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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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第十七話

 深いボロス大渓谷の底を流れる長いカーブを描く川。その川に沿って生い茂る緑にリットは横たわっていた。

 まだ雨季の増水の心配もなく、川は楽しげな静かな音を立てて流れているが、リットはその音も雑音としか感じられずにいた。

 風と川。自然の音しか聞こえなかった空間に、ドリーが歌うのんきな鼻歌が近づいてきた。

 鼻歌は足音とともに止まり、リットの顔に影を作った。

「具合でも悪いんですか?」

「そう見えるんだったら、その目は節穴だな」

 リットはうつ伏せに倒れたまま力なくこたえた。

「そうですか……。顔色が良くないので、てっきり……」

「でもじゃねぇ。具合が悪いんだ。わかったら少し黙っててくれ」

「わかりました」という言葉とともに、ドリーは喋るのをやめたが、代わりにジャブジャブという濡れた布をこすり合わせる音が響きだした。

 初めは気にせずにいたリットだが、叩いて水気を飛ばす音や、また鼻歌が聞こえてくると、不機嫌な顔をドリーに向けた。

「わざわざ嫌がらせをしにきたのか?」

「僕が? リットさんに? まさか、そんなわけないじゃないですか。それを証拠にしっかりと黙ってますよ」

 ドリーは口元で指を動かして、唇を縫い付けるような仕草をした。

「それは、今やらなきゃいけねぇことなのか?」

 リットはドリーの横にある、山ほど積まれた大量の洗濯物の入ったカゴを顎で指した。

「この量ですからね……。今やらないと、夜までに乾きませんよ」

 ドリーは朝のまだ柔らかい日差しを落としてくる太陽を見上げて言った。

「なら、誰かに手伝いを頼んで早く終わらせてくれ」

「それは難しいですね……。売上金を持って帰ることができなかった罰ですから。皆洗濯よりも、採掘のほうが好きですからね。洗濯の音が気になるのなら、バーロホールの中にいたほうがいいですよ」

「あの中だと、ドワーフのハンマーとゴブリンのツルハシの音が、二日酔いの頭に鐘のように響くんだよ。なんでドワーフの酒ってのはあんなに強いんだ……」

 ドリーは「あぁ……」と昨夜の出来事を思い出して苦笑いを浮かべた。「相当飲んでましたからね。覚えてます? ゴブリンの集会所に来てボスの頭を叩いたこととか」

 昨夜は夕食を終えると、マグダホンがノーラとの再会を祝うために酒の席を開いた。

 最初はノーラの家族とリット達だけで盛り上がっていたのだが、いつの間にか隣の部屋の住人が混ざり、そのまた隣、また隣と、バーロホール全体を巻き込んでの酒盛りになっていた。

 しかし、二日酔いになったのはリットだけで、他のドワーフ、ゴブリン達はいつもと変らない朝を過ごし、仕事に勤しんでいた。

「飲んでた記憶なんてねぇよ……。だから、チビの頭を叩いた記憶もない。どうやって作業部屋に帰ったかも。どうしてケツにナンバーワンって痣ができたのかもな」

「本当に覚えてないんですか? ほら、話しかけてくるホリーに中指を立てて、追っ払おうとした時ですよ」

「追っ払って、なんでケツに痣ができんだよ……。ゴブリンの呪いか?」

「中指を立てる意味をホリーに聞かれた時。これはナンバーワンって意味だって教えたじゃないですか。ホリーはそれをえらく気に入ってましたから……。えっと……それで……、リットさんのマネをして中指を立てたまま、半分お尻を出して寝ているリットさんに……こう爪で……」

