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ランプ売りの青年  作者: ふん
妖精の白ユリ編
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第二話

 リットがカーターの酒場から出ると、外の空気は少しひんやりと肌に吸い付いてきた。頭にこもった熱が体の下に降りていくような感覚。やけにスッキリとした視界と、若干の千鳥足を楽しみながら歩く。

 見逃した夕方の空は闇の幕を下ろして、ところどころ穴が開いた箇所から光が漏れるかのように星が輝いていた。

 ふと闇に呑まれたのなら、この星たちはどうなるのだろうと疑問に持った。

 星明かり、月明かり、人工的に作られた光以外にも、夜を照らすものはたくさんある。これらも太陽と同じく、消えてしまっているのだろうか。

 リットは一度立ち止まり、闇とはどんなものだろうと思い目を瞑る。街灯や家から漏れる明かりが若干上まぶたの肌の色を瞳に映し出しているが、思いの外真っ暗だった。

 単純に恐怖がある。一歩目は普通に踏み出す。二歩、三歩と歩いたところで頭の中の風景が消えた。

 このまま真っすぐ百歩も歩けば、イミル婆さんがやっているパン屋があるハズだ。目をつむる前はしっかりと看板が見えていた。そこの角を右に曲がってまた百歩ほど歩くと、いけ好かないローレンという男が営む宝石屋があるハズだ。そこが見えるとリットの家も近いハズ。

 見慣れた町並みは、目を瞑っただけでいくつもの“ハズ”の恐怖が襲ってくる。確かだったものが不確かになるということは、こんなにも心を不安定にさせるものだったのか。

 リットはそのまましばらく歩いていたが、レンガだたみの窪みに足の先を引っ掛けてしまった。

 ぶつかる――リットはそう思った。

 イミル婆さんの店の壁があるはずだ。リットは思わず両手を前に突き出したが、手に当たるものはなにもなく、両腕はただ空気を掻き分けただけだった。

 目を開けると、最初に立ち止まった位置から、然程距離が開いていない場所に立っていた。

 通りすがる人々が、なにをやっているんだという訝しげな視線を向け出す。

 見えるようになると怖くなるものもあった。人の視線だ。嘲笑、侮蔑、憐憫、好奇。様々な意味を含んだ瞳から無関心まで、なにかしら精神を傷つける。

 酒を飲んだせいか、うわさ話が近づいてきたせいか、どうも色々と考える夜だった。

 リットは恥ずかしい思いをしたという、冷や汗を背中で感じながら、少し早歩きで自分の家へと向かった。



「おーそーいーでーすーぜー」

 まだ明かりが付いたままの店で、ノーラはカウンターを腕に抱くようにだらんと伸ばしながら、突っ伏していた。

「こんな時間まで店を開くなって言ったろ。夜はやっかいな客が来ること多いんだから」

「やっかいなのは旦那ですよォ。酒の匂いをプンプンさせて帰ってきちゃってまぁ……、私のご飯のことを忘れてましたね?」

「腹が減ったら何かを食べる。その辺のガキでも知ってることだぞ。別に、勝手に食べることを禁止してねぇだろ」

「でも、前にハムを食べた時は烈火の如く怒ったじゃないですかァ」

 ノーラは恨めしそうな瞳をリットに向けるが、空腹の音を鳴らすと、唸りながら再びカウンターに突っ伏した。

「あれは、オレの酒のツマミだったんだ。一切れでも残してたら猛火の如くぐらいで許してやったのに」

「私には違いがわかりませんぜ。どうせ怒られるなら、食べておいて正解だったと結論に至りました」

「今回は正解を選ばなかったんだな」

「反省はしなくとも学ぶことはできますぜ、旦那ァ」

 言葉と一緒に腹の虫も喋り出すうるささに、リットは積まれたランプを崩して、その中からリンゴを一つ手に取った。

「ほら食えよ」

「だ、旦那ァ! ……これ萎びてますぜ?」

 最初は目を輝かせて喜んだものの、老婆の皮膚のように皺々のリンゴを見ると輝きはなくなっていった。

「まだ、食えるぞ。本当は明日辺りのオレの小腹を満たす食料だったんだけどな。オマエにやるよ」

「優しいのか優しくないのか分からない対応は困りますってなもんで。旦那がビシーッといつものように晩御飯を作ってくれればいい話じゃないですか。大して美味しくないのに、美味い美味いと気を使って食べている私に感謝もないんですかァ?」

