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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(下)

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215/325

第十五話

 月の陰ることのない同じ夜と、太陽の陰ることのない同じ朝を十五回過ごしたある日。

 バストナ・イスにあるメディウムの屋敷の会議が開かれた部屋から、本を一冊くすねてきたことを思い出したリットは、何日もずっとそれを読んでいた。

 一冊の半分程は白紙のページで、すぐに読み終わるようなものだったが、今日も誰もいない静かな宿でそれを読んでいた。


 四大精霊が生まれた場所と言われている『メグリメグルの古代遺跡』。

 メグリメグルの古代遺跡の真上には、嵐がこようが、日照りが続こうが、一つだけ空に頑丈に縫い付けたかのように動かない雲がある。

 その雲のことを、浮遊大陸でははじまりの地と呼ぶ。

 はじまりの地は浮遊大陸の中心であり、他の浮遊大陸ははじまりの地を囲むようにして浮かび、流れている。

 そして、はじまりの地と浮遊大陸の間に浮かんでいるのが浮島だ。

 浮遊大陸はある程度ルートが決まっており、時折天望の木に近寄りながら流れているが、浮島は天望の木に近寄ることはなく、風の遊び相手であるかのように予想の付かない動き方をする。

 稀に近寄ることもあるが、旅人が間違って上陸しないように、天望の木の頂上にいるアルラウネが花を咲かせ、浮遊大陸の管理塔からツタの橋をかけるための矢が飛んでこなければ上陸はできないようにしている。

 はじまりの地と浮遊大陸の間にある全ての島が浮島と呼ばれるわけではなく、有用資源のある島は浮遊大陸として数えられ、管理塔が建てられている。

 浮島には管理塔は作られておらず、飛ぶことのない種族は行ったきり帰ってこられないことが多かったため、光の階段をかけられる天使族の同行と、浮島に行くための許可書が必要になる。


 リットが黙々と本を読んでいると、小石を全力で投げられたかのようなノックの音が響いた。

 リットは椅子に腰掛け、テーブルに足を乗せたまま、音が通り過ぎていくのを待っていたが、たった二回ノックをしただけで、痺れを切らしたチルカがドア向こうで声を張り上げた。

「早く開けなさいよ! こっちは限界なのよ!」

「中には誰もいねぇよ」

 リットは本から目を離さずにこたえた。

「じゃあ、なんで中からブサイクな奴の声が聞こえてんのよ!」

「ドアにぶつかって声が返ってきてんだろ。ブサイクな奴は家の中じゃなくて外にいる。なんなら鏡でもやろうか?」

「叩き割って、アンタの喉に突き刺すわよ」

「見た鏡が割れるほど、オマエがひでぇツラなのに異論はねぇな」

「割った鏡で……アンタの……頭を剃り上げて……ハゲ頭を鏡代わりにするので……勘弁してあげる……から……早く……開けなさ……い……よ」

 チルカの声は徐々に小さくなっていき、最後には地面から声がしていた。

 リットはドアを開けて、ドアの前でたくさんの果実に潰されているチルカを見下ろした。

「ずいぶんせっかちだな。死んだ後のお供えまで自分で用意するとは」

 チルカは背中にある螺旋状の紐みたいな茶色い果実と、お腹に抱える小さなリンゴに粉砂糖をかけたようなザラザラとした皮をした果実の間から顔を出すと、リットを睨みつけた。

「なんでさっさと開けないのよ……」

「その姿が見たかったからだ」

 チルカにとってはたくさんの量でも、リットにとっては片手で抱えられるくらいの量だったが、リットは螺旋状の果実の隙間に入っていた小さなルビーのような果実だけいくつか取ると、口の中に放り込んで椅子に座った。

