第四話
翌日の昼過ぎ。
いつもなら馴染みの客が二、三人冷やかしに来て終わりなのが、リットのランプ屋なのだが、今日は違っていた。
混んでいるとは言えないが、わずかな人だかりができている。
その中心にいるのが、店のカウンターに立つマックスだ。
慣れない店番に狼狽している姿や拙く接客する姿、やってくる客はマックスのその初々しい反応が楽しいらしく、面倒くさく遠回りに注文をしたり、わざと軽いクレームを入れてみたりしている。
町にいないタイプのシャイな筋肉男が物珍しいのか、殆どが女性の客だ。
リットは店の端で、その光景を見ながら「普段用がねぇとこないような連中が、なんで今日に限って集まってきてんだ」とこぼした。
「誠実さ、一生懸命さ。普段この店に絶対ないものがあるからじゃない?」
そう返したのは、赤毛をポニーテールにしているサンドラ。期間だけなら、今ローレンが一番長く付き合っている女性だ。
「たったそれだけで客が入るのか?」
「二つとも、リットが生まれる前にお母さんのお腹の中に置いてきたものね」
「酒瓶を抱えて出てくるには、二つとも邪魔だったんだ。この年になっておふくろの腹の中に取りに帰ったら、今度は倫理を置いていくことになる」
「あと、私に嘘をついて他の女の子と遊びに行かないとか」
サンドラはリットを睨みつけるが、視線の先はここにいないローレンを見ていた。
「それはオレに言ってんじゃないな」
「どうして男って二人以上の女を愛せるの? 「一番愛されてるのはオマエなんだから、心配するな」とか、「たまには別なものを食べたくなる時があるもんだ」とか、そういう適当な慰めを言ったら、裏庭に自分の墓を建てることになるわよ」
「んなこと言わねぇよ」
「どうして言わないのよ!」
サンドラが壁を叩きながら言うと、近くにあったランプが一つ落ちて床で割れた。
「言ってたら、三つは割られてたからな。災害は避けられないもんだ、だから被害は最小限に収めるのが大事だ」
「そうやって、のらりくらりしてるからリットはモテないのよ」
「なんとでも。片手に酒瓶をもってるせいで、空いてるのは片手だけだ。片手で持てる女なんて数える程度しかないからな」
「軽い女の子ばかりにモテると苦労するわよ。そのうち、あなたがパパよって手紙付きで、家の前にいる赤ちゃんの世話することになっても知らないから」
「あのなぁ……せめてモテてから、そういう憂鬱になることを言えよ」
リットがうんざりと肩を落としたところで、狼狽したマックスの声が響いた。
「あの、替えの芯はどこでしょう?」
「芯の替えはカウンターの下の箱の中だ。いちいち聞くなよ。オマエは何年ここで働いてんだ」
「……今日が初日ですが、なにか?」
マックスは恨みがましい声をリットにぶつけるが、客に声を掛けられると「すいません。はい、今すぐ」と接客を続けた。
「似てないわよねぇ」と、サンドラがリットとマックスを見比べながら言った。
「そりゃそうだ。アイツはついこの間、鳥籠から出てきたばっかりだからな。空の青さの中にある黒い部分を知らねぇんだ」
「そんな子に一人で店番押し付けたら可哀想よ。もう少し手伝ってあげたら?」
「押し付けてるわけじゃねぇよ。社会勉強をさせてんだ。世の中は馬車馬のように働く奴と、その上でのんきにあぐらをかいてる奴もいるってことをな」
「本当、いつも口だけは回るわね」
サンドラは呆れて肩をすくめると、「ローレンが帰ってきたら教えなさい」と怒気を強めた言葉を残して店を出ていった。
リットは腑に落ちないように頭をかくと、部屋に戻ろうと歩き出した。
「それじゃあ、オレもやることがあるから、オマエはしっかり働けよ」
