第十二話
リットとチルカは思わず顔を見合わせて固まった。それから、示し合わせたようにお互いが反対を向いて辺りを見回した。
森は変わらず冬化粧をしたままで、寒そうな風の音を木々に擦りつけている。
リットが右を向き、左を向き、また右を向いたところで、頭上の枝葉に積もった雪が頭に落ちてきたが、それだけ。声の主の姿を見つけることはできなかった。
リットは頭にかぶった雪をはたき落としながら「死にそうな怪我以外なら、助けてやれるぞ」と声をかけてみたが返事はない。
「死んだのかしら? 死体なんか見たら夢見が悪いわよ……」
「まさか、白フードの連中に埋められた奴じゃないだろうな……。この木の栄養になったとか」
リットはチルカが入った鳥籠を持ちながら、声が聞こえたと思った木の周りをゆっくり歩いた。
「ちょっと、手を離しなさいよ。なにかあったら、私まで巻き込まれるじゃない」
「旅は道連れだ」
「なにが道連れよ。アンタ……なにかあったら私を餌に逃げるつもりでしょ」
「ちょうどよく鳥籠に入ってるからな。それに光る。なにか出てきても、オレから視線を逸らすには充分だ」
リットが根本から木のてっぺんまで見渡してから、ノーラ達の元へと戻ろうとすると、子供の木が急激に成長したかのように、突然木の根元の雪が高く盛り上がった。
「なんだ。白フードの人間じゃないのか。良かった。さぁ、助けてくれ」と言う男の声と共に、盛り上がった雪を破るようにしてガイコツが飛び出てきた。
そのガイコツは頭を首から引っこ抜いて、頭蓋骨に詰まった雪を目の穴から落とした。そして、食事のカスを取るように、歯の隙間で凍った固い雪も指でこそぎ落とすと、頭蓋骨を元通り首にハメて、呆けるリットとチルカに向かって「頼むよ。下半身がどっかにいってしまったんだ」と骨だけの肩をすくめてみせた。
「あーびっくりしたわ……。スケルトンじゃない」
チルカは鳥籠の格子に背中をつけて大きく息を吐いた。
「如何にも、自分は『ボンデッド・テラー』。何を隠そう、あの怪物三銃士の一人です」
「知らねぇな……」
リットはあまりに自然に話すガイコツに、若干面食らいながらこたえた。恐怖で染まらなかったのは、ここが魔族地であるスリー・ピー・アロウの近くだったからだ。
ボンデッドは心底驚いたように「なんと!?」と顎骨を大きく開いた。「では、トリオ・ザ・モンスターは?」
「三バカってのはどうだ?」
「三ならなんでもいい。三人でいるのが好きなんだ。自分と、ノーデル。そしてジャック。いつも三人でいる。そういえば、ジャックと間違えてすまなかった。てっきりジャックの持ってるランプの光だと思ったんだ。いやー、まいった。夏にスリー・ピー・アロウを出てきたっていうのに、もう冬だ」
ボンデッドはカランコロンと肋骨を骨の指でなぞり鳴らして笑う。肋骨の中には小袋が一つ結ばれていて、心臓が揺れているように見えた。
「スリー・ピー・アロウね……。それで、なにをどう助ければいいんだ?」
リットは恩を売っておいて損はしないと認識した。ボンデッドからスリー・ピー・アロウという名前が出たからだ。
「助けてくれると! ありがとう、名も無き助け人よ。恥ずかしながら、これから帰ろうと言う時に、名も無き毛むくじゃらの犬に襲われて下半身を奪われてしまった。齧られ、舐められ、恥辱の極み。それに、飽きたらポイッと捨てられてしまった。悪い男に騙された乙女の気持ちがよくわかる。どうか、雪に埋まっている私の下半身を探して欲しい」
「このあたりに落ちてるのか?」
「いや、あっちに持って行かれてしまった」
そう言って、ボンデッドが指差したのは、ノーラ達が休んでいる方向だった。
「探すだけ探してみてやる。だから、そっちも助けてくれ」
リットが身を翻すと、節足動物の脚のように細く固いボンデッドの骨の指が背中を這って肩を掴んだ。
