第十七話
数日が経ち、スリー・ピー・アロウの冷たい風が肌に馴染み始めるようになると、灯りだらけの町並みにもだいぶ慣れてきていた。
ノーラは朝遅く起きては、まだ暗い朝方と勘違いしては二度寝をし、チルカは朝に少しだけ差す太陽の光を、同じ妖精仲間のバンシー達と浴びる。
リットとセイリンは夜に飲んだ酒の量によって、早かったり遅かったりと、いつも通り不規則な生活をしている。
当然マックスも、いつも通り早く起きて体を動かしていた。
「そんなことしなくてもいいんだぞ。客が来る時にだけ掃除をすれば充分だ」
ノーデルは目玉を冷たい水の入ったコップに入れて、目を覚ましながら言った。
マックスはいつも通り朝早くランニングと軽い体操を済ませ、余った時間でノーデルの手伝いをしていた。
「やることがないですから、丁度いい暇つぶしになります。それに、ただ泊めてもらうのも悪いですから」
「マックスの分も、リットから貰ってる。代金代わりの人魚の卵をな」
目玉をはめ込むと、冷水を頭から被ったかのようにノーデルは身を震わせた。そして、スッキリしたように目をパチパチさせた。
「お金を出してもらってばかりでは、いつまでも子供扱いですから。少しでも自分の力で返さないと……。ただの自己満足ですけどね」
マックスは磨き上げたばかりの墓標を見て、満足気に長く息を吐いた。
土埃と苔で汚れていたは墓標はすっかり綺麗になったが、代わりにマックスの服が汚れてしまった。マックス自身もそれに気付いたが、達成感のある顔は変わらずだった。
「まぁ、子供じゃここまで綺麗に掃除はできないな」
「そうですよね」
マックスは笑顔を輝かせた。
「いや……やっぱり子供だ。街にはいかないのか? 掃除なんかよりも面白いものがいっぱいあるぞ」
「行きたいんですが、街に行くにはあのサキュバスの宿の前を通らないと……」
「飛んで行ってみるってのはどうだ? せっかく大きな羽が背中に生えてるんだ」
「試しましたが、すぐに見つかりました……」
「ここじゃ、純白の羽は目立つからな。珍しいんだ、天使族が。まっ、見慣れればちょっかいも減るだろう」
「天使族が天望の木から降りてくることはないんですか?」
マックスは街の中心から伸びている天望の木の根を見ながら言った。
「昔一度、浮遊大陸にうんざりした天使が一人降りてきたけど、それっきりだね。そもそも、登る奴は多くても、降りてくる奴は少ないんだ」
「そんなに過酷な道だとは……」
「考えようによっちゃ、獣もいないから山を登るよりも楽なもんさ。ここの天望の木から登っても、ここの天望の木に浮遊大陸がいつ流れ着くかはわからないからな。降りる時は思い立った時に、一番近い天望の木から降りるのさ」
「そういえば、浮遊大陸は流れているんでしたね」
「まぁ、途中で諦めて戻ってくる奴も多いし、過酷と言えば過酷とも言えるな。今より整備がされていない時代は、天望の木の高さを見ただけで諦める奴も多かったって話だ」
ノーデルは目玉を洗ったコップの水を地面に流すと、ロウソクの炎の上で濃い紫色をした鉱石をナイフで削った。
粉になって落ちた鉱石はロウソクの炎に触れると、細い紫色の火柱を立たせた。
火柱が消えてからしばらくすると、ジャックの赤い光がふわふわ飛んできた。
ノーデルが「朝飯を作るから、カボチャを二つ頼む」と、伝えるとジャックは頷いてから飛んでいった。
「カボチャ? こんな暗いところでも採れるんですね」
「スリー・ピー・アロウに、初めからあったものじゃないけどな。オレが生まれる大昔に、誰かが種を置いていったって話だ」
「大昔とは、どのくらい昔のことなんでしょう」
「大昔は大昔だ。良い感じに腐った後に、白骨化しちまうくらい昔。まぁ、朝飯は腐る前に作ってやるよ。本当は腐りかけが一番美味いんだけどな」
ノーデルは墓標に吊るしてあったコウモリの干物を取ると、鼻歌交じりで羽をむしり始めた。
「また、コウモリスープですか……」
「生のコウモリを炙ったほうが良かったか? 食べやすいと思って、スープにしてるんだが。後はネズミの丸焼きくらいしか肉はないぞ。たまに迷い込んできた鳥もとれるけど、今日はないな」
「……スープがいいです」
「スープがいいとは、相当気に入ったんだな」
ノーデルは鼻歌を大きくする。
「もう、形が残らなければなんでも…」
マックスはノーデルにギリギリ聞こえるくらいの小さな声で呟いた。
見た目はともかく、コウモリと乾燥した香草を煮込んだ匂いが漂い始めると、死者が眠りから覚めるように棺桶の蓋が一つノロノロと開き、ノーラが顔を出した。
