第十七話
時間が経っても焚き火の場所には誰も戻ってはこず、代わりにノーラの声が響いてきた。
しかし、なにを言っているのかはわからない。それほど遠くから聞こえてきている。
リットはしばらくすれば戻ってくるだろうと、ノーラの声に反応をせずに待っていたが、誰かが戻ってくる気配はない。ノーラの声が響き、休憩するように止まり、また響くだけだ。
仕方なくリットは腰をかばいながら立ち上がると、ゆっくり声のする方へと歩き始めた。まだ痛むものの、打ち付けたばかりの頃に比べるとだいぶマシになっていた。
同じく腰を痛めたチルカも声のする方へと向かうが、飛ぶと余計に痛むため、丸まったリットの背中に乗っていた。
普段ならばリットは手で払うし、そもそもチルカがリットの体に乗ることは滅多にない。だが、お互いそんなことを気にする余裕がなかった。
まるで砂漠を気力も水もなく歩くように、一歩に時間をかけて歩いていくと、ノーラが大きく手を振る姿が見えた。
マックスとリンスプーの姿もあり、「遅いですぜェ、ずっと呼んでるのに」と文句を言うノーラの足元には屋根が埋まっていた。
屋根といっても家のように大きな屋根ではなく、気まぐれで余ったスペース建てた家畜小屋のように小さな屋根だ。
それが地面の中から生えるようにして飛び出していた。
リットはそれを一瞥すると、すぐにお気楽な笑顔を浮かべているノーラに視線を移した。
「オレがなんの為に焚き火の前にいたか知ってるか?」
「老化は足からっていうじゃないっスか」
「誰がじじいだ」
「なにを言ってますやら。腰がこーんなに曲がっちゃってますぜェ。背中に座ってくださいと言わんばかりに」
ノーラは大げさに手で大きく弧を描いた。
「そんなに腰が曲がってたら、頭が地面に埋まってるだろ」
リットが再び屋根に目を移すと、「ここに入り口らしき場所があるんですが……」とマックスが自信なく言った。
マックスが自信がないのも当然だった。入り口というのは土を掘り起こして作られた穴で、それも崩落して埋まっている。そこから木の板が顔を出していなければ、自然にできた窪みとしか思わなかっただろう
リットに取れるかと聞かれ、マックスは埋まった木の板を引き抜いてみたが、木の板を抜いた穴の先も崩れた土で埋まっていた。
どれほど続いているかはわからないが、ここを掘り起こすには手間がかかりそうだった。
「掘ってみますか?」
マックスは抜いたばかりの木の板を地面にスコップのように突き刺しながら言った。
リットはそうしてくれと言いかけてから、「いや、屋根を剥がしたほうが早い」と地面から飛び出ている屋根を踏んだ。
腐った木が不気味に音を立てる。
「……いいんですか?」
マックスはかってに壊していいのか、心配そうにリンスプーに聞いた。
リンスプーは大丈夫だろうとこたえたが、マックスは大丈夫だと断言してほしかった。
察しの悪いリンスプーの代わりに、リットが「誰かのものじゃないんだろ?」と聞いた。
「浮島に勝手になにかを建てたり、住むのは違反だ。たまに有用資源がないか調査のために滞在して調べることもあるが、今はそういった話は出ていない」
「だとよ」
リットが埋まっている屋根を顎で指すと、マックスは心配な顔つきのまま恐る恐る屋根の板に手をかけた。
「ずいぶん気がのらないんだな。力仕事が好きなのだと思っていた」
動きの遅いマックスを見て、リンスプーは反対側から屋根の板を剥がし始めた。
「違法なことをしてるかもしれないって心配してんだろ。街の隅で立ちションもできねぇ奴だからな」
「それなら心配はいらないぞ。調査のために作った家は、出ていく時に取り壊す決まりだ。もし、これが天使族が作ったものならば取り壊すべきものだ。元から地上にあったものならば、そもそも与り知らぬことだ」
その言葉を聞いて、マックスの顔から心配の色が消えた。
