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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(下)

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第十九話

 数日経った日の酒場。この連日は、昼間だというのに大盛況だった。

 しかし、いるのは地上から来たものばかりで、天使族の姿は店主一人だけだった。

「いやー、まいったね。浮遊大陸が真っ逆さまに落ちたのかと思った」

 人相の悪い男が苦笑いを浮かべて言った。

「聞いたよ、何回もな。ここで顔を合わせるたびにそれだ」

 今酒場に入ってきたリットは、酒を頼みながらその男の隣の椅子に座った。

「地震、雷、嫁さんの無言の非難。怖いもんはいくらでもあるけど、あれはまた別もんの怖さだったな。部屋の中にいるだけなのに、自分が生きてることにこんな感謝するとはな――なぁ、兄ちゃん」

 男は唐突にリットの肩を掴むが、リットはそれを払いのける。そして、その手の流れのまま店主から酒の入ったコップを受け取った。

「昼間から酒を飲む口実を作ってくれたことには感謝だな」

 リットが言うと、受け取ったばかりのコップに乱暴に乾杯された。

「まったくそのとおりだ」

 男は再びリットの肩を掴むと、開いているほうの手で、もう片側にいる何やらしょげている男の肩も掴んだ。

「こいつなんかは、飲まなきゃやってらんねぇよ」

 そう言って一旦手を離すと、慰めるようにしょげる男の肩を叩いた。

「恐怖にクソでももらしたのか?」

 リットのからかいの言葉を聞いても、しょげた男はため息をつくだけだ。

「こいつはな布と染料を仕入れに浮遊大陸に来たんだ。でも、この前の闇に呑まれた時、慌てて染料を布に落としちまった。仕入れたもんがパァになっちまってしょげてんだ」

「そりゃ災難だな。でも、帰りが楽になってよかったじゃねぇか。重い荷物を持たずに天望の木を降りられるだろ」

 リットと人相の悪い男が笑いあってるのを聞いて、しょげていた男がようやく口を開いた。

「いっそ穴から落ちてしまいたいくらいだ……」

「気が早い」

 人相の悪い男が先急ぐなといったふうに、しょげている男のコップに酒を注ぐ。

「安い慰めの言葉くらいじゃ、気を持ち直せないよ」

「そうじゃない。落ちて、死んで、天に昇ったら、またここだ。懲りずに商売でも始めるのか? 落ち込むだけにしとけよ」

 人相の悪い男はリットとからかいの乾杯の音を響かせた。

 リットは一口飲むと口を離し、コップを持った手の人差し指だけを立たせて、人相の悪い男に向けた。

「そっちは景気良く飲んでるけど、大丈夫だったのか?」

「オレはまだ仕入れる前の段階だったからな。来た早々に闇に呑まれるなんて、運が良いのか悪いのか……」

 人相の悪い男はしょげている男を横目に見て、自分もこうなっていたのかもしれないと複雑な笑みを浮かべた。

「仕入れても、持って帰って売れなけりゃ隣と同じだ。」

 人相の悪い男は「違いない」と口をひん曲げて笑うと、コップの中身を飲み干した。

 ついで、「そっちも商売上がったりなんじゃないのか? ランプ屋なんだろう? 闇をはらさねぇランプなんて、酒場で空のコップを持ってるのと同じくらい意味がない」と言いながら、コップを掲げて店主におかわりを頼んだ。

「闇に呑まれるなんて関係なく、繁盛なんかしてねぇよ。最近じゃ馴染みの客からぼったくるくらいだ。今だって、金にならないことのために浮遊大陸に来てるくらいだからな」

 リットはコップの中の酒を一気にあおると立ち上がった。

「なんだもう帰るのか?」

「息抜きに一杯飲みに来ただけだからな。あんたらと違って暇じゃねぇんだ」

「でも、金にならねぇんだろ?」

「金にならねぇことに片足を突っ込んだから、止め時がわかんねぇんだよ」

 リットは丸められた羊皮紙で困ったように自分の肩を叩くと、代金をカウンターに置いて酒場を出ていった。



 酒場を出て、メディウムの屋敷に戻る途中。大きめの丸葉のツルがからまり、ぶどう一房を逆さまにしたような一本の木がある。この数日、その木陰がリットの考える場所だった。

