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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(上)

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第二十二話

 スリー・ピー・アロウの中心。天望の木の根の付近。地面から顔を出して再び潜った根を椅子代わりにして、リットはボンデッドと話をしていた。

「まずは『ヒシン』というお酒を注ぎ、色を楽しむ。ウイスキーでもいいが、ヒシンのほうが炎の色がいい」

 ボンデッドは果実の搾りかすと蝋を混ぜたような、うっすら濁った薄オレンジ色の酒を石のコップに注ぐ。

「次にマッチで表面に火をつける」

 ボンデッドが言葉通り実践すると、酒の表面から青い炎が揺れのぼる。

「これを一気に飲み干し、香りが強くなったお酒の臭いを楽しむ。これぞスリー・ピー・アロウ名物」

 ボンデッドは鼻や、歯茎のない歯、それに穴のあいた眼窩から煙を出して、満足そうに言った。

「それで、最後に火あぶりの刑になってお終いか」

 リットはボンデッドの足元で燃える酒溜まりを見て言った。

 胃もなにもないボンデッドが酒を飲んでも、そのままま地面に落ちていくだけだ。

「おっと……火葬は好みではない」

 ボンデッドは足で地面をこするようにして火を消した。

「それで、その酒のどこがいいんだよ」

「ご覧の通り。自分の体を通り抜けて地面に落ちても、火が消えることはない。この胃が燃える感覚が良いらしい」

「ボンデッドに胃なんかねぇだろ」

「だから、らしい。良いとは言ってない」

「だいたい酒ってのはな。まずは安酒をなみなみ注ぐ。次に、人の美味そうな料理の臭いを嗅いで虚無感に浸る。最後に隣の客に難癖つけてストレスを発散する。それで充分だ」

「リットさんにストレスなんかあるので?」

 ボンデッドは腹を掻くようにして、肋骨を鳴らした。

「ある。例えば今だ。二日酔いの頭に、その高い音は拷問のように響く」

 リットは耳をふさいで、ボンデッドの肋骨を睨みつけた。

 肋骨は下から上へとなぞると、高い音順に低くなり、上から下へとなぞると、低い音から高くなった。

 ボンデッドは曲を演奏するわけではなく、初めて楽器に触った子供のようにただ鳴らすだけだ。

 しかし、その木琴のような高く短く響く音は、頭の中を直接叩かれているみたいに、リットの頭に響いていた。

「それだけ心の扉を開いてるということだ」

 ボンデッドは右の肋骨、下から三番目をデコピンのようにして叩き、ポーンと音を響かせた。

「今すぐ閉じて。なんなら鍵もかけてくれ」

「イラついても、雪解けが早くなるわけでもない」

 ボンデッドに言われ、リットは天望の木の根を見上げる。

 ここに来た当初の目的は、今どれくらい雪解けが進んでいるか確かめるためだった。

 雪解けが始まり春に向かうと、新たな細い根が伸び降りてくるらしく、それが天望の木を昇る目安と言われている。

 しかし、今あるのは古く色の変わった根ばかりで新根はまだない。

 新根はスリー・ピー・アロウの空間を伸び、地面に刺さると徐々に太く成長する。

 街の中心にある根の太さは、年輪のようにスリー・ピー・アロウの歴史を数えているということだ。

「天望の木とスリー・ピー・アロウは、どっちの歴史が長いんだ?」

 リットは椅子代わりの根を擦りながら言った。

「前にも話したと思うが、スリー・ピー・アロウには三つの時代がある。今は『崩落時代』だ。二百年以上経っている。その前の『完全洞窟時代』は五百年以上。さらに昔の『黒の時代』はその何倍も長い歴史がある」

 ボンデッドは立ち上がると、舞台役者のようにゆっくりとリットの周りをうろついて話し始めた。

「一説によると、天使族がスリー・ピー・アロウにいる魔族を監視するために種を植え付けた。また一説によると、魔族が浮遊大陸に乗り込むために拠点とした天望の木の根元。つまり、この場所が街として発展した。他の一説によると、四大精霊が争い、魔力豊かになった土地に突然変異で成長した天望の木。魔力というのは魔族にも必要なもの。それを目当てにここに住み着いたとも。他にも――」

