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ランプ売りの青年  作者: ふん
穴ぐらの火ノ神子編(上)

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227/325

第二話

 リットが住む町と、廃城となったヨルムウトル城のちょうど中心あたりに、カラザ山がある。

カラザ山は雲がかかっている時は一つの山に見えるが、東峰と西峰の二峰に分かれており、形の崩れたM字の形の山だ。

 登るのには時間がかかる高いほうの東峰が『パルジャ』。簡単に登れる低いほうの西峰が『レッジャ』と呼ばれている。

 カラザ山を越え、川沿いに行けばブラインド村があるのだが、リットはそこには向かわず、レッジャにある湖に来ていた。

 空は小さな綿のようなはぐれ雲が浮かんでいるだけの快晴。

 しかし、小雨が顔に当たる。

 理由ははっきりしていた。湖の中心から立つ、消えない水柱に風が掠めているせいだ。

 魚が跳ね落ちる水柱のてっぺんでは、半月のように膨らんだお腹の人魚が、ご機嫌な顔でマーメイド・ハープを弾いていた。

 マグニはリットの姿に気付くと、湖に飛び込んだ。

 ハープの音が消えると同時に、水柱も崩れ落ちる。

「やほー! 今日は何して遊ぶ? 水のお城でも作る? それとも苔でも育てる?」

 荒れた水面から顔を出したマグニは、犬のように頭を振って髪の水気を飛ばした。

「また腹をつままれて遊ばれる前に、グリザベルからの手紙をよこせ」

「まだ届いてないよー。届いてないってことは、どこかに出掛けてるってことだね。どう、この名推理」

「手紙がないってことは、その腹をこねくり回して憂さを晴らせってことだな。どうだ、この名推理」

 リットが手を伸ばそうとすると、マグニは素早く距離を取った。

「ボクに当たらないでよぉ……リットが自分で手紙を出せばいいじゃん」

「出そうにもフクロウが来ねぇんだよ。ったく……体力なんかねぇくせに、どこをほっつき歩いてんだ」

 浮遊大陸で見つけた天魔録の一部をグリザベルに見てもらうため、帰ってからどうにか連絡を取ろうと、友人であるマグニの元を訪ねていたのだが、珍しいことに一度も手紙の返事が届いてないらしい。