 酒場がある店通りと反対方向で人通りも多くない。

 ツルに締め上げられた木は、覆われた丸葉に光を遮られ葉が極端に少なく、風に吹かれて葉擦れを響かせることもない。

 雑音を気にせずゆっくり考え事のできる場所だった。

 リットは丸めた羊皮紙を開いて眺めた。

 天使族の柔らかい羽で作られた羽箒で表面の汚れをとり、ディアドレの地下室から持ってきた時よりはキレイになったものの、読める箇所は変わらず少なかった。

 インクの染みを繋いでみたり、筆圧の僅かなくぼみに指をなぞってみたり、リットはとにかく読み取ろうとしていた。

 太陽の位置が変わり、片足が木陰から日差しにさらされるようになると、リットは酒に染まった息を煩わしそうに吐き出した。

 うんざりするような声が近付いてきたからだ。

「……頭が痛くなるような本を読んでどうするつもり? あなたに理解できるの?」

 そう言ったラージャの声は、唇が引きつったかのようにぎこちのない言い方だった。

 反応はため息。リットがしたものではなく、ラージャの肩付近に光が見える。飛んでいるチルカが木陰に入ったことで羽が光っていた。

「それを言うなら、痛い頭でよ。痛い頭で本なんか読んでも、今さら手遅れよ。が正解。やる気ないなら、もう教えてあげないわよ」

 チルカはつま先で、ラージャの肩を軽く小突いた。

「これでも頑張ってるのよ。まだ始めたばかりだから……」

「おい、ラージャ。天使族ってのは空を飛べるんだろ?」

 リットは眉間にしわを寄せながら言った。

「そうよ。浮遊大陸にいて、今さら聞くこと?」

「なら、オレにぶっ飛ばされるか、自分の羽で飛んで行くか決めろ」

 しっしと手で追い払うリットだが、ラージャは隣に腰を下ろした。

「悪口の練習をしてたのよ。少しでもおじい様を言い負かすために。ねぇ、付き合ってくれない?」

「なら、わがままな小娘を追い出す練習に付き合ってくれるか?」

「えぇ、いいわ」

 ラージャはお互い頑張りましょう。と握手をするために手を差し出した。

 しかし、その手はリットに握られることはない。

 代わりにチルカがラージャの手に乗っていた。そして、「今のは皮肉よ」と呆れた顔を見せた。

「そうなの? てっきり手伝ってくれるものだと……。邪魔をしてごめんなさい」

「アンタも本を読むくらい暇なら、手伝いなさいよ。鼻血が出るくらい卑劣なことが言えるのだけは認めてあげてるんだから」

「読んでるから暇じゃねぇんだ。だいたい本じゃねぇよ」

 リットは羊皮紙をチルカの顔に押し付けるようにして見せた。

「なんにも書いてないじゃない。染みの数でも数えてるの?」

「そんなのとっくに数えきった。オレの目の前に一匹いる」

「紙魚のことじゃないわよ! ……誰が紙魚よ!」

 声を荒げるチルカをよそに、リットはラージャに向き直った。

「これでわかっただろ。悪口ってのはこう言うんだ。わかったら、どっか行ってくれ」

「わからないわ……。だって、おじい様は紙魚じゃないもの」

「私だって紙魚じゃないわよ!」

 チルカは平手でラージャのおでこを打った。。

 痛がるラージャに向けて、リットは「で、悪口の末路がそれだ。もう、慣れないことをするのは諦めろ」と言って、ラージャの羽に目を向けた。

 ラージャの染めていた羽先の色は抜けて、元の純白に戻っていた。

 視線に気付いたラージャは、隠すようにして羽先を掴んだ。

「良い子でいても向き合ってくれないんじゃ、反抗もしたくなるのよ……」

「反抗ってのはな、思い返すと恥ずかしくて死にたくなるようなことを言うんだ。んなもん続けてたら、将来命がいくつあっても足りなくなるぞ」

「リットの命は足りてるの?」

 ラージャはリットの酒臭い息に、わずかばかり顔をしかめた。

「今、生きてるってことは足りてんだ。足りなくなったら、恥の上塗りで過去の恥を隠して、細々と命を繋いでいく予定だ」

「よく意味がわからないわ……」

「簡単なことだ。今ここでクソでも漏らせば、次会った時には羽先を青く染めてたことなんて忘れてる」

「羽を染めてたことより、漏らしたことを覚えられてたほうが、死にたくなるわよ」

「なら、赤ん坊なんて毎日死んでるはずだ」

「あてにならないアドバイスね……」

「そりゃ、相談に乗ってるつもりはねぇからな。こうやって適当に煙に巻いてりゃ、普通は呆れて帰るか、勝手に納得して帰る。なのに居座られて困ってんだ」

 リットが羊皮紙に視線を戻すと、ラージャはクスクスと小さく笑いをこぼした。それは人を見下すような下卑た笑いではなくて、小鳥が囀る様な上品な笑い声だった。

「本当、リットって掴みどころがなくて雲みたいな人ね」

 ラージャは浮遊大陸の下を流れる雲を見るように、視線を地面に向けた。

「そうね。だから消えてくれると、晴れ晴れするんだけど」

 そう茶化すチルカの目の前に羊皮紙が迫ってきた。

 チルカが気付いた時には遅く、リットにはたき落とされた。