 空腹で頭が回らないせいか、ノーラの言葉は愚痴から悪口へと変わっていった。

「第一に、ビシーッていう擬音は料理に相応しくない。第二に、美味かろうが不味かろうが、腹に入ったものは全部同じ糞になって出てくる。第三に、オレはオマエに情が湧きだしたことに後悔してきている」

「でも、その情を捨てきれないのが旦那のいいところっスよね」

 ノーラは慌ててさっきの言葉を訂正するが、目の前にはリットの中指が迫ってきていた。これはダメだと思い終える前に、額に鈍い痛みが走った。

「痛いっス……。これはなんの情ですかァ? 温情ですか? 愛情ですか?」

 目の端に涙を溜めて痛みを堪えるノーラは、軽口を叩きながらも反省したような目をしていた。

 リットはカウンターの後ろにある、扉を指さした。

「退場だ。店を閉めるから早く奥に引っ込め」

「あいあいさァ」

 ノーラは敬礼のポーズを取えい、皺くちゃのリンゴを手に取って口に突っ込むと、扉を開けて部屋の奥へと入っていた。

 リットは玄関の鍵をかけて、カウンターの上で一つだけ光っているランプの火を息で吹き消す。暗くはなったが、月明かりだけでも店内のランプは明るくきらめいていた。

 


 店の奥は生活スペースになっている。

 入ってすぐ台所が見えるような雑な作りだが、リットはそれなりに気に入っていた。

 地下にはランプを作る工房があり、二階にはリットの自室に加えてノーラの部屋と空き部屋の、計三部屋ある。金に不自由しなかった頃に建てた家だけあって、そこそこの広さがあった。

 お世辞にも綺麗に掃除しているとは言い難く、築五年の家は築二十年くらいの風格を漂わせている。

 テーブルに置きっぱなしになっているコップを手に取ると、下には水滴で汚れが洗い流されてできたであろう、コップの底に沿った輪ができていた。

 リットはコップを洗うことなく、戸棚から出したウイスキーを注ぐ。

 椅子に腰掛けると、キィっという木が軋む音が鳴った。

「旦那ウイスキー好きっすよねェ」

 テーブルの下から顔を出したノーラは、手に千切ったバゲットを持っている。

 入ってすぐに姿が見えないのはおかしいと思ったが、小さい体を更に縮こませて、床に置いたままのバスケットから食べ物を探していたらしい。

「本当は苦手だったんだけどな」

「またまたァ。酒は美味い、やめられない。ダメな大人は皆そう言ってますぜ」

「さり気なく、オレをダメな大人にカテゴライズするなよ。苦手な酒の方がチビチビ長く飲めるだろ」

「うわぁ……貧乏臭ァ」

「最近は困ったことに、ウイスキーの良さが分かってきちまったけどな」

 リットはグラスを軽く振り、中に注がれたウイスキーを泳がせる。

「安酒でカッコつけちゃってまァ。酒瓶増やすくらいなら、食材を増やしてくださいよ。生でも食べられるやつ。自分ばっかり外で美味しいものを食べてきちゃって……ズルいったらありゃしないっスよ」

「オレだって飯は食ってねぇよ。安酒とナッツだけで腹が変に膨れちまっただけだ」

「なんか胃の中が臭そうな組み合わせですねェ……」

 ノーラは固くなったパンを強引に歯で噛み千切ると、まずそうな表情を浮かべて飲み込んだ。

「胃の中が良い匂いする奴なんていねぇよ。それより素パンってキツくないか?」

「キツイっす。一口で口の中の水分を全て持っていかれました。バターなんて贅沢は言いません。せめてジャムを。なにとぞなにとぞォ」

 そういえばさっき酒を取る時にジャムの瓶を見かけたような。つい数分前のことを思い出したリットは、立ち上がるとウイスキーのビンが入っていた戸棚を開ける。

 未練たらしく底に少しだけウイスキーが残っているビンの奥に、ジャムはあった。それを手に取り、椅子に戻るとテーブルの上でジャムの瓶の蓋を開けた。

 煮詰めたハチミツのような色をしたマーマレードのジャムの上には、とても食べる気にはなれない青カビが密集していた。リットが恐る恐るスプーンを端から入れると、蓋をしていたかのように塊ごと取れる。

