第十三話
四日後。あいかわらず雨の気配がない乾いた荒野に、緑々しい森が現れた。
しばらく歩き、近づいたところで、ノーラが「こう見ると、浮遊大陸みたいっスねェ」と言った。
荒野の真ん中。深い渓谷に切り取られ、浮かぶように存在している丸い大地は緑に染まり、そそり立つ岩壁に根を飛び出させている。
赤土だけの荒野とは違い、太陽に照らされた岩壁はバラ色や乳白色や黄土色が混じり合い、マーブル模様となっているのが絡みつく根の隙間から見えた。
下を流れる急流の音は、それよりも大きな谷風の音にかき消されてしまっている。
「こうまで深いと、渓谷よりも峡谷だな」
リットは一度下を見たが、吹き上げる谷風に押されるように顔を背けた。
「名前が付けられた時は、ここまで深くなかったんですけどね。毎年の大雨で、どんどん削られていってるんです。さぁ、大丈夫ですから、橋を渡りましょう」
ドリーがつり橋の上を歩くと、ロープと木板がきしむ耳の奥が不快に痒くなるような音が響いた。
リット達は続くことなくドリーの背中を見つめている。それに気付いたドリーは立ち止まって振り返った。
「渡らないんですか? 一度真ん中の森の大地に行かないと、バーロホールには行けませんよ」
ドリーはリットの足元の更に下の岩壁を指して言った。
「オマエが大丈夫って言わなけりゃ、気にせず渡れたんだけどな」
「本当に大丈夫ですよ。馬車もこの橋を渡るんですから」
安全を証明するように、ドリーが乱暴に歩いて戻ってくる。
橋は不安な音を立てるものの、音ほどは揺れず、ドリーもバランスを崩すことなく岸までたどり着いた。
しかしそれを見ても、チルカは「私は飛んでるから問題ないわね」と、まったく信用していない口ぶりだ。
「オレだって、頭がぶっ飛んでりゃ気にしねぇよ」
「羽根みたいに軽い頭してるんだから、きっと飛べるわよ」
そう言って、チルカはリットの目の前を飛んで橋に向かっていった。
リットがその姿を目で追うと、それより更に先に、既にドリーとノーラが橋を渡っているところだった。
ノーラは振り返り、「置いてきますよォ」とリットに声をかける。
リットも不安げな表情のまま橋に足をかけた。
谷風に遊ばれることもなく、踏み板が外れることもなく、結局渡りきるまで何事もなかった。
久しぶりに踏みしめる草は、靴越しにでも気持ちのよい柔らかさを伝えてくる。
自然豊かな丸い大地は、大きいとも言えない程度の広さだが、そのおかげで緑の密度が濃く感じられた。荒野の元気な植物を、一箇所に集められたようなものだ。
チルカは久しぶりの自然の塊に、気持ちよさそうに空中で体を伸ばした。
「やっぱり空気が違うわねぇ。どっかのボンクラと、どっかの商家のお嬢様くらいの違いがあるわ」
リットはチルカには歯牙にも掛けずに、立ち止まっているドリーの頭を見下ろした。
「こんな森みてぇなところにいるのか? ドワーフは」
「途中で説明したんですけど、見なかったんですか? それとも聞いていなかったんですか?」
ドリーは驚きと疑問を隠すことなく目に表した。大きな目を更に大きく見開いてリットの顔を見ている。
ドリーの素直な反応に、リットが顔をしかめているすきに、「旦那は高いところ嫌いですから」とノーラが言った。
「あぁ……なるほど。確かに高いですからね」
ドリーは気を使ったのだが、それが余計にリットの顔をしかめさせてしまった。
「普通はな。下の景色が霞むほどの高さは怖いもんなんだよ。平気なのはバカとバカとバカとバカだけだ」
「バカって四回出てきましたぜェ」
「考えなしのバカと、子供みてぇなバカ。残りの二つのバカは、今目の前にいる」
「なにを言ったって、もう一回つり橋を渡ることには変わらないんですよ」
そう言ってノーラが指した場所には、上から見たら重なるようにして、橋がもう一本。渡って来た側の岩壁に向かって続いていた。
崖のちょうど真ん中あたりに、不自然に大きな穴がある。
そこがドワーフとゴブリンが住むバーロホールだった。
「岩壁に張り出した根を螺旋階段のように下りていき、ちょうどここから一周したところと繋がっています」
「なるほど……。ドワーフに仕事を頼む時は困るはずだ」
しばらく森林浴を楽しむというチルカを置いて、リット達は丸い大地の岩壁を歩いていた。