 それだけでも軽くなったらしく、チルカは飛び上がり、テーブルの上に腰を下ろした。

 そして、一息つくとリットに向かって手のひらを差し出した。

「食べたんなら、お金を払いなさいよ」

「助けてやったんだろ。むしろ足りねぇよ。酒瓶の一つでも買いに行ってこい」

「……もういいわよ」

 チルカは羽をたたむと、螺旋状の紐みたいな果実を適当な長さでちぎり、バナナのように皮を剥いた。

 中の実は濡れた氷のように透明で、鼻孔に絡みつくようなネットリとした甘い匂いを放っていた。

「いつまで果物ばっかり買ってんだよ。甘い匂いで、地上にいる仲間でもおびき寄せるつもりか?」

「全種類食べるまでに決まってるでしょ」

「いつからノーラになったんだ?」

「アンタだってお酒ばっかり……飲んでないわね。どうしたのよ、死ぬの?」

 チルカは部屋を軽く見回しながら言った。

 いつもなら、酒場で飲み残して持ち帰った酒瓶が転がっているはずだった。

「この街の酒場は嫌いなんだよ。小洒落てるし、アルールの実の酒しかねぇ」

「だから根暗になって本ばかり読んでるのね。同じ本ばかり毎日見て……さてはエロいことが書いてある本ね。だから、すぐにドアを開けなかったんでしょ」

 チルカはカメムシでも追い払うように、鼻をつまんで手を払った。

「まぁ、イキかたが書いてある本には違いねぇな。はじめてからイクまでのことが書かれてる。いきなりイクのはムリだ。ちゃんと段階を踏まないとイケねぇとよ」

「中身まで聞いてないわよ、バーカ。寝静まった後変なことしてたら、宿から叩き出すわよ」

 チルカの声は途中から羽ばたきの音にかき消された。

 その羽ばたきの音はすぐに消え、その代わり二、三歩歩く音が聞こえた。そして、重しをつけたようにドアがゆっくりと開いた。

「困っていたら遠慮なく言ってくれとは言ったが、ワタシを召使いだと思っているのなら、今のうちに訂正しておきたい」

 リンスプーはまっすぐ部屋の中まで入ってくると、サインの書かれた枯れ葉をテーブルの上に置き、リットが座る椅子の方へと押しやった。

「そんなこと思ってねぇよ。せいぜい伝書鳩くらいなもんだ」

 リットは枯れ葉を持って窓際まで歩いて行くと、陽の光に当てて、鈍色に透けるメディウムの名前を確認した。

「アンタ巣でも作る気? 頭の悪い鳥だって、こんなボロボロな枯れ葉は使わないわよ」

 チルカは枯れ葉を持つリットの人差し指に足を下ろすと、枯れ葉に書いてる文字をまじまじと眺めた。

「浮島に行くときは許可がいるんだとよ」

 リットは指の上に乗るチルカを、手を振って乱暴に揺さぶり落とすと、テーブルに戻り椅子に座った。

「浮島には管理塔がないからな。何かあって帰りが遅くなった時に、捜索隊を出せるようにだ。だが、そう大げさに考えなくとも、天使族がいれば光の階段を使い、浮島を辿って浮遊大陸に戻ってこられる。万が一というやつだ」

「万が一って、そこそこ確率が高いじゃないのよ。一万人に一人の大バカが、すぐ目の前にいるのよ」

 チルカはテーブルに下りると、剣の切っ先を向けるような勢いでリットを指差した。

「ワタシに言われても困る。リットがバカであっても、アホであっても、ワタシの責任ではないからな」

「あっても。じゃないわよ。バカであってアホでもあるのよ」

「気前が良いな。二つもくれるなんてよ。せっかくだから、アホのほうを譲ってやるよ」

 リットが乱暴な動作でテーブルに足を乗せると、テーブルの上にいたチルカは足元の揺れによって尻餅をついたが、すぐに飛び上がり、リットの脚に一度蹴りを入れてから元の位置に着地した。

