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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(上)

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第二十四話

 セイリンが姿を消したのに気付いたのは、十日ほど経ってからだった。

「行きたい時に行き、戻りたい時に戻るのが海賊だと言っていた」

 そう言ったのは、セイリンをスリー・ピー・アロウの外まで送ったボンデッドだ。

「一言くらいあってもいい気がしますけど。まぁ、セイリンらしいっスよね」

 言い終えた瞬間、ノーラは驚きで肩をぶるっと震わせた。後ろで大きな音がしたからだ。振り返れば、リットが石のテーブルに空の瓶を突き刺すようにして置いていた。

「よかねぇよ。見ろ、これを」

 リットの声には怒気が含まれている。

「いいじゃないっスか。別れの一瓶くらい飲まれたって」

「飲んだのはオレだ」

「いいですか、旦那ァ……。お酒に限らず、飲んだらなくなるもんなんですよ。ボケるのはもっと年をとってからにしてくださいな」

「そうじゃねぇよ。これはセイリンが置いていったラム酒だ」

 リットが持っているのは、具合が悪くて寝ている間に置かれていたラム酒だった

 ノーラもチルカもマックスも酒は飲まない。リットも飲むのは基本的にウイスキーで、ラム酒を好んで飲むのはセイリンだ。

「なおさら怒る意味がわからないっスよ。要はお別れにお酒を貰ったってことでしょ?」

 リットはお金の入った袋を取り出すと、首を傾げるノーラに見えるように中身を広げた。

 石のテーブルの上にはお金の小山ができる。本当は山ができるはずだ。

「代わりに金の半分を持っていかれたんだよ」

 ボンデッドが「そういえば」と、手を打って硬い骨音を響かせた。「ベルガでのんびりお酒を飲みながら仲間を待つと言っていた」

「オレの金でか……」

「たぶんそうだろう。金に興味はないが、他に何もなかったからとも言っていたから」

「イサリビィ海賊団流の取引って奴ですねェ。高いお酒を買ったと思って諦めるしかないっスよ」

 ノーラは落ち着かせるように、リットの背中をとんとんと優しく数度叩いた。

「ラム酒一本だぞ。あの金がありゃ、百樽は買える」

「そんな買えませんて。半分でも充分あるじゃないっスか。コップに半分の水が入っているのを見て、もう半分しかないと言うか、まだ半分あるかと言うかって話知ってます?」

「知ってる。ポジティブって都合のいい名前を付けて現実逃避するやつだろ」

「そう、まさに今現実逃避する時ですぜェ。愚痴っても返ってこないんスから。それとも、ベルガまで追いかけに行くんスか?」

 リットがどうするかと石のテーブルを人差し指で叩いていると、競奏するようにボンデッドも石のテーブルを叩いた。

 リットよりも軽く高い音を響かせながら、ボンデッドは「雪解けが始まり、道が歩きにくくなっている。雪のぬかるみの中を歩くとなると、倍の日数は掛かると思ったほうがよろしい」と忠告する。

 ボーン・ドレス号は定期的にベルガ外れにある入江に立ち寄ると言っていた。

 セイリンがいつ帰ってくるのかわからないので、季節の変わり目である今頃に、当たりをつけて船を走らせている可能性が高い。

 ベルガに行っても無駄足になるかもしれないと考えたところで、リットは石のテーブルに広げたままのお金を見てから、区切りをつけるように一息吐いた。

「まぁ、酒を飲む金がありゃ充分か……。別に浮遊大陸に住むわけじゃねぇしな」

 言い終えたところで、リットはこうなることをセイリンに見透かされていたような気がした。

「そうそう。そうと決まったら、出してあげたらどうっスか?」

 ノーラは石のテーブルに目を向けた。視線の先はお金の小山ではなくセイリンが置いていった鳥籠だ。中では怒りに強く羽を光らせているチルカが、黙って腕を組み、うつむいて座っていた。

