第十八話
ノーラは催眠術でも解くように、リットの目の前で手を叩いて音を出した。
呆けていたリットの瞳は一度大きく開くと、忙しなく視線だけをあちらこちらへと向けた。
リットは暫く黙ったまま周りの様子を確認する。部屋ではなく廊下にいた。ため息のような深呼吸を一度すると、後ろの壁から喧騒が聞こえてきた。
「姉上が暴走してしまったのでな……。仕方なく廊下に運ばせてもらった」
リットが疑問を口にする前に、エミリアが今の状況を説明した。未だ部屋の中では、チルカとライラが率いるメイド部隊が攻防を繰り広げているらしい。走る音に、割れる音に、叩く音。それから、兵士が鍛錬をしているような、腹から響かせている声が轟いている。
「とてもメイドが出すような声には思えないな」
「私は活気があっていいと思うが。それより、なにか話があったんじゃないのか?」
「そうだった。邪魔が入ったせいで中断してたな。あー……まず場所を変えないか?」
単純に騒音が耳に入るということもあるが、メイドが屋敷で暴れているという慣れない状況に気が削がれてしまうので、リットはこの場から離れたかった。
「かまわないぞ。空いている部屋はたくさんあるからな」
エミリアに先導され一番奥の部屋まで歩いて行く。奥の部屋も、リットが借りている部屋と同じ間取りになっており、普段は使われていないにもかかわらず綺麗に掃除がされていた。窓から見える風景だけが、違う部屋だということを主張している。
「置いてあるものまで一緒なんですねェ」
ノーラは。ハーピーの扇子でパタパタと自分を仰ぎながらベッドの上に腰掛けた。
「マルグリッド家は商家だからな。昔は異国の商人などの客人が多くてよく利用していたのだが、内装が違うと贔屓が有る無しと不平不満を唱える者がいたので、なるべく同じもので統一している。両親が仕事場を別の街に移してからは、滅多に使うことはなくなってしまったがな」
「貿易商になった今でこそ役に立つ屋敷だと思うけど、両親はこっちを利用しないのか?」
「私もそう思うが、貿易には船を使っているからな。リゼーネに居るわけにもいかないだろう。向こうでも他国の貿易商に見下されない程度の屋敷を立てて住んでいるから、心配はいらないと言っていたな」
「マルグリッドと言えば、エミリアにはあの長い名前があったろ。もう一回名乗ってくれねぇか?」
「いいかげん覚えてほしいものだ。リリシア・マルグリッドフォーカス・エルソル・ララ・トゥルミルスバー・カレナリエル・シルバーランド・エミリア」
エミリアは、リットが未だに覚えられない長い名前を口にする。
「最初と最後の名前の理由は前に聞いたけど、その間の名前ってなんか法則があるのか?」
「詳しくは記されていないが、マルグリッド家の長い歴史の中でも、功績を残した者の名前が入っているらしい。昔はもっとバラバラに名乗っていたが、いつからだか統一されたと聞いている」
リットは『カレナリエル』という名前に覚えがあった。文献を読み漁っていた時に、薬草学の本に記されていた名前がそうだったハズだ。
「カレナリエルってのはエルフの名前だろ。意味は忘れたけどな」
「確かに私にはエルフの血が入っているが、だいぶ昔の御先祖様だぞ」
「となると、隔世遺伝ってやつだろうな……。エミリアにはエルフの血が濃く出たんだろ」
「なるほどなるほど」
ノーラは腕を組みつつ執拗に頷く。規則正しく上下に揺れる頭は頼りなく見えた。
「オマエわかってねぇだろ。何代も昔の先祖が持っていた特性を、突然遺伝して生まれてきたりすることだ。両親もなく、ライラもなく、エミリアだけに症状があるからな。可能性は大きいだろう」
「先祖にエルフがいるからエミリアもエルフってのは、強引な気がしやすけどねェ」
「森でチルカが言ってただろ。エルフや妖精は太陽神の加護を受けてるとか、肉が苦手とかな」
リットがエミリアを見ながら言うと、視線が合ったエミリアは難しい顔をしたままで「うーむ」と唸った。
「確かに肉は苦手だが、私の家系は太陽神なんてものは信仰していないハズだぞ」
「オレも太陽神の加護自体がどんなものかは知らないが、太陽が隠れてから体に異常をきたすってことは、少なからず関係している可能性が高いと思うんだがな」
いまいちの話の先が見えないので、エミリアは先程と同じように唸る。
「体は人間だし、上手く体内でエネルギーを消化出来ないんだろう」
リットはエミリアの耳元の髪を持ち上げて、“普通の耳”を見ながら言った。エルフのように尖った耳をしていた方が話は上手く進んだのかもしれない。
「つまりどういうことっスか?」
ノーラは適当にうんうんと頷いていた首をかしげる。
