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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(下)

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第五話

 投げられた果実は、長いこと顔に張り付いていたように思えたが、実は一瞬で、果汁と果肉が潤滑油の役割をして、舐めるようにゆっくりと顔を滑り床に落ちた。

 両耳の上に軽くかぶさる程度のショートヘアの先から、砕けた小さな果肉の破片が滴り落ちる。

 濡れて額に張り付いた短い前髪をかきあげ、べたつく果汁を整髪料代わりに乱暴にまとめ上げると、涼しげな瞳があらわになった。

「あらー、どこに行っていたんですか? リンスプーちゃん」

 ロールが真綿のように柔らかでまろみのある口調で言うが、リンスプーは鋭角に削り取ったような堀の深い顔立ちを微塵も動かさないまま、ロールの元まで歩いて行くと、テーブルの上に、土がついている短い根を置いた。

「また忘れていたぞ。ツタの橋の気根を抜かなければ、無駄に養分をとられて周りの草が枯れてしまう」

「あらあらあら、忘れてました」

 ロールは頬を両手で覆い、すまなさそうに眉をひそめた。

「気根でも土の中に入れば根を張る。そうなれば、抜くのが一苦労だ。次からは気を付けるように」

 リンスプーの感情の起伏のない瞳は、怒っているとも、呆れているとも、仕方がないと思っているともとれなかった。

 リンスプーはリット達に目もくれず休憩所の中に入ってきたが、反対にリットはリンスプーをずっと目で追っていた。

 毛束のしっかりした短い髪。切れ長な目。形の良い高い鼻。すらりと細い首筋から、華奢な鎖骨のライン。

 ロールもリンスプーも大きな布を体に巻いて服にして、羽を出すために背中を大きく開けているが、ロールは裾をドレスのようにし、リンスプーはズボンのようにして巻いていた。

 リットは思わず「どうなってんだ」とこぼした。

 それを聞いてマックスは、自分の服を指しながら説明をした。

「僕の着ているシャツは一見普通のシャツに見えますが、羽の袖口がゆるくなっていて、出しやすいようになっているんですよ。着た後に、紐を引っ張って羽の袖口をすぼめるんです」

「違う違う。ロールを見てみろ。出るとこ出てんだろ。乳にケツに、あと腹」

「とても女性に対する言葉とは思えませんね……」

 マックスに咎めるような視線を向けられたが、リットは気にせず話を続けた。

「問題はもうひとりだ」

 リットはよく見るように、目を細めてリンスプーの体を見た。

 華奢な男性にも見えるが、背の高いスレンダーな女性にも見える。

 声も、低い女性の声なのか、高い男の声なのか判断がつかない微妙なラインだった。

「せめて乳か股間のどっちかが膨らんでりゃ、見当がつくのによ。顔も中性的ときたもんだ」

「気になるなら直接本人に聞けばよいのでは? 自己紹介もまだですから、ちょうどいいですよ」

「おいおい……それで男って言われたらどうすんだよ」

「どうって……気にするようなことはないと思いますが……」

 リットはマックスの肩に手を回すと、テーブルに押し付けるように頭を押さえつけ、無理やりリンスプーのお尻を覗く体勢をとらせた。

 リンスプーはテーブルに手をついて、軽くかがみ、少しお尻を突き出すような体勢で、ロールに根の処理の注意を続けているところだった。

「あのケツを見てみろ。小ぶりだけど妙な色気がある」

 二つのまるい膨らみが布を押し上げて、くぼみにシワを作り、お尻のラインが浮き彫りになっていた。根を下ろすようにすらりと伸びた長い脚は、肉付きの良いロールと並んでいるせいか、実際の見た目以上に細く見えた。