複雑に入り組んだ根の道は、編みカゴの中を歩いているようだ。揺れはするものの、筒状になっているのでつり橋よりも安心して歩くことができた。
そのおかげで、あっという間にバーロホールに向かう橋まで下りることができた。
そのまったく揺れない橋を渡って穴の前まで行くと、バーロホールからは笑い声のようなものが聞こえてきた。
「おぉ……久々に聞きましたねェ。このワッワッと鉄を叩く音」
ノーラは穴に向かって耳を澄ませている。
「鉄を叩く音はキンキンだろ」
「旦那がたまに地下の工房で鉄を打ってる時は、そう聞こえなくもないですね」
「オマエの頓狂な擬音だけは、今でも理解できねぇな」
「これでも、だいぶ地上の音に慣れてきたんですぜェ」
「地上にワッワッと鳴る鉄なんて存在しねぇよ。おい――」
リットは案内を頼もうと横にいるドリーを見たのだが、ドリーは足跡だけを残して消えていた。
「あらら、置いて行かれちゃいましたね」
「まぁ、後は中に入るだけだ」
リットは鞄の横につけていたランプを外して火をつけると、仄暗いバーロホールの中に入っていった。
外から見ているほど穴の中は暗くはなかったが、ランプの明かりがあった方が歩きやすいことには変わりない。
洞窟内の壁は木の板や金属でところどころ補強してあり、金属板で補強されているところに、オイルに芯を入れただけの簡易ランプが設置されている。
無骨なデザインと言えば聞こえはいいが、どちらかというと補強ができていれば良いという無頓着な心情が感じられた。
天井も同じであり、リットがランプを高く掲げてそれを見ていると、荷台を引いたゴブリンが奥からやってきた。
ゴブリンはリットの姿を見付けるなり、「買い付けですか?」と聞いてきた。
リットのランプに照らされた荷台には、ただの石や土が山のように積まれていた。
「そんなもんをわざわざ穴ぐらくんだりまで買いにこねぇよ」
「これは穴の外に捨てに行くんですよ」
ゴブリンは荷台を傾けて、落とす仕草をしてみせた。
「用があるのはドワーフの方だ」
「それなら奥の突き当りを左です。右はまだ坑道で採掘中なので、邪魔をしないようにお願いします」
再び荷台を引き始めたゴブリンに、リットは「ここに最近来たドワーフってのはいるか?」と声を掛けた。
「いましたねぇ。最近と言っても四、五年前ですけどね。新参者をお探しなら、手前の工房にいますよ。奥の工房に行くほど古株ですので」
ゴブリンは振り返ることも立ち止まることもせずに、出入り口に向かっていった。
「そういうもんなのか?」
リットがノーラに聞くと「そうなんでしょう」と、曖昧なこたえが返ってきた。
「オマエ、ドワーフなんだろ」
「ドワーフといっても、全部の住処を回ったわけじゃないっスから。他のところはわかりませんよ」
「まぁ、なんにせよ。四、五年前に来たドワーフがいるなら、オマエの親ってことはありえそうだな」
「旅をする種族じゃないっスから、十中八九そうでしょうね。感動のご対面ってやつっス」
ノーラの口ぶりは、ご飯でも食べに行こうと言うくらい軽いものだった。
「こんな時まで、お気楽になる必要があるか?」
「そんな深刻に考える必要あります? ただ親に会うだけっスよ」
「まぁ、そうだけどよ……」
ゴブリンが掘り進めた歪な道を歩き、突き当りにつくと、笑い声のような音が大きくなった。
「ドワーフってのは全員お気楽なのか?」
「さっきも言ったじゃないですか。このワッワッって音は、鉄を叩く音ですよ」
「だから笑いながら叩いてんだろ」
「違いますよ。鉄を叩くとワッって鳴るんス」
突き当りすぐ左の部屋は、明かりすらついていなかった。念のために中まで入ってみるが、金床一つ置いてあるだけで、他のものは何もない。
仕方なく隣の部屋に行くが、その部屋は中に入った瞬間、なんとも形容し難い大きな音が、四方八方から槍のように鼓膜を刺した。
思わずリットは耳を手で塞ぐが、持っていたランプの火屋が頬に当たってしまった。
「あつっ!」とリットが叫ぶと、部屋に響く音が止まった。
部屋の中にいる小さいが広い背中の動きが止まり、代わりに首だけを入り口に向けた。