 片手でも充分足りてしまう友人しかおらず、いつもなら欠かさず冗長な返事をするグリザベルだが、今回に限ってはそんな暇もないということだろう。

「一応ブラインド村まで行ってみたけど、ずっと帰ってないみたいだよ。心配だねー……」

「ってことは、ディアナで別れたままどっか行ってるのか」

「なんなら、ボクがばっちし解決してあげようか?」

「……こんなの見たことあるか?」

 ディアドレ関連のことは聞いても知らないだろうと、リットはポケットに入れていたキュモロニンバスの天空城の光る壁石だけをマグニに見せた。

「なにこれ、すごーい、キレーイ! ボクにくれるの?」

「ナマズのくせに鳥頭なのか? あったらオレが欲しいくらいだ」

「んー……ちょっと待ってて」

 マグニは眉をしかめて少し考えたあと、湖に潜っていった。

 たいして時間は掛からず、風が二回吹き抜けると、マグニは水面から顔を出した。

「代わりにこれでいい?」

 マグニには光沢のあるピンク色をした球体をリットに渡した。

 リットの手の平からはみ出るほどの大きさで、張りのある奇妙な柔らかさがある。

「これが同じに見えるなら、今すぐ湖の泥水で目を洗え。だいたいなんだ……この気持ち悪いのは……」

 リットが手を動かすと、粘着質な音が鳴った。

「巻貝のたまごー!」

 無邪気に腹ビレでお腹を叩いて盛り上がるマグニに、リットが巻貝の卵を投げつけようと構えたところで、急に水面が盛り上がった。

 流れ落ちる水の隙間から「あの……返してください……」と、か細い声が聞こえる。

「……でかい卵の次は、巨大な糞が湖から出てきたぞ」

 暗褐色で渦巻状のそれは、重く泥々しい音を立てて湖から這い出ると、リットの前までやってきた。

「うんこじゃなくて、巻貝だってば」

 マグニの言うとおり、てっぺんに向かうほど細くなる大きな巻貝だ。

 巻貝は殻の穴から触覚を二本伸ばすと、それをリットに向けた。

 触覚が腕の太さくらいあるだけでも驚きどころだが、もっと驚くのは触覚が人の形をしているということだ。

 右の触覚が男に見える形をしており、左の触覚が女に見える形をしている。

「ボクの友達のネールちゃんくんだよ」

「ちゃんとくん、どっちだよ」

「ちゃんとくんの両方だよ。雌雄同体だから二人で一人だし、一人で二人なのー。生まれた時から生涯の相手が決まってるってロマンチックだよね」

「ベテランか?」

 リットは、ネールが「返して……返して……」つぶきながら、手のように伸ばしてくる触覚を避けながら聞いた。

「貝は甲殻種族じゃないから、『ベテラン』とは言わないんだよー。貝種族は『メトゥマ』って言うんだよ。ベテランに会いたかったら、この湖にも何人かいるから呼んでみる?」

「いや、今はノロマをからかうので充分楽しんでるからいい」

 リットが距離を取ると、ネールは殻から放射状に広がったヒダを波打たせてゆっくり近付いてきたが、人間の足で三歩ほどの距離を進んだところで止まった。

「あの……あまり遠くに行かないで……疲れるから……」

 ネールはリットの背と変わらない高さの巻貝を上下に動かしながら、息も絶え絶えに言った。

「子供を人質にするだなんて、リットはワルだねー」

 マグニは目を細めて、半眼で非難する。

「たしかに……悪かったな」

 リットが伸ばされたどっちの触覚に返そうか迷っていると、女の方の触覚が卵を抱きかかえた。そして、男の方の触覚がお礼の握手を求めてきた。

「ありがとう……。でも、これ……子供じゃない……。売り物……。買う?」

「ガキを身売りさせるなんて、こいつのほうが悪じゃねぇか」

 リットが言うと、ネールの二本の触覚が同時に首を横に振った。

「子供は……胎内で孵化させる。こっちは……余分な栄養を出しただけの卵……」

「じゃあ、本当に糞みてぇなもんじゃねぇか……。いらねぇよ」

「じゃあ……帰る……」

 ネールは湖の方へと向き直ったが、進み出す気配はない。

「なんだよ。卵はもう返しただろ」

「疲れて……動けない……」

「じゃあ、しばらく突っ立ってろ」

「卵が……干からびて……売れなくなる……」

「わーったよ……」

 リットは膝をつくと、ネールの足元から湖に向かって地面を手で掘り始めた。

 リットが掘った坂道は、マグニの「ボクもやるー」という声とともに、水に濡れた膨らんだお腹で磨かれるおかげで、いかにも滑りそうな光沢と水気を含んだ坂になった。

 ネールは少しだけ前に進むと、そのまま泥を滑って湖の中に落ちるように入っていった。

「マグニが変なのを持ってくるから、ムダに疲れたじゃねぇか……」

 リットは泥だらけの手をシャツで拭いながら言った。

「でも、楽しかったね、泥遊び。今度はもっと遠くの、あの木のところから坂道を作ろうよ! そしてビューンって滑るの!」

「二度とやるか……。疲れたしオレは帰るぞ」

 リットが立ち上がると、マグニは「今度来る時はおみやげ持ってきてねー!」と手を振って、ネールと同じように坂道を滑って湖に帰っていった。



 長く影が伸びる夕闇に紛れてリットが家のドアを開けると、吊り下げられたランプの明かりに、髪を輝かせたエミリアが「こら、どこに行っていた」と、店の中で仁王立ちしていた。

「開口一番説教を受ける理由はねぇぞ」

「ある。リットが呼び付けたんだろう。私は無理に時間を割いてきてるんだ。家で待っているのが礼儀だと思うが? 仕事もノーラ一人に押し付けて、忙しくて食事もできないと言っていた」

