第七話
次の日、リット達は手分けして猫の獣人を探していた。
リットは猫の好きそうな日向や、高い場所を探してみるが、居るのは普通の猫ばかりで、獣人はいない。
唯一顔を知っている、魚の内臓を発酵させたものを売っている猫の獣人に話を聞くと、向こうもリットのことを探しているらしい。それもいつ来るかわからないので、秋頃から探しているとのことだった。
その獣人は『チャコール・ベルベッド』という名の黒いメス猫で、船に住み着くネズミ駆除を生業としている。
そういうことなら港に行けば早いのだが、ドゥゴングという街は普通の街とは違い、街の中心にそびえ立つ、とてつもなく大きなクジラの肋骨を中心にして道が作られている。
まず、背骨の真下にある大きな通りが『クジラ通り』と呼ばれる本通りだ。
そして、あばら骨の隙間から続く脇道のことを『アバラ通り』と呼ぶ。
アバラ通りは『○本目』という数え方をするが、これは街の入口から見て、左で一、右でニ、左で三、右で四と順に数えたものだ。左側にあるアバラ通りのことを『奇数通り』と呼び、右側にあるアバラ通りのことを『偶数通り』とも呼ぶのだった。
この覚えにくい通りの名前のせいで、街中で迷う者が多い。リットも初めてドゥゴングに来た時は、通りが頭の中でこんがらがって迷ってしまった。
だが、今回は迷うことはない。港に行くなら、アバラ通り二本目か六本目とわかっているからだ。
リットは港に続くアバラ通り六本目の坂道を歩くことにした。
港でチャコールを見付けることはできなかったが、代わりに妖精が一人。「これが海なのねー!」と海に向かって叫んでいた。
ドゥゴングでは珍しい妖精の姿に、道行く人に好奇な視線を向けられているが、チルカはそんなことに構う余裕なく、広大な海や停泊している船に目を奪われていた。
「おい、オマエが探すのは海じゃなくて猫だ。冷たい水に沈んで凍死するか、食い殺されるかの違いだ。わかるか?」
リットが悪意ありありに声を掛けるが、チルカは珍しくリットの悪口に反論しなかった。代わりに返ってきたのが、テンションの高い疑問の声だった。
「あれ本当に船なの? 実は大きな蜘蛛の巣で、私を捕らえようとしてるんじゃないでしょうね」
チルカはマストに張り巡らされたロープを驚きの瞳で見ている。
「あんな隙間ありありの蜘蛛の巣に、捕まるような虫がいるか? いるとしたら相当マヌケだぞ」
「それもそうね。船って、もう、こういった感じの、人間が二人くらいしか乗れないものだと思ってたわ」
リットの虫という言葉にも、チルカは反応しない。それだけ大型船というのは、チルカにとって未知のものだった。
「そりゃ、小舟だろ。川を渡るもんと一緒にすんな。んな船で海に出たら、あっという間に波に飲まれて海の藻屑だ」
「それで、私達はどの船に乗るわけ? あっちの一番大きいの? それとも、あの派手なやつ?」
チルカは高く飛び、目についた船を片っ端から指差した。
「知るか。それを知るために猫探しをしてんだよ」
「わからないのね。まぁいいわ。妖精が初めて船に乗る歴史的瞬間は、まだ後にとっておきましょう」
心の落ち着きと比例するように、チルカはゆっくりリットの顔付近に落ちてきた。
その時、リットの目にはチルカの小さい靴が映った。
「あっ、思い出したぞ」
「なによ。やっぱり、どの船に乗るか知ってたんじゃない。どれなのよ」
チルカは再び高く飛ぶと、船を見回した。
「そうじゃねぇ。妖精が初めて船に乗るって話だ」
「私以外の妖精が船に乗ったとでも言うつもり? 自分で言っちゃうけど、こんなに冒険してる妖精なんて他にいないわよ」
「レプラコーンだ。あのコンプリートの靴屋の。船に乗るどころか、自分の船を持ってる。ジャイアント・ブーツ号って、でっかい船をな」
「あんなのは森を捨てた時点でただの小人じゃない。一緒の妖精にしないでよね」
「オマエだって森を捨ててるだろ」
「私は森を出てるのよ。捨ててるわけじゃないって、前にも言ったでしょ。アンタ鳥頭なの?」
レプラコーンに先を越されたとわかったチルカは、船に対する憧れが消えたらしく、いつもの調子を取り戻していた。
「鳥に食われるような種族が何言ってやがんだ」
リットは身を翻すと歩き出した。
「あっ、こら! どこ行くのよ」
チルカもリットの後をついて飛ぶ。
「宿に戻んだよ。何が悲しくて、寒空の下で口喧嘩しなけりゃいけねぇんだ」
「アンタがすぐに喧嘩を売るからじゃない。そういえば、アンタさっきまた私を虫扱いしてたでしょ。その分をまだ言い返してないわよ」
