第十話
焚き火の炎に照らされて浮かび上がった顔に毛はなく、緑がかった薄黒い肌をしていた。
「僕です。ドリーですよ」
ドリーは半べそで鼻をすすりながら言った。
相当な距離を歩いたらしく、目尻に溜まった涙と額から流れる汗が混じって垂れていた。
「オマエがドリーなのか?」
リットだけではなく、ノーラもチルカも、ドリーの顔を見て固まっている。
ドリーは気付いた様子でハッと大きな目を更に見開いた。
「そんな忘れられるほど長い間、僕は迷っていたんですか? 一体何日間さまよっていたんだろう……」
ドリーは慌てた様子で頬をおさえると、持っていたカゴを落とした。中に入っていた大きな木の実が一つ。焚き火の元まで転がっていき、残りはゆっくりとノーラの足元まで転がっていった。
「オマエ獣人じゃなかったのか?」とリットに言われ、ドリーは正面を向いて顔を見せていることに気付いた。
ドリーは振り返って後ろ姿を見せると、「獣人ですよ」と言い切った。
「そんなわけないじゃない」
チルカが引きちぎるように頭のフードを取ると、ドリーの耳があらわになった。肌の色と同じ色の耳だ。
フードに猫耳を作っていたのは、頭より高く伸びている先の尖った耳だ。
「アンタ、ゴブリンじゃない」
チルカに言われると、ドリーは地面に膝をついてうなだれてしまった。
すぐ側の焚き火の炎に照らされてできた濃い影が悲壮感を煽る。
「バレてしまいました……」
「命運が尽きたわね。どうしてやろうかしら」
チルカは右の拳を左の手のひらで包むと、ポキポキと指を鳴らした。
関節を鳴らす音は、夜の森に吸い込まれるように響く。
「別にゴブリンだろうが、ヘチャむくれだろうが、なんだっていいんだよ。パッチワークの紹介だから、勝手に猫の獣人だと思ってただけだからな」
そう言って伸ばされた手をドリーは掴もうと思ったが、リットが手を伸ばした先は焚き火の近くに転がった木の実だった。
ドリーは行き場のなくなった手を再び地面につけると、ゆっくりと立ち上がってリット達に頭を下げた。
「あの……騙すつもりはなかったんです。その……」
「あのにその。また言い訳するつもりなの? で、今度はなに? でも? それとも、どうせ?」
チルカに当たり強く詰め寄られると、ドリーは大きな口を線に紡いで言葉を飲み込んだ。
「なにを絡んでんだよ。叩けば酒が出るならともかく、叩いて埃が出てもそこらに舞うだけだぞ」
リットは言ってから、木の実に齧りついた。
焚き火に皮を炙られた木の実は、果肉を柔らかくして、垂れ落ちる甘い香りをより強く漂わせた。
「埃が舞ったら、咳もくしゃみも出るわよ」
「いったいなにがそんなに気に入らないんスかァ?」
甘い匂いにつられたノーラは、リットの手から木の実を取って食べ始めた。
「そんなの一つしかないでしょ。快適な馬車。邪魔なのは馬の扱いが下手な御者だけよ」
「まぁ、オレも一応、パッチワークには馬が扱える奴を寄越せって言ったんだけどな」
リットが一瞥すると、ドリーはおずおずと片手をあげた。
「あの……そのことでお話が……。実は……そのパッチワークさんって人は知らなくてですね……。リットさんが話してるのを偶然聞いてしまって、勝手に御者として馬車に乗ったというか……」
だんだん消えそうになる語尾は、チルカが手を叩く音によって完璧に消されてしまった。
「ほら見なさい! 埃がダンゴムシみたいに塊になって落ちてきたわよ!」
「なら舞うのを気にしなくていいな」
リットは気にした様子もなく、スープの残りをすすった。
「そういう問題じゃないでしょ」
「オレはパッチワークに借りを作れて満足だ。アイツは色々役に立つからな。それに、馬にも慣れてきたんだろ」
リットが聞くと、ドリーは自信満々に胸を叩いた。
「はい、もうだいぶ慣れました。問題なくボロス大渓谷までいけます!」
「どっから来るのよ、その自信は……」
チルカは怒り疲れて、地面に尻餅をつくように下りてきた。
「何を隠そう。『バーロホール』は僕の故郷ですから」
「バーローはアンタよ」
チルカは呆れたように言う。
「ボロス大渓谷の横穴のことですよ。僕達ゴブリンが鉱石掘りをして広げた穴に、ドワーフが住んでるんです。それで、たまに掘り出した鉱石や、ドワーフの鍛冶品を街まで売りに行くんです」
「それで、リゼーネにいたのか」
リットの言葉に、ドリーは「はい」と頷いた。
「リゼーネ王国は様々な人が出入りしてると聞いたので、よく売れると思って向かったのですが……。まさか、十年も帰れなくなるとは……」
「十年も迷子か。オマエの先輩がいたな」
リットはノーラに目を向ける。