「だからなんなんですか」

 マックスは顔を赤らめて、顔ごと視線をお尻から逸らした。

「それだ。アイツが男だったら、オマエの紅潮も、オレのむらむらっとした感情も、今後の人生を大きく変えることになるんだぞ。天使族は中性的な顔が多いらしいからな」

「それなら、見なければいいだけです」

「そりゃムリだ。今まで、ケツがなくてもいいような女ばかりに会ってきたからな。女だったら、肴に酒でも一杯やりたい気分だ」

「下品ですよ」

「命なんて、みんな下品の賜物だ」

 特に声を潜めていないリットとマックスの会話は聞こえているらしく、気付けばリンスプーは二人の目の前まで移動していた。

 リンスプーは「よく間違われるけど、私は女だ」と一言残すと、ドアのもとまで歩いていき、腰をかがめて床に落ちた果実を拾った。

 その丸まった背中に向かって、マックスは「すみません……」と頭を下げる。そして、「ほら、兄さんも。ちゃんと言わないと」と謝罪を促した。

「そうだな……。奥にまだ落ちてるぞ」

 リットは飛び散った果実のかけらを指すと、リンスプーは丸めていた背中を戻して振り返った。

「どこにある?」

「あー、違う違う。腰を上げるな。棚の下だ。しっかり腰をかがめて取れ」

「本当だ。よく気がついたな。しかし……奥過ぎて取りづらい」

 リンスプーは両膝をつくと、背中反るようにして、腕を棚の下に伸ばした。

「それなら、僕が」と立ち上がるマックスの肩を掴むと、リットは強引に椅子に座らせた。

「余計なことすんな。人の家の棚の下を見るなんて、やるのはこそ泥くれぇだ」

「いや……そうかもしれませんが、この場合は……」

 マックスは歯切れ悪く言うと、腑に落ちない顔を浮かべた。

「旦那ァ……。そういうのセクハラって言うの知ってます?」

 棚の下にあるものをとるため、お尻を突き出したような体勢のリンスプーを眺めるリットに、ノーラが呆れた視線を投げる。

「バレるまでは、よく気が付く男だ」

 リンスプーは床に落ちた果実の破片をあらかた集めると「手を洗ってくる」と言い、外に水の入った丸葉を取りに出た。

「いやー良かった。同じモノを持った奴になびくほど、ポンコツになったかと思ったな。なぁ、マックス」

「……下品な話題を、僕に振らないでください」


 リンスプーはすぐに戻ってきた。戻ってくるなり、真っ直ぐリットのもとに向かってくる。

「『リンスプー・シャイン』だ。プーと言うのは子供みたいだから、シャインか、リンスと呼んでもらえると嬉しい」

 リンスプーは握手をしようと伸ばした手が、一向に手を握られないので首を傾げた。

「これは握手だ。知らないのかい?」

「アンタ……臭うぞ」

 リットはリンスプーから漂う甘い香りに顔をしかめた。チルカにぶつけられた果実のせいで、髪から臭っている。

「ひと仕事を終えて、汗をかいたせいかもしれない」

 リンスプーは腕を上げると、脇に鼻を当ててニオイを嗅ぐ。

「そうじゃねぇよ。手を洗うなら、頭も洗ってこいよ」

「手は握手をするから洗ったが、頭は触られることがないと思って洗わなかった」

「痒くなるぞ」

「大丈夫だ。夜に水浴びをする。二度手間になってしまうから、洗わなかっただけだ。ここは地上ほど水が豊富じゃないからな」

 これ以上そこに触れるのは無駄だと感じたリットは「リットだ」と一言添えて、おそるおそるといった具合にリンスプーの手を握った。

 その光景を見ていたマックスは、わずかに口元を緩めた。

「兄さんって握手が苦手ですよね」

「どの面下げて握手をすんだよ」

「笑顔以外ありますか?」

「相手がおもしろ顔をしてれば、咳き込むほど笑うけどな」

「笑うんじゃなくて、笑顔です……」

「何も面白くねぇのに笑う意味がわからねぇよ。あと――ペタペタ人の指を触んな」

 リットは掴まれた指を、リンスプーの手から引き抜くようにして離した。

「すまない。ゴツゴツしていて、さすが男の手だと思って」

「そりゃ、オイルとかランプを作る時に、火傷とか切り傷とか色々できるからな」

「なに言ってんのよ。年がら年中お酒の入ったコップを持ってできた、酒ダコでしょ」

 チルカがバカにして言うと、リットは喉を鳴らした。

「なんだよ。その美味そうなのは」

「見当はずれな返しをするんじゃないわよ……」


 マックスの丁寧な自己紹介と、ノーラの適当な自己紹介。それにチルカの名前だけを言う短い自己紹介が終わると、全員が椅子に座った。

 といっても、人数分の椅子はなく、マックスはリットの横に立っていた。

「それで、どこに行きたいんだい? ハズレジマに用事がある人なんて聞いたことがないから、目的はここではないんだろう?」

 リンスプーの言葉に頷いてから、リットはおもむろに口を開いた。

「浮遊大陸の中心場所ってのはどこだ?」

「大きな街があるところなら、『ホワイトリング』だ。大きな島だから、見逃すことはない」

「そう言えば、島から島へと渡る必要があるんだったな。どうやって移動するんだ? まさか一人ずつ運ぶとかじゃねぇだろうな」

「浮遊大陸の島同士は光で繋がる。島の高さはみんな違うから、光の階段をかけるわけだ。それでキミ達を運ぶ。天使族と一緒じゃないと渡れない階段だ。島が見えたら、ワタシが一緒に渡ろう」