振り返ると「見捨てられると困るから」と口を開くボンデッドの顔があった。
どうやら、リットの服を掴んで背中におぶさったようだ。
「いいか……オマエの顔は心臓に悪い。二度といきなりこういうことをするな」
ボンデッドは「むずかしい」と顎骨を突き出した。「良いも悪いも、自分には心臓がないからさじ加減がわからない」
「……運んでやるから、少し黙ってろ」
「まさに、死人に口なし」
ボンデッドは声だけではなく、目でも笑った。
といっても、本当に目で笑っているわけではない。眼球が収まる眼窩の窪みにあいた穴が目玉のように見え、それが光の入る角度によって笑っているように見えただけだ。
「最近、誰かを担いでばっかだな……」
リットはチルカの入った鳥籠を持ち直すと、ボンデッドを背中に引っさげて歩き出した。
戻る途中、マックスの頭が一番初めに目に入った。
「おい、マックス。骨を探せ」とリットは遠くから声をかけるが、マックスは返事をしようと口を開けたままで固まってしまっていた。
代わりにセイリンが「おっ、なかなか悪くないガイコツだな」と近付いてきた。「だが、もう少ししまりのある顔のガイコツが好ましい。なんというか、糞の途中で死んだみたいにマヌケな頭蓋骨に見える。ボーン・ドレス号に吊るすにはちょっとな……」
ボンデッドが片手を上げてセイリンに挨拶をするが、セイリンは驚いた様子を見せずに杖の先で頭蓋骨を小突いた。
ボンデッドは上げていた片手を、手持ち無沙汰にマックスの羽に向かって下ろし、中の骨を確かめるように強めにつまんだ。
「ほう……大きくて良い翼だ。死んだら是非、私に骨をください。その翼ならば、肉がなくとも飛べそうな気がする」
マックスは「……嫌です」と、こたえるだけで精一杯だった。
「残念。それはそうと、ボンデッド・テラーです。お見知りおきを」
骨だけの手を伸ばされたマックスは、恐る恐る手を伸ばし返した。
マックスが手を伸ばしきる前に、「よろしく、名も無き筋肉の人」とボンデッドが手を目一杯伸ばしてマックスの手を掴んで握手をした。
血の気の抜けたマックスの手は、ボンデッドの骨の手と同じくらい冷たくなっていた。
「旦那ァ、なんでも勝手に拾ってきちゃダメですよ」
「オマエは影執事の時もそうだったけど、なにを見ても驚かねぇな」
「種族皆兄弟ですぜ。いちいち驚くことなんかありませんってなもんです」
「まぁいい。それなら、そこで固まってるマックスを連れて、コイツの下半身の骨を探せ」
リットは肩を上下に動かして、背中にいるボンデッドを揺らした。
「骨ならなんでもいいんスか?」
「名も無き小さき人。アナタの倍以上ある長さの脚の骨。それに形の良いセクシーな腰骨も必要だ」
「私の倍くらいと言うと、旦那の脚と同じくらいの長さっスか?」
「いやいや、こんなに短くない。もっと長くカッコいい脚骨だ」
ボンデッドの上半身が空を切って、雪の上に埋まるように落ちた。
「言っとくが、わざとだからな」
リットはおまけに足元の雪を、ボンデッドの頭蓋骨に向けて蹴った。
「名も無き助け人よ。骨が折れたらどうしてくれる」
「どうするんだ?」
「それは……代わりの骨を装着するだけだ」
「便利な体だな……」
「さぁさぁ、お喋りも楽しいけど、モタモタしてたら日が暮れてしまう。急いで急いで」
ボンデッドは手を叩いて仕切り始めた。まるで打楽器のようなカツカツした拍手の音が響く。
マックスはノーラに手を引かれるまま骨を探し始め、セイリンは鳥籠に入ったチルカを持って骨を探しに行った。
一人あぶれたリットは、骨を探しに行くことはせずに、倒れた枯れ木の上に腰を下ろした。
「名もなき助け人よ。あなたは探しに行かないので?」
ボンデッドは腕で這うように移動して、リットが座る枯れ木に背骨を預けた。
「リットだ。小せえのがノーラで、もっと小せえのがチルカ。尾びれがあるのがセイリンで、筋肉の塊に羽が生えてる男はマックスだ」
