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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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第十八話

「おはよう、リット」

 工房の前の通路で、笑顔で元気よく中指を立てて挨拶をするホリーの頭上では、ニヤニヤとした悪意のある笑みで「おはよう、リット」とチルカが同じように中指を立てている。

「なんだチビども」

 リットも中指を立てて返すと、その指に先にチルカが立った。

「アンタがナンバーワンって褒めてあげてるのよ」

 そう言ってチルカはリットの目の前で、再び中指を立てる。

「ナンバーワンの称号はオマエに譲ってやるよ」

 リットは中指を立てた手でチルカを振り払った。

「皆おはよう。朝から仲が良いな」

 寝癖がついて三日月のようにひん曲がった髭の先を掴みながら、マグダホンが大きなあくびをした。

「おはようさん」とリットが中指を立てると、チルカが指の腹を蹴り上げた。

「なに失礼なことしてんのよ!」

「なんだよ」

 自分に対してならリットの無礼を怒るチルカだが、普段なら人に対する無礼な態度にはなにも言わない。それが、今日に限っては強い非難の瞳を浴びせている。

「少しは目上を敬いなさいよ」

「目上ってのは、目の上のたんこぶのことか?」

「立ちはだかる壁のほうが、かっこいい言い方で好きだな」

 マグダホンは水の入った桶に長い顎髭を浸すと、洗濯物のように絞って水気を切る。そして、ピッチフォークのような大きな櫛で髭を整え始めた。

「まぁ、いくら壁を作っても、ここじゃゴブリンに壊されてしまうがな」マグダホンは大きく笑うと、「リット、予定より作業が遅れているから、話は三日後ではなく四日後だ」と言い残して工房に戻っていった。

 チルカは明らかに作った行儀の良い態度で、マグダホンを見送った。

「おい、オマエが変な態度をとるせいで、勝手に仕事を延長された文句を言えなかったじゃねぇか」

「アンタにはわかんないわよ。これの価値が」

 チルカは腰に巻いていた布を開いてリットに見せつけた。

「なんだそのボロ布は。何十年風呂に入ってない奴の体を拭いたら、そんなに黒ずむんだ」

「ドラゴニュートの鱗を使った研磨布よ。貰っちゃったのよ。これで、ヨルムウトルのお城で拾った銀食器が蘇るわ」

「まだ諦めてなかったのか。銀食器なんて持ってたって意味ねぇだろ。森の中じゃ、あっという間にくすむぞ。人の家に一生住む気もねぇだろうし、住ませる気もねぇよ」

 チルカは「問題はそこなのよ」と神妙な顔つきで言うと、なんの話をしているかわからずキョトンとしているホリーの頭の上に腰を下ろした。「森を出ると、森を捨てるの違いは口を酸っぱくするほど言ったでしょう」

「エルフとダークエルフの違いだろ」

「今はそれは関係ないわよ。問題は、アンタの家の庭が森として認識されたってことよ。あそこにいる唯一の可愛くて聡明な妖精は誰?」

「そんな奴いねぇよ」

「……わかった。アンタに合わせて言い方を変えるわ。可愛さ余って憎さ百倍の妖精は誰」

「それもいねぇ。憎さだけの塊はいるけどな」

「あーもう、それでいいわよ。今は。後で色々言うけど、今はいいわ。その可愛い妖精がリゼーネの迷いの森に帰る。わかるわね?」

「あぁ、お互いせいせいするってことだろ」

 チルカはホリーの頭を足蹴に勢い良く飛び立つと、リットの眉間に向けて人差し指を突き出した。

「間違ってないけど、間違ってるわ! 問題は、私がアンタの庭の森を捨てたってことになることよ」

「どうしてくれてんだよ」

「こっちのセリフよ。庭なんだから手入れしてれば問題なかったわよ。何年もほっとくから森になるんでしょ。おかげで、こっちは定期的にアンタの家の庭に通わないと、太陽神の加護が受けられなくなるのよ」

「太陽に焼かれて、髪と肌が黒くなるだけだろ。なんなら慣れやすいように、先にフライパンで炒めてやろうか?」

「私の目が黒いうちは、そんなことさせないわよ」

「だいたいな。エルフは太陽の加護がなくなったら、ダークエルフになるけど、妖精も似たようなもんになるのか? そんな妖精は知らねぇぞ」

「私だって知らないわよ」チルカはリットの顔から離れると、乱暴にホリーの頭の上に腰を下ろした。そして、腕を組んでそっぽを向く。「知らないから、そうなった時どうなるか怖いのよ……」

