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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(上)

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第二十五話

 雨が降れば川ができる。

 このスリー・ピー・アロウにも雨が降る。

 土天井に染み込んだ雪解け水は、大粒の雫になるまで天井に張り付き、やがて自らの重みに耐えられなくなると、スリー・ピー・アロウの根避けの明かりに照らされながら落ちてくる。

 落ちた雫は土に染み込み苔を色濃くさせ、土に染み込みきらなかった分は稲妻のようなひび割れた細い川を作る。

 雨が流れ落ちた道をたどれば、灯屋へと向かう。

 灯屋の近くにある窪みは、各場所から流れ着いた水がたまり、小川ができていた。

 地面から露出した岩に当たり白く砕けると、流れが速くなったように見えるが、スリー・ピー・アロウで過ごす時間のように、川は緩やかに流れている。

 リットはスリー・ピー・アロウに流れ込む春の匂いをかぎながら、ボンデッドに教えられたラミアの店に来ていた。

 店は土作りで、天井からはコウモリやネズミの干物が吊るされていて、床につきそうになっている。

 元は全部干物がぶら下がっていたのだが、店の中心でとぐろを巻くラミアの周りのものは、紐がぶら下がっているだけになっていた。

「もっと鳥とかねぇのか? コウモリの干物なんてかさばるだけで、食うところ少ねぇだろ」

 リットは干物が吊るされた紐をかき分けながら、天望の木を登る時に持っていく保存食を探していた。

「そんなのとっくの昔。冬が始まる頃に食べちゃったよ」

 ラミアは大きく口を開けて、長い舌を震わせながらあくびをした。

「商品を食うなよ」

「冬の間の食べ残しを売ってるだけだからね。冬は食べることしか楽しみがないから、鳥なんて外からの美味しいものは残らないよ」

「おとなしく冬眠してろよ」

 リットが状態の良さそうなネズミの干物をいくつか天井から取ってキープしながら言うと、ラミアはまるで意思を持ってるかのように右往左往にはねる長く伸びたくせ毛をかきあげた。

