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ランプ売りの青年  作者: ふん
闇の柱と光の柱編(上)

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第八話

 焼き灰で埋め尽くされたような雲に光を奪われた海は、さっきまでは確かに静けさを纏っていた。

 ただひとつの船により、その静けさは剥ぎ取られてしまった。

 ボーン・ドレス号は静寂の緞帳を破り、空と同じ色の煙を吐き出しながらスキップ・ジャック号に近づいてくる。

 空砲の煙が厚い霧のように立ち込め、その中で影が揺れるような船の黒いシルエットだけが見えた。

 ボーン・ドレス号はスピードを緩めることなく、スキップ・ジャック号を波で揺らしながら真横で止まった。

 メインマストの頂きでなびく、人魚の尾びれと人間の足がクロスしている海賊旗に、船員が目を奪われている間に、二つの船の間を木板で繋いだ道ができていた。

 体重で木板の軋む音、手枷から伸びる鉄の鎖がぶつかる音、軽妙に剥がれる吸盤の音を混ぜ響かせて、アリスがスキップ・ジャック号に乗り込んできた。

「ご機嫌麗しゅう、皆の諸君! 曇天、高波、散り雪。こんな海賊日和に会えるなんて実に光栄だ!」

 お決まりの挨拶をするアリスに続いて、他の人魚の海賊達も続々とスキップ・ジャック号に乗り込んできた。

 リット達はその様子を物陰から眺めていた。

「あれが海賊……。見ただけでまともじゃないのがわかる……」

 マックスは緊張に喉を鳴らした。アリスの手首から伸びた鎖の先にある鉄球を見て、恐怖心が背中を這うようにして襲ってきたからだ。

「いいところに気付いたな。見ろよ。真冬でも半裸だ。まともな奴だったら、あんな格好はできねぇ」

 アリスの格好は前に会った時と変わらなかった。赤黒い布一枚を胸に巻いているだけで、見るだけで寒気がしそうなほどだ。しかし、当の本人は寒さを感じていないらしく、気持ちよさそうに取引前の口上をのたまっている。

