりっすねェ……。それじゃあ、旦那ァ。いってらっしゃい」
そう言ってノーラは手を振ると、ホリーとどこかへ行ってしまった。