「ラミアは冬眠をしないよ。でも、冬は蛇の半身の活動が鈍るからほとんど動けない。だから、結局食べて寝るくらいしかすることないんだけどね」

「それだけ食っちゃ寝の毎日をしてれば、店から出れないだろ」

 リットはラミアの体に目を向けた。

 ラミアのとぐろを巻いた隙間からは、カエルのように膨らんだお腹が顔を出していた。

 冬の間に存分に蓄えたお腹の脂肪は、入り口から出入りするには引っ掛かりそうなほど膨らんでいる。

「だから売ってるんだよ。食べ物がなくなれば当然食べられないし、食べなければ痩せる。そうすれば、外に出られる。たまに、我慢できずに家を壊して外に出るけどね」

「春になるたび家を壊してたんじゃ、そのうち住むとこをなくすぞ」

「そうでもないよ。シュタインとかのアリの虫人が、冬の間に新しい家を作ってくれてるからね。住み慣れた家から離れたくはないし、できる限り壊したくはないんだけどね」

 そう言ってラミアは尻尾を伸ばして、リットが持っているネズミの干物を取った。

 それをまるのまま口に含むと、トマトのヘタでも取るようにネズミの尻尾をちぎって捨てた。

「その様子じゃ、家を壊すことに決めたみてぇだな」

「新築は素晴らしいからね」

 ラミアは口の中のものを丸呑みにすると、先程と正反対のことを言って、満腹とも眠そうなあくびとも取れない息を吐いた。



 外に出てから改めてラミアの店を見ると、天井から落ちる水のせいで土壁が溶けてきていて、どのみち壊れそうだった。

 天井に穴があいて、干物が泥をかぶる前に買い物ができてよかったと一息つくと、リットはノーデルの宿に向かって歩き始めた。

 ガーゴイルの灯屋の前を通ると、アリの虫人のシュタインが太い顎をカチカチ鳴らしているのが聞こえてきた。

「おい、誰だ! 川に入ったのは! 川が広がったら、土の家が崩れるだろ!」

 シュタインは川の溝を崩した足跡を見て、いつものようにイライラしている。

「まぁまぁ」と割って入ってきたのはノーラだ。「こんなものチョチョイのチョイっスよ」

 ノーラは泥を盛って修復を試みたが、すぐに溶けて流れていってしまった。

「そら、だから川に入られたら困るんだよ」

「別に私が崩したわけじゃないっスよ。大変そうだからお手伝いをと思いまして」

「大変だぁ? オレがいるんだから大変なことになるわけがねぇ」

 シュタインは削れた箇所に石を埋め込み、荒土に藁を混ぜたものを貼り付けていった。

 少しは溶けて流れていくものの、ただの泥に比べれば微々たるものだった。

「そういえば、川付近は踏み心地が違いますねェ。藁が埋まってるからなんスね」

「そうだ。長年こうやって修復してきたからな。これでもすぐ崩れるから、本当は雨が止むまで修復はしたくねぇんだ」

「橋とかかけないんすか? 飛び越すにはちょっと距離がありますぜェ」

 元の溝は、深さも幅もそれほどではなかったのだが、止むことのない雨のせいで大きくなってしまっている。

 このまま放っておけば、年が経つほど大きな川になってしまうので、夏頃になるとアリの虫人総出で元の細い溝に戻す作業をする。

 全て埋めてしまわないのは、雪解けの雨が地底湖まで流れることなく、街に巨大な水たまりができてしまうからだ。

 いつ雪解けが始まるかわからないスリー・ピー・アロウでは、水の通り道が必要だった。

 それがあっても、洞窟のスリー・ピー・アロウでは雪解け後にできた窪みや、土家の修復など、やらなければならないことが山ほどある。

 シュタインがせっかちに仕事をするのもそれが原因だった。

「かけるにきまってる。見ろ、これはなんだ? これが食べ物にでも見えるか?」

「ちょっとだけ。大きな干し肉に見えないこともないっス」

 シュタインは修復用の土山に、立てかけられるように置かれた木板を指した。

 木板は使い古され、ところどころ割れたりしているが、シュタインはそれを器用に組み合わせて繋ぐと、川に木板の橋をかけた。

「これだと、ラミアが通ると壊れません?」

 ノーラはかけられたばかりの橋を踏む。キイキイと耳障りな音を立てて、今にも割れそうな程不自然にしなっている。

 ラミアが通るとなると、木板全体に体重がかかりすぎて折れてしまいそうだった。

「ラミアは痩せるまで出てこねぇとよ」

 リットが話しかけると、ノーラは橋から降りて駆け寄ってきた。

 ノーラが橋から離れると、シュタインは石と土で橋を固定する作業に入った。

「なるほどなるほど。それで、そのラミアさんのお店で、どんな美味しいものを買ったんスか?」

 ノーラはリットから鞄を取り上げると、中身を確認し始めた。

「保存食に美味いものなんてねぇよ」

「まぁ、コウモリの干物は美味しい方っスよ。数ある不味いものの中では、まぁまぁな感じっス」

「それじゃ、美味いのか不味いのかわかんねぇよ」

「不味いけどどうぞって出されれば、そこそこ美味しいっスって返せるレベルの不味さですかねェ」

「不味いけどなんて出す奴がいるかよ。ところでだ。オマエにはカビが生えたシャツの代わりを買いに行かせたはずだが」

 リットは手ぶらのノーラを見て、食べ物をかったのではないかと疑いの視線を向ける。