「それで、代わりに突っ立って店番してやってんのか。そりゃ、騙されてんだよ。アイツはいつも飯を食いながら店番をしてるぞ」

 リットが家に入ろうとするのを、エミリアの腕が止めた。

「そのまま家に入るつもりか?」

「自分の家に入るのに、誰かの許可がいるなんて初めて聞いたな」

「なんだその泥だらけの服は。泥遊びをしてきたのならば、泥を落としてから入れ。ここは客も使うのだからな」

「いいから家に入れてくれよ、母ちゃんよ」

「母親のように小言を言われたくなければ、せめてここでシャツくらい脱いで戻るべきだ」

 そう言ってリットの服を脱がせると、エミリアは泥を払いに店の外に出ていった。

 エミリアにシャツを無理やり脱がされ、上半身裸のままで店の奥の生活スペースに戻ると、ノーラがのんきにエミリアからのお土産だと思われるジャムを付けたパンを食べているのが見えた。

「旦那ァ、その格好で歩いて帰ってきたんスか?」

「店の中で痴女に襲われたんだ」

「そうそう。女の人といえば、エミリアが来てますぜェ」

「知ってる。もう、小言まで食らってきた」

 リットは泥だらけのズボンのまま椅子に座ると、ノーラの食べかけのパンを一切れ掴んで口に入れた。

「それはお早いことで。妖精の白ユリのオイルでも取りに来たんスか?」

「いや、調べ物を頼んでたんだ」

「それを覚えているのならば、もう少しそれ相応の態度をとってほしいものだ……」

 エミリアが泥を落とし終えたシャツを持って中に入ってきた。そして、リットの格好を見てため息をついた。

「ため息吐かれるほど、しょぼくれた体でもねぇぞ」

「なぜ着替えていないんだ……。汚れて帰ってきたら、まず着替えだろう」

「素っ裸で出迎えるよりましだろ。それより、調べてきてくれたんだろ。ドワーフの住処」

 エミリアはこたえず、畳んだシャツを持ったまま視線を彷徨わせている。

「なにしてんだ。座れよ」

「シャツをどこに置こうか迷っているんだ。泥は落としたが、まだ汚れているからな」

「そんなのはな、木桶の中にでも放り込んでおけよ」

 リットはシャツをとると、言葉通り近くの木桶に放り投げた。

 キレイに畳まれていたシャツは、皺の塊へと変わる。

 それを見たエミリアは、なんとも言えない視線を皺の塊へと送った。

「久しぶりに会うと、どうも調子が合わんな……」

「お互い様だ。それで、どこにあんだ?」

「まず、約束を守るという約束をして欲しい」

 エミリアは自分の荷物から地図を取り出すと、見えないように裏返してテーブルに置き、さらにその上に手を置いた。

「なんなら、さらに約束した上で、もう一度約束してやろうか? こっちだって必要なことなんだから破らねぇよ」

「なんスかァ? 約束って」

 ノーラがジャムで汚れた手をパンに伸ばしながら聞いた。

「テスカガンドへの調査隊に入ってもらうという約束のことだ」

 エミリアはパンに届く前にノーラの腕を掴み、ジャムで汚れた手を布で拭きながらこたえた。

 キレイに拭き終わるとエミリアは手を離し、あらためてノーラがパンを掴む。

「珍しいっスねェ。旦那がめんどくさいことを進んで引き受けるのは」

「オレの目的と一致したからな。国に擦り寄ってたほうが、なにかと楽なんだよ」

「よっ! 旦那お得意の寄生戦法っスね!」

 ノーラは調子に乗せるように、リットを肘で小突いた。

「だが、協力を申し出てくれるのは助かる。魔力の暴走が原因ということはわかっているのだが、それだけとも言い難い。魔法陣を解読しようにも、テスカガンドが滅びる以前のものを解読するのは中々難しいらしくてな。古いもので資料が足りないらしい」

「そっちでも、こっちと似たようなことは調べ終えてんだな」

「当然だ。お金と犠牲で成り立っているからな。成果なしは通じない。今も、大灯台でのことを活かして、テスカガンド城まで光の道を作ることを検討しているところだ。こちらは組織的に動いているものだから、個人的に動いているリットの経験も活かしたいというわけだ」