「コイツがいれば自由に渡れるだろう」

 リットはマックスを顎で指した。

「そうですね。僕も天使族ですし」

「地上生まれなら、祝福は受けていないだろう? 祝福を受けていれば、地上まで階段を下ろせる。天望の木を登る必要がないはずだからな」

 リットは『天使の階段』という言葉を思い出していた。

『厚い浮遊大陸の雲が太陽を遮り、光の階段を降ろして浮遊大陸に迎え入れる』

 光の階段とは、ビーダッシュ神父が言っていた天使の階段のことだ。

「それなら、祝福を受けていない僕は、まだ天使族ではないということなんですか?」

「そういうことではない。地上に用事がある時に、迷うことなく帰ってこられる目印のようなものだ。天使族なら、誰でも祝福を受けられる。時間があるなら、キュモロニンバスの天空城で祝福を受けるといい。帰りが楽になる」

「それがあれば、天望の木を経由せずに、浮遊大陸を行き来ができるということですか?」

「そういうことだ。強制ではないが、それがないため浮遊大陸に帰ってこられない天使は少なくない」

「天使族は天望の木は登らないのですか?」

 マックスが聞くと、リンスプーはマックスの体をつま先から胸元まで、確認するようにゆっくりと見た。

「天使族でそんなに筋肉がついてる奴はいない。男も含めてだ」

 リンスプーの言葉に、ロールが頷いた。

「空気の違いですね。地上と天空では飛びやすさが違うんですよ。天使族は飛んで長距離移動をしますが、地上ではそんなに長く飛べません。だから飛ばずに歩いて長距離移動するのは難しく、天望の木を登ってこられないんです」

「まぁ、今日明日で見付かるようなことはないさ。この休憩所はみんなのものだ。ゆっくり休むといい。ワタシ達はまだ仕事があるので失礼するよ」

 そう言って立ち上がるリンスプーに、ロールが手を降った。

「がんばってくださいね」

「ワタシじゃない。ワタシ達だ。ワタシ一人では大丸葉はいくつも運べないから、ロールも来てくれないと困る」

「そうでしたねぇ」と、ロールも立ち上がった。

 そして、ドアを一歩出たところで、急にリンスプーが立ち止まって振り返った。

「そうだ。言い忘れていた。『闇の柱』が立つ場所では、光の階段はかけられない。だから、その時の移動は諦めてくれ」

 そう言い残すと、リンスプーとロールの二人は両足を地面から離して飛んでいった。



 休憩所からしばらく歩いたところに、一房のブドウを逆さまにしたような木が生えていた。

「この木の葉を、休憩所の壁に張り付いているツタに結ぶんだ」リンスプーはロールのお腹くらいの大きな丸葉を切ると、肩で息をするリットに見せた。「火で炙って外皮を燃やすと、小さな穴があいた薄皮が出てくる。その小さな穴から出てくる水を浴びるんだ」

「そりゃ……凄いな……」

 リットは息も絶え絶えに返事をした。

「……キミがついてくる必要はあったのかい? わざわざ走ってまで。追いつくのは大変だっただろう」

 天使の二人が休憩所を出た後、リットもすぐに休憩所を出たが、その時には既に遠くを飛んでおり、見失わないように走るだけで精一杯だった。

 そして、今。追いついたばかりのリットに、リンスプーが大きな丸葉の使い道を説明しているところだった。

 しかし、リットが走ってまで聞きたかったのは、そのことではなかった。

「不安な……言葉を……残して……いくから……だろう……」それから、リットは大きく深呼吸をすると、「闇の柱とはなんだ?」と聞いた。

「地上から伸びてる黒い柱ですよ。本当に真っ黒なんです」

 ロールは切って置かれた背中を預けて、一休みしながら言った。

「柱と言っても、石や木でできたものではないし、大きさも様々だ」

 今度はリンスプーが言った。

「柱は一つじゃないのか?」

「小さな島くらいの大きさがあるものから、このハズレジマを丸々包み込めるほどの大きさがあるものもある。ほら、なんて言ったかな。地上での呼び名は……」

「……闇に呑まれるか?」

 リットは慎重に一呼吸置いてから言うが、リンスプーは食い気味に返してきた。

「そうだ。それだよ。天空から見ると、それが柱のように伸びているのが見えるんだ」

「光の階段がかけられない理由は?」

「あの中では光が消えてしまうんだ。だから階段も消えてしまう。それに、闇の柱の中では、方向感覚もわからなくなってしまうから危険なんだ。闇の柱の中を歩いていて、気付いたら地面がなくなってるなんてこともある。闇の柱に近付いたら、家にこもってジッとしてるのが決まりさ。突風に煽られても危険だからね」

 リンスプーはあまり感情が浮き出ない瞳のまま言い切る。

ロールも、何も考えていないような笑顔を浮かべたまま「でも、心配はいりませんよ。闇の柱がどこに立っているかはわかってますから。闇の柱付近で、別の島と近付いた時には移動ができないというだけです」と言った。

 どちらの雰囲気も安心とは程遠いものだった。

「酒でも飲んで、気分を誤魔化すか……。ここには酒になる果実があるんだろ?」

「アルールの実かい? 浮遊大陸にはあるけど、ここには生えていないよ」

「なるほど……確かにハズレジマだ」






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