「それにしても、地上の者が地面の中に住むとは知らなかった」
リンスプーは腐った屋根を剥がす時に飛ぶ木片を体中に浴びながら言った。
「地面の中に住むのは物好きだけだ。頭が空っぽなスケルトンとか、お気楽なドワーフとかな」
「そのお気楽なドワーフはもう動けません。なにか食べるまで一休みしますよォ」
そう言ってノーラは折れた木の上に座った。
リットは木に座ったノーラの足元を見ながら、「なにに座ってんだ?」と言った。
ノーラが短い足をぶらつかせる地面には木の根がない。
木の根元ならば地面に向かって急激に太くなり広がっていくはずだが、ノーラの座っている木は真っ直ぐに地面に向かって突き刺さっている。
周りの木を見ても、同じように幹の太さが変わらないまま地面に伸びている木はない。
ノーラの座っている木からさほど遠くないところに同じように折れた木の株がある。
そこから遠くないところにまた一本、また一本と存在していた。
「なにって木ですよ。旦那も焚き火のところで座ってたでしょ」
リットはそこら辺に落ちている枝の中から長い物を選び、ノーラが座っている木の根元の地面についた。
「樹皮がない木ってのは、木材っていうんだ」
リットは枝で線を引いていく。木材から木材へ。また木材から木材へと線を引いていく。
線は最終的にノーラが座る木材の元まで戻ってきていた。
「まさか、ここからここまでがオレの陣地だ。なんて言わないでしょうね」
いつの間にかリットの背中からノーラの頭の上へと移動していたチルカが、鼻水を伸ばして遊んでいる子供を見るような目つきでリットを見ていた。
「柱を繋いでたんだ」
リットはその場から少し離れると、遠巻きに囲んだ線を眺めた。
あまり大きくはないが、ベッドを置く場所と料理をする場所くらいはある。
「兄さん。遊べるほど腰が良くなったんなら手伝ってください」
リンスプーと協力して屋根の板をいくつか剥がしたマックスは、一旦手を止めてリットを睨んだ。
そして、その細めた両目は驚きに大きく開いた。
言われたとおりリットが近付いてきたからだ。
しかしリットは手伝うわけではなく、マックスの横に立つと、剥がした屋根の隙間から中を覗き込んだ。
まだ暗くてよく見えず、リットは中を見るのを諦めて、代わりに既に剥ぎ取って置かれていた屋根の板を二つ手に取った。
「同じ厚さか?」
リットが聞くと、マックスは「いいえ」とこたえはしたものの、結局手伝う気がなさそうなリットに再び目を鋭く細めていた。
リットはもう一枚板を拾うと、再び比べてみた。そして、板を投げ捨てるように置くと元の場所に戻っていった。
ここにディアドレがいたことは間違いなさそうだった。
家を直す術を持たないディアドレは、強風に壊れた家の木材を使って穴の中に家を作ったのだろう。穴を掘り土壁を木材で補強することならできそうだ。
屋根に使った木材の厚さがバラバラなのは、床板や壁や屋根など使える長さのものを選んだからだろう。
おそらく中の壁も統一されていないだろう。
雨が降らない浮遊大陸では、風と日差しさえ避けられれば問題ないはずだ。
ノーラが座っている木材を含めて、土に刺さっている木材は家の柱に違いない。
そう確信したリットは「崩さないように慎重にやれよ」とマックスにハッパをかけた。
しばらくすると、乱暴に板がぶつかりあう音とともに「全て剥がしました」というマックスの声が聞こえてきた。
やれやれと言わんばかりに肩を回して戻ってくる木片がついたままの服のリンスプーとすれ違い、リットは屋根が剥がされたばかりの地下の部屋へと足を下ろした。
思ったとおり中の壁も厚さの違う板が貼り付けられていた。
中は狭く、睡眠と食事のためだけに作られたような狭さだ。土壁が崩れてきていて、部屋が半壊しているせいで余計にそう感じさせるのかもしれない。
