第十三話
穴は落ちた時に足裏から腰に軽く響く程度の深さで、そこから更に横穴が続いていた。
ボンデッドの「雪で埋まるから、穴は元通り塞ぐように」という言葉通り、マックスが穴の中から手を伸ばして、岩で入り口を塞ぐと、視界が一瞬だけ暗闇に染まった。
闇の中から、リットの視界に小さなお尻が浮かび上がった。チルカの羽明かりがランプの代わりをする。
先に進んでいたボンデッドが「こっちだ」と、狭い穴に声を響かせた。
横穴は縦穴よりも狭く、腹ばいになって這って進むしか方法はなかった。
外に比べれば良いほうだが、いくら土の中といっても下は冷たい。スケルトンのボンデッドには感じないらしく、冷たさに身を震わせることなくどんどん先へと進んで這っていた。
しばらく進んだところで、唐突にセイリンが「今の記憶はいつからの記憶なんだ」と、リットの後ろからボンデッドに質問を投げかけた。
「この骨の持ち主の記憶があるのかと言われれば、全くない。魚が卵から孵るように、人間が股ぐらから生まれるように、スケルトンは骨から生まれる。そこが始まりの記憶」一呼吸置くとボンデッドは「きっとセイリンさんは死に絶え白骨化した後、愉快なスケルトンが生まれてくるに違いない」と歯をカチカチ鳴らして笑った。
すると、リットのお尻がセイリンによって叩かれた。
「馬じゃねぇんだから、ケツを叩かれても早くは移動できねぇよ」
リットがぶっきらぼうに言うと、セイリンがもう一度お尻を叩いた。
「手が届かん。前に伝えろ」
リットはセイリンに叩かれた時より強くボンデッドの腰骨を叩くが、自分の手に鈍い痛みが走っただけだ。
ボンデッドは痛がる素振りも見せず、「元の骨は三百歳を迎えている。あまり強く叩かれると、折れてしまうかもしれないのでお気を付けを」と言った。
「骨の持ち主の年齢がわかるのか?」というセイリンの質問に、ボンデッドは「もちろん」とかえした。
「肉体の年齢ではなく、白骨化してからの年齢。自分の腰から上は、右の骨以外生まれた時のもの。右手が百歳の白骨日を迎え、両足は白骨してからまだ四十二年しか経っていない」
「白骨日とは初めて聞いた言葉だ。誕生日と同じか?」
ボンデッドは這うのをやめると、肋骨を押さえてカチカチ歯を鳴らして笑った。
「誕生日と呼ぶにはあまりにおかしい話。ゆえに、代わり祝うのが白骨日。骨を付け替えれば付け替えるだけ、白骨日が多くて祝うのが大変なんだ。手だけで六回も白骨日があるスケルトンもいる」
止まって話を続けようとするボンデッドの腰骨を、リットが乱暴に叩いた。
「いいから早く歩け。後ろが詰まってる。こっちは赤ん坊になって、ずっとケツの穴を眺められてる気分なんだよ」
セイリンは「漏らしても、おむつは代えてやらんぞ」と、リットのお尻に向かって声を掛ける。
「赤ん坊とは理解できないものだ」
ボンデッドの真面目なトーンに、リットは同じく真面目なトーンで「同感だ」とこたえた。
「腹が減ったら騒ぐ、眠くなっても騒ぐ、糞する時も騒ぐ。理性がない欲望の化身みてぇなもんだからな」
「そうではなく、スケルトンは赤ん坊時代というものがない。生まれた瞬間から、喋り、歩くものだ。ゆえに、赤ん坊とは理解不能」
「こっちからしたら、骨だけで立ち上がるほうが理解不能だ。スケルトンは精霊体みたいなもんなのか?」
「気にしたことがない。どう生まれてきたかは、どう生きていくかには関係のないことだから」
「骨に言われると、深く聞こえんだか、浅く聞こえんだかわかんねぇな」
それからまた暫く歩くと、ボンデッドの骨の隙間から光が漏れてきた。
スリー・ピー・アロウはすぐそこだということだ。
「段差があるのでお気を付けを」と言いながら、ボンデッドが穴向こうへと飛び降りた。
リットは穴から顔を出したまま固まった。ボンデッドをマネて飛び降りたら、頭から落ちてしまうということもあったが、目に飛び込んできた様々な色の光に目を奪われた理由のほうが大きかった。
緑や紫など、目にしたことのない光が、スリー・ピー・アロウを彩っている。
穴から降りてからも、リットは遠くの街明かりに目を奪われていた。
ボンデッドは降りる時に外れた脚骨をハメながら「イメージと違ったかな?」と聞いた。
「もっと暗いところだと思ってた」
「スリー・ピー・アロウで、光とは娯楽なんだ」
天望の木の根が洞窟の天井を壊す以前。『完全洞窟時代』には、火の光を陽の光に見立てて一定期過ごすという風習があった。完全洞窟時代より更に古く、スリー・ピー・アロウの洞窟から外に一切出なかった、『黒の時代』から続いていた風習だという。
