第二十一話
ゆるゆると時間が流れる午後の街中を、リットは宝石箱を手慰みに軽く上に投げてはキャッチしながら歩いていた。
手のひらに収まる度に、カラカラと箱の中で転がりぶつかる音がする。音からして中の宝石は指輪に使われるくらいの大きさだろう。ルビーかアメジストかガーネットか。リットは見ることが出来ない宝石はどんなものだろうと、想像をめぐらせていた。
屋台通りから中央広場にまで歩いてくると、冷たく心地の良い川風と、いつか聞いた弦楽器の音が耳に流れ込んできた。
見たこともない木製の弦楽器から、細く高い音を響かせているのが不思議で、リットは思わず人だかりに紛れて立ち止まり耳を傾けていた。
演奏者は一人ではなく他にも二人ほど居る。
ただの丸太を拳で叩くだけの打楽器は、リズムを刻むだけだが足元から響いて脳天へと抜けていく。顔を隠すくらい大きな葉を咥えて鳴らす草笛は、耳をくすぐるような高い音を震わせるように響かせていた。
その三人が奏でる民族音楽に合わせて、下着姿に腰布を巻いただけのような格好をした踊り娘が、体を委ねるように踊っている。
踵は地面につけたまま、つま先だけを上げ石畳に叩きつけて大きく靴音を鳴らしながら、すり足のように移動しながらステップを踏む。時折地面に向かって手を広げ、自分の影を相手に見立てて踊っているように見えた。
右へ左へと踊り、決して離れることはない影と一緒に歓声を集める。
相性が合わないと思われる毛色の違う楽器達は、音符には残せないであろう不思議な音を奏で心を酔わせた。
木と葉っぱ。自然に近いものだけで作られる音楽は心に直接響き、細胞に深く染みこんでいくようだ。
人の談笑も、吹き抜ける川風さえも、楽器の一つとして耳に届いてくる。
時間が経つのを忘れさせる音色に、リットはただ前を向いてその音楽に聞き惚れていた。
リットの時間を現実に引き戻したのは、時間を忘れる原因を作った踊り娘だった。
「お兄さん。もう終わったんだけど、それはおひねり?」
上に投げて遊んでいたままの格好で立ち止まっていたらしく、リットは宝石箱を踊り娘に差し出すようにして手を出していた。
リットは慌てて首を横に振ると、宝石箱を隠すようにポケットの中にしまった。
「わりぃな。ボーっとしてた」
いつの間にか中央広場を埋めていた観客からの歓声は、ただの喧騒へと変わっており、立ち止まっているのはリット一人だった。
「聴き惚れるほど良い音楽だったかい? それとも良かったのはアタイの格好かい?」
踊り娘は腰布をひょいと持ち上げ生足をあらわにすると、リットに見せ付けるように脚を伸ばした。
「その格好も捨てがたいが、どっちかというと音楽だな。色んな国に行っているような不思議な気分にさせられたよ」
「良い感性をしてるよ。使ってる楽器は全部種族楽器だからね。例えば、あの丸太。正面から見ると普通の丸太だけど、中が空洞になってるんだ。元々はオークの技自慢に使われたものなんだけどね。これがまた面白い話なんだけど……聞くかい?」
「そうだな……。せっかくだし頼もうかな」
「そうこなくっちゃ」
踊り娘はリットの手を引き、近くのベンチに座らせるとリットの目の前に立ち、手を広げて話を始めた。
腕力が強いオーク達は、太い木を素手だけで倒すことが出来るかという力自慢をするのが好きだ。そして木を倒すだけ倒したら、オークは使う分だけを自分の住処に持ち帰える。残され放置された木は、虫や鳥の巣として使われていた。
ある日一人のオークが、何年も放置され枯れ木になった丸太につまずき転んでしまう。
オークは起き上がると、苛立ちに任せてその丸太を拳で思いっきり叩いた。
当然丸太は破壊されたが、オークの苛立ちを消したのは破壊ではなく、良く響く音だった。同時に、空洞になった枯れ木の幹を叩くと良い音が鳴るということに気が付いた。
楽しくなり、近くにあった枯れ木を次々と粉々に破壊していると、とうとう最後の一つになってしまった。
オークはこれを壊したら良い音はもう聞けなくなると考え、思いとどまる。遠くでキツツキがコツコツと木を彫る音を聞きながら、あーでもないこーでもないと思案を巡らせていると、あることを思い立った。キツツキの力でも木はコツコツと気持ちの良い音が鳴る。ならば、力いっぱい叩く必要はないのではないだろうか。
オークはすぐに試した。