「言い返すってのは、その時その場で切り返す事を言うんだ。蒸し返して言うことじゃねぇよ」
「アンタねぇ……。虫がどうとか言ってる時に、蒸し返すとかわざと言ってるでしょ」
リットがチルカと口喧嘩をしながら宿に戻ると、部屋からノーラの話し声が聞こえてきた。
相手の声は女性のものだ。ということはマックスではない。
リットがドアを開けると、ノーラが「旦那ァ、遅いっスよ」と手招きをした。
部屋の中から黒猫の獣人が会釈をしているのが見えた。十中八九、チャコール・ベルベッドだろう。
ぶかぶかな真っ赤な長袖のシャツを着ているが、両腕は袖からではなく襟元から出して、肩紐のないドレスのように着ている。袖はと言うと、ずり落ちてこないように背中で縛って大きなリボンにしていた。
「おい、ニャンコ。こっちがどれだけ探したと思ってんだ。ぬくぬくと暖炉の効いた部屋で温まりやがって」
リットはチャコールの頭を掴みながら言った。
部屋が温まっているということは、だいぶ前からこの部屋にいるということだ。
「あの……痛いです……」
チャコールは肉球を押し付けるようにして、頭を掴んでいるリットの手をポカポカと叩く。
「旦那ァ、待ち猫来るですよ。せっかく私が見つけたというのに、乱暴しちゃダメですぜェ」
「なんでオマエが見付けんだよ。どうせサボってたくせに」
「いやー、まさしくその通り。サボってたんスよ。久々のドゥゴングですし、猫さん探しの前に海でも見ようと思いましてね。で、港に行ったら偶然見付けたわけです」
リットはため息を一つつくと、チャコールの頭から手を離した。
「で、オマエさんはチャコール・ベルベッドでいいのか?」
「はいです。初めましてです。チャコール・ベルベッド。皆からはチャコと呼ばれているです」
チャコールはビロードのような艶のある黒く短い毛に覆われた右手を伸ばした。左手は顔の毛づくろいをしている。
リットが握手をせずに暖炉の前まで歩いていくと、チャコールはリットの前を歩いて先に暖炉の前に着いた。そして、一番火の当たる暖かい場所を陣取ると、再び握手を求め手を伸ばした。
「しねぇぞ。こっちは探し回って疲れてんだ」
「リングベルの手紙に書いてあったとおりです。愛想のないお兄さんです」
チャコールは尻尾をだらんと垂らすと、いじけるように床に這わせた。
「リングベルね……。そう呼ぶってことは商売仲間か?」
「昔のことです。一緒にこの街に来て、リングベルは帰って、私は残ったのです」
「なんでまた残ったんスか?」
ノーラが聞くと、チャコールは満面の笑みを浮かべた。
「人魚がいるからです。目をうるませるほど美しい人魚がいる街。理由はそれだけで充分です」
「うるませ過ぎて、口からも出てるぞ」
リットが指摘すると、チャコールは「おっと」と言いながらよだれを手で拭いた。
「そんなこんなで、船のネズミ捕りや掃除をして暮らしてるです」
「それで、オレ達はどの船に乗れるんだ?」
「本当に愛想のないお兄さんです……。クールな猫だって、ご飯を食べる時くらい愛想を振りまきますです。まずは楽しくお話をしようとか思わないですか?」
「楽しい雑談がしてぇなら、後でノーラと存分にしろ。こっちは早く話を終わらせて、酒を飲みに行きてぇんだ」
リットが近くの椅子に腰を下ろすと、チャコールは話し始めた。
「どの船にもコネがあるので、どの船にも乗れるです。その代わり、ミャーと一緒に下っ端の掃除要員として乗ることになりますです」
「なんだ、オマエも船に乗るのか?」
「ペングイン大陸まではついていきませんが、ご一緒に船には乗りますです。安心してください。食料を狙うネズミ退治要員に、よく船に乗ってます。世界一船に乗ってる猫です。そのおかげで、下っ端根性染み付きまくりです」
「それで、ですますうるせぇのか」
「はいです。海の男なんてちょろいもんです。とりあえずですます言っとけば、いい気になってヘラヘラするってもんです」
チャコールの瞳が冷たく光るが、すぐに人懐っこく目を細めた。
「おい……一瞬心の黒い部分が見えたぞ」
「心どころか、ミャーは全身真っ黒です。チャームポイントは唯一白いヒゲなのです」
チャコールは自慢げに、長く伸びたヒゲを手で弾いてみせた。
「私のチャームポイントはこの羽ね。透きとおった綺麗な羽で、力強く羽ばたく種族なんて他にいないわ」
チルカが軽く飛ぶと、チャコールはチルカをじっと見て、お尻を小刻みに振り始めた。
「ちょっと……そこの体の境目がわからない黒猫。もし私に飛びかかってきたら、そこの暖炉に焚べて、コイツに食わせるわよ」