「そりゃもう。ばっちり新品を買ってきましたぜェ」

 ノーラは少し歩いて、地面に置いてあったシャツを持ってきた。当然シャツは泥まみれになっている。

「これが新品か?」

「ちょっと間違えましたね……。やり直していいっスか?」

「やれるもんならな」

 リットが言うと、ノーラは少し距離を取った。そして、先程と同じようにシャツを持って歩いてくる。

「そりゃもうばっちい新品を買ってきましたぜェ」

 ノーラは微妙に言葉を変えて、リットにシャツを手渡した。

「やり直すなら、買う前からやり直してこいよ……」

「洗えば新品同様ですって」

「この天気だぞ。なんでカビが生えたか忘れたのか」

「カビが生えたのは、旦那が雨に打たれたまま出しっぱなしにしてからでしょう。ケチらずに妖精の白ユリのオイルを使って乾かせばよかったんスよ」

「それが、面倒くせえから新しいの買いに行かせたんだよ。まぁいい、汚れてても死ぬわけじゃねぇ。カビ臭えより、泥臭えほうがマシだ」

 リットはシャツをノーラに押し付けると歩き出した。

「ところで、旦那」

「なんだよ」

「靴が汚れてますよ」

「そりゃ、このぬかるみだからな」

「そうじゃなくて、靴に泥まみれの藁がついてますよ」

「……黙って歩け」

 リットはシュタインから距離を取るように足早に歩いた。



 スリー・ピー・アロウの雨が激しさを増した日、リット達は天望の木の根がある街の中心に来ていた。

 無数に垂れ下がり絡み合う天望の木の根に、まだ新しい伸びたばかりの根が浮いた血管のように張り付いている。

 そんな密集する根の一部に、人工的に根を分けて作られた入口がある。

「この根の中を登っていけば、天望の木の外根に出られる。出てすぐにある樹洞が頂上まで続く一本道だ」

 ボンデッドが説明をする木の根の入り口は真っ暗だった。

 リットがランプで照らして中を確認すると、階段もなく、歩いていけるような斜面もない。根を伝って、真上によじ登ることしかできなさそうだった。

「火をつけたランプを持って登るのは無理そうだな……。下手すりゃ、ランプを落として服が燃える」

 リットは手に持ったランプを一度見てから、チルカに目をやった。

「なによ……私にランプの代わりをやれって言うんじゃないでしょうね。一つの言葉で済むところを、丁寧に二つの言葉で言ってあげるわ。――絶対――いや。アンタにお尻を見られながら飛ぶなんて最悪よ」

「数の計算もできねぇのか。今のは二つの言葉以上あったぞ」

「まさしくその通り」

 そう言って割って入ってきたのはボンデッドだ。

「誰が計算もできないバカよ。アンタの骨をバラして犬小屋を作るわよ」

 チルカがキッと睨むと、ボンデッドが違うと首を横に振った。

「ここから幹の根本までは、バンシーのジャックに道案内を頼む。登りやすい根に止まるので、それを掴んで登っていけばいい。妖精の光る羽は目印になる」

 ボンデッドの言葉に、ジャックは何も喋り返さず頷いた。

「なら、さっさと行くか」

 リットはランプの火を消した。

 根の入り口を潜るリットに「待ってください」とマックスが声をかけた。

 マックスはノーデルの元に駆け寄り、「また会いましょう」と握手を交わす。

 そして、少し何か話をすると戻ってきた。

「さぁ、行きましょう。兄さん」

「オマエな……よくこっ恥ずかしいことができるな」

「兄さんこそ、別れの握手をしなくていいんですか?」

「旦那は恥ずかしがり屋っスから、別れの時はすぐに背を向けるんスよ」

 ノーラの言葉に、マックスは「なるほど」と呟く。

「なに納得してんだよ」

「そうよ。恥なんて言葉は。コイツには存在してないわよ」

 チルカは軽くリットの頭に蹴りを入れると、逃げるようにリットの体の周りを飛んだ。

「なに言ってやがる。今オマエといることが人生で一番の恥だ」

 リット達の賑やかな話し声は、しばらく根の中から聞こえてきていた。


「それで、なにを話していたんだ?」

 ボンデッドはどんどん上がっていく、根の隙間からこぼれるジャックの羽明かりを見ながら言った。

「また会いに来るってさ」

「しかし、今のスリー・ピー・アロウは自由に出入りができない。また会うのは難しそうだ」

「だから、また会いに来るってさ」

 ノーデルは目玉を外して服の裾で拭くと、マックスの見えない背中に手を振った。



 二時間ほど休まず根を登ると、久しぶりの青空が見えた。

「なんだよ……まだずいぶん雪が残ってんじゃねぇか」

 リットが言うと、ジャックが雪の上に降りて歩き出した。

 ジャックの足跡を繋ぐと「数週間のうちに溶ける」と書かれている。

「めんどくせえから喋れよ……」

 リットが言った瞬間、ジャックはチルカの後ろに隠れた。少しだけ顔を出したが、チルカに耳打ちをすると、再び背中に隠れた。

「怖いから、死んだ魚の目で睨むなって」

「付け足すなよ」

「意味が同じだからいいでしょ。だいたい、こんなのちっとも怖くないわよ。兎の糞が喋ってるみたいなもんよ。――え? なに、その方が怖いって? たしかにそうね……。兎の糞らしく、喋らず黙ってなさいよ」