「私は迷子じゃないっスよ。はぐれただけっス。それに、もう帰るに帰れないですし」
ノーラは故郷のことより、目先の木の実に夢中だった。炙ると美味しいことに気付いたので、枝に刺した木の実を、焚き火に当てて楽しそうに炙っている。
「で、十年もなにしてたんだよ。売った金がありゃ、馬車で帰れるだろ」
「それが……リングベルという商人に出会ったんですが……」
リングベルと言うのは、パッチワークの裏の名前だ。
その名前が出るとなると、なにがあったかリットにはだいたいわかっていた。
「まんまと口車に乗って、家でも買わされたのか」
「そうなんです……。でも、次に売りに来る時には拠点ができました」
「その前向きは、十年後の計算があってのことか? それとも十年間を無駄にしたただのバカか?」
「ただのバカよバカ。アンタの嫌味も、ようやく火がついてきたわね」
チルカはノーラのマネをして、小さな木の実を炙っているが、近づくと熱いので、細長い小枝の先に小さな木の実を刺して遠くから炙っていた。
その様子は釣りでもしているかのようだ。
「たしかに一度は無一文になりましたが、その日暮らしのために色々なお手伝いをしてきましたから、代わりに色々な技術を身に着けました」
ドリーは得意気に、大きな口を半月のように開いて笑った。
「オレなら旅商人の手伝いをして、街から街に馬車を乗り継いで家に帰るけどな」
「それは! ……考えつきませんでした」
ドリーは半月の口を線に戻してうなだれてしまった。
追い打ちをかけるように、チルカが冷たく言い放つ。
「故郷に帰るだけだっていうのに、ふらふらと道を逸れるなんて、本当に大丈夫なんでしょうね」
「十年前に一度通っただけの道ですから……。荒野が見えれば、完璧なんですけど」
ドリーの話しによると、ボロス大渓谷は砂漠にも似た乾いた荒野に囲まれており、渓谷を流れる川以外には水源がない土地らしい。
旅人の橋に寄って繋がれた中心の円形の土地だけだが、森のように自然豊かになっているが、ほとんど木の実もならないため、周辺には町の一つもないということだ。
ドリーの話し終わりに、ノーラが「ドワーフの住むところなんてそんなもんスよ。仕事の邪魔が入らないのが一番らしいですから」と言った。
「オマエのところも、ゴブリンと住んでたのか?」
「私のところはいなかったスよ。住んでたのは、間違いなく穴の中でしたけど」
「ゴブリンはある程度鉱石を掘り終えたら、また別の地へ移住しますから。ノーラさんは採掘跡の穴を見付けて住んでいたのかと。ドワーフだけじゃなくて、ゴブリンの採掘跡に住む種族は多いんですよ。ゴブリンも長く掘っていくタイプと、大きく掘っていくタイプがいますから。スリー・ピー・アロウという地をご存知ですか? あそこはディグ・マトックという変わり者のゴブリンが、一人で掘り進めた穴と言われているんですよ」
「そういえば、そこら中に鉱石があったな」
リットは前に行ったスリー・ピー・アロウの風景を思い出していた。
「行ったことがあるんですか? まぁ、昔から続く言い伝えのようなものですけどね」
チルカの絡みもなくなり、調子を取り戻したドリーはいつの間にか皿にスープを注いで食べていた。
そして、「変わったものを食べるんですね」と顔をしかめた。
「ほら、やっぱり」
ノーラはドリーの言葉に同調するように首を縦に振りながら言った。
「オマエらドワーフなんて、まともなものを食わねぇって言ってたじゃねぇか」
「一年もあれば、舌なんて簡単に肥えるんスよ。昔に食べていた味なんて、今じゃもう……ということは、バーロホールに行ったら、私はなにを食べればいいんスかね?」
「忘れてました……。もうリゼーネ王国の美味しいお芋を食べられないんですね」
何度目かわからないうなだれを見せるドリーに、リットは「もう一つ大事なことを忘れてねぇか?」と声を掛けた。
「忘れものはないはずですが」
「リゼーネに物を売りに行ったんだろ。なにか足りないと思わないか?」
「売り忘れはありません。しっかり全部売りましたから」
考えるまでもなくこたえるドリーに、リットは鼻で笑ってから「ならいい」と返した。
そして、枯れ枝を数本焚き火の中にくべた。
灰が舞い、燃えていた薪が投げ入れられた枯れ枝にぶつかり赤色を強めると、煙はほどけた長い糸のようになって、螺旋を描きながら空に向かって昇っていった。
リットは煙の行く末を眺めることなく、寝るために馬車の中へと向かった。
それから月日が経ち、五つの街を経由していくと、周りの景色はずいぶん変わった。