既に太陽の陽が入らない時間になっているが、ノーラは鼻を鳴らして匂いを嗅ぐのと同時に目やにだらけの目をこすった。
「ご飯の匂いがするってことは朝ですねェ……」
「やぁ、おはようノーラ」と、マックスが声を掛けてもすぐには返事はなく、ノーラはその場で何度もあくびをしてから棺桶の外に出る。それからまたのそのそ歩き、岩を登るように脚の高い椅子に座ると、ようやく「おはようございます」と朝の挨拶を返した。
「今日の朝ごはんはなんスかァ」とノーラが聞くと、マックスは苦い顔をして「コウモリのスープだよ」とこたえた。
しばらくグツグツと鍋の中が煮える音だけが響いていたが、思い立ったようにノーラは天井を見上げた。
「おっと……こんなに暗いとは! まだ夜っスね。おやすみなさいっス」
そう言ってノーラは椅子から飛び降りるが、棺桶の中に戻ろうと踵を返したところで、マックスに腕を掴まれてしまった。
「まぁまぁ、せっかく起きたんだから、一緒に朝ごはんを食べよう」
「やい、新入り。私が毎朝ごはんを食べるとでも思ってるんスか」
ノーラはマックスの手を払うと、ふんっと不機嫌にと鼻を鳴らした。
「食べるでしょう。人一倍」
「あらー……勢いで誤魔化そうと思ったんスけど、無理でしたねェ」
ノーラはまた椅子の縁に足をかけて登ると座った。
「頼むよ、ノーラ。僕一人で食べてると、おかわりを勧められそうな気がして……。どうもコウモリは苦手なんだ」
マックスは声を潜めていったが、ノーラは声をひそめることなく普通にこたえた。
「私だって苦手っスよ。トカゲのお肉なら平気なんですけど。コウモリは身が少なくて食べた気がしないんスよ」
「僕は食べる気がしないよ……。でも、好意で出されたものを残すわけにもいかないし、おかわりを勧められて断るのも悪いだろう?」
マックスはよりいっそう声を潜める。ノーラでも耳を澄まさないと聞こえないほど小さな声だ。
「旦那なんか平気で文句つけますよ。まぁ、なんでも食べる悪食ですけどねェ。マックスも旦那の弟なら、文句を垂れ流す才能があるはずっスよ」
ノーラは「頑張ってください」と、声を大きく励ました。
「そんな才能はいらないよ……。あと、僕が声を潜めている意味がわかっているかい?」
マックスは小さい動作でノーデルを指差した。
「わかってますよ。やましい気持ちがある時にするんでしょう。私にはやましい気持ちはありませんぜ」
「違う。いや、そうだけど。この場合は相手の気分を害さない為にも必要なことで……」
「私はハッキリと言うことも大事だと思いますけどねェ。ノーデルもそんなこと気にしないと思いますよ」
ノーラは少し考えてから、石のテーブルを叩いた。
「朝はお魚がいいっス」と言うと、ノーデルは「地底湖でとれたやつでいいか」と聞いてきた。
ノーラは「それでお願いします」とノーデルに返事をしてから、「ほら、こんなもんスよ」とマックスに言った。
魚があることにホッとしたマックスは、自分もそれをお願いしようと「ノーデルさん」と声を掛けた。
ノーデルは「言わなくても、わかってるよ」と笑いかけると、鍋をテーブルの上に置いた。「早くしろって言うんだろ。朝から体を動かせば、お腹も減るってもんだ」
大きめの石の器にたっぷりとスープをよそうと、ノーデルは「おかわりもあるからな」と笑顔でマックスの前に置いた。
マックスは「……ありがとうございます」と言うと、心の中で項垂れた。
「ノーラの分はもう少し待ってくれ。今から焼くから」
ノーラは「あいあいさァーっス」と返事をしてから、スープに口をつけるマックスを見た。「気を使ってばっかりだと、ハゲちゃいますよ」
「その前に胃に穴があいて死ぬかも……」
その後はノーラの焼き魚の香ばしい匂いを嗅ぎながら、マックスはなんとかコウモリのスープを平らげた。
朝食後、ノーラは二度寝。無理して食べすぎたマックスはテーブルに突っ伏して、地響きのような奇妙な声を静かに響かせている。
しばらくすると、リットが戻ってきた。
「なんだ、飲みすぎたのか?」
リットが聞くと、マックスは顔をテーブルに貼り付けたまま、力ない声でこたえた。
「兄さんじゃないので、朝から飲むようなことはしない……」
「オレだって朝から飲むようなことは稀だぞ」
「それじゃあ、そのお酒の匂いは?」
「朝まで飲んでただけだ」
「兄さんはお気楽でいい……」
マックスは顔の向きを変えて、そっぽを向きながら言った。
「朝からからんでくるな。なんだ、怖い夢でも見たのか? 残した野菜おばけにでも追いかけられる夢」
