第十六話
「これがもてなしか? 皆でテーブルを囲んで温いお湯を飲むのが?」
石で作られたテーブルの上に石のコップ。中に入ったお湯からは、水面を這うようにして湯気が立っていた。
「一番美味しく飲める温度だ。この中に肉を入れてみろ。一日で傷むぞ。最高だろ?」
ノーデルは沸騰しないように、ロウソクの炎でじわじわと水差しに入った水を温めている。
「まぁ、お湯は嬉しいですね。体が温まります」
マックスはお湯を喉に流し込んで、ほっとひと息ついた。
「なにが温まりますだ。ケツが冷えてそれどころじゃねぇよ」
リットは温いお湯を一気に飲むと、コップをテーブルに叩きつけた。
石で作られた椅子は、冬の冷気を吸収して冷たくなっていた。お尻から体温が抜き取られているようだ。
「スリー・ピー・アロウには、木の家具なんて殆どないからな。殆どが石だ」
ノーデルは石のテーブルを拳で叩きながら言った。
その時、リットには叩かれた箇所が一瞬光っているように見えた。
思わずリットは親指の腹でテーブルをこすってみたり、ノーデルと同じように拳で叩いてみたりしたが、光ることはなかった。
「旦那ァ……このテーブルになにかされたんスか? そうじゃなければ、ちょっとヤバイ人になってますよォ」
「なにか刺激を与えたら光るのかと思ってな」
「あぁ、それなら」と、ノーデルはロウソクを素手で持ってテーブルの至る所を照らし始めた。
しばらくはなんの変化もなかったが、ロウソクが通り過ぎる時、先程と同じように光る箇所があった。
「スリー・ピー・アロウの岩には鉱石のクズが混ざっている。宝石のようにカットしているわけじゃないから、いつも光ってるわけじゃない。でも、光が入る角度によって時々光って見えることもあるんだ。それを使って作られた石家具が、ここの特産品というわけだ」
注意して見ると、テーブル、椅子、コップなど、石で作られたものがロウソクのゆらめきで時折光って見えた。
「もてなしは、この家具一式くれるだけでいいぞ。目当てはこれだろ」
リットはポケットから小さな箱を取り出した。錬金術師が人工的に作ったものではなく、元からリットの家にあった自然物の人魚の卵だ。
ノーデルは「ありがたい!」と、ひったくるように箱を取った。
「いいのか? ノーデル。このテーブルと椅子は結構高価なものだろう」
水を飲む必要のないボンデッドは布をお湯に浸して、それで指の骨を丹念に拭きながら言った。
「いいんだよ。マリアの心を腐らせるためなら安いもんだ」
「そうだ。余計な口を挟むなよ、ボンデッド。だいたい、人魚の卵だって高えもんなんだよ」
リットは手を払って、ボンデッドに黙れと合図をする。
「お二人が納得しているなら構わないが……。それを持って、天望の木を登るのは無謀と言うもの」
「持っていかねぇよ。これは贈り物だ。借りがあるんでな。ここからミキシド大陸のリゼーネ王国まで、物を送る手段はあるか?」
「それはもう、自分に頼めばすべて解決」
ボンデッドは自信満々に胸骨を張って言った。
「そういえば、外から物をもってきてたな。運送業でもやってんのか?」
「正しくは代行屋。ヘル・ウインドウが閉ざされた今、外と中を自由に行き来できるのは自分だけ! 白骨化した死体の振りをすれば、白装束の目も欺ける。ただ、秘密の抜け道を通る必要があるので、このテーブルと椅子は運べない」
「なら、交渉は決裂だな」
リットが人魚の卵を奪い返そうとすると、ノーデルは慌ててズボンのポケットにしまいこんだ。
「まてまて、大丈夫だ。小さいものもいっぱいある。石の燭台とか石桶とか。それに、ここにいる間は一番いい棺桶をタダで使わせてやるから」
ノーデルはついてこいと立ち上がった。
奥に広がる墓地は殆どが石の棺桶だったが、その中に数個だけ木でできた棺桶があった。
「どうだ。昔、ヴァンパイアがここから出ていく時に買い取ったんだ。柔らかいし、何と言っても息苦しくない」ノーデルは木の棺桶を開けて、中に入っている黒いマントを広げた。
「これは下に敷くなり、体にかけるなり好きに使ってくれ」
棺桶だが、中は布張りで厚みもある。本来、死んだ後に入るものということさえ気にしなければ、充分過ぎるほど質の良いベッドになる。
それに窮屈ではあるが、寝返りを打てる広さくらいはあった。
だがマックスは得体の知れない食べ物を出されたみたいに、苦々しい顔つきで棺桶を眺めていた。