他にあるのは、板戸が閉まったままの換気窓と竈。外にあった埋まった穴は煙を外に逃がすための煙突代わりらしい。屋根を壊した今では関係のないことだが、半壊した部屋の先に本当の出入り口がありそうだった。
そして、両肘をつけばスペースがなくなってしまうような小さなテーブルが一つある。
ヨルムウトルやディアナにあった研究所のように色々な研究道具や本などはなかった。
人骨はなく、ディアドレはここで最後を迎えたわけではなさそうだが、長い年月で分解され消えてしまっただけかもしれない。
しかし、リットにとってそれはどうでもいいことで、問題はここでディアドレがなにを研究していたかわからないことだ。
リットはなにかないかと注意深く壁を観察しながら、小さなテーブルのまわりを何周も歩いた。
異変は目ではなく足の先で見つけた。木の板や古い食材が朽ちているなか、朽ちることのないものをつま先が蹴飛ばした。
リットはテーブルの下から転がったガラスのインク瓶を拾い上げた。
土で汚れた瓶の中が、固まったインクで真っ黒になっている。
インクがあると言うことは、ここでなにかを書いているに違いなかった。
リットは崩れた壁を見ると、一度上に戻った。
そしてランプを手に取って地下の部屋に戻ると、「マックス、来い」と有無も言わさず呼びつけた。
研いだように光る月が夜空に穴をあけている。
焚き火の煙がその穴に吸い込まれるように立ち昇っていた。
焚き火の両端には太い石が置かれ、さらにその上に薄い石がテーブルのように乗っている。
ノーラ達はそれを囲み、昼のうちに採っていた木の実を粉にして丸葉の水と混ぜたものを、熱された石の上で薄いパンのようにして焼いている。
香ばしい匂いが強くなると、ノーラは「旦那ァ、マックスも食べないんスかァ?」とすぐ近くの明かりに向かって声をかけた。
頷くようにランプを揺らし、「後でいただくよ」と返したのマックスだ。
しかし、その姿はノーラからは見えない。
リットとマックスの二人は、崩れた壁の土と木片をどかしながら未だに捜索を続けていた。
リットが土を崩し、崩した土が邪魔にならないように地下室の外へとマックスが運ぶ。
疲れると役割を変え、二人は昼過ぎから休むことなく土を崩していた。
「思ったよりも大変ですね……」
泥と汗で汚れた額を汚れた手で拭い、さらに額を汚しながらマックスがつぶやいた。
「紙かもしれねぇから、慎重にどかさなきゃならねぇからな。それにこう暗くちゃ……ただ土を掘ってるのか、壁を掘ってるのかもわかりゃしねぇ」
言いながらリットはランプの調節ネジを回して炎を大きくした。
大きくなった光にマックスの影が長く伸びると、リットは再び両手を使って慎重に土をどけていく。
リットが崩した土を股の下から後ろに追いやっていると、マックスが空気を止めていたかのように吹き出した。
「なんだ、そんなに穴掘りが楽しいのか?」
「いえ、兄さんの顔が見えたもので」
先程まではお互いの顔は煙るような影に隠されていたが、ランプの炎が大きくなったおかげで、お互いの顔がはっきりと見えるようになっていた。
「言っとくけどな。マックス、オマエも同じような顔してるぞ。汗と土でぐちゃぐちゃだ」
「それも面白いんですけど、そうではなくてですね。子供のような顔をしてますよ」
「なんだ、子供みたいな顔ってのは。スカートをめくって、こらの一言で許されてる時の顔か?」
「もっと素直な顔です。なんと言えばいいか……。自分で作った地図の宝を見つけて嬉しいような。でも見つかったことによって、遊びが終わってしまう寂しさも混ざってるような……そんな顔です」
「酒はよく隠した。冬に雪の下にな」
「子供の頃にやりませんでしたか? 宝探しごっことか。僕は見つけるのが下手で、いつもチリチー姉さんに手伝ってもらいました」
リットは「さぁな」とそっけなく言うと、立ち上がった。