滝のように長い髭の先を、箒のように地面に擦らせて振り返ったドワーフの視線は、高い位置にあるリットの顔ではなく、同じく低い位置にあるノーラの顔を見て固まった。
先に行動したのはノーラだ。
「おぉ、パパじゃないっスか」と駆け寄るが、男が「おぉ! ミニィか!」と立ち上がると、「ありゃ、違います」と足を止めた。
男も「それは失礼した」椅子に座りなおす。
「いやー、似た顔ってあるもんスねェ」と戻ってくるノーラに、リットは「いや……モニマミニィだろ」と呆れた声で言った。
「なにがっスか?」
「オマエの本名がだ。モニマミニィ・ビーライト。だからミニィなんだろ」
ノーラは合点がいったように「おぉ」と声を上げると、軽い感じで手をポンっと打った。
そして振り返ると、「やっぱり、パパだったんスね」と再び駆け寄る。
男も「やっぱりミニィか」と再び立ち上がった。
二人は抱き合って再会を喜んだものの、すぐに離れてしまった。
「オマエの言ってた、感動の再会ってやつじゃなかったのか?」
あっさりと出会いを済ませたノーラを見て、リットが不思議な顔をしている。
「そうですよ。だから、抱き合ったんじゃないっスかァ」
「あれで終わりか? もっと言葉とかねぇのか?」
リットは拍子抜けしてしまった。
ノーラの性格上、お話のような壮大な再会シーンがあるとも思っていなかったが、街で偶然懐かしい友達に会った程度の再会で終わるとも思っていなかったからだ。
「良いこと言いますねェ、旦那ってば。私が隠しておいたトカゲの干物を食べられたことを忘れてましたよ」
リットの考えていることとは違い、ノーラは会えなかった間のことではなく、別れる前の続きを始めた。
「そうじゃなくてだな。こう抱き合ったらな。会いたかった。とか言ったり、なんかあるだろ、普通」
リットがかがみ込み、ノーラの父親に抱きつくフリをすると、ノーラは引いた顔でそれを見た。
「なぁにやってるんスか……。旦那だって、パパさんと会った時にそんなことしなかったじゃないスかァ」
「オマエはオレじゃないだろ」とリットが言ったところで、顔に毛並みの悪い羊のようなゴワゴワとした髭が押し付けられた。
「会いたかったぞ。昔はあんなに小さかったのに、こんなに大きくなって……。まぁ、誰だかは思い出せないんだが。とにかく大きくなった」
ノーラの父親は、リットの頭をポンポンとなでた。
「おい、小さいおっさん。今すぐ手を離さねぇと、この髭を箒代わりにして、犬の糞を掃くぞ」
「旦那はドワーフじゃなくて人間っスよ」
ノーラが言うと父親は、睨みをきかせるリットの顔を見た。
「どうりで大きいはずだ。ということは、赤の他人の男をだいて、頭までなでたわけか。よく考えなくても、これは気持ち悪いな」
そう言って手を離すと、大鐘を響かせたように豪快に笑った。
「おい、小さいおっさん」
リットが文句をつける為に突きつけようとした人差し指を、「マグダホンだ。『マグダホン・ビーライト』」と言って握手代わりに掴んだ。
しかし、マグダホンは自己紹介を終えても、リットの指から手を離さなかった。
「……オレも名乗れってのか」
「他に名乗るタイミングがあるか?」
「リットだ。リット・アールコール」
リットが名前を言うと、ようやくマグダホンは手を離した。
「さぁ、積もる話は後だ。近隣の町に頼まれた農具の修理が山ほどあるんだ。ここらの土は固いからな、すぐに農具がイカれてしまう」
出て行けという代わりに、鉄を叩く大きな音でリット達を部屋から追い出した。
確かに叩いた瞬間は小さくキンという音が鳴るのだが、すぐに歪な半球体の部屋の壁に反響して音が変わる。
ノーラの言うとおりワッとは聞こえないが、これをキンと形容するのも違う。
不思議なことに、この音は通路に出ると壁を何枚も隔てたように小さくなる。
このこもった音が、作業をするドワーフ達の部屋から連続して聞こえると、リットの耳には笑い声のように聞こえた。
「なんつーか……オマエがお気楽な理由がわかったな」
「お気楽な人に育てられて、お気楽な人の家に住んでれば、そりゃあ、お気楽にもなるってなもんですよ。それより、どうします? これから」
「オレはそこまで気楽に来てねぇよ。まぁ、転がってる酒でも探してりゃ、時間も潰れるだろ」
「ほら、旦那も充分お気楽ですよォ」




