第二十話
「尾びれのある魔族? それならおいらのことだ」
サハギンは尻尾のように伸びているお尻を振って尾びれを揺らした。
「よかったな。親父が見つかったぞ」
リットがセイリンの肩を掴むが、セイリンは乱暴に払った。
「なに? おいらがパパか? よし! なら抱きしめてやる」
サハギンは両腕を広げて迎え入れようとするが、セイリンは冷たい視線を浴びせたまま動かない。
「感動のご対面ですね」とマックスが瞳を潤ませると、頬にピシャリとセイリンの平手が飛んできた。
「なぜ僕だけ……」
マックスは音以上に痛む頬を擦りながら、別の涙で瞳を潤ませる。
「おちょくるよりタチが悪いからだ」
セイリンはサハギンにもう一度目を向けた。
尾びれはあるが、形状が違う。
まず、生えている位置。セイリンは腰から脚のように生えているが、サハギンはお尻がそのまま尾びれになっている。
それにヒレも小さい。背びれや足ひれ、腕にもひれがあるので、尾びれのひれは小さくてもいいのだろう。
そして、なによりしっかり二足歩行をしている。
「まぁ、おいらも子供を産ませた記憶はない。卵なんて久しく見てないからな。ここにいるのは、『ベテラン』。まぁ、甲殻種族のことだ。それに、東の国から河童も来てるな。あとは……」
「尾びれのある種族だけでいい」
「なら、今はサハギンと魚くらいしかいないな」
「昔はどうだ?」
「じい様の代にいたって話はあったようななかったような……。なんせ、『光の柱』が立っていた時代のことだからな」
「光の柱ってのはなんだ?」
リットが聞くと、サハギンは天井を指した。
「街にある穴のことだ。昔はもっと小さい穴があいているだけだった」
スリー・ピー・アロウの天井が崩落してできた穴は、元々はそれほど大きくない穴で、その穴の小さい時代に差し込む光が柱のように降り注いでいたので、光の柱と呼ばれていた。
今となっては、柱と呼ぶには範囲が広すぎるほど光が差し込むので、言葉を知っていてもそう呼ぶ者はいない。
「ここの奴らは本当に光が好きだな」
「外の人が季節の移ろいを感じるのと一緒だ。ここは洞窟で風景なんか変わんないから、代わりに光の変化を楽しむ。最近じゃ水の中でも光る光源が売り出されたんだ。知ってっか? 人魚の卵って」サハギンは腰布から人魚の卵を取り出すと、自慢するように高く掲げたが、突然腕を引き、ギョロッとした目に近付けて、何かを思い出そうと食い入るように見つめだした。「そういえば、昔あの種族がいた。ほれ、あれだ。上半身が人間で下半身が魚の種族だ」
「それは人魚じゃねぇのか」
リットの言葉を、サハギンは人魚の卵を持っている方の手を横に振って否定する。そして、リットに人魚の卵を近付けた。
「そうだけど違う。おいらが言ってるのは、卵を産まない方の人魚だ。ほら、マーメイドじゃなくて……。そうだ――メロウだ」サハギンは喉の奥に詰まった魚の骨が取れたかのように、にこやかな顔で手をポンと打った。「そうか、メロウの子供ならその脚でも納得がいく」
「同じ人魚なら、私には違いがわからん」
セイリンは今更濡れた服を絞りながら言った。裾を捲り上げてシャツを絞ると、濡れた布が締め上げられる汚い音が響いた。
「メロウと異種族の子供の特徴だ。脚に鱗があったり、手に水かきがあったり。血が色濃く出れば尾びれがあったっておかしくない」
サハギンはセイリンのお尾びれに目を向けてから、自分の知っているメロウのことについて話し始めた。
メロウは異種族の子供を宿すと、陸と海どちらでも生きていけるように、産まずに長い年月をお腹の中で過ごさせて、陸の呼吸と水中の呼吸を学ばせる。
どのくらい長い年月かというと、子供を産んでからの寿命は長くて五年。短いと一年も満たず死んでしまうくらいだ。
その短い年月は子供とだけ過ごし、陸と海どちらで生きていくかを選ばせる。
「つまり私の親はここにいたということか」
話を聞き終えたセイリンが暗い墨溜まりのような地底湖を眺めた。
「どうだろうな。メロウはここ以外にもいる。というより、その家族しかメロウはここにはいなかったはずだ」
「名前は知らんのか?」
「名前か……じい様が生きてたら知ってるけど、おいらはいたって話しか聞いたことがない。水棲種族はふらっとスリー・ピー・アロウにやってきては、春の雪解けとともにそこの滝から勝手にいなくなるんだ。そのメロウも死んだ人間の墓を作るため、気まぐれで出ていったって話だ」
