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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(下)

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209/325

第九話

 踏み荒らされていない草原は深く、まるでそれに飲み込まれないように高床の家が立ち並ぶ。

 エージリシテンの街は、自然を間借りするように作られていた。

 絨毯のような芝生でないのは、踏む者が少ないからだ。住人は皆、足から離れた影を落としている。

 色の濃い多肉質の葉の隙間で形を変える影は、海底の魚影を見ているようだった。

 空中では天使族が大きな翼を広げて談笑をしている。

 はぐれていた渡り鳥が群れに戻るように、極自然にリンスプーが飛び上がったので、リットは一瞬自分も飛べるような気がした。

 しかし、そんなことを思ったのは瞬きよりも速い一瞬だけで、足を踏み出していた。

「あっ!」というマックスの声と同時に、リットは足を草の上に下ろした。

「なんだよ。先に歩いたからってパンツは見えねぇぞ」

 リットは顔を上げて、リンスプーの下半身を指差した。

 リンスプーは布をズボンのように巻いているので、下着はおろか、ふくらはぎも見えない。

「そうではなくて……。踏んでなにも思わないのかと……」

 マックスは視線を下げて、綺麗なままの草原を見ている。

 マックスにとっては踏み入れがたいものだったが、リットにとっては気にするようなものではなかった。

「ならどこを歩けってんだよ」

 リットの言葉に。リンスプーは「そうだね」と同意する。「気にするようなことではない」

 マックスは「でもですね……」と言葉を止めた後、翼を大きく動かした。

 リットの背中を風がなぞったかと思うと、マックスはリットの頭の上まで飛んでいた。

「せっかくなら、自然のままにさせておきたいです」

 マックスの笑顔に、リンスプーは納得いかないように小首を傾げた。

「水を差すようで悪いが、踏まれたほうが葉がしまっていいんだがな。なんの刺激もなく育つと、ひょろひょろと間延びするだけだ。踏み潰されたほうが、脇芽がよく伸びてキレイに育つ」

「そうなんですか……」

 少し気落ちしたトーンのマックスに、リンスプーは追い打ちをかけるように続けた。

「ハズレジマの森を見ただろう。こんな風に伸びていない。それは鳥が踏み荒らし、新芽を潰し横からの脇芽が育つから、間延びすることなく密集する。それが自然の道理だ。つまり、街の草原は自然ではなく不自然ということだ」