リットはマックスの肩を叩くと、店の奥に引っ込んだ。
店の奥の生活スペースでは、ノーラがまだ昼ごはんを食べているところだった
「ずいぶんのんびりだな。オマエも居候なのを忘れるなよ」
「店番という居場所がなくなった悲しみを、ご飯で誤魔化してるんスよ」
「奪われたもんは、力ずくで奪い返して来いよ」
ノーラはもったいぶってゆっくり首を振ると「だから人間はすぐ争いが起こるんスよ」と、たしなめるように言った。
そして、残りのパンを口に放り込むと、野菜のスープで一気に流し込んだ。その時、ノーラは顔を歪めた。苦しかったわけではなく、スープの不味さにだ。
「食って寝て糞してばっかりだと、そのうち家畜扱いにすんぞ」
「私を食べるのは、充分に肥えてからにしてくださいな。せめて、美味しいものを食べて太らせてほしいもんスよ。旦那も意味なくぶらぶらしてると、そのうちぶらぶらに意味を求めるようになって、頭がおかしくなっちゃいますよォ」
「オレはこれから、エミリアの分と難破船の分のオイルを抽出すんだよ。ローレンに会ったら、去勢一歩手前って言っておけ。よろけて足を踏み外しただけでちょん切られるぞってな」
リットはナイフで空中を切るマネをしながら、裏戸を開けて妖精の白ユリを摘みに行った。
「なら私は、ちょっくら先輩風を吹かしてきますかねェ」
ノーラは口周りについた食べかすを手で拭うと、店に続くドアを開けた。
「やい、新入り。オイルを売らずに油を売るとは、この商売をちょいと舐めちゃいないっスか」
店に出てくるなり、ノーラは勢い良く人差し指をマックスに突きつけた。
「すいません。サボってるわけじゃなくて、お客が途切れたので、ちょっと一息を」
マックスは額に流れる汗を、筋肉で膨らんだ腕で拭き取りながら答えた。
「冗談っスよ。言ってみただけっス。汗を拭くならその辺にある布を使っても大丈夫っスよ」
マックスはカウンター周りを見てみるが、あるのは火屋を拭いたススで汚れた布だけだった。
「いや……大丈夫」
「そうっスか。どうです? 慣れましたかァ?」
「昨日来たばかりで家にも慣れてないのに、店番まで……。まだ、戸惑ってる最中といったところかな」
マックスは冷静になることはなく、昨日の不思議な高揚感に包まれたままだった。
「旦那が言うには、習うより慣れろっスよ。まぁ、普段はこんなに人なんてこないんスけどねェ」
「それって、生活はできるのかい?」
マックスは心配そうにカウンターの一点を見つめた。なぜ、商売をするスペースに酒瓶があろうのだろうと。
「旦那は馴染みの客と、たまにある不思議な注文で儲けてますからね。旦那曰く、金持ちは見栄っ張りが多いから、そこにつけ込むといいらしいっスよ。あとは、情に厚いご近所付き合いっスかねェ。この町のダメな大人は、皆イミルの婆ちゃんにお世話になるって話ですよ」
ノーラはカウンターに積まれたランプの隙間に手を伸ばすと、リンゴを取り出した。少ししなびていたが気にすることはなく、服の裾で軽く拭くと躊躇なくかじりついた。
「イミルのお婆さんって言うのは?」
「パン屋っスよ。この家の食事はそこで全て賄っていると言っても過言じゃないっス。旦那の不味いスープを食べ物としてカウントするなら別ですけど。あとは、カーターの酒場っスかねェ。もし、旦那に急用があるなら、そこの二つを探せば大抵居ますよ」
酒場と聞いた瞬間、マックスは顔を歪めた。それに気付いたノーラは「どうしたんスか?」と首を傾げた。
「酒場には嫌な思い出があってね……」
「まぁ、その反応は旦那関係っスよねェ。旦那のからかいに反応してたら、いちいちからかわれちまいますよ」
「わかってはいるんだけど……」