サハギンは地底湖の奥深くを眺めた。
暗くて何も見えないが、そこに第一地底湖へ続くと滝がある場所のようだ。滝の流れる音が聞こえないのは、まだ冬で水量が足りないからだろう。
「そういえば……入ってこられるが、出てこられないと言ってたな」
リットは酒場でガーゴイルが言っていたことを思い出した。
スリー・ピー・アロウにやってくる者は、皆ヘル・ウインドウを通ってくるが、出るに限り水棲種族は滝を利用して出ていく。
「おいらも出る時はそこから出ていく予定だ。水がない長旅は体に堪えるからな」
「堪えるって、来る時はどうやって来たんだよ」
「おいらはハーピィに頼んで連れてきてもらったんだ。風を切るって言うのは、思ったよりも体の水分が飛んで行くからびっくらした。他にも水苔に包まってきたり、まぁ色々だ」
話しながらサハギンは水かきのついた手で地面を掘り返している。
「そこまでしてここに来る意味があるか? 特別酒が美味ぇわけでもねぇしよ」
「別荘みたいなもんだ。夏は涼しいし、濾過されて澄んだ水で暮せば心身ともにリフレッシュする。文字通り穴場。元の場所へ帰るか、そのままここで暮らすかは自由だ。おいらはじい様に会いにここに来たってわけだ。そのままだらだらと二十年はここにいる」
サハギンは掘り返した地面にいるミミズを捕まえると、地底湖で軽く洗い、リットに向かって「食うか?」と差し出した。
「腹は減ってねぇよ」
「これで一杯やるのがたまらないんだ」
サハギンは大口を開けて上を向くと、ミミズを落とすように口に入れた。そして、セイリンがサハギンの家から勝手に持ち出した酒で流し込んで、たまらないと言った風に酒臭い息を吐いた。
「聞いてたか? 腹は減ってねぇって言ったんだ」
「聞いてた。だからおいらが食ったんだ」
「違うだろ。もっと行間を読めよ。腹は減ってない。酒は飲みたい。わかるだろ、普通。金は欲しい、でも殺しはしたくない。と一緒だ」
「全然違います」
マックスが冷たい声で言い切った。
「なんだよ。今まで黙ってたくせに。オレが酒を飲むのにケチをつける為には、わざわざ口を開くのか?」
「後から寒気がきて、それどころじゃなかったんです」
マックスの焚き火で乾かし終えたばかりの羽は、膨らんで一回り大きく見えた。
「黙ると言えば、どうしたんだセイリン」
リットは途中から黙って何か考え事をしていたセイリンに声を掛けた。
「マーメイド・ハープのことを考えていた。名前の通りマーメイドのハープだ。メロウなら弾いても何も起こらない」
「でも、マーメイドじゃなけりゃ、マーメイド・ハープなんて手に入らねぇだろ」
リットは自分がマーメイド・ハープを探していた時のことを思い出していた。
マーメイドが弾くのを諦めて捨てたハープを運良く浜辺で拾うか、大金を出して流れ着いたものを買うかだ。
セイリンが買うお金を持っているとは思えない。と考えたところで、イサリビィ海賊団の取引のことがリットの頭に浮かんだ。
「それも奪ったものか」
「そういうことだ。思ったより簡単にわかって拍子抜けだったな」
セイリンはオーバーコートを羽織り直すと、地底湖の出入り口に向かってゆっくり歩き始めた。
「もういいのか? 調べりゃ名前とかどこに行ったかわかるかも知れねぇぞ」
「別に親に会いたいわけではないからな。自分が何者かに一歩近付いただけでも、すっきりしている。そこだけは礼を言っておく」
去ろうとするセイリンの背中に「そうだ!」とサハギンが声を掛けた。「酒場のガーゴイルに聞くといい。あいつらの方が詳しいはずだ」
その言葉が聞こえると、セイリンは杖をつきながら精一杯の早足で戻ってきた。尾びれが強く地面に擦れているが、そんなことはお構いなしの様子だ。
そして「ガーゴイルだ?」と、ナイフを投げる時のような強い視線でサハギンを睨む。
サハギンはというと、臆することなくヘラヘラと笑顔を浮かべている。
「そうだ。なんせ死んだ人間が作った彫刻から生まれたのが、あのガーゴイルだからな。おいらより詳しいはずだ」
「地底湖に身投げしたってのは、メロウが墓を作りに行った人間のことか?」
リットは酒場に行く度に、下半身のないガーゴイルから聞かされるあの話だと思った。