 マックスは何も言わず翼を止めると、すっと草の上に足を下ろし、リットの後を続いて歩き始めた。

「ということは、高床の家も自然を考慮してってわけじゃねぇんだな」

 リットは自分の頭より高い位置にある家の床を見上げながら言った。

「そうだね。高床のほうが巻きついてくるツルを切る回数が少なくて済む。ツル性の植物は成長が早いから、床が低いと年に何度も切らなくてはいけなくなるからね」

 リンスプーの言うとおり、高床にするための木の柱にはびっしりツルが巻いていた。

「楽をするに越したことはねぇな。どうせなら、こっちも楽して歩きてぇもんだ。他に下から来た奴はいねぇのか」

 リットは足元の草を乱暴に踏みつけながら歩く。地上の草とは違い、多肉質の葉は靴紐の輪に絡むと、引っかかって歩きにくいことこの上なかった。

 街の中で道なき道を歩くのはストレスでしかない。

「何人かは他の天望の木から来てると思うよ。でも、ホワイトリングに来ても、全員がこのエージリシテンの街に来るわけじゃないからね」

「他にも街はあるのか」

「他にも二つ。『バストナ・イス』と『キャークセンヴィ』。あの穴の向こうにあるね」

 リンスプーが指した方角には、遠くに地上の切れ目があった。

 ホワイトリングの島はリング状になっているので、真ん中に穴がある。

 この穴は、地上の海や湖のようなものでもあり、鳥を捕まえるのに利用されるため、エージリシテンもバストナ・イスもキャークセンヴィも、穴に沿うようにして作られた街だ。

 三つの街は穴の上を飛んでいけばすぐにつくのだが、歩いて行くとなると穴の周りを歩かなければいけないため、倍以上の時間がかかってしまう。

「あれはなんスか?」と、ノーラが突然声を張り上げた。

 巨大な花に見えるような建物は、花びらが四枚ついており、風に吹かれて回っていた。

「油絞りのための風車だよ。種なんかを挽いて油を絞るんだ」

「甘い匂いがするから、食べ物屋さんかと思いましたよ」

 ノーラはあからさまに落胆した顔を見せる。

「油は料理にも使われるから、あながち間違いでもないね。この匂いは……たぶんどこかでお菓子を焼いてるんだと思うよ」

 リンスプーが鼻を動かして匂いを嗅ぐ方向に、ノーラは駆け出そうとするが、リットに頭を掴まれ止められてしまった。

「どこ行くつもりだ。こっちも酒場を探すのを我慢してんだ」

「旦那も我慢って言葉を覚えたんスねェ」

「荷物が重いんだ。これを宿においたらすぐにでも酒場に行く」

「宿はもう少しかかるね。なんせ長い街だから」


 エージリシテンは本通りだけで作られたような細長い街だった。

 時々天使達に上から見られながら長い時間歩くと、その細長い街に膨らむ箇所があった。

 そこが宿屋だった。

 似たような小さな家が何軒も並び、全ての家の前には四角く地表があらわになった部分がある。

 リットがその地表を見ていると、若い男に声を掛けられた。

「その格好は、地上からのお客さんだね。素泊まり、前払い。早く宿を出ることになっても、料金は戻らないよ。でも、その分安くするからね」

 宿の店主は挨拶するより早く、宿の仕組みについて話し始めた。

「一部屋でいい。料金は人数で変わらねぇだろ」

「料金は変わらないけど、正しくは一軒だ。何人で泊まろうがかまいやしないけど、あんまり多いと寝る場所がないよ。何人で泊まる予定だ?」

「四人だ」

「四人か……四人はちょっと多いな」

 店主はリット、ノーラ、マックス、リンスプーと順番に見ていくと、難しい顔を浮かべて腕を組んだ。

 リットは「こっちは違う」とリンスプーを顎で指すと、ノーラの頭付近で飛んでいたチルカを掴んで「もう一人はこれだ」と、店主に見せた。

「なら、大丈夫だ。ベッドは一個しかないけど、布団は貸すから好きに使ってくれ。あと、料理をする時はここでな」

 店主は地面を踏んで言った。

 家の前の草のない地面は、このために作られているらしい。

「家の中で火を使えないのか」

「料理はな。家の中のものは全部木製だ。だから、ランプを使うのも気を付けてくれよ」

 店主はリットが腰からぶら下げているランプを睨むように見た。

「安心しろ。ランプはロウソクを使うより安全だ」