マックスの背中にはむず痒さが渦巻いており、それをどう処理していいかがわからず、困ったように肩を回した。
しばらくノーラとマックスが談笑をしていると、店の中にまで聞こえる不機嫌な足音が外から響いてきた。その足音は店の前でピタリと止まる。
ドアが開くと、眉間にしわを寄せたローレンが店に入ってきた。
マックスは「いらっしゃいませ」と不慣れな愛想を振りまいて声を掛けるが、ローレンの顔つきは険しいまま。真っ直ぐにマックスの前まで歩いてきた。
「これが、僕の餌場を荒らす小鳥君かい?」
「あの……」と口ごもるマックスに、ノーラが「ローレンっスよ。旦那のお友達の」と教えた。続いて、ローレンに「旦那の弟さんっスよ」と紹介するが、ローレンは関係ないと言わんばかりに鼻息を荒くした。
「ローレンさん。何を差し上げましょうか」
「そうだねぇ……。キミの命とかはどうだい?」
ローレンは獣が牙をむくような歪な笑みをマックスに向けた。
「あぁーっと、間違えました……。おバカのローレンっスよ」
「ノーラ。キミは間違っているよ。僕がおバカになるのは、胸の大きな女性の前でだけさ。大きく膨らむ二つの胸が揺れる度に、僕の心も揺さぶられるんだ」
最後に「当然賢くもなれるけどね」と付け足すローレンを指差して、ノーラは「ね? おバカでしょ?」とマックスの太ももを肘で突っついた。
マックスは頷きそうになるのを慌てて止めると、「僕はまだ、昨日この町に着いたばかりで、この家から一歩も出ていません。もちろん、失礼があったのならば謝罪します。なにか、ご迷惑をお掛けしましたでしょうか?」
マックスの大人の対応を、ローレンは笑い飛ばした。
「あはは! おもしろいことを言うね、キミは。一歩も出ていないなら、どうやってこの家の中に入ったんだい?」
言い終えた後のローレンの顔には、笑みの欠片も残っていなかった。
「これが俗に言う難癖ってやつですよ。大抵ここから、いわれのない非難に繋がるんです」
ノーラの言葉通り、ローレンは前髪を掻き上げながら「僕のガールフレンド達にちょっかいを出すなんて、キミはどんな餌を撒いたんだい?」と、小突くようにマックスの肩を押した。
「あの……やめてください」
マックスが軽く手を振り払うだけで、華奢なローレンはよろめいた。
「おっと、なんだい? 見た目通りタフガイぶりっこでもする気かい?」
ローレンはついてもいない服の埃を払った。
「ここで自分が悪いのに、相手を悪くするようなことを言うんスよ。責任の転嫁ってやつっスね」
ノーラは今まで何度も見ましたと言わんばかりに何度も頷いた。
「神に誓っていいます。僕はお客様の相手をしていただけです。それ以外は何もしていません」
マックスは真剣な瞳を真っ直ぐ向けて、自分に非はないとローレンを見つめた。
「そうだったのかい」と笑顔で頷くローレンに、マックスはほっと胸をなでおろしたが、それもつかの間。ローレンの目は再び刺すような鋭さを取り戻していた。
「つまり、それは僕への挑戦状ってわけだね。僕の数ある愛の言葉は、キミのぎこちない笑顔一つに負けると」
「難癖はさらなる難癖を呼ぶ。これを皆がダメな大人と呼ぶわけです。ダメな大人って言うのは、一種類だけじゃないんスよ」
ノーラは講義をするような口ぶりで、マックスに語りかけている。
先程から挟まれるノーラの言葉に、ローレンはやり辛そうにため息をついた。
「ノーラ……ちょっと口を閉じていてくれないか?」
「なにか食べるものがあるなら、今すぐにでも口を塞げるんですけどねェ」
ノーラは食べ終えたリンゴの芯を見せながら言った。