「他にもじゃなくて、つまりを聞きてぇんだ」

 リットが辛辣な声で言うと、ボンデッドは立ち止まった。

「黒の時代のことは口頭伝承。つまりあやふやということ。リットさんもしばらくスリー・ピー・アロウで過ごしておわかりかと思うが、皆今を生きている」

「まぁ、過去に誰がいたかも覚えてねぇくらいだしな」

「そう。だから歴史というものに興味がない。無論自分も。知人の言葉を借りるなら。雨風がしのげて、酒を飲めればそれでいいと」

 ボンデッドは舞台のフィナーレのように声を張る。辺りは静まり返り、当然リットも声を出していない。

 リットは黙ってボンデッドを見ているだけだ。

 ボンデッドはそれを良いように受け取ったらしく、歯の隙間から満足そうに細く息を漏らした。

「どうやら、自分の言葉に感銘を受けたようで」

「いや、初めて自分つーものを外から見た気分だ……」

「それで」

「わかっていたけど、相当ダメな奴だな」

「なら変わればいい」

「いいや、これもオレ自身だ。甘んじて受け入れる」

 リットはヒシンをコップに注ぐと立ち上がった。そしてマッチで火をつけると、青い炎を見て息を呑んだ。

「……本当に飲んで大丈夫なんだろうな」

「ヘル・ウインドウを自由に行き来できていた時は、港町のベルガでも売っていた酒。きっと大丈夫。ベルガの人間も火をつけて飲んでいたはず」

「きっととか、はずとか、信用ならねぇな……。まぁ、酒と火だ。酒好きでランプ屋のオレみてぇなもんか……」

 リットは揺らめく炎を見て覚悟を決めると、さっきボンデッドがやったみたいに一気に飲み干した。

 不思議と熱さはなく、酒ではなく温い水を飲んだようだった。

 飲み終えてから一吸い目の息は、空気の酒が混ざったような味がした。

 そしてすぐに、火をつけられたロウソクの芯のように頭がカッと熱くなった。

「これは……飲むもんじゃねぇな……」

 酒を飲むと徐々に体が温まってくるが、それがすべて一瞬できたかのようにリットの体は熱を持っていた。



 リットが千鳥足というよりも病人のような足取りでノーデルの宿に戻ると、突然腕を掴まれて、岩の陰へと引き込まれた。

「邪魔をするな」とセイリンがリットに顔を近付けるが、顔をしかめて突き放した。「ひどい臭いだ……酒場の酒をすべて飲み干してきたのか?」

「そのほうがマシだ……。この汗に、この動悸に、この顔色。今までこんな奴見たことあるか? 初体験の時だって、ここまで酷くなかったぞ」

「アンタの初体験のことなんかどうでもいいわよ、いいから黙んなさいよ。聞こえないでしょ」

 鳥籠に入ったチルカが、格子の隙間からリットに蹴りを入れた。

「あそこにマックスとノーデルがいる。天使とゾンビがなにを話しているか気にならんか?」

 セイリンの指をさす方向へ、リットは虚ろな目を向けた。


 石のテーブルに直置きされたロウソクが、風に怯えるように自分の一本影を揺らす。

 その一本のロウソクで暖を取るように、マックスとノーデルが囲んでいた。

 マックスはサキュバスにからかわれないように、一日の殆どをノーデルの宿で過ごしている。その為、いつの間にかノーデルとよく話す仲になっていた。

 今では、お互いの価値観を話すまでになっていた。

「なんでまたそんな誓いを……。もしかして誰かにいじめられてるのか?」

 ノーデルの心配そうな視線が、ロウソクの灯り越しにマックスに届いた。視線の理由は、マックスが独身の誓いを立てていると話したからだ。

 マックスは一瞬リットの顔を思い浮かべたが、この話とは無関係と頭の隅に追いやった。

 その時、わずかばかり頭を横に振ったせいで、ノーデルの心配はより濃く瞳に滲んだ。

「いえ、自ら立てた誓いです。自分を見失わないようにと」

 ノーデルは不思議そうに眉を寄せたが、無理やり納得付けたように「まぁ」と切り出した。「――たしかに愛は自分を見失うな。オレはマリアのためなら、もう一度死んでもいいと思えるくらいだ」

「それは素晴らしいことだと思いますよ。お似合いの二人ですから。そう言えば……お二人は肌の色が違いますね」

 マックスがノーデルの腕を見ると、ノーデルはよく見えるようにロウソク付近まで腕を伸ばし、袖をめくって土気色の肌を露出した。

 出会ったばかりの頃なら、死んだ色の皮膚にマックスは顔をしかめていたが、今のマックスには嫌悪も戸惑いもない。

 ただ友人が腕を出した以上でも以下でもなく、土気色の腕を見ていた。

 だから、「マリアはゴブリンのゾンビだからな。人間のゾンビのオレとは肌の色が違うんだ。汁が出るまで痛めつけられて、葉の色が濃くなった部分みたいなマリアの肌は最高に綺麗だよな」というノーデルの言葉に、「痛めつけられていない葉のほうが、僕は綺麗だと思いますけど」と正直にこたえることができた。

