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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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第九話

 迷い足の蹄の音が不規則に響く。

 馬車は土の道を逸れ、横の草むらを走っているが、御者台にいるドリーは背筋を伸ばして手綱を握っている。

 しかしその毅然とした態度は、チルカの怒鳴り声により崩れてしまった。

「どこ走ってんのよ! 何回言えばわかるわけ? 道はあっち!」

「大丈夫です。ここを走っても問題ないです」

 ドリーは背筋を伸ばし直したが、フードの中の耳はチルカが怒鳴るたびに、警戒するようにピクピク動いていた。

「大丈夫じゃないから言ってんでしょ。足場が悪いところを走らせるから、ほら、たんこぶ! わかる?」

 チルカは車輪が跳ね上がった時に馬車の木枠にぶつけた頭を指すが、ドリーが振り返って確認することはなかった。

「おとなしく座っていれば、安全ですから」

「耳が悪いならフードくらい取りなさいよ。おとなしく座ってたら座席が跳ねたのよ。アンタも何か言いなさいよ」

 チルカの視線の先には、座席をテーブル代わりに突っ伏して床にへたり込むリットがいる。

「ほっとけ……方向が合ってりゃいい……」

「そんな状態で、よくそんなこと言えるわね」

「ここまでくりゃ、道が良かろうが悪かろうが吐き気は止まんねぇよ……」

 リットは喉まで上がってきた酸味がかったものを飲み込みながら言った。

「この調子じゃ、いつかどっかの家に突っ込むわよ」

「馬車なら逃げ切れるから心配いらねぇよ。いいからもう話しかけんな……。ゲロ臭い馬車で旅をしたくなかったらな……」

 そこまで言うと、リットは再び自分の腕の中に顔を埋めた。

「旦那ァ、大丈夫っスか? 背中でもさすりましょうか?」

 ノーラが手を伸ばして、リットの背中に小さな手の影を作ったところで、チルカが慌てて飛んできて止めた。

「待ちなさい! それは吐くのを促す時にすることよ! こんな揺れる馬車の中で吐かれたら、揺れる度にゲロが飛び散るわよ! 大惨事よ! 大! 惨! 事!」

 チルカの大声に、ノーラは耳を塞いだ。

 そして、チルカの口の動きが止まると、ゆっくりと耳から手を離した。

「今回の旅はいつも以上に元気っスねェ。体力を温存しないと疲れちゃいますよ」

「もう疲れてるわよ……。なんでノーラがのんきにしていられるか、不思議でしょうがないわ」

「人生も馬車の行く末も同じようなもんス。なるようになるってもんスよ。私としては不意の寄り道で、美味しい木の実でも食べられたらと思ってますけど」

 そうノーラが言っている間に、馬車はしれっと乾いた土の道に車輪を寄せていた。

「親に早く会いたくないの? いるんでしょ、ボロス大渓谷に」

「いるかどうか。まぁ、いたらラッキーくらいなもんですよ」

「前から思ってたけど、ノーラはどこか世の中を冷めて見てるわよね。アイツの影響?」

 呼吸以外で動かなくなったリットを、チルカは顎でしゃくって指した。

「旦那はアレで結構ロマンチストっスよ。不思議なものとか好きですし、人魚の卵も使い道を考えないで買っちゃうくらいっスから」

「リットとロマンチストなんて、月とフンコロガシくらい似合わないじゃない。まっ、月がハゲの隠語だったらお似合いだけど」

 チルカはリットの髪の毛を爪の先で弾いた。

 リットは腕に顔を埋めたまま「……じゅう」とつぶやいた。

「なに? 聞こえないわよ」

 チルカがリットの腕に立って耳を澄ませると、今度は「きゅう……」とつぶやくのが聞こえた。

「だから、なんなのよ……」

「カウントダウンっスよ。あと九秒で吐くってところっスかねェ」

「……は……ち」

「おっと、あと八秒でした」

「のんきに数えてる場合じゃないでしょ! アンタも道なんか走ってないで、草むらに馬車を止めなさいよ!」

 チルカは落ちていたノーラの食べかすのクルミの殻をドリーに向かって投げつけた。

「いた! さっきは道を走れって言ったじゃないですか……」

 相変わらずドリーは振り返らないまま、声だけで恨みがましく言った。

「聞こえてるでしょ! 緊急事態なの!」

「ろ……く」というリットのつぶやきが聞こえると、ドリーは慌てた手付きで手綱を操り、馬を右往左往させてから、右の草むらに方向転換した。

「さ……ん……」

「よけいな動きをするから、カウントが飛んだじゃない!」

「急に言われても対応できませんよ! とりあえずリットさんを馬車からおろすのを手伝って下さい!」