「頼むよ、ノーラ。ここで上下関係をしっかりしておかないと。僕が丹精込めて育てた愛の花を、小鳥に踏みにじられてしまうんだ。育っていない花がどうなろうと、知ったことじゃないけど、育った花を取られるのだけは許せない。例えるなら、リットだけが脂の乗った魚を食べて、キミは骨ばかりの小魚を食べさせられているようなものだ。わかるね?」
「わかるような……わからないような……、じゃあ、最後に一つだけいいっスか? 旦那から伝言があるんスよ」
話が前に進まない状況に、ローレンは「なんだい?」とうんざりした様子で聞いた。
「ちょん切られるぞって言ってましたよ」
ノーラはリットがナイフで空中を切るマネを、さらに真似しながら言った。
「それ、誰が言っていたかわかるかい?」
ローレンはしゃがむと、ノーラと目線を合わせて心配そうに訪ねた。
「さぁ? でも、この店に来るローレンの彼女さんと言えば、サンドラくらいじゃないっスか?」
「なぜ、今そんなことを……。ここ数日はおとなしくしてたはずなのに……。そうなると、もっと前のことか……」ローレンは先程まで睨みつけていたマックスを見ると「――ディアナのことだ」と、小さくこぼした。
ローレンは立ち上がると、マックスの肩に手を置いた。
「小鳥君。キミはリットの弟だって話だね」
「不服ながら……」
「なら、出身はディアナかい?」
「はい、一応第四王子です。申し遅れてすいません。僕はマックス――」
自己紹介をしようとするマックスを、ローレンは手で遮った。
「キミが王子か王子じゃないかなんてどうでもいい。ここはディアナじゃなくてリゼーネだ」ローレンはきっぱり言い切ると「大事なのは、今キミは僕に貸しができたってことだ」
「なにを?」と聞こうとするマックスの口元に人差し指を立てると、ローレンはチッチッチッと隙間なく素早く舌を鳴らして、自分が喋るために黙らせた。
「そして、キミはついてる。貸しをすぐに返す機会ができたんだ。このチャンスを逃す手はない。わかるね?」
一応は聞いてはいるが、ローレンには有無を言わせない迫力があった。
「僕はどうすれば……」
困惑するマックスに、ローレンが握手を求めた。
わけがわからないままマックスがその手を握ると、ローレンは「僕はディアナでキミという友人ができた。二人はとても気が合い、ディアナの隅から隅まで観光案内をしてもらった。それも、女性と喋る時間もないくらいゆっくりだ」と、マックスが聞き漏らさないようにゆっくりと喋った。
「それを覚えれば?」
「そう。赤髪でポニーテールにしている女性がサンドラだ。もし、なにか聞かれたら今のように頼むよ。胸の大きな女性だから、誰かすぐにわかる。でも胸はじっくり見ないこと。それと、谷間がある女性には手を出さないこと。それさえ守れば、キミと僕は友達だ。争うことなく、永遠に」
ローレンは忠告をする度に、戒めの刻印を焼き付けるようにマックスの鎖骨辺りを強めに突いた。
そして、「キミに胸の小さな素敵な女性が現れることを祈ってるよ」と言って、店を出ていった。
残された呆然と立ちすくむマックスに、ノーラが「いきなり豆をぶつけられたって感じっスね」と、目一杯伸ばした手をマックスの眼前で振りながら言った。
「正直、面食らいました。個性的な方だったので……」
「ローレンはまた特別だと思いますけど。旦那がディアナのお城に行った時も、同じこと感じていたと思いますよ」
「あの人はそんなこと思うタイプじゃ……」
マックスが難しく顔をしかめると、ノーラはおどけるようにして肩をすくめた。
「だって、旦那が最初に会って紹介されたのが――シルヴァっすよ」
「それは、確かに……。シルヴァに初めて会った人は、皆一度は目を丸くするんだ」
「でしょ」とノーラが笑うと、マックスもつられて同じように笑った。