 海賊の中にセイリンとテレスの姿はないので、誰もアリスの口上を止める者はない。

 そんなアリスに関係なく、他の人魚の海賊達はイサリビィ海賊団流の物々交換での取引を始めていた。

「アタシはガポルトル。泣く子も黙るイサリビィ海賊団の船長。つまり、キャプテンだ。キャプテン・ガポルトル」

 アリスがスキップ・ジャック号の船長の元に歩いていく時、鉄球を引きずる音が響いた。

 それが耳に入ると、マックスはまた喉を鳴らした。

 今度は、その唾を飲み込む音を聞いたチルカが、死骸に群がる蛆虫を見たように顔をしかめた。

「ちょっと、いくらあのスキュラが薄着だからって興奮しすぎじゃないの? 生唾飲むなんて、気持ち悪すぎよ」

「そういう意味で唾を飲んだんじゃない!」

 マックスが声を荒げると、リットの平手が頭に飛んできた。

「うるせぇな。物陰に隠れてる意味がわかってんのか?」

「だいたい、なんで隠れる必要が……。知り合いなんでしょう?」

 マックスは叩かれた頭を手でさすりながら、声を潜めて聞いた。

「様子を見てんだよ」

「でも、見られているのは僕達の気が……」

 リット達はアリスから見えないように隠れているだけであり、取引するものを探して甲板を行き来する人魚達は、普通にリット達の横を通り過ぎていた。

 それどころか、顔見知りであるリットとノーラに軽く挨拶までしてくる。

「あれ? リットさんじゃないですか。なにしてるんですか?」と声を掛けてきたのは、イトウ・サンだ。

「様子を見てた。もう、必要ないけどな」と言うと、リットは物陰から出た。

 アリスが取引するものを物色しに、甲板から船室へと下りていったからだ。

 ボーン・ドレス号にさえ乗ってしまえば、後はどうにでもなる。そのためにも、アリスが甲板から離れるのを持つ必要があった。

「おい、行くぞ。マックス、木箱を忘れるなよ」

「え、もしかしてボーン・ドレス号に乗るんですか?」

 イトウ・サンが驚きの声を上げた。

「まぁな。イサリビィ海賊団が単純で助かる。この広い海で予定通り会えたんだからな」

「ガポルトル副船長は、このこと知ってるんですか?」

 リットは言葉にはせず、いやらしく口を曲げた笑みで返した。

「あぁ……やっぱり知らないんですね。厄介事はいやです、厄介事はいやです」

 呟くイトウ・サンの肩に、リットは馴れ馴れしく手を置いた。

「海賊なんて厄介事に出くわしてなんぼだろ。そんなんだから、いつまで経っても下っ端なんだよ」

「あっ! 今のは酷いです! 心に深く刺さりました」

「いいから早く案内して、温めた蜂蜜でも出しなさいよ、三下。こっちは寒いの」

 チルカの勢いのある悪態に、イトウ・サンは思わず「はい!」と返事をしてしまった。

「あれ? 初対面ですよね?」とイトウ・サンが恐る恐る聞くと、チルカは「だからなによ」と一喝した。

「すみません、すみません。今、案内させていただきます」

 イトウ・サンはチルカにペコペコしながら、スキップ・ジャック号とボーン・ドレス号を繋ぐ木板のある場所まで這っていった。

「あーあ、やっちまったなイトウさん。これで、あの生物に格下だと認識されたぞ」

「そんなことより。私はイトウさんじゃなくて、イトウ・サンですってば」

「そこ、大事なとこか?」

「大事です」



 取引を終えたアリスは、意気揚々と鼻歌交じりにボーン・ドレス号に戻ってきた。

「よーし! 船を出せ!」とアリスが声を張ると、「了解です」と声が返ってきた。

「最近は船が多くて助かるぜ。冬になると酒がすぐに減っちまうからな」

 アリスは取引したばかりの酒瓶を一本手に取ると、直接口をつけて喉を鳴らした。

「体を温めるには、酒が一番だよな。特に潮風はこたえる。海に落ちたら、あっという間に凍死だな」

 リットも酒瓶の栓を抜いた。

「だろ。まぁ、アタシは冷たい海の中でも潮風でも平気なんだけどな。雪だけはまいっちまうぜ。いっそ海の中を移動したいけど、船に乗らなきゃ海賊とは言えねぇからな」

「干からびる夏よりましだろ」

「それもそうだぜ」

 そう言ってアリスは笑ったが、急に凍ったように笑いを止めた。それと同時に、触手を一本リットの首に巻き付けて引き寄せた。

 そして、信じられないものを見たかのように眼を見開き、口をぽかんと開けた。

「なんだ、虫歯のチェックでもしてほしいのか?」

「なんでオマエがこの船にいるんだ!」

 アリスの悲鳴にも似た大声が甲板に響き渡り、海原にこだまする。

 目の前で怒鳴られたせいで、リットの顔は酒臭いアリスの唾まみれになっていた。

「汚えなぁ……。唾を付けるほど、オレを気に入ってんのか? なんなら抱きしめてやろうか?」

 リットは酒瓶を持っていないほうの手を、アリスの背中に回した。

「余計なことを言ってねぇで、質問に答えやがれ!」

 アリスは床に叩きつけるようにして、リットから触手を離した。

「仕方ねぇだろ。オマエらの隠れ家には、この船じゃねぇと入れねぇんだから」

 イサリビィ海賊団の隠れ家がある島は、潮の流れが複雑で普通の船は近付けない。島に上陸するには、風の力を帆にウケるわけではなく、人魚が船を引っ張って、波をかき分けていく必要がある。