それが、天望の木の根が洞窟の天井を壊した『崩落時代』に入ってからは、太陽の光に見慣れてしまったため、刺激を求めより奇抜な色の光を求めるようになり、風習から娯楽へと変化していた。
「洞窟じゃなく、夜が長いと言ったほうがしっかりくるな」
リットがじっくりと、遠くに霞む町並みを眺めていると、セイリンの杖が頭を叩いた。
「いいから手を貸せ」
リットが振り返ると、セイリンが穴から顔と手を出していた。
片脚で降りるには、危ない高さだ。
「アリスみてぇな吸盤がありゃ、すぐに降りてこられるのにな」
「こっちは鱗が取れてイライラしているんだ。余計な口を挟むより、手を伸ばせ」
リットが腕を伸ばしてセイリンの脇を支えていると、「ボンデッド!」という男の声が聞こえた。
「ノーデル! 帰ったぞ!」
ボンデッドは両腕を広げて、ノーデルを迎え入れようとする。ノーデルも両腕を広げて走ってくるが、腕は腰ではなく頭蓋骨に向かっていた。
ノーデルの「遅い!」という言葉とともに、ボンデッドの頭蓋骨に腕が命中する。
その時、ボンデッドの頭蓋骨だけではなく、目玉も一緒に転げ落ちた。
ノーデルの土気色の肌をした顔には、ぽっかり一つ穴が開いている。
ノーデルは土にまみれた目玉を拾い、拭くことなく目の穴に押し込んだ。
「もう、十五回もプレゼントを誤魔化してデートしたんだぞ。わかるか? 今日で十六回目になるところだ」
「こっちも色々大変だったんだ。でも――」ボンデッドは頭蓋骨を拾って付けると、ご登場と言わんばかりに、両手で穴から出てくる途中のリット達を示した。「ほら、ご覧の通り」
ノーデルは付けたばかりの目玉を外して手のひらで土を落とすと、リット達を見て驚愕の表情を浮かべた。
「プレゼントに人間をやってどうする。それも生きてるぞ! せめて腐った人間を連れてこい」
「性根が腐ったのなら一人いるわよ」と、穴から先に出たチルカがリットを指しながら言うが、ノーデルは顔をしかめるだけで、すぐにボンデッドに向き直った。
「花はどうした? 血のように真っ赤な花だ」
「当然持ってきた」
ボンデッドは肋骨にぶら下がってる袋から花を取り出した。
ボンデッドの摘んだ花は最初は確かに赤い色をしていた。しかし、身動きが取れない冬の間に花は枯れ落ちて、茎は黒に近い茶色に変わってしまっていた。
それを見て、ノーデルはまた目玉が落ちそうなほど目を見開いた。
「ボンデッド……――最高だ! 最高の一本じゃないか!」
抱きつかんばかりの勢いのノーデルに、ボンデッドは歯をカチカチ鳴らして笑いかけた。
そんな二人を見て、チルカは呆れ返っていた。
「なにあれ、バカじゃないの。あんなの花じゃないわよ。茎だけじゃない」
「だから、一輪じゃなくて一本なんだろ」
リットは穴から手を伸ばすマックスから木箱を受け取りながら言った。
「枯れ枝をもらって喜ぶバカがどこにいるのよ」
「向こうから歩いてくるバカがそうじゃねぇのか」
リットが顎をしゃくった方向からは、ランプの光が楽しげに揺れながら向かってきていた。
「来た! マリアだ。ここで、待ち合わせをしてたんだ。早速渡して来る」
ボンデッドにそう言うと、ノーデルは駆け足でマリアの元へと向かっていった。
「待った? ノーデル」
そう言ったマリアの肌は、秋の枯れかかった草色のような緑色をしていた。
「待ったよ。待ちすぎて腐ってしまったところさ」
「良かった。ゆっくり歩いてきた甲斐があったわ」
マリアは、生まれてこの方水分なんて一度も含んだことのないようなパサパサの長い髪を、手で梳かしながら言った。
「キミと一緒にいると、こんなお決まりのセリフでさえも楽しいよ。キミが来るのを今か今かと待ち腐っていた」
ノーデルは土気色の手で、マリアの草色の手を握った。
「私の濁った目には、もうノーデルしか映らないわ」
マリアは手を強く握り返した。
「バカも極めたらあーなるのかしら……」
チルカは呆れを通り越して、なんとも言えない表情を浮かべていた。
「二人はゾンビ。あれが正しい愛の言葉」
ボンデッドは親友のノーデルを眺めながら、うっとりしているようだった。
「愛も腐ってそうね……」
「まさしく、二人は腐るまで愛を深めている」
「それで……平気でくっさいセリフを吐けるわけね」
チルカは鼻をつまみながら、うぇっと舌を伸ばした。
ノーデルとマリアの二人はしばらく楽しげに話していたが、なにやら様子が変わってきた。徐々に声が大きくなってきたのだ。
「あら、喧嘩っぽいわね」と、チルカが楽しげにつぶやく。
「大変だ。どうしましょ、リットさん」
ボンデッドが慌ててその場をウロウロすると、骨がぶつかりカランコロン鳴った。