湿った風を運ぶ森も林もなく、年老いた男の頭のように、寂しくところどころにぽつりと草木が生えているだけだ。
視界が広がり、遠くまで見渡せるようになったが、乾いた土を蹴り上がる車輪が、火を吹いたように土煙を立てるので、視界は悪くなるばかりだ。
土煙が入ってこないように幌をおろしているので、馬車の中の空気もこもっていた。
「なんか面白い話でもしなさいよ」と、唐突に言ったチルカの声に、苛立ちが含まれているのもそのせいだ。
「馬糞に頭から突っ込めば、笑いの種にはなるぞ。大笑いだ」
リットはだらけた格好で背もたれに背中を預け、面倒くさそうに言った。
「アンタがやるならね。やらないなら、なんか話しなさいよ。退屈は嫌いなのよ。車輪が小石に乗り上げてガタン。蹄の音がパカパカ。また小石に乗り上げてガタン。時々ノーラが寝息の隙間にヨダレをジュルッと吸い上げる音。こんなのずっと繰り返して聞いてたらノイローゼになるわよ」
馬の誘導に慣れたからか、それとも故郷に近づいたからか、ドリーの手綱に迷いはなくなっていた。
そのおかげで、順調過ぎるほどの馬車の旅だったが、代わりに単調な日常を過ごしていた。
「うるせぇ奴だな」と否定から入ったが、リットは少し考えてから、おもむろに口を開いた。「オレ達は今、馬車で移動してるけどな。世界で一番速い乗り物って何か知ってるか?」
「クイズね。バカのアンタにしては気を利かせたじゃない。で、答えはなんなのよ」
「クイズだと思ってるなら、少しは考えろよ」
「考えてどうするのよ。妖精が乗り物なんて知ってるわけないでしょ。私だって乗ったのは船と馬車くらいしかないわよ」
リットはため息をついてから、正しく座席に座り直してから、チルカに人差し指を突きつけた。
「それはオマエ――……こりゃ、相手が男の時に言うジョークだったな」
「やっぱりバカね……」
「じゃあ、これはどうだ? なぜ男は間違いを犯すかと、なぜ女はおしゃべりか」
「なんでかしら……続きを聞きたくないわ」
「男は上と下で考えることが違って、女は上と下に口があるからな」
「聞きたくないって言ってるでしょ」
「まだ、あるぞ。小さいの同義語は「入ってるの?」で、大きいの同義語は「厚手のズボンをはいてたのね」とか。恋人の無断外泊の友人の庇い方の違いは、女の友達は皆知らないと誤魔化すけど、男の友達は皆うちに泊まってたと誤魔化す。ってのもあるな。――なんだよ、遠慮すんな。腹を抱えて笑え」
冷ややかな眼差しを送ってくるチルカに、リットは肩をすくめて笑いを促した。
「アンタの言う下劣なユーモアなんか、一つも笑えないわよ」
「酒場じゃ、皆大笑いだ。聞いてない奴まで笑うくらいな」
「それは、酔っ払って愉快な気分になってるだけでしょ。たまには成功者の名言みたいに、心に響くことを言ったら?」
「成功者の名言ほど、心に響かねぇもんはねぇよ。ただの自慢話か、見下されてるだけだぞ。それが心に響くなら、よっぽどのマゾだな」
「まぁ、たしかに……癪に障るわね。あーもう、退屈は人生の敵ね。やることがなくて、あっという間に老けそうよ」
チルカは一人で広々と使っている座席に仰向けに倒れると、端から端まで意味もなく転がった。
「なら、こっちについてこないで、家の庭の手入れでもしてりゃよかっただろ」
「そこよ。アンタのとこの庭は、せっかく森に認定されたんだから、いじっちゃもったいないわよ。手入れをせずに放っておくのも大事なの。じゃないと、また庭に戻っちゃうじゃない」
「違いがわかんねぇよ」
「簡単よ。植物が自分で生きてるのが森。誰かに生かされてるのが庭」
「ますますわかんねぇ」
「人間なんだからわかるでしょ。人間が過ごしにくい環境なら森。過ごしやすい環境なら庭よ。……アンタ人間なのに、よくあの家で生活できるわね」
チルカが送ってくる呆れた視線に、リットは答えもなく肩だけをすくめて話を終わらせた。
その時にできた一瞬の静寂を射抜くように、御者台からドリーが幌越しに声を張り上げた。
「あの!」
「叫ばなくても、一回呼べば聞こえる」
「あの……ずっと呼んでたんですけど……お二人がおしゃべりに夢中だったので。それで、最後の街につきましたよ」
ドリーは幌を開いて外の景色をリットに見せた。
風景は流れることなく、見える景色は石壁でできた家が立ち並ぶ街が広がっていた。
「本当、女ってのはおしゃべりだからな。さっきのジョークのとおりだ」
リットは嫌味を言いながら、馬車から降りるための準備を始める。
チルカも「男も口だけ。二枚舌だからよく喋るのね」と嫌味を返してから、我先にと馬車から飛び出した。