 ドリーは申し訳のない顔を浮かべると、昨夜の再現をするように、空中に爪を立てて文字を書いた。

「……なんで、その場で止めねぇんだよ」

 リットに睨まれたドリーは、慌てた様子で両手を振った。

「止めました! だから左のお尻に、ワーストワンとは書かれないで済んだんですよ!」

 ドリーは助けを乞うように、胸の前で両手を合わせた。

 すると、神の声ではないが、チルカの声がリットの影から聞こえてきた。

「お尻を出して寝てるほうも問題じゃないの」

 チルカの声は押しつぶされたように苦しそうなものだった。

「あれ? いたんですか。チルカさんも二日酔いですか?」

 ドリーは首を伸ばして、リットの影で光るチルカを見た。

 リットと同じようにうつ伏せに倒れ込んでいる。

 チルカは青い顔をしたまま、見下ろしてくるドリーを睨みつけた。

「コイツは食あたりだ。古くなった乾燥野菜が合わなかったんだとよ。口と尻から垂れ流しで大変らしいぞ」

 ドリーは「そうですか……」と目を伏せた後、いい考えが浮かんだと目を見開いた。「ホルトンさんのところに赤ん坊が生まれたんでした。たしか、オムツがここに……」

「下からは漏れてないわよ!」

 チルカが怒鳴りつけて飛んだ瞬間、「うっ……」という声が聞こえると同時に、リットの首筋に生温かいものがかかった。

「おい、まさか……」と、リットが言った瞬間、背中にチルカが落ちてくる。

「セーフよ……。安心しなさい。私は無事」

「そうじゃねぇよ。ねっとりとしたものが、オレの首を垂れてることについてだ」

「だから無事よ。私は背中に落ちたから」

 そう言うと、チルカは黙ってしまった。悪いと思ったわけではなく、これ以上口を開くと、また口から昨夜の食べ物がこぼれ落ちそうになるからだ。

「あの……。シャツを洗いましょうか?」

 ドリーはリットの首筋を垂れる少量の嘔吐物を拭きながら言った。

「……そうしてくれ」

 リットもそれだけ言うと、気だるさに負けて眠りについた。



 リットが目を覚ましたのは、太陽が真上に見える頃だった。

 体の気だるさは少しは消えたものの、頭は小人がツルハシで穴を開けてくるようにズキンズキンと痛む。

「何が悲しくて裸で寝にゃいけねぇんだ。昨夜はケツ出して、今度は上半身。となると……今日の夜は気をつけねぇとな」

 リットは自分の股間に視線を移した。

「さすがに今夜はベロンベロンに酔っ払うのは勘弁してほしいです……。昨夜は運ぶのが大変だったので……」

 リットが一眠りした後も、ドリーはまだ川で洗濯をしていた。

「まだやってんのか」

「ゴブリンとドワーフの分を合わせると相当な量ですから。大変ですけど、全部干してる光景はなかなか壮観ですよ」

 ドリーはどこか楽しそうに言う。

「ゴブリンもドワーフと一緒で、朝と昼は仕事、夜は自由時間だろ。そんなサイクルで生きてる種族なのに、オマエは随分とマイペースだな。まぁ、ノーラもだけどよ」

「たしかにそう言われますね。でもマイペースって良いことだと思うんですよ」

「別に否定してるつもりはねぇよ」

「ですよね! 新しい発見をする人は、大抵マイペースな人です。つまりは自由な人なんですよ。僕やリットさんみたいに」

 ドリーは大きなプレゼントを目の前にした子供のように目を輝かせていた。

 反対にリットはプレゼントの中身が期待外れだったかのように、険しく目を細めた。

「オマエのマイペースは要領の悪さからだろ。一緒にされるとな……」

「一緒にされると、なんですか?」

「バカにされてるような気がする」

「自分のことも含めて言っているんですから、バカになんてしてませんよ。ゴブリンの言葉で『良いツルハシの音は後から響く』というのがあるんです。いつか成功したいという意味です」

「なに言ってるのよ。どっちもバカよ」

 チルカは体を起こすなり、開口一番に二人を罵った。しかし、顔色は悪いままだった。

「また吐きそうな顔してまで言うことか?」

 とは言ったものの、リットも痛むこめかみを押さえていた。

 良くなってきたものの、まだ頭痛の波は高波のように強く襲ってきている。

「なんで体調が良くならないかがわかったわ……。このちぐはぐな自然のせいよ……」

 チルカは足元の緑を睨みつけると、風に舞った埃のように、ふわふわと上にある旅人の橋が架かる自然豊かな丸い大地まで飛んでいった。

「なに言ってんだ? アイツは」

「たぶん、ここにある草や花のことを言っているんだと思いますよ」

 ドリーはつま先で地面に咲いている黄色い花を指した。

 その花はリットが住んでいる町にも咲いているくらいありふれたものだ。

「ますますわかんねぇ。珍しいもんでもないだろ。こんなもんあっちこっちで見かけるぞ」

「だからでしょうね。この花はボロス荒野でも、ここ渓谷の下でしか咲きませんから。というより、ここにある緑のほとんどがそうです。雨季の大雨で遠くの土地から土壌が運ばれ、そこに混ざった種や根から芽吹くんです。だから、毎年ここは様々な土地の植物が広がるんですよ」

