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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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231/325

第六話

 ある晴れた日の朝。天井に出来た雨雲に気付くなり、リットはベッドから飛び降りると、階段を駆け下りていった。

「おやおや、待ちきれないみたいっスねェ」

 一階では、朝日に笑みを溶かせたノーラがフライパンを持って立っていた。

「火事かと思ったじゃねぇか……」

 リットは焦げ臭い部屋に顔をしかめた。

「家事ですよ。ほら、朝ごはんですぜェ」

 ノーラは鉄製のフライパンと同じ色をした、卵だったものを見せた。

「鍛冶の間違いだろ。フライパンと一体化したもんを、どうやって食えってんだよ」

「そりゃあ、フライパンに乗せたままですからね。お皿に移せば……。ほら、この通り」

 ノーラはフライパンから黒い物体を指で剥がすと、お皿に乗せた。

「これはなんだ?」

「旦那ァ、知らないんスかァ? これは目玉焼きって言うんスよ」

「オレの知ってる目玉焼きは、指でつまめるほど固くないぞ」

「両面焼きっスから。いやー、今度こそイケると思ったんスけどね」

「イケると思って作った奴の料理とは思えねぇな」

 リットがフォークで真っ黒な目玉焼きを真っ二つに割ってみると、夜空に浮かぶ月のように、一部分だけ黄色い箇所があった。

「そこがイケると思ってやった成果っスよ」

「最近作らねぇから、てっきり諦めたもんだと思ってたぞ」

 フォークを立てた穴から、地割れのように音を立てて割れていく目玉焼きを、リットは手で掴むと口の中に放り込んだ。

 苦い味だけが不快に口の中に広がった。

「半熟堅焼き自由自在が、人生の目標ですから。諦めなかった者だけが、夢を実現できる。人生の勝ち組が、負け組を見下すために生み出したありたがいお言葉があるじゃないっスか」