チルカがリットを足の先で指しながら言うと、チャコールはブンブンと勢い良く首を振った。
「ちょっと見ていただけでありますです!」
チャコールはピンっと尻尾を立たせて警戒する。
リットがこっちを向けと首根っこを掴もうとすると、チャコールは全身の毛を逆立てて飛び上がった。
「遊んでねぇで、情報をよこせ。最近イサリビィ海賊団が現れたのが、いつ頃かわかるか?」
「おぉ……びっくりしたであります……。えっと……三週間くらい前です。東の国から帰ってくる船ですが、被害は少なかったそうです」
「三週間前か……ちょうどいいくらいだな。酒の補充に船を出す頃だ。今停泊している船で、三角航路を通る船はあるか?」
三角航路とはドゥゴングと、東の国と、オドベヌスというペングイン大陸の港町を繋ぐ航路だ。
オドベヌスは闇に呑まれてしまっているため、三角航路の現状はドゥゴングと東の国を繋ぐ一本航路になっている。そこを狙い船を出すのが、イサリビィ海賊団だ。
「十日後に、また東の国へ出るのがあります。最近は東の国へ行く船が多いんです。なんでも、東の国へ移住して富豪になったばかりの商人が、あれこれと仕入れをしているらしいです」
「早くて十日後か……その前後はどうなってる?」
「前は一週間前に、フナノリ島へ。後は一ヶ月後にオーランド大陸に向かう船がありますです」
フナノリ島とは三角航路に無数に存在する小さな島の総称で、新鮮な野菜や果物を補充するために船が停泊するためそう呼ばれている。その中にはいくつか有人島があり、航海中の船相手に商売をしている島もある。
この付近ではイサリビィ海賊団は船を襲わない。自分達もフナノリ島を利用することがあるので、そこの住人の商売の邪魔をして敵に回さないためだ。
「なら、十日後の東の国行きの船だな。禁酒でもしてねぇ限り、船を出すだろ」
「お酒好きですもんねェ。イサリビィ海賊団の皆は」
ノーラがイサリビィ海賊団のことを思い出していると、おもむろにチャコールが立ち上がった。
「それでは、十日後の船で問題ないですか? 他の商船よりも一回りも小さい船ですけど」
「あぁ、それで頼む。商船でありゃ問題ねぇ」
「それでは船長と話をつけてきますです。船の名前は『スキップ・ジャック号』です。お忘れなくです」
チャコールは尻尾の先まで暖炉で温めてから、暖かい部屋を名残惜しそうにしてゆっくりと出ていった。
それから二週間ほど経ち、リット達はスキップ・ジャック号の上にいた。
マックスは雪がちらつく甲板で、白い息を短く連続的に吐き出しながら、乱暴にブラシを床に擦りつけていた。
「おい、まだ怒ってんのか?」とリットが声を掛けると、マックスは「いいえ、怒ってません」と淡々と返した。
言うまでもなく、マックスの声には怒気が含まれている。
リット達がチャコールと会った日。マックスは律儀に夜遅くまでチャコールのことを探していた。チャコールという獣人を探さなければ身動きが取れないと思っていたし、リット達が先に宿の部屋に戻っているなど思いもしなかったからだ。
冷たくなった体を引きずるようにして、申し訳のない気持ちで宿へと戻ってきたマックスは、暖かい部屋で既に食事をとっているリット達に、驚愕と落胆を同時に味わわされた。
「だいたい要領がわりぃんだよ。変だと思ったら、一回くらい宿に戻ってこいっての。オレはもちろん、ノーラもチルカも宿にいたぞ。オマエだけだ、いなかったのは」
「誰か一人くらいは、知らせるために探しに出て来てくれてもいいでしょう」
「愛玩動物だって腹が減りゃ勝手に戻ってくる。真面目なのは結構だが、もっと要領よく生きねぇと、人生不満だらけになるぞ。まぁ、知らねぇ街で無駄に意気込む気持ちがわからないでもねぇけどな」
最後のリットの同意の言葉を聞いて、マックスは少しだけ険しい表情を緩めた。
「空回りしていたのは認めます。でも、せめて終了時間などは前もって決めておくべきでしょう。もし勝手に戻って、宿に僕一人だったら罪悪感を感じてしまう」
「んなもんをいちいち感じてると、ストレスで羽が全部抜け落ちるぞ」
マックスが諦めのため息をついた時、急に船内が慌ただしくなった。
「出たぞー!」と叫ぶ一人の船乗りの声に、マックスは身をすくませた。
「出た? もしかして――海賊船が!?」
「おいおい、なにを驚いてんだよ。なんでこの船に乗ってると思ってんだ。乗り換えだ。シルヴァの服が入った木箱をもってこい」
リットはマックスの背中を景気良く叩くと、自分は船首甲板に向かって歩いていった。