「不満があるのか? なんなら、今日の日付と名前も掘ってやる。これは大サービスだぞ。えっと……マックス……と」
ノーデルが棺桶の後ろにある墓標に、釘で名前を掘ろうとすると、マックスは慌てて止めた。
「いいです!」
「そうか、そんなにいいか」
ノーデルは上機嫌で一刻みした。
「いらないという意味です!」
「それならはっきり言ってくれよ。無駄に傷をつけちまった。でもなぁ……あとサービスできると言ったら……埋めることくらいしかできないぞ」
「それも結構です……。普通の宿はないんですか?」
「こことサキュバスの宿以外にか? 地底湖の水の中にもあったような……。あっちのほうはあまり行かないからな。知り合いのサハギンに、まだやってるか聞いてみるよ」
「……いいです」
「それじゃあ、ちょっと聞いてくる」
「結構ですという意味です!」
マックスは声を荒げると、肩を落とした。
その肩をノーラは叩こうとしたが、背伸びをしても手が届かず、背中の羽の付け根をぽすぽす叩いた。
「マックスも苦労しますねェ。旦那に連れ去られたばっかりに」
「ノーラはいいのかい? 棺桶で寝ることになっても」
「どっちかというと、食べるもののほうが心配ですねェ。はたしてここに美味しいものはあるのか」
「聞く相手を間違えたようだ……」
マックスは次にリットを見たが、期待した答えは返ってこないだろうとため息をついた。
リット達が元のテーブルの場所に戻ってからしばらくすると、足音がこっちに向かってきた。
「誰か来たようだ」
ボンデッドは取り外して拭いた頭蓋骨を、足音がする方向へと向けた。
「待て、オレが当てる。この足音は……ラミアが這ってくる音と、ボンデッドみたいに肉のない足音ということはスケルトン。それに、靴の音。うーん……靴を履いてる奴はいっぱいあるからな……」
ノーデルは聞こえてくる靴音に悩んだ。
ノーデルの口から出てくる種族が魔族ばかりだったのが、ノーラには気になった。
「ここに住んでる人も、宿を借りに来るんスか?」
ボンデッドに聞くと、それはもうと頷いた。
「泥の家の改築中は住めないから、宿を借りに来る。そうじゃなければ、とっくに潰れてしまっている」
「今は外からのお客がこないっスもんね」
ヘル・ウインドウを自由に行き来できないため、宿に向かってくるのは中にいる誰かということになる。
「わかった。ラミアにスケルトン。もたもたした靴音は、オレと同じゾンビだ! マリアかもしれない!」
ノーデルは一人で勝手にした賭けの結果を期待し、闇から浮き出てくる姿を見つめる。
予想したのは三人だが、歩いてきたのは一人だった。
「なんだ? マヌケヅラを晒すほど暇なのか?」
マリアではなく落胆したノーデルの顔を、セイリンはついてた杖で小突いた。
尾びれを引きずる音はラミア。杖をつく音はスケルトン。歩きにくそうな一本の人間の足音はゾンビ。ノーデルにはそう聞こえていた。
なんとなく答えをわかっていたノーラは「あらら、ハズレましたねェ」と驚くことはなかった。
肩に担いでいた袋を地面に置いて、石の椅子に腰掛けるセイリンに、リットは「よくここがわかったな。どこに行ってたんだ?」と聞いた。
「端まで歩いてきた。そこで知り合ったサキュバスに、街まで送ってもらった」
「それで、なにか手がかりはあったのか?」
「いや、いるのは角と羽の生えた奴ばかりだ。私が欲しい情報はなにもない」
「なにもないって、それはなんだ?」
リットは地面に置かれている薄汚れた袋に目を向けた。スリー・ピー・アロウに来る時には持っていなかったものだ。
「おもしろいものを見付けたから、落ちてた袋の中に入れた」
セイリンが袋をテーブルの上に置くと、皆がそれに期待を込めた目を向けた。
リットだけがつまらなさそうに袋を見る。
「おもしろいものってことは酒じゃねぇのか」
「売れば酒代くらいにはなるだろう。光るものは売れるらしいからな」
そう言ってセイリンが袋から取り出したのはカボチャだった。それも、中はくり抜かれて顔が彫られている。
三角の目とギザギザの口からは赤い光が漏れていた。
「ジャック!!」
ボンデッドとノーデルは同時に叫んだ。
名前を呼ばれたカボチャ頭は、テーブルから一目散にボンデッドとノーデルの元へと飛んでいった。
「ジャック・オ・ランタンか。売っても、ここでは酒代にもなりそうにないな」
セイリンはつまらなそうに呟くと、テーブルに置かれた誰のかわからないコップを適当に取って飲んだ。
「人身売買は悪党のすることだぞ!」