「勝ち組はオレだけだ。オマエは負けて帰ってきただろ」

「まぁまぁ、甘い汁を吸った後は、得てして苦い人生を経験するもんスよ」

「都合の良いまとめをありがとよ」

 リットが二つ目の目玉焼きのかけらをつまんだ時、窓の隙間からチルカが部屋に入ってきた。

「アンタ、よくそんなの食べられるわね」

「ホッとしたら腹が減ったんだよ。家が燃えてると思って飛び起きたからな」

「チルカの分もありますよ。ちゃんと好みを把握して、香草を乗せて焼いてみました」

 ノーラはリットが食べているものと全く同じ、真っ黒な目玉焼きを皿に乗せてチルカの席に置いた。

「こんなもの食べさせられたら抗争が起きるわよ……」

「構想の段階では上手くいってたんスけどね」

「だいたい人のばっかり用意して、自分の分はどうしたのよ」

「私は食べないっスよ。こんなものを食べるくらいなら、一食抜いて昼に二食分食べます」

 そう言ってノーラは戸棚からパンを取り出した。

「……私も卵なんて食べないわよ」

「そういえばそうでしたねェ。それじゃあ、どうぞ旦那」

 ノーラは皿をリットの前に寄せた。

「こんなの二皿食えたら人間じゃねぇよ」

「一皿食べられる時点で、どうかしてるわよ」

 チルカは焦げクズだけが残るリットの皿を見ながら言った。

「安上がりでいいだろ。不味いもんを口に入れれば、少ない量で腹は満たされる」

「旦那ァ……。満たされるって意味わかってます? 満足と満腹。この二つがそろって初めて成立するもんですよ。ところで、こんなゆっくりしてていいんで?」

「遠回しな不満を、ところでの簡単な区切りで流すんじゃねぇよ……」

「だって、いつもならとっくに旅支度をしてるじゃないっスかァ」

 ノーラは切り分けたパンに、こぼれるほどたっぷりのジャムを乗せながら言った。

「まだリゼーネまでの馬車が来ねえんだよ。あとな、とっくに旅支度は終えてんだ。乗り合い馬車は待ってくれねぇから、用意が出来てなかったら置いていくぞ」

「なら食べ物を詰め込んどかないとっスね。野菜に、魚に、お肉に、あと果物と……」

 ノーラは食べたいものをリストアップして、指折り数えていった。

「んなものカバンに入れると腐るぞ」

「胃袋に入れるんスよ。馬車に乗ってるあいだ、まともなものを食べられないですから。それに、向かうところはドワーフの住処でしょ。しなびた野菜に、干からびたお肉。旦那も今のうちに食べとかないと後悔しますよ」

「これより後悔する食い物なんてあるのか?」

 リットが焦げた目玉焼きで皿を叩くと、秋の落ち葉のように割れ砕けた。



 空腹を訴えるように灰色の空が大きく鳴り、雨に煙るリゼーネを一瞬だけ照らした。

 打ち付ける雨が若枝をしならせて葉擦れを響かせ、急ぐ足音が水たまりを踏み汚れる靴とは反対に清らかな水音を響かせる。

 リットは不相応な高級な椅子に座り、ひっかき傷をつけるように激しく降る雨を見て、聞こえるはずのない街の音を聞いていた。

「どこを見ている。私の話を聞いていたのか?」

 自分ではなく窓を見ているリットに、エミリアが声に少し怒気を含ませた。

「聞いてねぇよ」

 リットは窓から目を離さずに言った。

 最初は乗り合い馬車を待っていたのだが、リゼーネに向かう商人の馬車が町を通ると、思い立ったがと商人を口説き落とし、リゼーネにあるエミリアの屋敷に向かっていた。

 乗った町のロバ馬車は、数日の晴れの後、途中から薄い雨雲を引き連れるようにして進み、リゼーネに着くと同時に雨を降らした。

 そして屋敷に着くなり、事前連絡がなかったことと、計画性のなさについて延々とエミリアに小言を言われ続け、リットは窓の外へ意識をずらして、ただ時間が過ぎるのを待っていたところだった。

「ならば、また最初から話すが――」

 エミリアが腕を組み直したところで、リットは窓から目を離した。

「待て待て。最初ってのはどこからだ」

「最初は最初だ。来る前に手紙を出さなかったところからだ」

「一通り、小言と説教は済んだことにして、要点だけサクッと言ってくれ」

 エミリアは諦めのため息を一つついてから、「馬車は貸すが、維持費は自分で払うように」と言った。

「成果が出れば、リゼーネから返ってくるんだろ。かまわねぇよ」

「……なにかしたのか?」

 すんなりと要件を受け入れるリットに、エミリアが訝しげな視線を送った。

「なにをだよ」

「お金が溜まるのはもっと先になると思っていた。私がリゼーネに戻ってから、半月も経たずにリット達が来たからな」

「お金っていうのは、転がり込んでくるものなのよ」

 チルカはそう言うと、雨に冷えた体を温めるようにと出された紅茶を飲み干した。

 リットは余計なことを言うなとチルカを見たが、チルカは視線に気付かないまま満足気に紅茶を飲み干すと、手付かずのリットのカップから、自分の小さなカップで紅茶を汲み足していた。

「チルカが庇うのもおかしい」

 エミリアは疑いの視線を更に強めた。

「庇うってな。こっちが悪いことをしたみたいに決めつけんなよ。オレに依頼経験があるなら知ってるだろ? めんどくさい客の注文は稼げんだよ。さては、雨が降ってて機嫌がわりいんだな。まぁ、この雨じゃな。エミリアみたいな特異体質じゃなくても、イラつくってもんだ」