「知るか、こっちはそれどころじゃねぇんだ。ナイフかなんか持ってこいよ」
リットはマックスを穴から出そうとするが、羽が引っかかっているせいで、なかなか出れずにいた。
「まさか、僕の羽を切る気じゃ!?」
穴から顔を出したマックスが驚きに顔を歪めた。
「手羽先として出荷するだけだ。売った分はオマエの小遣いにやるよ」
「嫌です! 穴を広げるとかしてくださいよ!」
「ムリだ。筋肉が落ちて痩せた頃に、また引っ張ってやるか?」
「それも嫌です! 怪我をしてもいいから、今思いっきり引っ張ってください!」
マックスに怒鳴られたリットは、セイリンにも手伝ってもらいながらマックスの体を引っ張った。
僅かに穴が崩れると、マックスの体が少しずつ穴から出てくる。
ここが踏ん張りどころと感じたマックスは、自らも体の全筋肉を使って穴から這い出した。
そして、マックスが穴から抜けるのと同時に、ビンタの音が響き渡った。
「私が好きなのは、静脈のように青い花よ!」
穴から出たばかりのマックスもキョトンとするほどの大声だった。
「違うんだ、マリア! キミの肌には血のように赤い花が似合うと思って」
「何が違うのよ! 前は、膨れ上がった静脈のように青い花が似合うって言ってたわ」
「でも、枯れ落ちたらみんな一緒じゃないか」
「全然違うわ! 他の色ならともかく、前の彼女の趣味と間違えるなんて最低よ!」
マリアは最後にもう一度ビンタをお見舞した。
その衝撃で二つとも目玉が飛び出てしまったノーデルは、彼女を追うことができなかった。
目玉をハメ直した頃には、マリアの姿は消えていた。
肩を落として、のろのろと歩いてくるノーデルの姿はゾンビそのものだった
「ボンデッド……。オレはもうダメだ……マリアがいない人生なんて、肉が腐り落ちたみたいなものだ。オマエみたいに白骨化しちまうよ……」
「一度や二度の失敗で腐ることはない。いや、別に腐るのが悪いと言ってるわけじゃなく。まぁ、とにかく、こちらは外の人達」
ボンデッドが改めてリット達を紹介しようとすると、ノーデルはのそっと顔を上げた。
虚ろな目のノーデルと目が合ったマックスは小さく悲鳴を上げた。
「筋肉ばかりで、食べても美味しくないです。それに、僕は天使の中でも友好的なタイプです」
マックスが恐る恐る声を掛けると、ノーデルは深いため息を吐いた。
「そんな新鮮な肉は食べないし、天使だからって差別する奴はスリー・ピー・アロウにはいないよ。昔じゃないんだ」
ノーデルのため息はマリアのことから尾を引いたため息だったのだが、マックスには別の意味のため息に思えてしまった。
「そんな! 僕の方こそ、先入観から差別的な発言をしてしまってすいません……。ここに来るまでに色々不安なことばかりで、少し気が動転しているんです」
ペコペコと頭を下げるマックスを、ボンデッドが手で制した。
「ちょっとちょっと、まだ紹介が済んでない。リットさん達、こっちが親友の『ノーデル・ゴバッド』」
「おい、誰が友人だ」
すかさずリットがツッコんだが、ボンデッドは骨の指を振ってリットの言葉を遮った。
「言いたいことはわかる。でも、会ったばかりで親友にはなれない。もう少し時間を掛けないと」
「……わかった。物を売れる場所を教えてくれたら、どっか好きに消えてくれ。土に埋まるなり、獣に食われるなりな」
「何を売るつもりで?」
ボンデッドは嫌味を聞き流して、リットの傍らに置かれている木箱に目を向けた。
ここで売れるかどうかを聞いとくのも悪くないと、リットは木箱を開けて、中から一つ取り出してボンデッドに渡した。
「人魚の卵だ。これを売れるところを教えてくれ」
「おぉ! これは!」
「その反応だと、高く売れそうだな」
「自分の眼窩にピッタリ」
ボンデッドは目のくぼみに人魚の卵を入れて、おどけてみせた。
「……出会わなかったところから、やり直していいか?」
「ちょっとしたおふざけ。売れるには売れる。でも、高値かどうか……。うーむ……貝殻マニアがいれば」
「ただの貝殻じゃねぇよ」リットはボンデッドの眼窩から人魚の卵を引っこ抜く。「水の中に入れると、気泡を出しながら青白く発光する。スリー・ピー・アロウで光が娯楽なら、貝殻よりも高く売れんだろ」
「青い光だと! まさに救世主だ! こんなに腐った人間とは出会ったことがない!」
ノーデルは濁った目をまっすぐに向けて、リットの手を握った。
柔らかすぎる肉がリットの手を包んだ。
「コイツら嫌いだ……」
顔を歪めるリットとは違い、チルカは清々しい顔を浮かべていた。
「そう? 私は意見が合うと思ったわよ」