「そういうことじゃないわよ、バカ」

「なんだ、バカもほしいのか。欲張りな奴め。なら、バカの方もオマエのもんだ」

「では、バカでもアホでもないリットに言っておくが、本を返してくれと言っていたぞ。まだ書いている途中だそうだ」

 リンスプーはテーブルに置かれている本に目をやった。

「これ、メディウムが書いたのか?」

 リットは本を手に取ると、脚に攻撃をしてくるチルカをその本で叩き落としてから、自分の目の前まで持ってきた。

「複数の本から必要なことだけを引っ張ってきてまとめているらしい」

「そりゃまた……老後の趣味にはぴったりだな」

「そういうものなのかい?」

「書いてりゃ、ボケ防止にちょうどいいからな」

 リットは本を開いて、風に吹かれたように適当にページを捲ると、片手で勢い良く閉じてリンスプーに投げて渡した。

「暇つぶしにはなったって言っておいてくれ」

「……あまり察するのは得意ではないが、これはワタシに返しに行けと言っているのかい?」

「ボケて同じことを繰り返して書く前に、さっさと続きを書けって伝えろ。まで察してくれりゃ完璧だ」

「それは伝えないぞ……」

 リンスプーは椅子から動く気配のないリットにため息をつくと、渋々と本をメディウムに届けに行った。



 叩き落とされたチルカが復活し、色々な意味でリットに噛み付いていると、のんきな歩幅の狭い足音がドアを開いた。

「ただいまーっス」

 そう言ったのはノーラだったが、ドアを開けたのはマックスだった。

 両手に沢山の食べ物を抱えたノーラが意気揚々と部屋に入ってきた。

「ただいま帰りました」

 マックスも片手に食べ物を抱えている。

「いつから決まりになったんだ? 食い物を土産に宿に戻ってくるのが」

「そんなことないっスよ、旦那ァ。これは自分の分です。お土産なんてもったいない。どうしてもと言うなら一つくらいあげてもいいっスけど」

 ノーラはベッドの上に食べ物を広げると、どれから食べようかと吟味し始めた。

「僕のはお土産ですよ。なにがいいのかわからなかったので、食べ物ばかりになってしまいましたが……」

 マックスは片手に持った食べ物をテーブルに置くと、鞄からもお土産を取り出した。自分のお土産の選び方に不安そうながらも、早く渡したくてしょうがないようだった。

 すると、ノーラは自分で買ってきた食べ物を後回しに、マックスのお土産に食いついた。

「こっちではみないのもありますねェ」

 ノーラはカラフルな卵の中からピンクの卵を手に取っていた。

 リットも卵の山に手を伸ばす。

 カラフルと言っても、一つが一色に染まっているわけではなく、白い卵にあるまばらな水玉模様に色がついていた。

「毒キノコを食わせるならもっとうまくやれよ」

「卵ですよ……。なぜ僕が兄さんを殺そうとするんですか」

「オレが聞きてぇよ。身に覚えはいくつかあるけどな」

「卵の殻に小さな穴をあけて、果実の汁と一緒に一晩漬けてから茹でたお菓子です。穴の開いてる場所が染まるらしいですよ」

「見た目は怪しさ抜群ですけど、なかなかのお味っスよ」

 ノーラの手には既に殻の剥かれた卵がある。中も不気味なピンクの斑点に染まっていた。

「僕もこれが一番気に入っているんだ。疲れが吹き飛ぶような甘さが癖になるからね」

「及第点ね。果実や木の実を持ってきたのは褒めてあげるけど、センスが悪いわ」

 チルカの悪態にもマックスはニコニコしている。自分の選んだものに反応があるだけで嬉しかったからだ。

「他にもお土産を買ってきたんですけど」

 マックスは窓から隣のリンスプーの宿を確認した。

「お土産ってのは着替えの覗きのことか? それとも、ガキでも土産に残していく気か?」

「違います! いるか確認したんです!」

「リンスならいねぇよ。伝書鳩になってるからな。それより、どうだったんだ?」

 リットが聞くと、マックスはわざわざテーブルの上のお土産をどけてから椅子に座ると、爛々と瞳を輝かせた。話す前から口元が緩んでいる。

「空からアップルダウンの火口を見ました!」

「なんスか? その美味しそうなのは」

 ノーラはアップルという単語にだけ反応して、一度食べる手を止めた。

「三百年も昔から、今もなお炎を吹き上げる火口で、リンゴを沈めたような形の火口が真っ赤に燃えている様子から、アップルダウンという名前がついたと教えてもらいました。光の柱にもなってるそうですよ」