「おかげさまで体調はすこぶる良い」

 エミリアは妖精の白ユリのオイルが入ったランプの調節ネジを回した。

 急に強くなった光により、リットの目は眩み、思わず顔を逸してしまった。

「さぁ、正直に言うんだ。私の目を見て、ちゃんと真面目に働いて稼いだのか?」

 光越しに映るエミリアの真剣な眼差しは、リットには威圧しているかのように見えていた。

「眩しすぎて見れねぇよ……」

「なにそれ。アンタの口説き文句? そうなら、もっと女心を勉強したほうがいいわよ」

 チルカのバカにした口調に、リットは頷いた。

「まったくだ。ちょっと勉強しに行くとするか」

 リットがテーブルに手をついて立ち上がろうとするが、先にエミリアに回り込まれ、肩を押さえられてしまった。

「そういつもいつも酒場には逃さん」

「ポーチエッドのコネで兵士になったわりには、融通がきかねぇな。いつも言ってるけど、もっと気楽に生きろよ」

「確かに義兄上の口添えで、若さとは不相応な地位に就かせてもらっている。だからこそだ。信頼されるためにも、真面目でいなければならない。そうしないと、他の者に示しがつかないだろう」

「信頼、真面目。アンタの口からは絶対出ないような言葉ね」

 チルカはダメな奴ねとでも言いたげに、わざわざリットの目の前まで飛んできて、肩をすくめた。

「私達だろ。ちゃんと複数形にしろよ。まぁ、信頼ってのは勝ち取るもんだな」

 リットは同意を求めて大げさに言ったが、エミリアは首を横に振った。

「いいや、信頼は積み重ねるものだ」

「なら、もうこの話は終わりだな。価値観の違いは水掛け論だ。わざわざ雨の日にすることもねぇ。水を掛けられたきゃ、外に出たほうが早えからな」

「雨ねぇ……やめばいいけど」

 チルカは窓の外を心配そうに眺めた。

 強くなることもない一定の激しい雨は、長雨を予感させるような降り方だ。

「心配しなくても、妖精の白ユリのオイルならあるぞ」

「そういうことじゃないの。もっとデリケートな問題なのよ。お酒を飲むだけで気分転換できるような、単純な男にはわからないわよ」

 チルカの憂い気なため息に、エミリアが同調する。

「たしかにそうだな。どうも長雨は体のキレが鈍る。前のように、体調が悪くなるわけではないがな」

「蕾のまま萎れる花のように、儚げな気分なのよね」

「それはわからないが、滅入る気持ちというのはわかる。走ったり、剣を振ったりしても、気分を紛らわすことができない」

「そういう時は体を動かすより、休めるほうがいいわよ。水浴びしたり、お湯に浸かったり、体を動かさない気分転換のほうが効果的よ」

「それは良いことを聞いた。だが、どうも私はモヤモヤすると体を動かしたくなるタチでな」

 話が弾むエミリアとチルカを横目に、リットは椅子から立ち上がったが、エミリアに止められる気配はない。

 リットはそのままそっとドアに向かった。

 ドアはしっかりとは閉められておらず、部屋から漏れる針のように細い明かりが廊下に伸びている。

 リットがドアを開けると、廊下には人影が二つ。聞き耳を立てたままの格好で固まっていた。

「それで、観察しててなんか良いことあったか?」

 リットは小さい方の影。ノーラに話しかけた。

「いやーお見事っすね。怪しまれつつも、少しずつ話題を変え、最後にはまったく別の話題へとすり替える。エミリアの苦労が偲ばれますよ」

「なにやってんだよ。隠れる意味がねぇだろ。遊んでんのか?」

「言い出しっぺは、グリザベルっスよ」

 ノーラは後ろの大きい影を見上げて言った。

「如何にも。我の提案だが、なにか文句はあるか?」

 グリザベルは真剣な眼差しでリットを見た。

「文句はねぇが、興味はある。オレでも、エミリアから話を逸らせる確率は七割程度だ。見てマネしたところで、グリザベルが小言から逃げられるとは思えねぇからな」

「なにを適当に言うておる。根拠なき話は聞かんぞ」

 グリザベルは泳いだ目が気付かれないように、そっぽを向いて誤魔化した。

「オマエの考えてることなんて、手に取るようにわかる」

「そこまで言うなら、言うて見ろ」

「断れないオマエは、エミリアの規則正しい生活に付き合わされてる。早寝早起き走り込み。ポーチエッドの晩酌に、ライラの世間話。最初に調子よく合わせたから、今更断れねぇんだろ。で、いいかげん自分の情けなさにうんざりして、どうにかしたいと思ってる頃だ。あと、そろそろ泣きそうだから止めてくれ」