「あのなぁ……オレが調査隊に入るのは、用事が済んだ後だぞ」

 リットは立ち上がって戸棚から酒瓶を取ってくると、あきれた視線をエミリアに向けながら、椅子に座り直した。

 反対にエミリアは真っ直ぐな瞳でリットを見返している。

「それがどうしたというんだ」

「つまり、まだ仲良し小好しのお仲間じゃねぇってことだ。金と犠牲の成果をペラペラ話していいのか? 面倒くさくなって、オレがトンズラするとか考えねぇのか」

「これでも、リットが義理を果たすことには信頼を置いている。調査隊に入れば、知ってもらうべきことだからな。だが、その先に済ませる用事というものを知っておきたいのだが」

「それは言えねぇな」

「私にもか?」

「エミリアだから言えねぇんだよ」

 キュモロニンバスの天空城で拾ってきた壁石は、場合によっては盗んで来たようなもので、そのことを正直に話すと話がこじれるのはリットにはわかっていた。

 この壁石について調べ、なにか成果があれば、海賊になった時のように丸め込むことができるので、それまでは黙っているつもりだ。

「ドワーフの住処ってことは私の故郷ですかい?」

 ノーラは興味半分、話が振られる前に自分から切り出そうという気持ちが半分といったところだ。

「それはねぇよ。オマエのとこは闇に呑まれたんだろ。まぁ、そこに親がいる可能性はなくもねぇけどよ。期待はしねぇほうがいいぞ」

「おんやァ、もしかして私に気を使ってます?」

「自分に言い聞かせてんだ。このまま引き取り手がいねぇかもってな。――それで、背中がむず痒くなるような信頼をしてくれてるなら、いいかげんどこにあるのか教えてもらいてぇな」

 リットは裏返しになっている地図の端を、急かすようにして指で叩いた。

「ドワーフの住処といえば決まっている。仕事の邪魔が入らないような、切り立った崖や峡谷の岩窟だ。だから、仕事を頼む時は困るのだがな……」

 エミリアは地図にこぼされたパンくずをキレイに皿の上に払うと、地図を裏返してある場所を指した。

 ここからリゼーネ城を遥かに通り越したミキシド大陸の中心。丸型の金具でくり抜いたような、途方もなく大きな渓谷がある。

「『ボロス大渓谷』か……。また遠いところだな」

「他にも候補はあるが、協力国ではないので許可を取るのに時間がかかったり、国境を超えたり、船に乗ったりしなければならない。ボロス大渓谷はギリギリリゼーネの範疇だ。一番手間と時間がかからないと思うが……どうする?」

「ここでいい。しばらくは海を渡るのも、木を登るのも遠慮願いてぇ」

 話が一段落したと、リットがコップに酒を注ごうとした時、店のドアを叩く音が響いた。

「すまない。店内に誰も居ないのは不用心だと、勝手に鍵をかけてきてしまった。開けてこよう――」

 エミリアが立ち上がろうとしたのを、リットは手で制した。

「問題ねぇよ。馴染みの客なら、外から鍵を開ける方法は知ってる」

「馴染みではない、客じゃないのか?」

「なら、時間外営業はしねぇ。今日は店じまいだ」

 リットは椅子に深く腰掛け直し、動かない姿勢を見せた。

「チルカっスかねェ」

「チルカなら、庭のほうから入ってくるだろ。ほっときゃ、諦めて帰る」

 しかしリットの言葉とは裏腹に、ノックの音はどんどん強くなっていく。乱暴というよりは、駄々をこねた子供のようなノックの音だ。

「旦那ァ、急用かもしれないっスよ」

 リットは「ここは急用で駆け込むような店じゃねぇよ」と言いながら立ち上がった。

「偉いぞ。口は悪いが、ちゃんと相手をしに行くんだな」

 エミリアは感心した声でリットを送り出すが、リットは鼻で笑い返した。

「いいや、小便でも引っ掛けてやれば、嫌でも帰るだろ」


 リットが店へと続くドアを開けると、その音に気付いたのか、ノックの音が一段と強くなった。

 そして「こら、早く開けぬかー! 文を寄越したのはお主だぞ! 我が来てやったのだぞぉ……開けぬかぁ……」という涙混じりの声も響き始めた。






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