「アタシに協力する義務なんかないぜ」

「なんだよ。オレが置いていった人魚の卵をネコババするつもりか?」

「猫とか言うんじゃねぇ! 寒気がしてくるぜ」

 アリスは大げさに身を震わせた。

「寒くなったなら服を着ろよ」

「うるせぇ! アタシはこの格好が好きなんだよ。だいたい、前の時より人数が増えてんじゃねぇか」

 アリスはチルカ、マックスと順に顔を見ていく。

 チルカは睨むように見返し、マックスは顔を背けた。

 その反応を見て、アリスは立場が有利になる方へと近づいていった。

「なんだ僕ちゃん。海賊が怖いのか?」

 アリスは脅すような笑みを浮かべると、マックスの顎を触手で掴み、自分の方へと顔を向かせた。

 マックスの額は汗で濡れており、顔がひきつっている。それだけではなく、心臓の鼓動と荒い呼吸のせいで、胸元が大きく上下していた。

 呼吸を震わせるだけで言葉が出てこないマックスの代わりに、リットが「難しいところだな……。恐怖か、それとも性的興奮かは」と言いながら、アリスの胸元を指した。

 アリスが胸元に巻いている布がほどけかけていた。

 アリスは顔を真っ赤に染めると、マックスを突き飛ばした。そして、リットに背中を向け、身を縮こませて布を直しながら「こういうことは早く教えろ!」と叫んだ。

「だから、さっき服を着ろって言っただろ」

「言葉が足りねぇよ! つーか、見てんじゃねぇ!」

 胸を見られないように身を縮こませた体勢では、背中で布を結ぶのには手こずる。さらに、慌てて余計な力が入ったせいか、布は無情にも繊維がちぎれる音を立てた。

「こりゃ、こっからどうするか見ものだな。船に乗せてもらうために、取引用に持ってきた服があるけど――どうする?」

 リットは持ってきた木箱から服を一着取り出すと、アリスに見せ付けて、服がひらひらと踊るように揺らした。

「……計算済みか?」

 アリスは自分の肩を抱くようにして胸を隠し、羞恥によって目尻に涙が溜まった瞳でリットを睨んだ。

「勝手に脱ぎ始めたのはそっちだろ」

「脱いだわけじゃねぇ! いいから早く服を寄越せ!」

「取引成立ってことでいいんだな?」

 リットが服の裾をアリスの顔につけながら言うと、アリスはそれを奪い取った。

「いいから! むこうを向いてろ!」

 リットは満足げに笑みを浮かべると、おどけたように両手を上げて後ろを向いた。

「旦那ァ」と、ノーラがリットの服の裾を引っ張り耳打ちをする。

「なんだ?」

「さっきアリスの背中に手を回してましたよね?」

 リットは「さぁな」と言って鼻で笑うと、酒瓶を傾けた。



 それから一週間ほど経ち、イサリビィ海賊団の隠れ家がある島に着く頃には、アリスはうんざりしていた。

 リットにではなく、マックスにだ。

 リットが持ってきたシルヴァの服は、手枷で普通の服に袖を通せないアリスでも着られるような露出の多い服ばかりだった。

 アリスが今着ているのは、背中で紐を結ぶ黒いチューブトップのドレスだ。スカートの部分は触手の邪魔になるので引きちぎったので、以前の布で胸を隠している格好とあまり変わりがない。

 その格好を見たマックスが、顔を赤らめながら「露出が多すぎます」と注意をしたのだ。それだけならまだいいのだが、最後に「もう少し女性らしく、淑やかにしたほうが……」と言ったのがいけなかった。

 男らしさに何か異様な憧れがあるアリスは、女性という枠にはめられるのが嫌いだ。それも、酔っ払った船乗りの大言壮語を真に受けて、偏った知識で構築された男らしさに憧れている。

 男同士の集まりで、「オレの若い頃は」なんていう常套句から始まる自慢話は、大抵は色を付けて大げさに話されるものだ。

 抱いた女の数、喧嘩の数、修羅場をくぐり抜けた数、今までどれだけ酒を飲んだか、どれも自慢話の一端だ。

 声大きく、全能感たっぷりに語る酔っぱらいに、うるさいと思いながらも不思議と耳を傾けてしまう。

 偽りと言っていいほど脚色されたものは、おとぎ話のような魅力を持つこともあるからだ。

 気心の知れた男同士だけの排他的な空気がアリスは好きだったのだ。なんでも大げさに話し、下劣なジョークで笑い合う雰囲気を。

 しかし、アリスはその酔っぱらいの話に参加してたわけではなく、船に張り付いて盗み聞きをしていただけだ。

 上澄みをすくってそれらしく振る舞っているだけなので、そこをいつもリットにからかわれてしまう。

 マックスは酔っぱらい特有の雰囲気が苦手なのに加えて、女性にも余り免疫がない。シルヴァも露出の高い服を着ていたが、妹と赤の他人では感じかたは全く別だ。なので、アリスは女性の中でも、特に苦手な部類に入った。

