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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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第十六話

 歩けるまで体調が回復したドリーと別れたところで、リットはバーロホールに流れる音が変わっていることに気付いた。

 耳の奥を刺してくるような鉄や鋼を打つ音、鈍く空気を怯ませる槌の音、臀部をくすぐるようなやすりの響き、小気味よく岩を砕くツルハシの音、荷台で地面に線を引く重々しい響き。その全てが、空間を丸ごと取り替えたかのように消えていた。

 消したばかりの暖炉に頭を突っ込んだかのような煙の匂いが充満している。

「なんか森が火事になった時の臭いみたいね。嫌な感じ」

 チルカが鼻を指でつまんで顔をしかめた。

 チルカの言っていることはそう的外れでもなく、薄暗い穴の中を流れる風に、煙が色を付けていた。

 嗅いだことのある石炭や木炭の煙と、焼けた鉄の匂いが半分。もう半分は嗅いだことのない煙の匂いが混ざっている。

 食べ物ではない変に甘ったるい匂いが、自然に鼻の穴をすぼませる。

 リットはシャツの襟元を引っ張りあげて鼻を覆った。

「鉄を熱しただけじゃないのは確かだな」

 シャツの布地を通して聞こえるリットのくぐもった声は、妙に嬉しそうなものだった。

「なによ。その口元を隠しててもニヤついてるのがわかる声は。まさか、変な成分でも混ざってるんじゃないでしょうね」

 チルカは鼻をつまむだけではなく、口元も手で抑えて言った。

「鉄の匂いだけじゃないってことは、別の金属も鍛える術を持ってるってことだからな」

 突き当りの分かれ道をドワーフの仕事場の方へと進んだ時、耳に慣れたドタバタの音が聞こえてきた。

 手前から数えて二番目の部屋。ノーラの父親であるマグダホンがいた部屋から通路に伸びる細長い影は、のらりくらり揺れている。

 部屋に入ると、ノーラが金床を重そうに引きずっているところだった。

「あら、旦那ァ、おかえんなさい」

 そう言うと、ノーラは金床から手を離して、額の汗を手で拭いて一息入れた。

「いまさらドワーフらしく鍛冶でも始めるのか?」

「本当にいまさらっスよ。旦那よりハンマーを持ったことのない私ですぜェ。これはこうするんスよ。で、あれはあーするんス」

 ノーラは足元にある金床と対角にあるもう一つの金床を指すと、乱雑に置かれた木の板の中から、長いものを選んで、三つその上に乗せた。

 そして、仕事をやりきったと言わんばかりに、手についた埃とススを拍手するようにして払った。

「なにをしてるのか、まったくわからねぇな……」

「旦那も案外ニブチンっスね。ご飯を食べるにはテーブルじゃないっスか。だから、こうやって用意をしたんですよ」

 それだけ言うと、ノーラは短い足を走らせて部屋を出ていこうとしたので、リットは襟元を掴んで止めた。

「飯なんじゃねぇのか? 飯なら、毒が入ってても逃げ出さねぇだろ。オマエは」

「そうっスよ。だから、ホリーのところで魚を貰ってくるんスよ。言っておきますけど、旦那はついてきちゃダメっスよ。今日の今日で、また泣かされちゃかわいそうっスから」

 リットが襟元から手を離すと、ノーラは再び短い足を走らせた。

 その後を「リットに泣かされるくらい弱い奴なら、新たな下僕の誕生ね」と言って、チルカが続いていく。

 部屋に残ったのはリットとマグダホンの二人だ。

 小指で耳の穴をほじるマグダホンは、ススで真っ黒に汚れた耳垢を見て「なんじゃぁあ、こりゃあ」とつぶやいていた。

「こんな、どこからが髭で、どこからが鼻毛かわからねぇ小さいおっさんと二人きりにされるとはな……」

 リットがこぼすと、マグダホンは顔だけを向けた。

「なんか言ったか? すまんな、どうも仕事の後は聞こえが悪くてな。とりあえず、ミルクは一度チーズになると、もう二度とミルクに戻ることはない。とだけ返しておこう」

「それは自分の頭の中のことを言ってんのか?」

「ミルクとチーズ……。果たしてどちらが得なのか、私はチーズに一票あげたいところだ。あれは実に美味い。ずっと前の穴にいたら、一生食べることのなかったものだ」

 マグダホンは昔に食べたチーズを思い出して、舌鼓を打った。

「……ひとつ聞いていいか?」

「髭についてか? いいところに目をつけたな。ドワーフの髭の長さは熟練の証だ。若い未熟なうちは、火の粉を飛ばし燃えて短くなってしまうが、私のように熟練になれば、ほら。立派なものだろ」