 いつもとは違う弱々しいチルカの声に、リットは笑顔で返す。

「そんな心配すんなよ。オマエという最悪の妖精を知ってんだ。他の妖精とは上手くやっていける」

「なんの話をしてんのよ……」

「妖精が住める森ってんなら、あの庭は妖精用の宿にして貸し出せるってわけだ。客だけじゃなく、オレも寝てても金が入ってくるなら問題はねぇって言ってんだ。光が鬱陶しいが、年中ホタルが飛んでると思えば……まぁ、なんとか」

「残念でした。私は白い肌も、金色の髪も気に入ってるのよ。だから、森を捨てる気なんてさらさらないわ。それに、妖精が住む森っていうのは、人のものにならないのよ。だから、あの庭は妖精のものになったの。覚えておきなさい、それが妖精界のルールよ」

「庭ってのは、人のものだから庭ってんだ。覚えとけ、それが人間界のルールだ」

 リットとチルカの睨み合いをなだめるように、ホリーが両手を打って音を鳴らした。

 しかし、なにか言うわけでもなく、手のひらを合わせたままのポーズで固まった。

「なんだよ」とリットに睨まれると、ホリーは手のひらを離して腕を組んだ。

「思いつきで、手を打ってみたけど何も出てこない。今から考えるわ」

「なんなら、その鼻に巻いた包帯を思いっきり締め上げて、脳みそと一緒に考えを絞り出すのを、今から手伝ってやろうか?」

「いい考えが浮かんだ! 今から全力で逃げるわ」

 ホリーはその場で二、三回軽く飛び跳ねて勢いをつけると、短い足を全力で走らせて、通路の奥へとかけていった。頭に乗せたままのチルカの羽が、光る二本の線を描いていた。

 リットは静かになった通路の壁に寄りかかり、漫然と床を眺めた。

「おうおや、俯いちゃってまぁ。どうやらお疲れですね」

 工房からノーラが出てくると、工房の中からは早くもマグダホンが鉄を打つ音が聞こえてきた。

「ここにいる奴らは皆腰より下の背丈だ。嫌でも俯くしかねぇよ。ここで顔を上げる機会なんてのは、瓶底に残った二、三滴の酒を傾けて飲む時くらいのもんだ」

「それって、普段となにか違います?」

「なんなら間違い探しでもするか?」

「そうしたいのはやまやまなんですけどねェ」

 ノーラはストレッチでもするように首を曲げて難色を示した。

「べつに本気で言ってるわけじゃねぇよ」

「でも、ここじゃ酒場もないんスよ。旦那、暇じゃありません?」

「まぁ、たしかにな。なんなら、一緒に抜いた鼻毛でも植えて森でも作って遊ぶか」

「それって楽しいんスか?」

「さぁな。楽しいと感じ始めたら生き物として終わった気がするな」

「抜きすぎて風邪をひいても知りませんよ」

「覚えたての猿じゃねぇんだ。ヌキ過ぎて、パンツを履くのも忘れて寝て風邪ひくほど若くもねぇよ」

「いったいなんの話をしてるんスか……」

「武勇伝だ。マイナス方面のな。でもなぜか男は何回したことがあるかを話したがる。それより、どっか行くんじゃねぇのか?」

 リットが聞くとノーラは困ったように眉をしかめた。

「今のはシモネタじゃねぇよ」

「おぉ……ビックリしましたよ。とうとう見境がなくなったのかと。どっか行きたいんですけど、それにはホリーがどこに行ったかを知らないと」

「アイツなら穴の奥に行ったぞ」

「旦那ってばァ……」

「だからシモネタじゃねぇよ」

 リットは顎をしゃくって、ホリーが逃げ去っていった方を指した。

「それなら、そうと言えばいいじゃないっスか」

「だからちゃんと言っただろ。なんだよ、親に会って急に思春期でも迎えたのか」

「どう考えても、旦那の誘導だと思うんスけど……。まぁ、お土産を持ってくるんで、お楽しみに」

「小石なら間に合ってるからいらねぇぞ」

「違いますよ。水源岩ってあったじゃないですか。ホリーの話じゃ、あの根っこが水を求めて、地中奥深くまで伸びてるらしいんスよ。旦那もドワーフも、食べられればいいってタイプじゃないっスか。つまりここに美味しいものがないってことっス。ないなら、見付けて作ればいい。全部旦那から教わったことですよ」