「確かに。蜘蛛が消えると、気持ちが晴れ晴れするな」

 一度地面に落ちたチルカはそのまま反動つけて飛び上がり、リットの顎に拳を入れた。

「人の飛行ルートに勝手に巣を貼る迷惑な存在と一緒にすんじゃないわよ!」

「オマエだって、人の家に勝手に巣を作ってるじゃねぇか。たくっ、紙が破れたらどうすんだ」

「知らないわよ。アンタが勝手にそれで攻撃してきたんでしょ」

「破れてねぇだろうな……」

 リットが確認をするために羊皮紙を広げると、あるものが目に入った。

「天使族が……島……となる」

 リットは声に出して、羊皮紙に突如現れた光の文字を読んだ。

「アンタねぇ……狂ったふりをしたら許されるとでも思ってるの? 天使が島とかわけわかんないこと言ってんじゃないわよ」

「書いてあんだよ。急に文字が浮かび上がってきた。……なんかしたのか?」

「なにかするなら、アンタの顔面に風穴あけてるわよ」

 チルカは羊皮紙を持つリットの腕の下をすり抜けると、羊皮紙に書かれた光る文字に顔を近づけた。

 少しの間睨みつけるように見ると、人差し指でその文字に触れた。

「私の鱗粉じゃない」

 羊皮紙から離したチルカの指先は、羽と同じように光っていた。

 リットも顔を近づけて羊皮紙の文字を確認すると、筆圧でできた浅い溝に、チルカの羽の鱗粉が付着しているのがわかった。

 溝の隙間に上手いこと引っかかっているわけではなく、羊皮紙を逆さまにしても落ちることはなかった。

 しかし、指で軽くこすれば落ちてしまうことから、しっかりとくっついているわけでもない。

 いったいどういうことだと思い、リットは自分が知っている限りの妖精の鱗粉のことを思い浮かべた。

 すると、リゼーネでの宝石屋の出来事が、背中をなぞり、這い上がるようにして思い浮かんだ。

 迷いの森で妖精の白ユリのオイルを抽出するため、冷気を込めた魔法陣を買おうとした時のことだ。

 金払いの悪い客には売りたくないと言っていた店主が、リットの肩についていた妖精の鱗粉を見付けると、態度を変えて売ってやると言ってきた。

 リットが宝石屋に妖精の鱗粉に使い道があるのかと聞くと、『魔女の店は宝石屋だけじゃないよ。薬屋、アンティーク。そういうところに高く売りつけてやるのさ』という言葉が返ってきた。

 魔女にとってのアンティークは普通とは価値観が違う。魔女にとって希少価値のあるものは、過去の魔女が残した情報だ。

 魔法陣、古文書。そういったものの解明に、妖精の鱗粉が使われているのかもしれない。

 リットはそれ以上のことを考えることなく、羊皮紙で再びチルカを叩いた。

 すると『天使族が――島――となる』という文字の虫食い部分が埋まり、『天使族が作る光の階段には魔力がある。それを使い、島と島を繋ぐことにより魔法陣となる』という文章が光り現れた。

「まだ、読めるところが続いてんな。『新たな島が』……」

 そこまでで妖精の鱗粉が途切れ、文字もなくなってしまった。

 リットと目が合ったチルカは、目を鋭く細くさせた。

「アンタが次になにするか……わかってるわよ……」

「別にいいだろ。減るもんじゃねぇし」

「減るわよ!」

「また生えてくんだから、別にいいじゃねぇか」

「……前にもこういう会話したわね。あの時は一日中夜のヨルムウトルだから、アンタの脅しに屈したけど。ここは一日中天気の浮遊大陸よ。妖精の白ユリのオイルを捨てるなんて脅しはきかないわ」

「なら、脅す手間は省くだけだ」

 リットは羊皮紙で再び叩こうとしたが、チルカはそれより早く高く飛び上がり、木の枝にからみついた丸葉の上に足を下ろした。

「なにするかわかってるって言ったでしょ。アンタ、私がなにか忘れたの?」

 チルカは腕を組むと、ふんっと鼻を鳴らしてリットを小バカにした。

「パンツ見せて、ふんぞり返ってるんだから、変態以外何者でもないだろ」

「バァカ! 妖精よ! つまり羽がある種族! アンタには手が出せないってこと!」

 チルカは力任せに足元の丸葉を踏みつけてリットめがけて落とすと、今度は別の丸葉の上に乗り、リットが避ける反応を見て笑い声を響かせてから、また踏みつけて落とした。

 ずっと黙っていたラージャは落ちて転がってきた丸葉を蹴ると、「もうついていけないわ……」と言って立ち上がった。

「そりゃ、そうだろ。そっちにとっては知らない話だ。話についてこれなくて当然だ」

 リットは落ちている丸葉を拾い、木の上にいるチルカに向かって投げつけながらこたえた。

「違うわ。いきなり口論したり、暴れたり。もうついていけない。悪口は習いたいけど、二人みたいに奇人変人にはなりたくないもの」

 ラージャはそう言って歩きだすと、離れたところから最後に一度だけ振り返り、呆れた視線を二人に送ってから屋敷へと帰っていった。






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