 草むらで馬車を止めたドリーはリットに駆け寄るが、持ち上げることはできず、ノーラと一緒に馬車から押し出すようにして草むらに落とした。

 ついで、聞きたくない音に備えてリット以外の三人が耳を塞いだ。



「あぁ……ぜんぜんスッキリしねぇ……」

 吐いた草むらから離れた森の入口の木に、背中を預けて座ったままリットがつぶやいた。

 不快感の残る胃のあたりを押さえて、ウップと酸味がかった息を吐く。

「アンタねぇ……私みたいに可憐な妖精の前なんだから、もっと気を使いなさいよ」

「だから、気を使ってカウントダウンしただろうが」

「急に言われて、焦りしかなかったわよ! 馬車からおりて吐きたいなら、もっと早く言いなさいよ」

「あれは、吐くから心構えをしろって合図だ。おろせって合図じゃねぇよ」

「もう二度としないで、その合図」

 チルカが「まったく……」と肩を下ろすと、馬車からカゴを取り出したドリーが「せっかくだから休憩にしましょう」と言い出した。

「そうっスねェ。さっき川も見えましたから、冷たい水でも汲んできます」

 ノーラは馬車の中にある鞄に手を突っ込んで、革水筒を探す。

「森もあるみたいだし、僕は木の実でも探してきます」

 ドリーは空のカゴを抱えて森を指した。

「妖精の私を差し置いて、木の実探し? だいたい、道を間違えずに戻ってこれるの?」

 チルカは不信感をたっぷり込めた瞳でドリーを見た。

「大丈夫です。森で木の実を探すくらい完璧にできます」

 ドリーはまかせろと言った具合に自信満々に胸を叩いた。

「馬車の時も似たようなこと言ってたじゃない……」

「あれは最初で緊張していただけです。今度はカゴを持って準備も万端です」

 ドリーは自慢気にカゴを突き出すように持ってチルカに見せる。

「なら……もっと目の細かい編みカゴにすることね。そんなに大きい木の実なんて、そうそうなってないわよ」

 ドリーが持っている汚れた服を入れるようのカゴの粗い網目を、チルカは文字通り縫うようにして飛んだ。

「わかってます。僕には大きな木の実を見つけられますよ。得意なんです」

 ドリーは短い足を乱暴に走らせて森へと入っていった。

 その背中をチルカは睨みつけていた。

「なんなのよ、チビのくせに見栄っ張りで意地っ張りなんだから」

「まぁ、それがいいところでもあると思うっスよ」

 人数分の革水筒を取り出したノーラは、馬車からおりるなり言った。

「どこがよ。ろくなもんじゃないわよ。一つも可愛げがありゃしないわ」

「そうっスか? 私は可愛いと思いますよ」

「なに、ノーラ。あんなのがタイプなの?」

 チルカはドリーが歩いていった方角を指して言ったが、ノーラはチルカを指して「あんなのっスか?」と言った。

「なによ。この指は」

「見栄っ張りで、意地っ張りな小さい人の話でしょ?」

「……私のことじゃないわよ」

 ノーラは「おっとォ……」としばらく黙ってから、「言い訳が思いつかないので、水に流すためにも川へ行きます」と、ドリーのように短い足を走らせた。

 ノーラの背中が小さくなると、「チルカは旦那の様子でも見ておいてくださいなァ」という言葉がこだまして届いた。

「コイツの様子ね……」

 顔色の悪いリットを見て、チルカは露骨に顔をしかめた。

 リットは「なに見てんだよ……」と、しかめっ面で返す。

「ノーラに言われたのよ。アンタを看取れって」

「どうせなら、オレの墓に供える分の酒を前倒しでくれ」

 リットは枯れた声で言う。

「アンタねぇ……二日酔いでそんなんになってるのに、まだお酒が飲み足りないわけ」

「二日酔いってのはな。喉が渇くんだよ。足の短え二人の救援物資なんか待ってられるか? 馬車にある酒を取ってくればすぐだ」

 リットは目を馬車に向けて合図を送るが、チルカは呆れた顔でため息をついた。

「お酒を飲んで、またこんな騒ぎを起こされたらたまったもんじゃないわよ。しょうがないわね……ちょっと待ってなさいよ」

 チルカは日差しが遮られている森に向かって飛んでいくが、姿は消えることなく、暗いところで光る羽が居場所を示していた。

 迷子の流れ星のように高いところをウロウロと飛ぶと、木の実を数個抱えて戻ってきた。

 チルカが抱えられる大きさは知れているもので、リットのお腹にばらまかれた木の実は小石程度の大きさのものだ。

 リットが木の実を親指と人差指でつまんでみると、ブヨブヨとした感触をしており、口の中を軽く湿らせるくらいの果汁がありそうだった。

「珍しいこともあるもんだな。まさか、看取るってのはとどめを刺すって意味か?」

「とどめを刺すなら、文字通り刺してるわよ。アンタの心臓を」