 リットが家の中に入ろうとすると、店主に肩を掴まれた。

「おっとっとっと」

「なんだ、薪の場所は使う時になったら聞く」

「そうじゃない。前払いだ」

「そうだったな。悪かった。習慣がねぇもんでな」

 リットは店主にお金を渡すと再び家に入ろうとしたが、ドアを開けたところで止まった。

「そういえば、泊まる期間を延長する時はどうすんだ?」

「前もって言ってくれてもいいし、期限が近づけばこっちから聞くよ」

 リットは了解と後ろ手に手を振ると、家の中に入っていった。

 リットの背中には、「天使族が借りるってことは、仕事終わりだね。お疲れ様」という、店主がリンスプーを接客する声が聞こえていた。



 家の中はあまり高くない天井で、左右に窓が二つ。左側の窓にはベッドが一つあり、小さなテーブルが一つ部屋の真ん中に置かれていた。

 タンスや棚などは一つもないが、あれば二人で寝るのが精一杯になってしまうだろう。

「その顔はケチったことを後悔してますねェ」

 部屋を見るリットの顔を見て、ノーラがおどけたように言った。

「まぁ、どうせ寝るだけだ」

 リットが背負っていた鞄をベッドの上に投げつけると、入るなりベッドに腰を下ろしていたチルカが反動で飛び上がった。

「ちょっと、なにすんのよ」

「その小せぇ体にベッドなんか必要ないだろ」

「わかってないわね。繊細な体にはベッドが必要なのよ」

「生まれた瞬間から森で野宿してるくせに、何言ってんだ」

「どうせ飲みつぶれて床で寝るんだから、アンタには必要ないでしょ」

 それを聞いてマックスが「確かに」と呟く。

「オマエがベッドに寝たら場所がねぇって言ってんだよ。ここが豪邸にでも見えんのか?」

 それを聞いてマックスはまた「確かに」と呟いた。

「うるせぇな、確かに確かにと」

「どっちにもつく気がないなら黙ってなさいよ」

 リットとチルカに怒鳴られたマックスは、腑に落ちない顔で身を引いた。

「なぜ、僕が怒られる必要が……」

「そりゃあ、口を出すからでしょう。巻き込まれるよりも、さっさと荷物を置いてリラックスしたほうがいいっスよ」

 ノーラは置いた鞄の上に腰掛けると、ふーっと長く息を吐いて、たいして疲れてもいないのに雰囲気で自分の肩をトントンと叩いた。

「リラックスはいいけど……」

 マックスは歯切れ悪く言うと、リットとチルカを見た。

 ちょうど口喧嘩も一段落したらしく、リットは荷物からすぐに必要なものを取り出している最中で、チルカはベッドの上で体を伸ばしていた。

「これからどうするんですか?」

「どうしたいんだよ」

 リットは鞄の中から目をそらさずに言う。

「何か考えがあるなら、先に聞かせてもらいたいんですが……」

「酒を飲みに行く」と言ったのはリットで、「ご飯を食べに行く」と言ったのはノーラ。「私は一休みするわ」と言ったのはチルカだ。

 マックスは「いえいえ」と首を横に振った。

「今すぐのことではなくてですね……。これからの予定のことですよ。考えたんですけど、しばらくなにもないなら、祝福を受けに行こうと思うんですよ。それから、家族にも会いに行こうかと。どうでしょう?」

「そりゃいいな」

 リットの肯定の言葉に、マックスは「でしょう」と嬉しそうに顔をほころばせた。

 マックスは「いつ行きましょうか」と喜び顔のまま聞くが、リットの「好きな時に行ってこいよ」というそっけない言葉に顔を曇らせた。

「こういう旅の時って、団体行動じゃないんですか?」

「オレがディアナにいた時、こいつらと四六時中一緒にいたか?」

 リットがノーラを顎で指すと、ノーラは首を横に振って「いない」と肯定した。

「でも、ほら結束を深めるというかなんというか」

「こっちも調べたいことは山ほどあんだ。お手て繋いで浮遊大陸めぐりをする暇はねぇよ。金がなくなったらエロス家は探すけどな」

「……たかる気ですか?」

「オマエは孫だろ。助けてもらうだけだ。で、オレはオマエにたかる」

「兄さんも親戚ですよ……」

「兄弟が増えたんだ。親戚まで増やさなくていい」リットは鞄から金が入った小袋を出すと、マックスに投げ渡した。「祝福を受けたら、光の階段で好きに移動できんだろ。オレにベッタリじゃなくて、たまには一人で好きなことしてこいよ」