「あんなんでも森の妖精だからな。適当に集まる自然は体質に合わないのかもな」

 リットは足元の緑を見てから、川の流れを見た。そして、視線を上げて渓谷の岩と土が混ざった壁を見る。

 リットの視線の意味を理解したドリーは、リットの視線に合わせるように人差し指を高い壁に向けた。

「だいたいあの辺りまで水位が上がりますね。だからそれ以下は掘らないようにしてるんですよ」

 ドリーが指した位置は、二階建ての家でもらくらくと飲み込めそうなほどの高さだった。

 よく見ると、そこから下は深くえぐり取られたようになっており、色も上とは違っていた。

「そんなにすげえのか、ここに降る雨は」

「流れも急になるので、とてもじゃないですが、雨季にここまで下りてこられませんね。だから、雨季前には水を大量に運ぶ必要があって大変なんですよ。生活水に、仕事で使う水。とても一日では運びきれませんね」

 バーロホールから谷底に下りるまでは、一番低い風通しの穴を抜けて、長いハシゴを使って下りなければいけない。

 雨季で水位が上がるので水が入ってこないためのハシゴは仕方ないが、このハシゴが雨季に備える貯水の邪魔にもなる。

 水を持ったまま何人も昇り降りできないため、水運びに何日もかかるのは必然だった。

「雨季なのに、水集めとは皮肉なもんだな」

「雨季は雨季で楽しみもありますよ。『ダーレガトルガー』って魚が、雨季の間だけこの川を泳ぐんですが、ドワーフがそれを縄付きのバリスタで射るんですよ」

「蛇みたいに長い魚のことか?」

「あれ……知ってましたか」

 リットを驚かしたかったドリーは、いたずらをする前にバレてしまったかのような、残念そうな気が抜けた顔をした。

「いや、思い出した。すっかり忘れてたな。また肉球ハンコ付きの催促の手紙が来るところだ」と言ったところで、リットはドリーの姿を値踏みするように足元から頭頂部まで見た。「いや……この場合は、むしろオレが催促の手紙を出してもいいくらいだな。代わりを寄越せと」

「なんか、あまり気持ちのよい視線じゃありませんね……」

 ドリーは居心地が悪そうに腰をひねった。

「なんてこたない。御者が走れなくなった馬を見るような目で見てるだけだ」

「そこまで感謝をされる覚えもありませんが」

「意味わかってんのか?」

「はい、長年人生を共に歩んできたパートナーを慈しむ目のことですよね」

「なるほど……。どうやら、オレとオマエが見えてる世界は、まったく違うものらしいな。オレの目には四足で走り回る動物を慈しむ絵なんて、とてもじゃないが浮かんでこない」

「そんな言い方は酷いですよ、馬はとても賢い生き物なんですから。言葉も理解すると言われていますし」

 ドリーが非難するような目で少しだけ眉の間にシワを作ると、リットはいなすように肩をすくめた。

「たしかに、アイツらは頭がいいな。二本足で立ち、左手に槍、右手に斧を持ち、近づいてきてこう言う。ドリーの脳みそはクルミ並だ。割って確かめなきゃ。ってな」

「嘘ですね。……だって、馬は喋りません」

「俺の夢の中では喋ってたぞ」

「夢というのはですね。眠っている間に見る空想のことでしてね。現実のこととは……あれ、もしかしてからかわれてます?」

「どうだろうな。頭痛の辛さを誰かにぶつけて紛らわしたいってのはあるな」

「それって、紛らわせるんですか?」

「いいや、今のところないな。でも、いつか成功させたいと思ってる。良いツルハシの音は後から響くだ」

 そう言うとリットは、洗いたての濡れたシャツを羽織ってバーロホールの穴に向かって歩いていった。






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