 チルカは木の実を一つ手に取り、服の裾で軽く拭いてから齧りつくと「あまーい」と顔をほころばせた。

 そして、リットが木の実を口の中に入れるのを見届けてから「言っとくけど、口の中が酸っぱくなってると苦いわよ」と意地悪な顔を浮かべた。

 リットの口の中には焦げた魚のはらわたのような苦味と生臭さが広がる。

 強烈な味に思わず立ち上がると、歯の間に挟まる果肉と舌に残る果汁を地面に向かって吐き出した。

 今まで渇いて出なかったはずのヨダレが、糸を引いて流れ落ちる。

 そのリットの姿を見て、チルカは空中で笑い転げていた。


 リットが地面にヨダレの水やりを繰り返していると、お腹を膨らませたかのように水の入った革水筒を抱えたノーラが戻ってきた。

「あら、もう元気になったんスねェ」

 リットはノーラが持っている革水筒をひったくるように取ると、一気に飲み干した。

 ノーラが汲んできたただの川水は、今まで飲んだどの飲み物よりも甘く感じた。

「やっぱり毒じゃねぇか!」

 リットがチルカに向かって怒鳴る。

 枯れていたリットの声は、いつもの声に戻っていた。

「何言ってんのよ。むしろ薬よ。気付け薬になったでしょ」

「確かに効いたな。でも、やわな女と違って、ほっときゃ治った」

「本当に薬にも使われてるのよ。妊娠中のイライラにも効くわ」

「……効いてないぞ。まだイライラしてる」

「なら、さぞいい薬になったでしょうね」

 してやったりと笑うチルカに、リットは苦い笑みを浮かべるしかできなかった。

「ところで、ドリーはまだ帰ってないんスか? 結構時間が経ってると思うんスけど」

 ノーラは革水筒の蓋を取ると、蓋を裏返して窪みに水を注いでチルカに渡しながら言った。

「戻ってきてないわよ。すぐそこに大きな木の実があったっていうのに何してるのかしら」

「なんでそれを持ってこねぇんだよ」

「私が抱えられるわけないでしょ。それより、どうすんの? もう日が暮れるわよ」

 チルカが空を見上げたので、リットも空を見上げた。

 西に沈もうとする太陽が色を変え始めているところだった。

「焚き火でもして待ってるか」リットはポケットからマッチを取り出すと、ノーラに投げ渡した。「オマエなら生木でも燃やせるだろ。適当に枝を拾って火をつけとけ。オレはチルカが見つけた木の実でもとってくる」

 ノーラは「あいあいさァ」と枝を拾い始めた。

 リットが森に向かって歩き出すと、チルカが先頭に割って入り、入口付近の木を指した。

「あっちよ。あの不細工な木の上になってたわ」

「どれだよ」

「一つだけ陽の光を浴びて大きく育った木よ。他のと均整が取れてないんだから、わかるでしょ」

 チルカの言うとおり、一つだけ高く伸びた気がある。たしかにそこに木の実がなっていた。

「なんでこんな近くの木の実を見落として、森の奥深くまで入っていったんだよ。ドリーは」

「背が小さいから気付かなかったんでしょ」

「獣人なのに鼻も悪いのか」

「頭が悪ければ、どこが特筆してても一緒よ」

「ずいぶんドリーに当たりが強いな。ははん、さては――」

「なに? あんなのに惚れるほど、目は腐ってないわよ」

「――同族嫌悪だな」

「……アンタより性格が悪い奴には、もう一生出会うことはないでしょうね」



 結局ドリーは小腹を満たすための木の実を食べ終えるまでには戻ってこず、適当な干し野菜だけを入れたリットの不味いスープの夕食時になっても戻ってこなかった。

「旦那ァ、毎回言いますけど、味付けして初めて料理と呼ばれるものになるんですよ」

 食が進まないノーラは、チャポチャポとスプーンでスープをすくっては皿に落とすだけだ。

「オレも毎回言うけどな。そういうのは自分で作れるようになってから言え」

「色々な国で色々食べたでしょう。木の実でパンを作ったりとか」

「干した食材は煮込めば食えるし、煮込んで柔らかくなったのは二日酔いでも食いやすいんだ。実に合理的な料理だ」

「私はこのゴウリテキって料理嫌いっス」

「スープだ」

「安心しなさい、ノーラ。このゴウリテキって料理を、好き好んで食べる奴なんて存在しないんだから」

 肉が入っていないから食べられるものの、チルカもリットの作ったものに、いい顔はしていなかった。

「だからスープだ。つってんだろ」

 リットがスープをかっこんでいると、焚き火でできた明かりに、森から猫の耳の影が伸びてきた。

 その影は、疲れた声で「探しに来てくれてもいいじゃないですか……」と近づいてくる。

 影が消え、姿が焚き火に照らされると、リットは眉をひそめた。

「オマエは……誰だ?」






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