 マグダホンは猫を抱いて撫でて人に見せびらかすように、白髪の混じった灰色の髭を自慢げに撫でると、そのまま一本にまとめて先を針金で縛った。

 縛られた髭は狐の尻尾のように揺れる。

「聞きたいのは、その髭をまだ燃やしてた頃の話だ。どこにいたんだ?」

「ナップ山のザック穴だ」

「大陸の端か。随分歩いてきたんだな」

「闇から抜けた時に見えた川に沿って歩いてきただけだがな。なにせ急に真っ暗になってしまった」

「そういうもんなのか? 闇に呑まれる現象が広がるってのは」

「穴の中にいたから、気付くのに遅れただけかもしれない。ある朝、突然火が見えなくなった。火がつく音も、燃える煙の匂いもするが、光は見えん。あれほどのパニックはこれからもなることはないだろう」

「パニックになりそうな性格には思えねぇけどな。アンタもノーラも」

 リットの言葉を聞いて、マグダホンは否定とも肯定ともとれない曖昧な相槌を打った。

「探しものが見つからない時のような小さな不安を感じたことは?」

「そんなの誰にでもあるだろ」

「その程度だ。最初はな。だが、闇に呑まれると、胸の奥にできた小さな不安は大きくなり、焦燥となって体を駆け巡る。そうして、思考まで鈍るんだ」

「たしかにそんな感じだったな」

 ディアドレが作り出そうとしたエーテルが幸福という正のエネルギーならば、ウィッチーズカーズによって起こるものは負のエネルギーだ。

 浮遊大陸でリットの体を駆け巡った得も言われぬ不快感の正体も、そのウィッチーズカーズに触れたからだった。

「それで、ドワーフのアンタに頼みたいことがあるんだが」

 リットがキュモロニンバスの天空城の壁石を取り出そうとポケットに手を入れたところで、マグダホンが手をリットの顔にかざすように伸ばして制した。

「仕事の話はなしだ。メリハリが大事だからな。仕事の話は仕事中に、終わった後は道具の手入れもしない。それでこそ作業効率が上がるってものだからな」

「そうみたいだな」リットは床に転がったままの槌を横目で一瞥すると、視線をマグダホンに戻した。「ならいつ話せばいい?」

「溜まってるのは農具の修理ばかりだから、三日のうちには終わるだろう。バーロホールでは、来たばかりの下っ端だからな。重要な仕事はなかなか入ってこないんだ」

「髭の長さが熟練の証じゃなかったのか?」

 マグダホンの髭は自分の小さな身長よりも長く伸びている。

「それも一つの目安ということだ。さっきも言ったとおり、ここじゃ新米だ。隣の空き部屋を見たか? やっと一人後輩ができる。これで、簡単な農具の修理から開放されるってわけだ。まぁ、農具の修理も昔を思い出して楽しかったがな」

 マグダホンはお腹の空気を全て吐き出したかのように大きく笑ったが、ピタリと止まった。

 息が切れたわけではなく、部屋に入ってきた者がいるからだ。

 リットが振り返ると、みたことがあるような人物が立っていた。

「ノーラ……じゃねぇよな」

「母さん、腹が減ったぞ」

 マグダホンは妻の『アリエッタ・ビーライト』に手を振った。

「そう思うんだったら、仕事分以外にも水を汲んでおくくらいの優しさは見せてほしいわ」

 アリエッタは下の川から汲んできた水の入った木桶を床に置くと、汗で縮れた珊瑚色の前髪をかきあげた。

 リットはアリエッタを見てノーラと口にしたが、実際は見間違うほど似ていない。ノーラに比べればアリエッタは幾分ふくよかだし、髪もノーラのようにおさげにはしていない。

 でも、どこか面影があるのは、親子というのを決定付けていた。

「リットだね。ノーラから話は聞いたよ。世話になったそうで。代わりにゆっくりしていきなさい」

 アリエッタは景気よく音を立たせてリットの背中を叩いた。

「モニマミニィじゃねぇのか?」

「どうもその名前で呼ぶと反応が悪くてね……。だから、ノーラでかまわないわ。元気でいてくれたなら、名前なんてどうでもいいことだし」

 アリエッタはよろしくと、もう一度リットの背中を叩いてから、木桶を持って火炉の前まで歩いていった。

 木桶から鍋の中に水を入れると、落ちている木くずを拾い集めて炉の中に放り込んだ。

 そして、鼻歌を歌いながらマッチに火をつけると天井まで火柱があがる。

 木くずに火をつけると、鍋を覆うように大きな炎が上がったのだが、「ちょっと強すぎたねぇ……」とアリエッタが呟くと、鍋底に火の先があたるくらいまで炎がおさまった。

「その力ってのはドワーフ特有のもんなのか?」

 リットは天井にできたばかりの焦げ跡を見上げていった。

「ドワーフの女だけが持っている力よ。『ヒノカミゴ』と呼ばれているもの。男は飯だ掃除だなんて偉そうに言って鍛冶ばかりしてるけど、この力がなければ人間の鍛冶屋となんも変わりはしないわ」

「感謝は毎日しているぞ」

「感謝っていうのはね。お腹をかきながら家事を眺めていることじゃないのよ」

「そう言うが、仕事が終わったら疲れ切っているんだ」マグダホンは言い終わりに、ポンと手を叩いた。「男の仕事は鍛冶で、女の仕事は家事だ。どうだ上手いこと言っただろ」そう言って、得意げにリットの顔を見る。