 そう言うとノーラは歩幅の狭い足跡を残して、バーロホールの奥へと消えていった。

 単純に気が合うのか、似たような種族だからか、ノーラとホリーはよく一緒に行動している。

 特になにを考えることでもないのだが、そのことを考えると、リットは胃の中に茹でた小石があるような、馴染まない違和感が居座るのを感じていた。



 予定よりさらに一日に遅れた、五日後。

 農鍛冶を終えたばかりのマグダホンに、リットがキュモロニンバスの天空城の壁石を見せたが、反応はイマイチだった。

「見たことはないな……」

 明かりを消した暗い部屋。マグダホンの手の中では小さな石が光っている。

 その石を金床の上に置くと、マグダホンはランプに火をつけた。

 明かりが灯り、部屋に色が戻るのと同時に石は光るのをやめる。

「見たことがなくても、似たようなのが作れないか?」

「詳しく見てみないことには、どうとも言えない」

 言うのと同時にマグダホンは金槌を振り上げた。しかし、それが下ろされる前に素早くリットが石を取り上げた。

「危ねぇな……。今割ろうとしただろ」

「割って中を見てみないことには、なにもわからん。服の上からだと、胸が大きいか小さいかわからないと一緒だ」

 マグダホンは不満そうに目を細めて顎髭を撫で、もう一度石を見せろともう片方の手を差し出した。

「百歩譲って、割るのに賛成したとしてだ。その金槌を振り下ろせば、粉々に砕け散るだろ……」

 浮遊大陸から黙って持ってきた壁石は、小指の爪ほどの小さなものだ。マグダホンが持っている金槌は、鉄を打つ時に使っているものだ。そんなもので叩かれては、ひとたまりもない。

 リットはもう一度マグダホンに壁石を渡す気にはなれなかったが、見せないことにはどうにもならないので、渋々と石を渡した。

 マグダホンはポケットから土埃や指紋で汚れたモノクルを取り出すと、それを使ってまじまじと石を眺めた。

「これを作れとな。……難しいな。見当もつかんよ。魔女が作る魔宝石とは違うものなのか?」

「フェニックスの転生の炎で焦げたあとだ。魔宝石とは違う」

「なんだ、それを早く言ってくれ! 簡単なことじゃないか」

 マグダホンは調子良く手を打って音を鳴らした。続いてリットも同じように手を打って音を響かせる。

「それでこそ、来た甲斐があったってもんだ。で、どうすりゃいい?」

「フェニックスを捕まえればいい」

 マグダホンは雑巾を絞るように顎髭をまとめて整えると、得意気に笑みを浮かべた。

「……なるほどな。オレもいい考えが浮かんだんだけどよ。自分の両手で音を鳴らすより、アンタの頬っ面を引っ叩くほうが、良い音が鳴りそうだな」

「冗談だ。そうカッカするな。怒りの炎で焼いても鉄は熱くならんぞ。しかし、これが焦げ跡か……とてもそうは見えんな」マグダホンは偽金でも見るような疑いの瞳で、再び石を眺め始めた。「なんにせよ。すぐには答えはでん。しばらく預かるぞ」

 マグダホンはモノクルと一緒に無造作にポケットの中にしまった。

 その様子を見たリットは、不安ばかりがこみ上げてきた。

「明日になって、光る粉になってましたとかにならねぇだろうな……」

「その心配はない。明日は顔を合わすことはないからな」

 マグダホンは立ち上がると、立てかけてあった農具を持ってきてリットに渡した。

「なんだ? いくらアンタの頭の中がお花畑だからって、耕す必要はねぇだろ」

「ドワーフがなぜ鍛冶だけで生きていけるか知っているか? それだけ貴重な技術をもっているからだ。貴重な技術は高い。その技術を、農具を届けるだけで使ってやろうと言っているんだ」

「まだ、その技術を使うかどうかわかんねぇだろ」

「なにも、博識で、才能があり、ウィットに富み、物腰に品があるいい女を連れてこいって言っているわけではないんだ。難しいことではないだろう」



「博識で、才能があり、ウィットに富み、物腰に品がある女は、いい女じゃなくて、癪に障る女ってんだよ――って反論したとこまでは覚えてんだけどな……。どこでどう間違って流されたんだが」

 農具の届け先であるホニー・サイドの街の酒場でリットは愚痴っていた。

「反論じゃなくて、ただの口答えだからじゃないですか?」

 道案内でついてきたドリーが、水の入ったコップに手を添えながら言った。

「そういうのはな、バーロホールを出る前に言え」






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