「じゃあ、マックスはどんな女がいいんだ?」

「だから、僕は独身の誓いを……」

「待った! 今からマックスの深層心理を見てみよう」

 ノーデルは右の目玉を外すと、それをぐっとマックスの胸元へ近付けた。

「なんか変な感じがします……」

 マックスは小さく身震いをした。

「まだ、オレの目玉が取れるのに慣れてないのか?」

「いえ……男性に自分の胸元を凝視されていることにです。女性に見られることにも慣れていませんが」

 マックスが言い終えるのと同時くらいに、ノーデルは口元に人差し指をくっつけて「しっ」っとマックスを黙らせた。

 しばらくの沈黙。小人の拍手のように、ロウソクの芯が小さく爆ぜる音だけが響く。

 なぜか動いてはいけないような気がして、マックスはじっと固まっていた。

 やがてノーデルが、目玉をゆっくりマックスの胸元から離した。

 目玉を戻すと、テーブルから身を乗り出して、誰にも聞かれたくないことのようにちょいちょいと指招きをした。

 マックスも同じようにテーブルから身を乗り出すと、ノーデルは顔をしかめて「今にもマックスを飲み込もうとする黒いもやが見える。これは大変なことかもしれない」と、深刻な声色で呟いた。

 それを聞いてマックスも顔をしかめた。しかし、ノーデルのように感情を表すしかめかたではなく、目を凝らす為だ。

「目にススがついてます……」

 マックスに言われ、ノーデルは目玉を取るとコップの中に入れて乱暴に洗ってからもとに戻した。

 そして、何事もなかったかのように話し始めた。

「それで、天使のほうはどうなんだ? 皆同じ羽をしてるのか?」

 マックスはうーんと唸った。

 記憶の引き出しをすべて開けても、出てくるのは母親のミニーの姿だけだった。

 それもそのはず、ディアナで生まれたマックスは他の天使族なんて見たことがなかった。

「母さん以外の天使族を見たことがないですから、なんとも……」

「そうか、なら上で会えるのが楽しみだな」

 ノーデルが天望の木の根のある方角を見ると、マックスも振り返って天望の木を見て「はい」とこたえた。

「そういえば」とマックスは視線をノーデルに戻す。「ウィル・オ・ウィスプの姉と兄の故郷も、この近くにあるんですよ」

「ウィル・オ・ウィスプといえば、キャラセット沼か。ウッド・ノッカーの森の外れだな。実はと言うと、オレもそこの生まれなんだ」

「ということは……キャラセット沼で、その……なんというか……亡くなったというか……」

 マックスが言いにくそうに目を伏せて言葉を濁すが、ノーデルは石のテーブルに目玉を転がしてマックスと目を合わせた。

「オレは死んだんじゃなくて、生まれたんだ。それにしても、沼にはまって死ぬなんて、この体の前の持ち主はよっぽどマヌケだったんだな」

 ノーデルはあっけらかんと笑う。

「そんな、マヌケだなんて……」

「ジャックから聞いた話だと、バンシーやウィル・オ・ウィスプは、危ないからこっちに来るなって光って知らせるけど、勝手に誰かいると思って駆け寄って来て沼にはまって死ぬらしい。だからマヌケでいいんだ。自分のことじゃないしな」

「ゾンビ前とゾンビになってからは別人なんですか?」

「はっきりとそうだとは言えないが、記憶がないんじゃ別人と変わらない。だから、なんでお尻にムチで叩かれたような傷が残ってるのかもわからない……」

「それはわからないままのほうがいいのでは……」

「そのとおり。謎のある男っていうのが、オレの魅力だからな」

 ノーデルはマックスの手元に転がっている自分の目玉を拾うと、望遠鏡覗くみたいにマックスの顔に一度近付けてから顔に戻した。

「前から聞こうと思っていたんですけど、それ痛くないんですか?」

 ノーデルの一連の動作を見ながら、マックスが言った。

「目玉を転がすのがか? それとも、得意気に目玉を取り外す行動がか?」

「強いて言うなら……両方です」

「痛くはないが、砂を取らないと目がジャリジャリ音を立てる」

 ノーデルは動きの早い動物を見るかのように、目玉をグルグル回す。

「マリアさんも取れるんですか?」

「そりゃ、もう。目玉を傍らに置いて、キスしながら見つめ合うなんてしょっちゅうだ」

「それは……あまり見たくない光景ですね」

「まぁな、恋人がいない奴には、ちょっと目の毒かもな」

「そういう意味では……それでもいいですけど」

「恋人はいいものだぞ。疲れて戻ったときに、帰りを待ってくれてるとかな」

「わかります。僕も待ってくれている顔を思い浮かべながら、何度家に帰ったか。思い出すと少し泣けてきます」

「マックスも、誰かと暮らしたことあるのか?」

「えぇ、家族と」

「それはただのホームシックだ……」






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