「アホらしい……。いいから、隠れてねぇでさっさと道案内しろ」

 リットが手を伸ばすと、ジャックは素早く飛んで、根の隙間に逃げ込んでしまった。

「あーあ、旦那が怖がらせるから」

 ノーラが咎めるように言う。

「なんもしてねぇだろ」

「兄さんは粗暴すぎるんです。もう少しにこやかに言ったらどうですか?」

 マックスもノーラと同じように咎めるように言った。

「たくっ……おい、頼むから案内してくれ」

 リットが作り笑いを浮かべて根に向かって喋っていると、先に樹洞に入ったチルカが呆れたように声をかけた。

「アホなことしてないで行くわよ。ここから一本道。案内は地上までで終わりよ。骨の言うこと聞いてなかったの?」

 ボンデッドは確かに一本道だということを伝えていた。

「なら早く言え」

「趣味だと思ったのよ。根っこに話しかけるのが」

 チルカはケラケラ笑うと、先に樹洞の中を進んでいった。

 樹洞の中は、坂とも階段ともいえない斜面になっている。天井は低く、幅も広いとはいえなかった。

 スリー・ピー・アロウよりもずっと洞窟に思える。ただ、スリー・ピー・アロウよりもずっと暖かい。

「どのくらい掛かるんでしょうね」

 そう言ったマックスの声は上ずっている。過去にこの天望の木を登っていった、先駆者の残された足跡がそうさせていた。

「とりあえず、十回外に出れば中腹だ」

「外へ?」

「スリー・ピー・アロウに入ってきた穴と一緒だ。天望の木の幹の中を斜め上に進んでいく。そうすると当然外にぶち当たる。そこからまた別の樹洞に入って、斜め上に進んでく。後は折り返し折り返しだ。どの天望の木も同じらしいぞ」

「よく知ってますね」

「生きてる間に親父から聞いたんだよ。これもな」

 リットは幹の中に生えている葉っぱを指した。

「木の中に生えてるんスねェ。毒とかないっスよね……」

 ノーラはセミの死骸が生きてるか確かめるように、つんつんと葉をつついた。

「穴を塞ごうと生えてくるんだとよ。むしろ貴重な飲み水だ」

 ヴィクターとの生前の会話に、『浮遊大陸のフルーツは、時折雨雲に身を寄せた時に黒雲から水分を吸い上げて育つ。ほとんど水みたいなフルーツもある。皮も薄くてな、太陽に透けて宝石のように輝いているんだぞ』というのがあった。

 天望の木の中に生える葉は、頂上に近づくにつれて浮遊大陸の植物に近付いていく。

 この葉も今は普通の葉だが、頂上付近に生えてる葉は水をふんだんに含み、丸い木の実のような葉に変わる。

「変な木っスねェ」

「育ちきった天望の木は、栄養を修復に使う。だから吸い込んだ水は、樹洞の内側の葉に溜まっていくってのが親父の見解だ。――どうした?」

 リットは突然立ち止まるマックスに声をかけた。

「僕は父さんとそんな話はしてこなかったなと……」

「オマエが聞かなかったからだろ。いまさら感傷に浸るなよ」

「まだそんなに経っていません」

 マックスは刺すような口調で言った。

「あいにく、こっちは感傷に長く浸るほど思い出がないんでな」

「そんな言い方……」

 マックスは今度は申し訳ないような気持ちで言った。

「だから話せよ」

「え?」

「何日かかるかわかんねぇんだ。無言で登りたくねぇだろ。それに……色々聞きたいと思った時には死んじまったからな」

「でも、どこから話せば……」

「思いついたからのでいい。なんでもな」

「それでは……あれは僕が五歳の頃。初めて高熱を出して寝込んだ時、寝ずに何日も看病したせいで、僕が治るのと同時に倒れたんですよ。それから――」

 マックスは喋りながら歩き出した。天望の木の頂上へと向けて。






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