結果的に枯れ木は壊れてしまったが、変わらず良い音が響いた。「オークの力で叩くには枯れ木は脆すぎる」そう結論付けると、仲間のオークが倒したばかりの丸太を一つ持ち帰った。
枯れ木のように中を空洞にくり抜くと、最後に枯れ木を叩いた時と同じように弱めに丸太を拳で叩いた。
音が響く。
しかし丸太は壊れていない。喜びに何度も音を鳴らしていると、いつしか仲間のオークも集まり、その音に聞き惚れていた。
その日から森を壊すだけの力自慢の勝負は次第に影に隠れ、丸太を壊さずにいかに大きな音を出せるかという勝負を始めた。それがこの楽器の始まりでもあった。
踊り娘は身振り手振りを使い話し終えると「こういう話をさ、ウチの子供にしてやると喜ぶんだよ」と言って遠くの空を眺めた。
「子持ちだったのか」
リットの言葉が聞こえると、踊り娘は満更でもなさそうに笑う。
「見えなかったかい? アタイもまだまだイケルねぇ」
「あの中の誰かが旦那か?」
リットが馬車に楽器を片付けている男たちを顎で指して言うと、踊り娘は静かに首を横に振り「いいや、あの中に父親はいないよ。みんな仕事仲間さ」と言い、少し顔に影を落として「こういう商売だからね。父親が誰かもわからないよ。息子は故郷でアタイの祖母に面倒を見てもらってるのさ」と、またも遠くの空を眺めた。
彼女の故郷の方角だと思われる空は、雲ひとつ無い青空に晒されている。
「そうか……」
そう言ったリットの声はいつもより低かった。
「やだよ。お兄さんがそんな顔しちゃって」
リットの背中を何度も強く叩くと、気まずさからか踊り娘はわざとらしいほど満面の笑みを浮かべた。
「余計なことを聞いたみたいだからな」
「寂しいのは確かだけどね。そう悪いことばかりでもないよ。この間帰った時は「大きくなったらお母さんについて行って、僕が守ってあげるからね」だってさ。男の子の成長は早いねぇ」
「まぁ、そのくらいの年の男の子なら背伸びしたがるもんだろ」
「それでも嬉しいもんさ」
「そういうもんかね」
「お兄さんも子供が出来たらわかるよ」
仲間に呼ばれると、踊り娘は馬車へと駆けていった。
残された上等な香水のような匂い。その甘い花の匂いが、ふっとリットの鼻先をよぎった。
リットは匂いを片手で払いながら、耳についた独特なメロディの残り香を楽しむように、ゆっくりと屋敷へと歩いて行った。
屋敷に着く頃になると、陽は少し傾き、埃にまみれた窓から差し込んでいるような金色の光を放っていた。
「おかえりなさいませ」と挨拶をするメイドに、リットは片手を上げて返事を返すと「鍋を借りてもいいか?」と聞いた。
「鍋ですか?」
突然のことにメイドは不思議そうに眉をひそめたが、人差し指を顎につけて考えると「大きさはどのくらいがいいでしょうか?」と言って、リットを調理場へと案内した。
「大きすぎず、小さすぎずってのはあるか? 蓋付きだと助かるんだが」
「ありますけど。ご自分の目で確かめるのが一番かと思います」
調理場では、コック達が夕食の準備を始めている。包丁を握った男が顔だけ向けて、調理場に入ってきたリット達に「すいません。夕食はまだなんですよ」と言って、手元のまな板へと顔を戻した。
「違うんですよ。リット様が、お鍋を貸して欲しいそうなんです」
「鍋ですか。使ってないのが奥にしまってあるから持っていっていいですよ」
リットは一歩踏み出したところで、奥というのはどの辺だろうと視線を彷徨わせる。その様子を見ていたポタージュ係のコックが、スープ鍋をかき混ぜながら片手を振った。
「こっちです。大鍋小鍋。なんでも揃ってますよ」
コックが足元の戸棚を開けると、調理器具が西日に照らされ天井に反射して模様を作った。
リットは大鍋を両手を使って引きずるよう取り出すと、その場で持ち上げる。腕の血管が切れそうなほど浮き出て、額からは汗が一筋流れ落ちた。
金属音を響かせ大鍋を床に置くと、大きな息を吐く。今度は片手で持ち上がる小鍋を手に取り、様々な角度から大きさを確かめる。
リットは難しい顔を浮かべると、小鍋を大鍋の中に入れた。
「うーん……。この中間はないのか?」
「最近まであったはずなんですけどね……。どこにしまったのやら……」
今度はコックが難しい顔を浮かべる。目を閉じて腕を組み、しばらくそのままの格好でいたが、思い出したように目を開くと、鍋の火を弱めてお玉でスープを小皿に移し味見を始めた。