その時の声が冷たく聞こえたマックスは、気に触ることを言ったのかもしれないと、慌ててリットの前に立ち頭を下げた。
「なにやってんだ? 交代だ」
リットは怒って立ち上がったわけではなく、マックスに言われた子供のような顔をしているというのが、自分では説明のつかなかった気持ちを言い当てられてるようで決まりが悪くなったからだ。
それを表面に出さず誤魔化すため、手を置くようにしてマックスの後頭部を軽く叩き、視線を下に向かせた。
そのリットの仕草が、昔「どうして○○はしちゃいけないの?」「これは何?」と子供特有の質問攻めをしていた時、困り顔を浮かべて頭をなでてきた父ヴィクターの姿と重なったせいで、マックスも妙な気恥ずかしさを感じていた。
マックスもそれを誤魔化すため、辺りを見回すように首を振った。
その時、あるものに気付き、床にひざまずいた。土や木片を払いのけると、雨の降らない浮遊大陸の乾いた土が砂漠の砂塵のように舞う。
見つけたのは羊皮紙だ。一枚を掘り出すと、さらにもう一枚埋まっているのが見えた。
「兄さん! なにか出てきました!」
マックスの声は興奮に上ずり震えていた。
リットはマックスから羊皮紙を受け取ると、小さなテーブルの上に広げ、羊皮紙上にランプを置き、光源の確保と重りにして顔を近づけた。
文字が滲み、土に汚れ、ところどころ破れているせいで、ランプの明かりだけでは、とてもじゃないが読めそうになかった。
全て掘り出す頃には、ノーラは口の端にパンくずを付けたまま鞄をまくらにし、リンスプーは木片を体中につけたまま地面に転がり、チルカはノーラのお腹の上で羽根明かりを大きくして寝ていた。
リットが消えかけていた焚き火に枝をくべると、火は途端に大きくなり、チルカの羽明かりも目立たなくなった。
石の上には見るからに硬くなってそうなすっかり冷めた薄いパンが置かれていた。
マックスは自分の汚れた手のひらを見たが、空腹には勝てずに手を洗うことなくパンを手に取ると口に運んだ。
一気に半分ほど口に入れ、飲み込んだところで「なにが書いてあるんですか?」と、まだパンに手を付けず羊皮紙を眺めるリットに聞いた。
「さっぱりだ。グリザベルでもいりゃ、すんなり読めるんだけどよ」
「食べたらもう一度探してみますか?」
「あれ以上探すって、地面をぶち抜いて真っ逆さまに落ちるつもりか? いくらホームシックになったっていっても、もう少し別の帰り方があんだろ」
リットは保存状態の悪い羊皮紙を慎重に捲り、わかる言葉だけを頭の中で繋いでいた。
『メグリメグルの古代遺跡』『動かない雲がある』『はじまりの地と呼ぶ』
しかし、リットは急に考えることを止めた。
ご飯を食べないリットに、マックスが押し付けるようにしてパンを渡したからだ。
「父さんが冒険をしていた頃の話ですが……なにも見つからなかったこともあるそうですよ」
「なんだ。結果を知る前から慰めか? 知らないだろうから教えてやるけどよ。男が男を慰める時はな、黙って酒の一杯でも奢っていくもんだ」
リットは薄いパンを縦に裂くと、丸めて口の中に放り込んだ。
「僕はお酒なんかよりも、思い出話の一つでもしてくれたほうが慰めになると思います」
「思い出話って、オマエが宝を見つけられなくて鼻水と涙を垂らしながら小便を垂れ流したあれか?」
「違います」
「さっき自分で言ってたじゃねぇか」
「誇張しすぎです……。泣きはしましたが、漏らしてはいないです」
「今回はチリチーがいなくても見つけただろ」
リットはあることを心に決めると、残りのパンを口の中に放り込んだ。
「これが宝になるんですかね」
マックスはリットが傍らに置いた羊皮紙を眺めながら言った。
「さぁな、なんなら気に入った女にキスマークでも付けてもらえ」
「とても宝になるとは思えませんが……」
「旅の思い出にはなるだろ」
リットはいつものように肩をすくめて見せると、枝を焚べてから横になった。