 だからマックスも隠れ家についた途端に「疲れた……」とため息を吐いた。

「ずっと甲板を走ってるからだろ。オマエは一日中、性的衝動を感じてたのか?」

 リットがからかうように言うと、マックスは顔を赤らめた。

「ヤンキーでも優等生でも、ウブな奴の反応は一緒だな」

「仕方ないでしょう。アリスさんは露出の高い服を着ているし、人魚達も濡れて体に張り付いた服のまま歩くから……」

 マックスはより顔を赤らめると黙ってしまった。

「想像してるのか? 人魚の裸を」

「アナタは! またそうやって!」

 マックスが声を荒げるのと同時に、遠くから杖をつく音と、尾びれを引きずる音と、靴音が混ざったものが、微かに響いてきた。

 その音とともに甲板に姿を現したセイリンは、リットの姿を見つけると、不安定な足取りを少し早めて歩いてきた。

「招待状を出した覚えはないが?」

「いつまで経っても寄越さねぇから、こっちからきたんだよ。オレが前にいた時の荷物残ってるか?」

「あると言えばある。見付かるかと言われれば微妙なところだ」

 セイリンは追い返す仕草もなく、ついてこいと身を翻した。

 折れたメインマストの橋を渡り、イサリビィ海賊団が隠れ家として使っている入江に沈んだ廃船後部へ、さらにそこから横に伸ばした梯子を渡って、砂浜に打ち上げられた廃船前部へと向かう。

 二つに割れた廃船は、海に沈んだ後部が人魚やスキュラのアリスとテレスが使い、砂浜に乗り上げた前部は海の中で生活のできないセイリンが一人で使っていた。

 甲板に積まれた木箱でできた通路を歩き、階段を降りて、前にリット達が使っていた船室がある廊下へと着いたのだが、景色は前と違っていた。

 前は不気味な石像があるだけだったが、今はそこかしこに荷物が置かれている。

「おいおい、なんだこりゃ。迷路でも作る気か?」

 リットは無造作に積まれた木箱を叩いた。

「東の国の富豪の話を知ってるか?」

「東の国に移住した商人の話ならな」

「そう、それだ。丸太売りから一気に駆け上ったという話だ。今は商船を作っているらしくてな、大陸からもその材料を買っている。そのおかげで輸出入の船が多く出ているんだ。出会った船を素通りするのは海賊流儀に反するだろう。そのせいで取引した荷物が、どんどん溜まってしまったんだ」

 セイリンはよろめきながら歩く。荷物で狭くなったせいで、杖をついて歩くのにも一苦労の様子だった。それでなくとも、片方は人間の脚で、もう片方は人魚の尾びれを持つセイリンは歩くのが得意ではなかった。

「なんなら腰でも抱いて歩いてやろうか?」

「どうせなら、脚の一本でも置いていってくれ」

「夏は股間が蒸れるぞ」

「そっちの脚は、切って捨てるから問題ない」

「もったいねぇことすんなよ。生まれ持ったオーダーメイドの特注品だぞ」

「本当に特注品なら大事に拝んでやってもいいが、粗悪品なら叩き壊すまでだ」

「やめといたほうがいいぞ。小突けばむしろ図に乗るからな。押さえつければ押さえつけるほどだ」

 リットのセイリンの会話を、マックスはなんとも言えない表情で聞いて「うーむ……兄さんが二人いるようだ……」と呟いた。


「前に使っていたのはこの部屋だろ。物は捨ててはいないから、中にあるはずだ」

 セイリンが指した部屋は、入っていきなり壁だった。荷物が入った木箱で隙間なく埋められている。

「これを部屋だって言い張るなら、前にオレがどうやって生活してたかを教えてほしいもんだ」

「先に言っておくが、手伝う気はないぞ」

 セイリンはそう言うと、この部屋のさらに下にある自分の部屋へと向かって歩いていった。

「仕方ねぇな……マックス頼んだぞ」

 リットもセイリンの後を続く。

「僕が? 一人で?」

「そこに二人いるだろ」

 マックスは手伝えば仕事が増えそうなノーラと、絶対に手伝いそうにないチルカを見て、乾いた笑いを響かせた。

「アナタは?」

「酒に誘われて断ったら失礼だろ」

「私は誘ってないぞ」

 セイリンは振り向かずに言った。

「そう言うな。酒の一瓶くらいでも誘うのが、海賊の礼儀だろ。要件はこれだけじゃねぇしな」

 リットとセイリンは、話しながら下の部屋へと消えていった。

 大量の荷物の前に残され呆然と立ち尽くすマックスの背中を、慰めるようにノーラが叩いた。

「オレは酒を飲んで積もった話でも崩してくるから、オマエは汗を流して積もった荷物を崩してろってことっスね」

「わざわざ通訳どうもありがとう……」

 マックスはため息を付きながらも、入口を塞ぐ木箱に手を伸ばした。






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