「……まぐれ当たりだ」

 グリザベルは更に顔を背けた。

「今がチャンスだと思うんスけどねェ。さり気なく輪に入っていって、早起きは嫌って言うんスよ」

「入っていけるわけがなかろう……。我の知らない話題で盛り上がってるんだぞ」

「そういえば、どっちかというとチルカは旦那型なのに、エミリアと気が合ってますよね」

「似た体質だから、気が合うんだろ。あぁ、それでオマエらは一緒にいるのか」

 エミリアとチルカは静かな朝日とともに起きるようなタイプだが、ノーラとグリザベルは太陽が空に落ち着き、町が賑わい出した頃に起きてくるタイプだ。

「とにかく! 我はもう、早起きをするのは嫌なのだぁ……。夜に好きなだけ本を読んで、朝は遅めの朝食の匂いで起こされたいのだぁ」

 グリザベルは床にへたり込むと鼻をすすりだした。

「仕方ねぇな……。手本を見せてやるよ」

 リットは都合よく歩いてきた、アーチェというメイドに「おい、アーチェ。しばらく見ない間に太ったか?」と話しかけた。

「はい?」

 突然の物言いに、アーチェは立ち止まって不快に顔を歪ませた。

「あぁ、服のせいか。エプロンが腹に乗ってるように見えた。ところで、今日の夜に飲みに出かけるけど問題ないな?」

 そう言ってリットは笑みを浮かべる。

「勝手にしてください!」

 アーチェはリットをキツく睨みつけてから、足音を強く鳴らして。廊下の闇へと消えていった。

「な? 楽勝だ。これで鍵が閉められても、堂々と酒を飲みにいける。これを応用すれば、朝の鍛錬を断るなんて簡単だ」

 グリザベルはまだ鼻を鳴らしながらも立ち上がったが、まだ頭の整理がついていないらしく、「なるほど……」と頷いてしまった。

「そんな上手くいかないと思いますけどねェ……。だいたい、旦那の言うことを真に受けると、友達なくしますよォ」

 ノーラが言い終えるのと同時に、廊下にエミリアの影が一つ増えた。

「コソコソなにをしているんだ……」

「コソコソしてるってわかるなら、そっとしとけよ」

「だから、しばらくそっとしておいただろう。だが、こうも続けば気にもなる。それで、なんだ? なにかあるのなら、ちゃんと聞くぞ」

 リットはグリザベルの背中を肘で乱暴に押すと、バランスを崩しながらグリザベルが一歩前へと進み出た。

「エミリアよ……。しばし見ぬうちに、お主、少し肥えたの」

 グリザベルの視線に合わせて、エミリアは自分の二の腕をつまんだ。

「自分ではわからないが、そうかもしれないな。人の視線でなければ気付かないこともある。体調管理も仕事のうちだ。雨が続く前に、少し鍛錬を多くするか……。付き合ってくれるか? 二人なら気分転換にもちょうどいい」

 グリザベルは「問題ないな」と笑みを浮かべてから、首を傾げた。

「そうか、ありがたい。では、明日の朝、起こしに行く。明日に備えて、今日は早く寝るとしよう。チルカの言っていることもわかるが、やはり私は体を動かすほうが性に合っている」

 エミリアは嬉しそうに笑みを浮かべると、寝室へと向かって廊下を歩いていった。

「お主の言うとおりにしたら、何故かすんなり申し出を受けてしまったではないか! どういうことだぁ!」

「オレは応用しろって言ったんだ。マネしろとは言ってねぇよ」






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