「そんな子供じみた夢はみません」
「子供じみたねぇ……あぁ、なるほど。大人の夢を見たってわけか。別に責めねぇけど、パンツは自分で洗えよ」
「まだ酔ってるんですか……」とだけ言い残して、マックスは力尽きたように黙ってしまった。
リットは食べ残してある蒸したカボチャを一切れ口に放り込むと、椅子に座ってテーブルに足を乗せた。
「ボンデッドと一緒じゃなかったのか?」
ノーデルは、昨日リットとボンデッドが一緒に出かけるのを見ていたので、一緒に帰って来ていないのが不思議だった。
ボンデッドは家を持っていないので、帰ってくるとしたらここのはずだからだ。
「アイツなら外に出てる。ここの特産品を届けてもらいにな。そうだった、ガーゴイルの店でノーデルの名前を使ってツケで買ったからな」
「……無茶な買い物はしてないだろうな」
「石の皿と燭台だ。でかいのはボンデッドが運べねぇからな」
「ならいい。これで終わりだぞ。贈り物代とここの宿泊費で、人魚の卵とどっこいどっこいだ」
「宿泊費って言ったって棺桶代だろ。若干損した気がするけどな」
「朝食もついてる」
「オレはほとんど食ってないぞ」
「じゃあ、今食べてるのは何だ?」
ノーデルに言われて、リットはつまんでいるカボチャをまじまじと見た。
「カボチャだな。外の商人が持って来たのか?」
「ここに生えるカボチャだ。暗くても育つ珍しいカボチャ。味も悪くないだろ?」
「まぁな。でも、どっかで食ったことのある味だ……」
このカボチャはジャックがいつも隠れているカボチャと同じだろう。カボチャの中に入ってるジャックは、光るせいでジャック・オ・ランタンに見える。ジャック・オ・ランタンと言えばヨルムウトルだ。と、リットが頭の中で連想していくと、あることを思い出した。
「このカボチャって爆発するか?」
「よく知ってるな。育ち過ぎると爆発するんだ」
「昔からあるものなのか?」
「さっきマックスにも話したけど、大昔に誰かが種を置いていったんだ」
「そういえば、ディアドレもここに来てるんだよな。ヨルムウトルに生えてたカボチャの種を持ってても不思議じゃねぇな」
ディアドレの書いた悪魔録という本は、ヘル・ウインドウで魔族と出会ったことが書いてあると、グリザベルから聞いていた。
「あぁ、そうだ。そんな名前の奴だ。天望の木を登ろうとしたけど、諦めて帰ったって話だ。あの時代、女の足で天望の木を登るには相当きついからな」
「男でもキツイだろ」
「でも、登るつもりなんだろう? 今でも途中で諦めて戻ってくる奴が結構いるぞ」
「オレは大丈夫だ。中腹まで行けば、後は簡単に登る方法を知ってるからな」
リットは最後のカボチャを口に放り込むと、テーブルから足を下ろした。
「そんなのがあるのか。長年天望の木の下で暮らしてるけど聞いたことがないな」
「下で暮らしてりゃ知らねぇよ。登った奴だけが知ってることだ」
「へぇ、登ったことがあるのか?」
「親父がな。楽な登り方を教えてもらった。問題は――春までどうやって暇をつぶすかだ。ここに尾びれを持った魔族とかいねぇか?」
「尾びれねぇ……」
ノーデルは腕を組んで考え込む。首をひねった時に、目玉が落ちたのにも気付かないほど深く考えた。
目玉はテーブルに落ち、手元まで転がってきたが、リットはとても拾ってやる気にはならなかった。
ただの目玉でも嫌なことには変わりないが、ノーデルの目玉とは視線が合うので尚更嫌だった。
リットが「転がってきてるぞ」と伝えると、「見えてるのはオレの手じゃなかったのか」とテーブルを回ってノーデルが目玉を拾いに来た。
ノーデルは目玉に付いた汚れを、息を吹いて取ると目玉をハメた。そして、ハメたばかりの目玉でリットを見る。
「ここも結構入れ替わりがあるからな。昔にはいたのかもな。水に住む魔族もいることは確かだ。地底湖にいるサハギンにでも聞いてみるといい。いなかったら釣りでも楽しむといいさ」
「釣りもいいけどよ。その目玉はどうなってんだ? ハズレても見えてるのか?」
「見えるぞ。地面に転がしておけばパンツが見放題だ。問題は――パンツを見たいと思うような種族は下着同然の姿でいるってことだな。踏まれたらお終いだし、デメリットしかない。でも、目玉を取り出してまるごと洗いたい時があるだろ。その時は便利だ」
「せっかく目玉がはずせるのに、それくらいしか使い道がねぇとは、宝の持ち腐れだな」
「それはいい言葉だ」
「前向きな奴だ……。今更腐ってもしょうがないってか」
「その言葉は嫌いだ」