それは、サハギンの頷きにより肯定された。
「そうか……地底湖で死んだ奴ね……」と、リットはうつむいて肩を揺らす。
いつまで経っても顔を上げないリットに、マックスは心配して顔を覗き込もうとしたが、手で押しのけられてしまった。
「もしかして、泣いているんですか?」
マックスは信じられないといった顔をして、肩を小刻みに揺らすリットを見る。
「コイツがそんなタマか……」
セイリンはリットの髪を掴んで顔をあげると、締まりのないニヤニヤとした笑みを浮かべて、声を漏らさないようにして笑い声を飲み込んでいた。
「見るなよ。気を使って隠してんだからよ」
リットは苦しそうに笑い声の隙間から言った。
「そっちには笑い事でも、こっちにとっては一大事だ。万が一の可能性でもな」
セイリンは掴んでいたリットの髪を乱暴に離す。
「事情はわかりませんが。故人で笑うのはどうかと思いますよ」
マックスはリットの無礼を誰に謝っていいのかわからず、セイリンとサハギンに頭を下げた。
「事情な……。この場合は情事ってんだよ」
リットはこらえきれず吹き出すように笑いだしたが、マックスとサハギンは事情が飲み込めずポカンとしている。セイリンだけが泥をすすったような苦い顔をしていた。
「まだ決まったわけじゃないぞ」
「そうだな。人間とメロウが同時期にいただけだ」リットは深呼吸して笑いをおさめると、わざとらしく新発見したかのようにセイリンの脚を見た。「おっと、都合よく人間の足と尾びれを持った奴がいるぞ」
「焦って答え合わせをすると、ろくでもないことが起きるものだ……」
「悪い悪い。詫びに酒でも奢ってやるよ。――お兄ちゃんの店で」
リットがこれでもかとからかいの笑みを浮かべた時、セイリンの杖が勢い良く振り下ろされ、リットの鼻先をかすめた。
「すまん。外した。やはり慣れたナイフのほうがいいな」
セイリンは淡々とした声で、オーバーコートの内側からナイフを取った。
「待て待て、ジョークだろ。よく言い合ってるじゃねぇか」
「そうだな。楽しかったぞ、今まで」
「今までなんて過去のことより、これからのことを考えねぇか?」
「心配するな。何十年か何百年か知らんが、ボンデッドとノーデルと言い合える」
「もしの話で殺されたらたまったもんじゃねぇよ」
リットは対峙するセイリンから目を離さず言う。なにかあったらすぐに動けるように踵を浮かせてみたものの、武道の心得があるわけでもないので、セイリンがナイフを投げようものなら、為す術もなく刺さるしかない。
リットの緊張が体からにじみ出ると、セイリンはため息をこぼすのと同時にナイフをしまった。
「足が震えてるぞ」
「漏らさなかっただけ褒めてくれ。地底湖に入ってもねぇのに、冷や汗で背中がビショビショだ。からかったけどよ。万が一そうだったらどうすんだよ。酒場はあそこしかねぇぞ。まさか、行かないってわけにもいかねぇだろ。オレと一緒で、禁酒なんてできるタイプじゃねぇだろ?」
「さっきからなんの話ですか?」
マックスが聞くと、セイリンは好きにしろと言いたげに肩をすくめた。自分の口から言うつもりはないらしく、サハギンから酒をひったくってやけ酒のように喉を鳴らした。
「彫刻家がセイリンの親父だったら、先に作られたのはあのガーゴイルだろって話だ」
「はぁ……」
マックスは理解していない曖昧な返事をこぼす。
「母親が違えど、オレ達は兄弟ってことだ」
マックスは変わらず「はぁ……」と生返事を返す。
「オレが先に生まれただろ。オマエはオレのことをなんて呼ぶ」
「最近は兄さんと呼ぶのにも抵抗がなくなってきましたけど……」そう言って少し考えると、マックスはようやく合点がいったように「あぁ!」と声を上げた。「おめでとうございます、セイリンさん。ご兄弟が見つかったようで」
マックスが自分のことのように笑顔で言うと、セイリンも笑顔で返す。笑顔のまま、ついでといった軽い具合に、ナイフをマックスの足元の地面に突き刺した。
「さっきの会話を聞いてなかったのか? 仮定の話だ」
「でも兄弟でしょう? 僕は良いものだと思いますけど」
「よく言うな。オレを毛嫌いしてたくせに」
「毛嫌いなんかしていません。単純に嫌いだったんです」
「だんだん嫌味の言い方がオレに似てきたな」
「その皮肉は効きます……」
「褒めてやったのに」