気にした様子のないセイリンを見て、ノーデルは責めるように口調を強めた。
「悪党も何も私は海賊だ。まぁ、価値のないものならいらん。そんなことより、酒はないのか?」
「そんなこと……」
まったく気にした様子を見せないセイリンに、ノーデルが驚きに目を見開くと、目玉が落ちてテーブルに転がった。
「大丈夫だったか? ジャック」
ボンデッドはカボチャの頭の目の中を覗いて言った。
「ジャック・オ・ランタンは喋らねぇだろ」
リットはヨルムウトルにいたジャック・オ・ランタンを思い出していた。
その後を知らないし、グリザベルに付いていってるわけでもない。もしかしたら同じジャック・オ・ランタンがここに来たのかと思ったが、ボンデッドの言葉によってすぐに違うことがわかった。
「ジャックはバンシー。恥ずかしがり屋でカボチャに隠れていて、口数が少ないだけ」
ボンデッドがカボチャをテーブルに置くと、中の赤い光がカボチャの左目へと移動してきたが、それっきり動くことはない。
「焦らすほどツラのいい男なのか? それとも、イライラしたオレにカボチャごと潰されるのを待ってるのか?」
リットの言葉を聞いて、赤い光はカボチャの奥へと引っ込んでしまった。
「さっきも言ったとおり、ジャックは恥ずかしがり屋。期待するようなことは言わないように」
ボンデッドはリットに人差し指を向けて注意する。
「コイツをオレに紹介する意味があるのか?」
「顔を見て紹介してくれと言っていたではないか」
リットはスリー・ピー・アロウに入るために、そんなこと言ったのを思い出した。
その時ボンデッドが言っていたのが、「腐ってる男がノーデルで、カボチャに入っているのがジャック」。たしかにそう言っていた。
リットとボンデッドが話しているおかげで、自分に向けられた視線の数が減ったのに気付いたジャックは、顔だけをカボチャの目から出した。
しかし、チルカと目が合うと再びカボチャの中へと隠れてしまった。
「ねぇ、アンタ達、ジャックって呼んでるわよね」
チルカはカボチャの目に顔を突っ込んで、中にいるジャックの姿を見ながら言った。
「如何にも。ボンデッド、ノーデル、ジャックの三人組と言えば、スリー・ピー・アロウでも有名なトリオ・ザ・モンスター!」
ボンデッドは得意気に声を響かせた。
「聞きたいのはそんなことじゃないわよ。なんで女の子のことを、男の名前で呼んでるのかって聞いてんのよ」
チルカはカボチャの中から無理やりジャックを引っ張り出した。
胸もお尻もあまり膨らんでいないが、確かに女性の姿をしている。
ボンデッドが言っていたとおり、バンシーのジャックはフェアリーのチルカと違い、髪はオレンジで肌は褐色だった。
リットが試しにロウソクの炎を近づけると、羽の赤い光が薄れて、チルカと同じ金色の髪と白い肌になった。
チルカと違うのは、純粋な透明な羽ではなく、埃だらけのガラスのような灰色の透明な羽を持っていることくらいだろう。
ロウソクを遠ざけると、羽の赤い光が強くなり、オレンジの髪と褐色の肌に戻った。
しかし、リットはそれより気になることがあった。
「妖精ってのは全員寸胴体型なのか?」
「アンタねぇ……一人がそうだからって、一括りにしないでよね」
リットはチルカの体を見ると、もう一度「妖精ってのは全員寸胴体型なのか?」と聞いた。
「……日陰育ちで発育が悪いのよ。なんか文句ある?」
「文句はねぇけど、質問はある」
「受け付けないわ」
「ウチの庭でさんざん日光浴してるのに、全然成長しねぇのはなんでだ?」
「質問は受け付けないって言ってるでしょ」
「二の腕が若干膨らんだ理由も、答えられないってか?」
リットがバカにして鼻で笑うと、チルカはその鼻っ柱を蹴り上げた。
「それが答えよ」
「ずいぶん体重の乗った蹴りだったな……」
リットはジンジン痛む鼻を押さえながら言う。
「まだ言う気?」
おなじみの口喧嘩をする二人を尻目に、ノーラはノーデルに聞いた。
「でも、ジャックというのは変な気がしますけどねェ。ノーデルの彼女さんがマリアって名前ってことは、そういう風習じゃないってことでしょ」
「まぁ、オレ達はジャックと呼んでるけど、本名はジャクリーヌだからな。男二人に女一人だと、なんか座りが悪いだろ。だから、男っぽくジャックと呼んでるわけだ」
「それって、意味あります?」
「ある。説明はできないが、それが男の友情ってもんだ」
「男の友情って便利な言葉っスねェ」