「エルフは太陽神の加護のおかげで擬似光合成が出来るって言ってたしな……。本来は、昼に取り込んだ太陽のエネルギーをゆっくり時間を掛けて夜の間に使うと思うんだが、それが出来ない体なんだろう。エネルギーが溜まりすぎているのか、それともエネルギーが枯渇して心臓が痛むのか、擬似光合成自体が出来ないからそうなるのか。ダークエルフの例もあるし、案外肉を食えば解決するかもしれないしな」
「肉は関係ないだろうな。旅先で厚意で出された肉料理を無理やり食べた時も症状は出た。あの時は辛かった……。宿の主人の笑顔が悪魔の顔にも見えたな。それからは、先に肉を食べられないことを伝えることにしている」
「……あっそ。そりゃ災難だったな。まぁ、そんな簡単な事じゃないと思ってるから、迷いの森にまで行ってきたんだけどな」
「ってことは、あの花をこの屋敷で植えれば解決ってことでスかい?」
「何年も人の手が入ってない土じゃないと育たないって言ってたから無理だろ。もし植えられたとしても、一年中咲き続ける花ってのも無理だからな。効果を失わせずに、なんらかの形に加工しないとダメだろう」
突然、窓がコンコンと鳴った。すぐにバンバンと叩く強い音に変わり、窓の向こうでは必死の形相をしたチルカが飛んでいた。
「はいはーい。なんスかァ」
ノーラが窓を開けると、部屋の中に入ってきたチルカは一目散にドアの元まで飛んでいき、ドアの錠をおろした。力なく上下に揺れながらリット達が集まっているテーブルまで飛んでく来ると、射抜かれた鳥のようにテーブルの上に落ちてきた。
「野蛮な人間ってアンタだけじゃなかったのね……」とチルカは言い、テーブルの上にある花が生けられていない花瓶を背もたれにして寄りかかった。
「旦那だって口は悪いけど、手は出さないっスよ」
「私は出されたわよ……」
「おい、チルカ。ちょうどいいから太陽神の加護について説明しろよ」
「アンタねぇ……。疲れてるから余計なこと言いたくはないけど、態度を改めないと、ろくな死に方しないわよ」
肩を揺らし、息をゼェゼェと漏らしながら、チルカはリットを睨んだ。
「わかったわかった。少し待っててやるから」
「あと水をちょうだい」
「用意をするから少し待っていてくれ」
そう言って立ち上がるエミリアを、リットが腕を掴んで止めた。
「ほっときゃ勝手に雨水でも飲むからいいって」
「せっかくの客人だ。そうぞんざいに扱うこともあるまい」
「客じゃなくて、勝手についてきた侵入者だぞ」
「では、今から私の客ということにしよう。それなら問題はないだろ?」
エミリアは微笑むと、部屋を出て行った。
「フルーツも頼むわー!」と閉められたドアに叫ぶと、チルカはリットの方を向いて「アンタとは大違いで出来た人間じゃない」と、口の端を吊り上げて言った。
「減らず口をたたく元気がありゃ、果物はいらんだろ」
メイドを使うこと無く、エミリアは自分で果物を運んでくるとテーブルに置いた。
「頼めば何でも出てくるなんて、天国みたいな場所ね」
チルカは葡萄の房に埋もれながら苺にかじりつく。
「適当な話をすると、地獄に放り出してやるからな」
「まぁ、待ちなさいよ」
妖精の小さな体だと一粒でお腹いっぱいになりそうだが、チルカは苺を二個三個と食べていく。ひと通り食べ終えると、おしぼりの端で口と手を拭いた。
「で、どうなんだ?」
急かすリットに、チルカは良いとも悪いとも言えない神妙な顔つきになる。しばらく沈黙を広げると、重い口を開いた。
「隔世遺伝だとしたら、運が良かったわね。運が悪かったとも言えるけど」
「運が悪いから苦しんでるんだろ」
「この辺りは自然が多いもの。そのおかげで少なからず症状は緩和されているはずよ。エルフの血が濃いってことは間違いなさそうだしね」
「そうなのか」
実感が湧かないのか、エミリアは人ごとのように相槌を打つ。
「自分のことなのにわからないのね」
チルカは窓辺まで飛んでいき、レースのカーテンを引く。部屋に太陽の光が差し込むと、エミリアの金髪が光りなびいた。
「光る程の金髪って言うのは、太陽神の加護を受けたエルフの証よ。私と同じ髪の色をしてるでしょ?」
森で生まれた妖精のチルカも金髪であり、太陽神の加護を受けてキラキラと輝いていた。
「エルフが森の守護者ってのは分かるが、妖精ってのは守護なんて大層なことしてるのか?」
「してるわよ、失礼ね! 花の世話をしたり、虫達の話を聞いたり……とか」
「あの森は暗いだけで平和なんだな」
「うぐっ……。まぁ、その通りよ。ある意味エルフが居る森っていうのは平和じゃないってことね。私が居た森だって、平和を脅かすものが現れればエルフが派遣されて来ることになっているから」
「なるほど。平和な森で敵がいないから自分は偉いと勘違いして、そういう性格になったわけか」
「アンタっていちいち嫌味をいれないと話せないわけ? それに天敵はちゃんといるわよ。これでも日々カエルと戦ってるんだから」
「カエルって……とことん平和な森なんだな」