「なるほど。自分はボンデッド」
「聞いたよ」
「腐ってる男がノーデルで、カボチャに入っているのがジャック」
「どこの誰を紹介してんだ……」
「スリー・ピー・アロウにいる自分の家族とも言える友達だ。友達を紹介されたら、こっちも友達を紹介しないと」
「是非、顔を見ながら紹介されたいもんだ」
ボンデッドは骨の手をリットの襟元まで伸ばすと、フードがついていないのを確認した。
「白フードの人間との関係は?」
「他人だ」
「なら紹介しよう。もちろん、脚を見付けてくれればだが」
「……罠か?」
「なぜだ? 脚を見付けてくれれば恩人。恩人を罠にはめる理由がわからない」
ボンデッドが口を動かすと、筋肉のない顎骨は締まりなく揺れ、寒さに震えているように歯が何度もぶつかりカタカタ鳴った。
「人間との小競り合いがあるんだろ?」
「そんな話、どこから? でも、白フードの商人はダメだ」
「白フードの奴らは商人なのか?」
「そうだ。独占商売をするために、ヘル・ウインドウを封鎖している。仲間の商人だけが通れるってわけだ。だから、秘密の抜け穴を通って、他の商人と取引をすることもある。その抜け道って言うのが狭くて、あんまり物が運べない」
「だから、魔族の地の物は出回らねぇんだな」
「こっちも、外からの物がなかなか入ってこない」
ボンデッドは脚が見付かるまでの間、スリー・ピー・アロウのことをリットに話した。
ヘル・ウインドウの地下洞から行くように、スリー・ピー・アロウは元々大きな洞窟の中に作られた国だ。
元々と言うのは、今は洞窟の天井が壊れて、三分の一ほど穴があいているからだ。
その原因は天望の木だ。遥か昔、天望の木の根が地下深くまで潜り、洞窟の天井を崩して穴を開けてしまった。
そのせいでスリー・ピー・アロウは完璧な洞窟ではなくなってしまった。
穴のあいた場所は、天望の木の根により支えられてそれ以上崩れることはなく、朝の数時間だけ日が入るようになった。
しかし、あいた穴の周りは、天望の木の根が複雑に入り組んで迷路のようになっているため、そこから入ることは不可能だ。印をつけたとしても、根が成長する度に道が変わってしまうので無意味になってしまう。
天まで伸びる天望の木は根も太く大きく、普通の木を登るのと変わらない。ただ登るだけならまだしも、荷物を持って何度も根を登るのは不可能に近い。
だから、ヘル・ウインドウの地下洞は大事な流通の道だということだ。
「魔族は自分みたいに食べなくて済む種族が多いから、そこは問題にならないが、なにせスリー・ピー・アロウは洞窟の中だ。娯楽や嗜好品に限りがある。自分もこっそり何か仕入れようと、秘密の抜け穴から外に出たんだが、そこを名も無き犬に尻尾を振って威嚇されてしまった」
「犬が尻尾を振ってるのは喜んでるからだろ」
「いやいや、スケルトンにとっては威嚇以外なんの行為でもない。自分の下半身が、尻尾を振った犬にむしゃぶりつくされてるのを遠目に見たことがあるか?」
「あったら生きてねぇよ……」
バカバカしい質問に、リットが頭を抱えたくなっていると、長い脚の骨を引きずりながらノーラとマックスが戻ってきた。二人の後ろには、ソリの跡のように骨でつけられた二本線が雪の上に引かれていた。
「人には働かせて、旦那だけお喋りですかい?」
「おぉ、懐かしき脚の骨! こんなにやせ細ってしまって!」ボンデッドはノーラから奪い取るようにして、二本の脚骨を抱きしめた。「後は腰骨だ。腰骨がなければ、この脚をつけることができない」
「それなら、セイリンが持ってきますよ。遅れてますけど。ほら、見えてきました」
セイリンはフラフラになりながら杖をついて戻ってくると、苛立たしげに腰骨をボンデッドに向かって投げつけた。
「片足で雪道を歩くものではないな。こんなにイライラするとは」
「……それはこっちのセリフよ。何度私を落としたら気が済むのよ」