「それもそうだな」

 リットは鳥籠の扉を開けるが、チルカはより深く腕を組むだけで出てこようとはしなかった。

「お腹でも痛いんスか?」

 ノーラが声を掛けると、チルカはようやく顔を上げた。

「痛いどころじゃないわよ。煮えくり返ってるのよ――はらわたがね!」

「ヒシンでも飲んだか? ありゃ、一週間は具合が悪いのが続くぞ」

 リットが言うと、チルカは噛み付く勢いで吠えた。

「アンタが言うべきことはそれじゃないでしょう!」

「いやー、悪かったな」

 リットは片手を上げて、酒場に飲みにでも誘うように軽く言った。

 チルカはリットの手によって鳥籠に入れられていた。

 最近やたらお金に執着しているので、お金が半分消えたのはチルカが犯人だと決めつけたからだ。

 セイリンが帰ったとなると、チルカの無罪は証明されたようなものだ。

「なにが――悪かったな――よ!」

「謝ってんだろ」

「なにが――謝ってんだろ――よ!」

「鳥籠の中にいるからって、オウム返しになることもねぇだろ。オマエはオウムに食われる側だ」

「そういうとこよ! アンタ本当に反省してるの? また無実の罪を着せたわね」

 チルカは鳥籠から勢い良く飛び出すと、リットの鼻に拳を強く押し付けた。

「なんだよ、またって」

「ディアナに行った時のことよ。私を首謀者のように仕立て上げたでしょ!」

「何年も昔のことをほじくり出すなよ」

「去年のことよ! 謝るんなら、両手両膝を地面につけて謝りなさいっての」

「両手両膝をつけろって……よつばいになれってか? あんまり男がしたいポーズではねぇな……。なんか尻の穴を見られるみてぇでな」

「私だってそんなの見たくないわよ! 土下座をしろって言ってるの」

「それは嫌だ」

 リットはきっぱり言う。

 それが、チルカの羽をより強く光らせる原因になった。

「人を盗人に仕立てて、よくもそんなこと言えたわね」

 チルカの羽は、まるで熱を持っているかのように光っている。

「まぁまぁ、無実の罪だったことは証明されたし、旦那も一応謝ってるんですから」

 ノーラはチルカの小さな背中を、人差し指でなだめるように叩いた。

「一応過ぎるわよ。食べ物がなくなった時に、ノーラが疑われたようなもんよ。それが――悪かったな――なんて軽い謝罪をされたらどう思う?」

「まぁ、そういう時は確実に私が犯人ですからねェ」

「……この間、買ってあった蜂蜜がなくなったんだけど知らない? スリー・ピー・アロウでは手に入らないから、外から仕入れたっていう高いやつ」

「その話より、旦那を責める続きをしませんか? ほら、まだちゃんと謝ってもらってないですし」

「後でしっかり言及するわよ……。――で、どうするか決めたの?」

 チルカは振り返り、リットの鼻に人差し指を突きつけた。

「尻の穴を見せるかどうかか?」

「そこから離れなさいよ。そこから花の蜜が出ても見たくないわよ」

「気持ちわりぃこと言うなよ……」

「確かに……。今のはなし。おぞましい光景しか浮かんでこないわ……」

 チルカは自分の言った言葉にえずき始めた。まるで口から何か生み出そうとしているみたいに、低くオエッと喉で息を吐く。

「今回はどう見ても旦那が悪いんですし、しっかり頭を下げて謝っちまいましょうよ」

 ノーラが謝罪を急かすようにリットの服の裾を引っ張りながら言う。

「まず、オレが楽しみにとっておいた酒のつまみを食ったことを謝ってもらおうか」

「はて……いっぱい食べすぎてどれのことを謝ったらいいのか」

「アーモンドだよ」

「アーモンドというと、旦那がお酒を飲む時によく食べるナッツですねェ。食べてないっスよ」

「嘘をつけ、よくつまみ食いしてんだろ」

「そりゃもう。美味しいっスから。でも、今回は食べてないっすよ。それとも、私が食べたものを忘れるようなおとぼけだと思ってるんスかァ?」

「ということは……」

 リットはいつの間にか顔付近からいなくなったチルカを探す。首を軽く左右に振ると、鳥籠の上にチルカの羽明かりが見えた。

 まるで瞑想するかのように静かに座っている。

「食っただろ」とリットが詰め寄ると、チルカは朝一の新鮮な空気を吸うようにゆっくり呼吸をする。

 そして、数度深呼吸を繰り返してからおもむろに口を開いた。

「その話は後よ」

「よくも、人に謝れとか言えたもんだな」

「私が怒ってるんだから、アンタが怒るのは後にしなさいよ。順番守りなさいよね」

「そうですよ。まずチルカが旦那に怒って、その後旦那がチルカに怒ったんスから、それでおあいこっスよ。後は仲直りすれば完璧っスね」

 ノーラはリットの人差し指とチルカの手を取ると、無理やり握手させた。そして、「一件落着」と頷いてみせた。

「なら、次はオレのアーモンドを食った件にうつるか」

「そうね。あと、私の蜂蜜を食べた件についても」

 リットとチルカが詰め寄ると、ノーラは「まあまあ」となだめる。

「そこまで仲良くなることはないっスよ。適度にいがみ合ってこそ、旦那とチルカってもんですよ」

「酒の楽しみを奪われたんだ。怒りと憎しみくらい素直にぶつけられろ」

 リットが言うと、チルカがリットの耳を引っ張った。

「ちょっと、二つはずるいわよ。アンタが怒りで、私が憎しみ」

 リットとチルカがにじり寄ってくると、ノーラは覚悟を決めたように頷き、真剣な表情になった。

「確かに私が悪いっス。甘んじて受け入れましょう。でも、お説教は一人ずつでお願いします。憎しみのほうが、怒りを通り越した気がしますねェ。ということはチルカのほうが上ってことになりますね。まずは、チルカからお願いしますよ」