「リット様も味見してみますか?」とコックに差し出された小皿を、リットは「いや、いい」と手で制すと、自分の肩に視線を移した。
肩に付着していた妖精の鱗粉は魔宝石屋に取られたが、何もなくなった肩を見てリットはチルカの顔を思い出していた。
「妖精のイタズラじゃねぇだろうな」
「そうでした! チルカ様にお貸ししたんでした!」と、コックが声を張り上げた。
「チルカに?」
「えぇ、リリシア様とご一緒にいらして。なんでも中庭に置くとか言ってましたね」
「エミリアがね……。中庭に行ってみるか。飯の準備中に邪魔して悪かったな」
リットは厨房を後にすると、中庭へと向かった。
中庭の花々は、陽の光を惜しむように浴びていた。
花から花へと飛び回るミツバチの微かな羽音が焼け始めた空に響いている。その奥で水しぶきが飛んでいるのが見えた。
リットが近づくにつれて、水音と共に歌うような声が聞こえてくる。
「んん~っ! 最高! 花に囲まれて水浴びするなんて、あの暗い森じゃ考えられないわね」
中型の鍋に水を張ってプール代わりにしているチルカは、花に囲まれて幸せそうにしていた。バタ足で水を掻きあげ、近くの花に雫をつける。それを見て満足そうに笑うと、鍋底へと潜り、飛沫を上げながら顔を出してまた鼻歌を歌い出した。
「はぁ~、まるで人魚になったみたい」
「オマエの場合はトビウオだろ」
リットが水面に影を落とすと、チルカは目をまん丸に見開きワナワナと震えだす。握りこぶしを作り一度水面を強く叩くと、小さな体からとは思えない大きな声を出した。
「な、ななななんで! なんでなの!?」
「なにがだよ」
「なにがじゃないわよ! なんで覗いてるのよ!」
「覗いてるわけじゃねぇよ。その鍋使うから、さっさと出ろよ」
リットは手をチルカに向けて、シッシと払う。
「私の下僕よ! やっちゃいなさい!」
チルカがリットを指して言うと、花の中から聞こえていた羽音が、リットの耳元に近づいてきた。リットの周りを飛び回るミツバチ達は、近づいたり遠ざかったりと様子を見ている。やがて、一匹残らず同じタイミングで屋敷の外へ向かって飛んでいった。
「あぁ! ちょっとなんで逃げるのよ! 契約と違うじゃない!」
「ミツバチは一度刺したら死ぬって言うしな。こんなしょうもないことに命を掛けたくはないんだろ。ほら、早く出ろ」
「アンタはさっさとむこう向きなさいよ!」
「鍋は持ってっていいのか?」
「いいから! 私が服を着るまであっち向いてなさい!」
羽が濡れて飛べないチルカは、水面をバシャバシャさせて抗議をする。「わかったわかった」と言って後ろを向くリットに「私だって女の子なんだから、少しは気を使いなさいよ」と投げかけた。
「そんな体型で何を恥ずかしがってんだか。こっちはマッチ棒なんか見慣れてんだよ。いいから早く着替えろよ」
「マッチ棒!?」
絶句するチルカの顔はみるみる赤くなり、本当にマッチ棒のようになっている。
リットは罵倒が飛んでくるものだと思ったが、チルカはスーッと大きく息を吸い込むとそのまま黙った。同じように大きく息を吐くとおもむろに口を開いた。
「安い挑発にはのらないわ。アンタを楽しませるだけだもん」
「オマエの裸よりも大事なのは鍋なんだよ。……ったく。鍋を汚しやがって。オマエのサイズならティーカップで充分だろうに」
「アンタねぇ……。もういいわ。いや、よくはないけど。いつか殺してやるから。それより肩貸しなさいよ」
「嫌に決まってんだろ。殺す宣言されてるのに、間合いに入れるわけねぇだろ」
「羽が濡れてるから飛べないの! 私が歩いて屋敷に戻るのに、どれだけ時間が掛かると思ってるのよ」
「飛べなくなるなら、水浴びなんてするなよ」
「アンタがこなければ、ミツバチに部屋まで送ってもらってたわよ。ほら早く」
リットがチルカに手を伸ばすと、チルカは服の皺を掴んで肩まで登っていった。
リットは鍋を持ち上げ、中の水を花壇に流す。水に浮いた妖精の燐粉のせいで、花が輝いていた。
その時、リットに肩に冷たい風が吹く。
「オマエ……」
「なによ」
チルカは目を三角に吊り上げて不機嫌な声で言った。
「オマエ……オレの肩で漏らしやがったな……」
リットは肩に濡れた感触が広がったので、チルカを睨んだ。
「アンタが急かすから、しっかり体を拭けなかったのよ!」