鳥籠の中で雪まみれになったチルカが、セイリンに睨みを利かせている。
「雪の中に置いてこなかっただけ、ありがたいと思ってほしいものだ」
「籠の鍵を開ければ済む話でしょ! あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。真っすぐ歩いててもフラフラ。酔うわよ!」
チルカが吠えている間、ボンデッドは脚の骨を腰骨にハメていた。
股関節がスムーズに動くのを確認すると、木に両手をついて「さぁ、後は頼むぞ」とリットに言った。
リットはボンデッドの肋骨を片手で支えながら、もう片方の手で骨盤と背骨を合わせるが、手で強く押し込んでもなかなか上手いことハマらない。
「それじゃあ、ダメだ。力が足りない。スケルトンの骨盤は、しっかり背骨が奥まで入るようになってる。そうだ! ケツを強く蹴って押し込んでくれ!」
ボンデッドは今まさに名案がひらめいたかのように大声で呼びかける。
お尻を突き出すように背骨を振るボンデッドを見て、リットは口元を引きつらせた。
「ノーラ……」
「私の短い足が届くと思います?」
それもそうだと、今度はセイリンを見たが「片足でどうしろというんだ」と、聞く前に断られてしまった。
チルカは言わずもがなで、残るは一人しかいない。
「マックス」
「心の準備をください……。今の心模様だと、粉々に蹴り壊してしまいそうで……」
目の前の動いて喋るガイコツに、マックスはまだ順応できずにいた。
「何分必要だ?」
「最低一日は」とマックスが真顔でこたえた。
ボンデッドは「早くしてくれ、腰が寂しくて死にそうだ」と、のんきに自虐のジョークを言っている。
「仕方ねぇな……」
リットは覚悟を決めると、ボンデッドの腰骨に靴の裏を当てた。
「本当にやるんスか?」
「こいつには、スリー・ピー・アロウまで案内してもらわないといけないからな」
「見てらんないっスよ……」
「見なくていい」
リットは押し込むように腰骨を蹴った。
「もっと強くだ!」
「こうか?」
リットが強く腰骨を蹴ると、ボンデッドは気持ちよさそうな声を上げた。
「そうだ! おぉ、いいぞぉ! もっとこい!」
「まだ、ハマんねぇのか」
「休むと、骨盤と背骨がずれてしまう。ハマるまでは、休むことなくケツを蹴ってくれ」
リットがガイコツのお尻を蹴る姿を、ノーラがなんとも言えない顔で眺めている。
「やっぱり、見てらんないっスよ……」
「だから、見るなつってんだろ」
数度蹴り続けると、骨がハマる嫌な音が聞こえた。それとは真逆に、ボンデッドは気持ちよさそうに息を吐いた。
「いやー、ようやく元の姿に戻ることができた」
ボンデッドが立ち上がると、バランスの悪い骨格標本のようにひょろっとしていた。上体を支えるには頼りない細く長い脚は、明らかに骨盤とは別の人物から取ってつけたものに見えた。
ボンデッドはリットを見下ろして「ありがとう」と礼を言った。そして、歩いてひとりひとりに礼を告げていく。
脚が動く度に、股関節が不自然に軋む音を響かせていた。
「おい、せっかくハメてやったものが抜けそうだぞ」
「これは仕方ない。発育不良の巨人族の子供の脚骨だから、この股関節とピタリとは合わないんだ」
ボンデッドは軽く片足を上げると、ブラブラと頼りなく揺らしてみせた。
「まさか,墓荒らしでもして手に入れたのか?」
「それこそまさかだ。ウッドノッカーの森で白骨化したものを拾っただけだ。落ちてるものを使う。それがスケルトンのルールだからな。知り合いには、トナカイの頭蓋骨をつけているスケルトンもいる。さぁ、こっちだ。届け物があるから、ついてくるなら早くしてくれ」
ボンデッドは腰の蝶番が壊れたかのように不自然な歩き方をしながら、リット達を手招いた。
しばらく歩いたところには大きな岩があった。ボンデッドがそれをどかすと、地面には大きな穴があいていた。