 ノーラの言葉を聞いて、チルカがリットより一歩先へ飛ぶが、行く手をリットの手によって阻まれた。

「待て待て、どっちが上かわかるだろ? 蜂蜜を食われて憎むのと、アーモンドの木を絶滅させられて怒る。怒るは憎むより上だ」

 そう言うとリットは、チルカより一歩前に出た。

「アンタねェ……バカじゃないんだから、そんなすり替えで誤魔化されないわよ。アンタがなんと言おうと、憎むは怒るより上よ。つまり私はアンタより上ってわけ」

 チルカは体全体を使って手を押しのけて前へ出ると、リットの頭より高く飛んだ。

「だいたい、憎しみは黙って感じるもんだ。怒りは爆発させるものだろ。憎しみを取ったなら黙ってろよ」

「あら、知らないの? 憎しみは通り越すと復讐に変わるのよ。怒りが通り越したところで呆れるだけでしょ。どっかその辺に突っ立って、一人で呆れてなさいよ」

 二人の言い争いが始まると、ノーラは石の椅子に座り、ほっとひと息ついた。そして、地面に届かない足をぶらんぶらんと遊ばせながら、口喧嘩の行方を見守るのだった。



 しばらくすると、街に遊びに行っていたマックスとノーデルが宿に戻ってきた。

「また言い争って……今度の喧嘩の種はなんですか?」

 マックスは買ってきたばかりの、いろいろな木の実の粉を混ぜて焼いた、平たく柔らかいパンをノーラに渡しながら聞いた。

「種……強いて言うならアーモンドっスかねェ」

 ノーラはパンを縦に裂くと、細長くなったパンを丸めてロール状の一口サイズにしてから、口へと放り込んだ。

 意味がわからずマックスが首を傾げると、ノーラがお気になさらずとでも言いたげに肩をすくめた。

 マックスはノーラが何を言いたかったかも気になったが、それより今見てきたものを伝えたくてしょうがなかった。

「兄さん」とリットの肩を掴み、リットが振り返ったところで、マックスの動きが止まった。「……素敵なイヤリングですね」

「そう思うなら、明日からぶら下げながら生活させるぞ」

 リットの耳たぶにはチルカが噛みついている。飛ぶことなく、歯の力だけでぶら下がっているせいで、リットは寝違えた時のように、チルカが噛み付いている右耳の方へ首が曲がったままになっている。

「痛くないんですか?」

「ほっとけ……。それよりなんだ。コイツを耳から引っぺがすより大事な用なんだろうな」

 リットが耳たぶに噛み付いたままのチルカを指しながら言うと、チルカは今度はその指先に噛み付いた。

 チルカはモゴモゴしながら「気安く指を刺さないでよ」と、リットを睨みつける。

「鼻くそをほじった指によく噛みつけるな」

 リットが言った瞬間、チルカは指から口を離した。そして、鳥籠の格子に手をつくと、これ見よがしに嗚咽を繰り返した。

「アンタ最低ね!」

「ほじったのは昨日だ。そんな気にすんなよ。だいたいこっちも汚ぇよだれをつけられてんだよ」リットはチルカの歯型と唾液がついた指を軽く手で拭うと、マックスに向き直った。「それで、なんだ」

「えっと、出てきましたよ」

 マックスの視線はリットの耳たぶだ。人差し指と同じように歯型がついて赤くなっている。

「なんだ、血が出てんのか? ピアスの穴を開けるつもりはねぇぞ……」

 リットは耳たぶを触る。一瞬ネトっとしたものに触れたので血かと思ったが、それはチルカの唾液だった。

「そうじゃなくて、根ですよ。根。天望の木に、新しい白根が伸びてきたんですよ」

「やっとか……今年はずいぶん冬が長かった気がするな」

「そりゃそうだ。スリー・ピー・アロウがあるのはペングイン大陸。ペングイン大陸は冬が長く春は短い。腐る間もなく夏になる」

 ノーデルが目玉を取り外して、ズボンのポケットから出したボロ布で拭きながら言った。

 そう言われると、穴から吹き込む風が暖かくなった気がした。






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