「ノーラは腹が強い方だったよな」

「まさか、目の前で青カビを取り除いたそのジャムを食えとか言わないですよね」

「さすがに食えと命令はしないけどな。どうしてもジャムが欲しかったら使ってもいいぞ」

「コレ食べたら生き物として終わるような気がするんですよ」

「まぁな……。いつ買ったかも分からねぇもんだし」

 リットは窓から外の茂みへと青カビを投げ捨てると、ジャムの瓶の蓋を閉め直してノーラの前に置いた。

「これ洗っといてくれ」

「そんな、横暴で――」

「明日好きなジャム買ってきていいから」

「了解っす」

 今の話で涎が出たのか、ノーラは手が止まっていたパンをモキュモキュと口の中に押し込んでいた。

 口の端に付いたパン屑を指で口に押し込みながら、ノーラは思い出したように口を開いた。

「そういえば、店番をしてる時にイミルの婆ちゃんが来て言ってたんすよ。またどっかの国が“闇に呑まれた”そうですぜ」

「カーターから聞いたよ。そのうわさ話は」

「もうちょいっと、私の身の上になって優しい言葉を掛けてくれると期待してたんですがねェ」

「だって、オマエドワーフなんだろ? 穴蔵に住んでて闇がどうこうってならないだろう」

「それもそうなんですがねェ。口で説明するには、どうしたらいいやら……」

 ノーラは普段あまり見せない難しい顔をするが、一度強く眉間に皺を寄せた後、あっけらかんと笑った。

「まぁ、旦那にはこの話をしてもしょうがないっすね。私も今は、闇がどうこうよりもジャムのことのほうが一大事です」

「そうそう、嘘か本当かも分からないどこかの国の話よりも、明日の飯のほうが大事だ。ジャム買うついでに、新しいパンも買っておいてくれ。残った固くなったパンは明日の朝スープにでも入れて食おう」

「うげェ……。あの不味いスープ作るんすかァ?」

 ノーラが露骨に嫌な顔をして思い浮かべたスープとは、ダメになりかけた野菜を適当にぶち込んで塩と水で煮て、適当に千切ったパンを浮かべたものだ。

 たまに残ったヤギの乳を入れる時もあるが、味は大して変わらない。

「食材を無駄にしない。栄養も取れる。合理的なスープだろ」

「料理っていうのは、こうフワフワしてトロトロしたりして、ドッカーンとした味がバババーンと舌に広がるのを楽しむものだと思うんですが」

「そんな料理を作れるなら、ランプ屋なんてやってるわけないだろうが。それに、そういうのは料理が作れる奴のセリフだ。消し炭しか作れない奴が言うようなセリフじゃないだろ」

「これが数百個もの卵を消し炭へと変えた報いだとしたら、あまりにも酷じゃないっすか」

「今まで消し炭にした卵の数を覚えてるのもすげぇけど、それだけの数を残らず消し炭にしたのもすげぇよ。材料費で計算するとだな」

「おお~っと、待ってください。正確な数字を出されると、私の立場が悪くなることを察してほしいっス」

 ノーラはテーブルを何度も手のひらで叩き、リットが考えるのを邪魔した。

 消し炭に姿を変えたのは卵だけではないので、相当な被害にはなる。

 それをからかいのネタにはするが、責める気はない。

 初めノーラは卵という存在自体知らなかった。それどころか、この国の野菜のこともほとんど知らなかった。ノーラがドワーフかどうかという本当のことは知らないが、それだけでどこか遠い国から来たということは分かる。

 ちなみに、今日消し炭にした卵の数は三個。今でも練習を続けるノーラを責める気にはなれないのだ。

「そういや、イミル婆ちゃんで思い出しましたが、明日までにランプを四つ直してほしいって言ってたんで、了承しておきましたよ」

「ちょっと待て明日までに何個だって?」

「四つっス」

「それをオマエは勝手に了承したんだな?」

「そうっスよ。ばっちり仕事を取ってきましたぜ旦那ァ」

 ノーラはどうだと言わんばかりに、小さな胸を叩いて誇らしげに反らしている。

「よしっ、今オレに言ったことは忘れろ。オレも聞かなかったことにする」

「へ? それじゃイミルの婆ちゃんに私が怒られるじゃないっスか」

「それでいいんだよ。あの婆さんオマエには優しいから、少し説教されれば許してくれるだろ」

「旦那は?」

「オレだと生活スタイルまでに口を出されて時間が掛かるからな。明日オマエが説教され終わった頃を見計らって、改めてイミル婆さんから注文を取ることにする」

 そう言ってリットは椅子から立ち上がると、二階にある自室へと向かった。

「旦那が徹夜すれば終わるじゃないっすかァ!」

「酒を飲んだら、徹夜仕事はしない。なぜなら次の日疲れるから。歯磨いて寝ろよ」

 わめくノーラを居間に残して、リットはウイスキーのビンと空のグラスを持って階段を上っていった。






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