「たしかに、笑える。でも、オレだったらかみさんの前で言う勇気はねぇな。火事は眺めてるだけに限る」

 リットは道を開けるように移動して、近くの木箱の上に座った。

 その開けられたばかりの道を、アリエッタは短い足で闊歩してマグダホンの元に向かった。

 手に持っていたオタマが勢い良く振り下ろされたが、マグダホンの頭に当たる前に甲高い音を立てて止まった。

「わかったか、リット。仕事の片付けをしないと、こういう良いこともあるもんだ」

 マグダホンは出しっぱなしの槌の左右を持って、オタマを防いでいた。

「両手が塞がってるのに、第二波はどうやって防ぐつもりなんだ?」

 リットが言うのと同時に、アリエッタの空いている方の手がマグダホンの髭を引っ張った。

「まったく……。仕事が終われば一日が終わったと思わないでよ。こっちは寝る前まで一日が終わらないんだから」

 アリエッタが手を離すと、マグダホンは心配そうな手付きで髭を撫でた。

「せっかく伸ばした髭がちぎれたどうするつもりだ」

「たわしにすれば、少しは家計の足しになるわね」

「ノーラのお気楽な性格は親父似だな」

 リットは夫婦のやり取りを見て、退屈そうにあくびをした。その時に、掘り出した酒瓶をどこかにやってしまったことに気付いた。

「ノーラというのは、キミがつけたのか?」

 マグダホンは髭を手ぐしで丹念に整えながら言った。

「話してもつまんねぇぞ」

「話題を変えられるならなんでもいい。我々の共通の話題はノーラだ。その話で盛り上がるうちに、アリエッタの怒りも火を落とした炉のように静まるはずだ」

「野良だったからだ」

 リットが言うと、一瞬の静寂が訪れた。

「それで終わりか? それとも、盛り上がるという言葉自体を知らないのか? これでは話題を変えるどころか、静寂に気を使って元の話題をぶり返してしまうじゃないか。それじゃあ、私がまた怒られる」

「こっちも言うけどよ。声を潜めるって言葉自体知らねぇのか?」

「いいのよ。夫のたわごとは聞き慣れてるから」

 アリエッタは沸騰した鍋に乾燥させた野菜を入れながら言った。

 リットはふいに立ち上がると、アリエッタの隣まで歩いて行った。

「手伝ってくれるの? マグダホン、聞いたぁ? リットはお客さんなのに手伝ってくれるんだって」

「私の耳には、なんの言葉も聞こえてこなかったんだが……」

 マグダホンは思い出すように首を縦に振りながら言った。たしかにリットは「手伝う」とは一言も言ってはいない。

 嫌味をかわされたアリエッタは見せつけるように肩をすくめると、リットに向き直った。

「ほら、かき混ぜてちょうだい」

 アリエッタにオタマを渡されたリットは黙って受け取った。しかし、手を動かすことはない。鍋底でくすぶるように揺らめく弱火を眺めていた。

「わからないの? こうやって、よく混ざるように下からかき回すんだよ」

 アリエッタは一通りかき回して手本を見せると、再びリットにオタマを渡した。

「なぁ、聞いていいか?」

「わからないことは、なんでも聞きなさい」

「この火ってのはコントロールできるのか?」

「そりゃあね。できなければ、変わった金属や鉱石を熱することなんてできないよ。そういうことができるから、ヒノカミゴなんて名前があるんだから」

「ノーラは火柱があがったきりだぞ。燃えるもんがなくなりゃ、弱まるくらいだ」

「こればっかりは経験かしら。それまでは、火柱どころか火の玉になることもあるのよ。だから、男が髭を焦がすっていうのは、女のせいでもあるんだわ」

 アリエッタが笑うと、思い当たるフシがあるのか、マグダホンは隠すように腕に髭を抱えた。



 しばらくすると、「魚をもらってきましたよ」とノーラが戻ってきたが、鍋の前に並ぶリットとアリエッタの姿を見て、ピタリと足を止めた。「まさか、旦那がお手伝いをしてるとは……不思議な事もあるもんスねェ」

「だろ? オレも不思議でしょうがねぇ。いつの間にかオタマを持たされて、いつの間にか鍋をかき回す手伝いをさせられてる。この調子じゃ、いつの間にか全財産を搾り取られるかも知れねぇ」

「それは旦那が、お酒とギャンブルをするからでしょう。それにしても……大丈夫なんスか?」

 リットが「これを全部ぶちこめばいいんだろ」とアリエッタに聞くと、「まぁ、面倒くさいし、そのほうが良いわね」と、ノーラが持ってきたばかりの魚を鍋に入れた。

 そして、リットが「なにがだ?」とノーラに聞くと、ノーラはため息と一緒に肩を落とした。

「その、なにがだ? は先に聞いてほしかったスね。死人を生き返らせるなら別ですけど」

 ノーラはいつもと変らない食材をただ入れて煮込んだだけの鍋を見ると、疲れたように床に腰を下ろした。






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