 ノーラは食べ物じゃない話題に「そうっスか」と話を切り上げたが、マックスの話は続いた。

 天望の木から枝を伸ばすように作られたハーピィの街や、アマズナ砂漠にある山より大きな岩や、海峡を挟んで二つの国の城を繋いでいる一本の長い橋ロングボトムブリッジなど、空から見た光景を興奮冷めやらぬ様子でマックスは話した。

「一瞬ですけど、雲の隙間からディアナのお城も見えたんですよ! なんだか……父さんが冒険者だった気持ちがわかる気がします。世界にこんなに美しい光景が広がっているなんて。父さんと同じ世界を見たようで……今すぐにでも羽ばたきたい気持ちでいっぱいです」

 マックスは目を閉じて、見てきた光景を思い出そうとしている。

 そのすきにノーラは持っている長い果実でリットの脇腹をつっついた。

「旦那、笑顔笑顔。渋い顔して聞いてますよ」

「十年前の自分を見てるようだからな」

「兄さんもあるんですか? 経験するだけで清々しく誇らしくなったり、世界が変わったり、それを人に話したくなるような経験が」

 マックスは聞かせてほしいと言わんばかりにテーブルに身を乗り出した。

「そりゃもう、一晩中酒場で自慢げに話してた。で、後からやってきたドラセナに、余計なこと言うなってビンタされて日常に戻った。なんならビンタしてやろうか?」

「……なんの話をしているんですか?」

「初体験を済ませた時の話だ。天にも昇る心地ってやつだ。まぁ、ここは本当に天に登った場所だけどな」

「ふしだらな出来事と一緒にしないでください……」

「同じことだ。男の世界観なんて、道端の小石一個どこまで飛ばせるかでも変わんだ。そして、そんな話よりもだ。オレが聞いたどうだったは、祝福を受けてきたかってことだ。興奮して思い出話をするようなバカンスに行けって言った覚えはねぇぞ」

「祝福はしっかり受けてきましたが……。兄さんは一人で好きなことをしてこいって言いましたよ」

「好きなことをしてこいってのはな。人の女を口説いて殴られたり、酒を飲みすぎて道端で寝たり、酔って風呂だと思って川に飛び込んで風邪をひいたり、泥酔して部屋の隅を便所と間違えて汚したり、酔っ払って調子に乗って客に奢ってたら無一文になったり、金がないからランプのオイルを飲んでみたらぶっ倒れたり、とにかく恥をかいてこいって意味だ」

「全部アンタのことじゃない」とチルカは小バカにしたように鼻を鳴らした。

「オレは人の女じゃなくて、人の酒に手を出して殴られたんだ」

「でも後は全部旦那ってことですよねェ」

 というノーラの言葉を、リットはテーブルを叩いて遮る。

「とにかくだ。知らない奴がいるところで失敗して恥をかいて成長してこいってことだ」

 やりかたはどうであれ、自分の事を心配してくれているのだろうと少し嬉しくなったが、これで終わらないこともマックスにはわかっていた。

「――で、その思い出すだけで胃が締め付けられるようなマックスの失敗談は、オレの酒の肴になるってわけだ」

 リットはマックスの鞄に手を突っ込み、出し渋っていた酒瓶を取り出すとすぐに栓をあけて、乾杯するようにマックスに傾けた。

「僕はもう少し素直な気持ちで、兄さんにお土産を渡したかったんですが……」

「マックスがもう少し素直に酒瓶を出しゃ、オレだってこんな回りくどいことはしねぇよ」






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