「あいつらバカだから、飛んでるものならなんでも舌を伸ばしてくるのよ。食べられないと分かったら吐き出すから死ぬことはないけど、体中ベトベトになるし最悪なのよ! バカだからそのことを忘れてまた舌を伸ばしてくるし……あぁ! もう!」
チルカは自分の髪をめちゃくちゃに撫でて暴れさせている。カエルに食われた経験があるらしく、思い出しては苛立っていた。
リットも思わず不憫に思うほど、チルカは焦燥の声を上げている。
「オマエも色々あったんだな」
「良かったわね。アンタは下から二番目のバカよ。カエル以上オタマジャクシ以下の存在ね。私をバカにしないだけ、オタマジャクシの方が上だわ」
「ノーラ! ハエトリソウ買ってこい!」
「私を巻き込まないでくださいよォ」
コホンと咳払いを一つ挟むと、エミリアが会話に割って入ってきた。
「盛り上がっているところすまないが、そろそろ私の話の続きを聞かせて欲しいのだが。運が悪かったという方を聞かせてもらいたい」
「悪い話っていうのは、部分的に隔世遺伝しているなら治ることはないってことね」
「治ることはない……」
チルカの言葉を反復するエミリアの声色は、明らかに気落ちしている。
「太陽神の加護っていうのは、森の守護者に与えられるものっていうのは森でリットに話したわよね。加護はどうやって与えられたかと言うと、単純に私達の始祖が森で生まれたからなのよ。太陽の加護を持って生まれて子供は、赤ん坊のうちに木々や葉の呼吸を聞いて、擬似光合成を覚えるんだけど……。エミリアにそれが出来ないのは、この国が森を切り開いて作られたことが関係しているのかも。人間の生活って自然そのものじゃなくて、自然にあるものを加工して使うでしょ? 自然に囲まれた国で隔世遺伝のきっかけにはなったけど、きっと擬似光合成を学ぶ術がなかったのね。だから、夜に心臓が痛むのは、太陽のエネルギーをコントロール出来てないからよ。きっと、蓄える間もなくすぐにエネルギーとして使っちゃってるのよ」
「でも、人間と結婚したってことは森を出たってことだろ。そういうエルフは、太陽神の加護がなくなってダークエルフになるんじゃないのか? ダークエルフは擬似光合成の代わりに肉を食って補うって言ってただろ」
「この国がいい例じゃない。森と共存してるでしょ? こういう場所でなら守護者としても役割も果たせるわ。ダークエルフは森を“捨てた”エルフ。捨てると出るじゃ大違いよ。エミリアの祖先となるエルフがどこで暮らしていたかは分からないけど、自然を大事にしていたことは間違いないわ」
祖先のエルフがダークエルフじゃないということは、肉を食べれば解決というわけにはいかない。少しずつ絞りこまれていく解決策に、リットの心臓は静かに高鳴った。
「太陽っていうのは、最も大事なものなんだな」
「そうよ。擬似光合成が出来る私も、長い雨が続くと体調不良で不眠症になったりするもの。太陽がなければ草木が生えないから、擬似光合成自体出来なくなるしね」
「ということは、太陽の光を何時でも浴びれるようになれば問題は解決ってわけだな」
「そうだけど、それが出来れば苦労しないでしょ」
ようやくゴール地点がはっきりと見えた。
「そ・こ・で! 妖精の白ユリの出番てわけっスね!」
「そこはオレに言わせろよ」
「なんか難しい話をしてて口を挟めなかったもんで、チャンスはここかなァって思いまして」
えへへと笑うノーラは、葡萄をつまみ食いして誤魔化す。皮をむくとフルーティーな甘い匂いが部屋に広がった。その匂いにつられて、皆も葡萄に手をのばす。
「妖精の白ユリというと、リットが持ってきたあの花もそうなのか?」
「そう、あの花だ」
「あの花か……」
エミリアは、リットの荷物の中にあった小汚い花を思い出していた。庭に咲いているような純白の白色とは程遠い焦げた色。見慣れたエミリアにとっても、同じ花には見えなかった。
「そう心配そうにするなよ。光ってるのは見たし、妖精のチルカのお墨付きだ。な?」
「夜行性のピクシーが昼間にあの花の蕾の中で寝て、力を蓄えてるから大丈夫だと思うけど。どうやったって枯れるわよ? ここに来るまでにね」
「なんとか方法はあるだろ。加工しようとは思ってたからな」
「私に聞いても無駄よ。なんでもかんでも加工する人間と違って、フェアリーにそんな技術はないんだから」
ライラとの逃走劇を繰り広げ、食事もし、長話もした。チルカはこの上なく眠そうに大きなあくびをした。
「試したいことはあるし、どうにかなる」
「いつになく頼もしいな。私のために尽力してくれることを嬉しく思うぞ」
「解決してさっさと帰れるなら、それに越したことはないからな」
「照れ隠しか?」
「この国の住人はお喋りが多くて、うんざりしてるんだ」
「よくリットが私に言うが、リットも難儀な性格をしていると思うぞ」