 そうリットが言った時。カタカタとドアが揺れた。

「光の階段で好きに移動はできないよ。かける距離にも限界があるからね。島同士が近付いた時というなら、好き勝手に移動はできるけどね」

 ドアが開くのと同時に、聞こえてきたのはリンスプーの声だった。

「なにしにきたんだ」

「お隣さんだ。改めてよろしく頼むよ」

「お隣さんってのは盗み聞きをする奴のことを言うのか?」

「ドアの前にいたら聞こえてきたんだ。故意ではない」

「ノックは?」

「見られて困るようなことをしていたわけでもないだろう」

「してたら困んだよ。一人で処理してたらどうすんだ」

「そりゃ、私も困りますってなもんです」

 意味がしっかり伝わっていたからこそのノーラの返しだったが、言われたリンスプーに意味が通じていなかった。

「困っていたのなら手伝うぞ。予定を立てるまでは予定はないからな」

 腕をまくって家に入ってくるリンスプーを、マックスは顔を赤くして慌てて止めた。

「意味がわかって入ってきてるんですか!?」

「そういうオマエは意味がわかってんだな」とリットが言うと、マックスは更に顔を紅潮させた。

「ウブっスねェ」

「あーいうのはムッツリって言うのよ」

 ノーラとチルカの言葉で、マックスは顔を隠すように壁の方を向いてしまった。

「よくわからないが、困っていたら遠慮なく言ってくれ。調理法がわからないものあるだろう」

「助けてもらうのは明日でいい。今日は大事な用事があるんでな」

 リットは入り口に立っているリンスプーを部屋の中に押しやると、自分はそのまま家を出て行った。



 夕方過ぎということもあり、既に酒場は開いていたが、リットはカウンターで渋い顔を浮かべていた。

「どうした? 飲まないのか?」と酒場の店主に言われ、リットは眉をひそめた。

 リットの目の前には、木製のスプーンを二つ重ねて、持ち手の後ろを紐で束ねたようなものが置かれており、下のスプーンの部分は細かい穴があいている。

 もう一つ、グミの実を集めて丸めたようなブツブツしたオレンジ色の果実が置かれている。

 器具で挟んで果実の汁を絞るというのはわかったが、問題はコップだった。

 小人の帽子のような小さい木製のコップが置かれている。

 リットは器具で果実を挟み、種が割れる音が聞こえるまで果汁をキツく絞ってみるが、ちょうどコップ一杯分の量しかなかった。

「アルールの実の酒だ。グイッと言ってくれ」

 店主にあおられ、リットは一気に飲み干す。

 といっても、一度喉を鳴らせばなくなってしまうような量だ。

 口の中には酸味がかった果実酒のような甘さが残った。

「こりゃ、なんだ?」

「だから、アルールの実の酒だ」

「なんか酒を飲んだ気がしねぇな……」

「そうか? 度数も結構高いぞ。食べた小鳥なんか、酔っ払って落ちた実の中で泳いでるくらいだ」

「そうじゃなくてよ。色々小洒落すぎてる」

 リットは店の中を見回すが、酔い潰れてるオヤジも、必死に口説いてる男も、上機嫌に口説かれている女もいなかった。

 皆小さなコップで一、二杯だけ飲んで、爽やかに店を出て行っていた。

「あれが適量なんだよ」

「性に合わねぇな……」

 リットは一杯分の代金を払うと店を出ていった。

 それから、いくつか酒場を回ったがウイスキーはなく、あるのはアルールの実の酒だけ。

 店々で一杯だけ飲んでは、次の酒場に向かうということを続けている途中。急に空から大きな鳥が降ってきた。

 リットが近付いて様子を見てみるとそれは天使だった。何を言っているかわからない独り言を繰り返し、酒臭い息を撒き散らしている。

 なんだ?と思っているその時だった。急にリットの足がふらつき始めた。

 辺りはすっかり暗くなっていて気付かなかったが、よく見ると草の上に倒れた形跡がいくつか残っていた。

 どうやらアルールの実は急に酒が回るらしく、酔った天使が飛べずに落ちてきたのだろう。

 そう思うのと同時に、リットの頭の中には、最初の酒場の店主が言った「あれが適量なんだよ」という言葉が説教臭く反芻された。

 宿に戻ろうと思ったのは覚えているが、そこからは殆ど記憶がなく。しっかりと意識が戻ってきたのは太陽が昇り始めてからだった。

 リットは自分の宿ではなく、少しでも近くのリンスプーの宿のドアを叩いて水を求めていた。

 寝起きのリンスプーは布がはだけていて、いつものズボンではなくスカートのようになっていたが、リットはそのことに触れる気力もなかった。

「明日助けてもらいたいと言っていたのはこれか」

 リンスプーは丸葉を切ってからリットに渡した。

「今そんなすっとぼけたこと言うと、ドアの前にでかいお土産を残して帰るぞ……」

「それは困るな」と、リンスプーが一瞬目を離した隙に、水を一口飲んだリットはドアの前に倒れ込み、そのまま寝息を立て始めた。

「これは困るな……」






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